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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅰ-4




 白雪と見紛う白い手が、男を締め上げるクロの左腕を軽く叩く。


 そこには店内から出てきたローザが立ち、首を横に振りながら告げる。


「クロ、時間切れ」


 遠くから大量のパトカーが鳴らすサイレン音が聞こえ、それが例外なくこの場に向かっていることは確かめるまでもない。本来なら襲撃者は倒れている男たちで、被害者はこちら――逃げる必要はないのだが、ローザは袖を引く手を止めない。


「拘束されるはダメ。警察の監視は厄介で、困る」


 確かに、とクロは納得する。クロの目的は襲撃者を撃退して警察に突き出すことではなく、『ニコラウス・ルーパー・マクマンベトフ』――ニキと呼ばれる人物を探し出してシロの治療の対価に当てることである。


 そしてローザの任務もニキと接触すること。


 目的が同じで協力関係を結んだ以上、ローザの意見も尊重しなければならない。


 現場からの逃走は、必要だ。


「ティム。…………、ティム!」


 その為の準備として、警察に現場の説明を依頼しようとティムに声を掛ける。だが隻眼のカメラマンは嬉々として縺れ合い冷たくなった男たちを写真に収めて、クロの呼びかけに答えるどころか、耳に入っているのかすら怪しかった。


 ティムの歪んだ熱意にクロは呆れてしまうが、これ以上時間を掛ける訳にはいかない。


 クロは襲撃者側で唯一の生存者である運転手を引き摺り出す。短い悲鳴をあげ抵抗するが、体に力が入らないのかジタバタと動くだけであった。クロは股間の染みを見つけて嫌な顔をするが、ローザがフッと息を吐くと股間周りは一瞬で凍り付いた。


 クロは凍った股間を押さえながらガチガチと震える男に同情する。


「女には分からない苦しみもある」


 クロは男の蟀谷辺りを平手で打ち、意識を奪う。ぐったりと動かない男を一瞥し、クロとローザは改めてティムに声を掛ける。


「ティム、俺たちは移動する」

「状況説明、任せる」


 二人の短い別れの言葉にティムは軽く手を振り応える。その瞳はカメラのファインダーを――その先にある死体をジッと見つめていたが、急に何かを思い出したかのように背を向けた二人に向けてシャッターを切る。


「お似合いですよ、お二人さん」


 ティムは数回だけ灰色で小さいロシア人と黒く鋭い日本人を写真に収めた後、サイレンを聞きながら死体に向けてシャッター切り続けた。





 ニキを探す――筈のクロは現在、無理矢理ローザに連れられて、とある販売店の椅子の一つに居心地悪そうに座っている。返り血は浴びてないが、クロの体からは僅かな硝煙の臭い――店に入る頃にはその殆どは霧散していたけれど、纏う空気の温度差に大いに苦しめられていた。


 好奇の視線は、十五年もシロの隣に立っていたクロにとって日常茶飯事であり、気にはならない。だがこの場でクロに向けられる視線は、いつもと少し違っている。


 断片的に聞こえるロシア語――ローザが販売員と交渉しているのだ。


 手の空いた女性店員は、クロとローザを見比べひそひそと噂話に励む。その内容は「年下の恋人に連れられてきた男」だの「可愛い恋人がいるのに不愛想な男」だの、的を射ているようで的外れなモノであった。


 頭を抱えたクロが顔を上げると、ローザが手招きをしている。


 どれだけ手招きしていたかは分からないが、対応していた店員の顔が引き攣っていることから、それなりの時間クロを呼び続けたのかもしれない、とクロは想像しながら、重い腰を上げる。




 事の発端は、ローザの一言であった。


「クロ、本当に現代人?」


 驚きながら繰り出した痛烈な批判に、クロはぐうの音も出ない。


「持ってないのは変なのか?」

「普通は持ってる、携帯電話」


 持っていないのは、単に必要なかったからだ。携帯電話を使う必要ではなく、クロ自身が携帯電話を持つ必要がなかったのだ。――――シロが持っていたから。


 今までクロが外出した時には絶対にシロが付随して、数少ない友人や知人も二人で共有している。クロに連絡を取りたい時にはシロに取り次いで貰えば問題なく、クロに用事があってもシロ経由で伝えればいい。そもそもクロから誰かに連絡を取ることは滅多にない。常にコミュニケーションの窓が開いていないと不安で死んでしまう――クロは、そんな人種とは真逆に位置していたからだ。


 それをローザに伝える必要はないが、ローザの言う通り個人の携帯端末は持っていた方がいいのかもしれない、とクロの心は少しだけ揺らぐ。今クロの隣にシロはいない。それどころかシロの無事を逐一確認するには、公衆電話や他人の携帯端末では不安が残る。


「買いに行く?」

「買いに行くか……」


 故にクロは了承を伝え、早足で進むローザの後ろをゆっくりと追った。




 クロとローザはカードで支払いを終わらせ、店を出る。


 途中で見つけた公園のベンチで仕様書を読みながら、クロは初めて触る小さな携帯端末に挑戦する。三十年以上前から主流のタッチパネル式のディスプレイは二段に重なり、二段目をスライドさせることで、より広いディスプレイやキーボードとしての機能を得るのだ。


 他にも様々な機能を有してはいるが、まずクロに必要なのは”通話”である。


 クロは頭に焼き付けたジャックの番号を入力する。呼び出し音が鳴る続ける最中、ローザは十一文字の数字をスラスラと取り出した記憶力に驚嘆の声を上げる。携帯端末を持っていない――電話番号を使う機会はないに等しかった筈なのに。


「情報は画像で覚え、覚えたことを必要な時に思い出せばいい。コツさえ掴めば、誰でも出来る技術だ」


 呼び出し音を慣らし続ける携帯端末を片手に辛抱強く待つクロは、美味しいジャムの作り方を教えるような口調でローザに記憶のコツを喋っていく。だが一方的な講義は、ローザの拒絶と携帯端末の反応により中断する。


 クロが端末相手に喋る傍ら、ローザはクロの喋ったコツを実践してみるが、どうにも上手くいかずに不貞腐れる。クロの言う方法は、記憶を一枚の写真に置き換え、アルバムに収めて必要な時に取り出す。記憶を映像として認識する所までは再現出来るが、その先は実感も沸かない。


 ローザは試しにクロの姿を瞬きで切り取る。ギュッと引き締まった体は筋骨隆々とは程遠く野性的な逞しさといった風情ではないが、死線を少し上へ動かして仏頂面と合わせると、頑固さや絶対に折れない屈強さを濃縮した機械的な逞しさに見える。


 ただ――と、ローザは切り取ったクロの姿に現実のクロを重ねる。どれだけクロが機械的な逞しさを得ようと、ある一点の所為で台無しに――酷く(やつ)れて見えてしまう。


 ローザが言おうか言うまいか悩んでいる間に、クロの通話が終わる。


「ローザの言う通りだった」


 クロが携帯端末から視線を外し、臆せずローザを見つめる。ローザは喉元まで出掛った言葉を飲み込み、頷く。


「俺の方もニキの確保は必要ない。接触だけでいい、と。……訳が分からない」


 クロは困惑を浮かべ首を振る。身柄の確保でもなければ、言伝を預かっている訳でもない。それはローザが上官から受けた命令でも同じであり、それ故に何か枠組みを超えた圧力が存在するのでは、という見解がクロとローザの現状の終点である。


 公園のベンチに座った二人を行き詰った沈黙としんしんと降る雪が包んでいたが、沈黙はローザによって破られる。


「私は、ニキに会った。十五年前、十一歳の時」


 クロは驚き、目を見開いて隣に座る小さなロシア人を見る。


「アンタ、二十六歳だったのか……」


 ローザは体躯こそ小さいが、アンバランスな身体つきと氷のように張り詰めた雰囲気を纏っている。それは若い自分が、女性の自分が軍人としての威厳を出す為に創り出した雰囲気に違いないと考えていたクロは、些か裏切られた気持ちになる。


「私が二十六歳、変?」


 上目使いで――けれど無表情のまま純粋に疑問や不安を解消しようと尋ねたローザに、クロは答えることが出来ず黙る。童顔とは少し違うが、明らかに同年代の女性に比べて若く見えるローザに、”若く見える”だの”小さい”だのは言って良いのか分からなかったからだ。


「それより、ニキのことだ」


 クロは自分が逸らしてしまった話題を、強引に正常な路線に引き戻す。


「私の記憶のニキは、少年だった。同じくらいの年、十代前半、中央アジア系の顔にポロライドカメラを持っていた」

「いや、それは妙だ。別人じゃないのか?」


 クロは思わず口を出す。情報によれば、ニキの年齢は三十二歳――十五年前なら十七歳だ。女性なら兎も角、どれだけ成長が遅くても十七歳の男が十代前半には見えない。


「ニキに違いはない、本人が名乗ったから」


 だが、ローザは否定する。


「ニキの見た目は当てにならない。普通の探し方は、きっと失敗する」


 長春市都市圏の人口は八百万人を超えている。只でさえ人が多いこの街で、目印なしの人探しが成功する筈もない。ローザも当然理解しているからこそ、普通の探し方はダメだと釘を刺したのだ。


「なら、どうしたらいい?」


 ローザは何も答えない。クロも答えは持っていない。


 閉塞感を打破しようと口にした言葉は、二人に閉塞感を再認識させるだけに留まる。


 クロはベンチの背もたれに体を預け、鉛色の雲が支配した空を見上げる。風の流れが見えない程の曇天は常に一定量の雪を吐き出して、外気に晒され冷えたコートに薄らと積もり始める。


 ずっと座っている訳にはいかない――と、クロが立ち上がろうとした時、コートのポケットに入れていた携帯端末が揺れる。クロは携帯端末を取り出し、ローザと共にディスプレイを見つめる。


 表示は非通知――当然、二人は訝しむ。


 クロの携帯端末は、買ってから一時間も経っていない。番号を知っているのは一度掛けただけのジャックと隣のローザだけだ。


 鳴り続ける着信音――敢て出ない、……そんな選択肢はあり得ない。


「もしもし」


 クロはローザにも聞こえるようにスピーカーボタンを押し、電話に出る。


《やっと出たか……、お主はクロであっとるか?》

「ああ、そうだ」


 携帯端末の所有者の名前を知っている。いたずら電話の類ではない。更に加えるなら登録した名前で確認してこない所を見るに、電話会社の線もない。


 ならこの相手は――――、とクロが予想を働かせるより先に、電話先から正体が告げられる。


《僕の名前はニキ、お主らが僕を探しておるのは知っている。あまりに遅いんでこっちから電話した次第じゃが……、まさか今、忙しいのか?》


「忙しくはない」とクロは否定するが、それ以上は何も言わない。


《なら簡潔に言うが、僕を助けてくれ》

「……助ける? 誰からだ」

《厄介な奴らに目を付けられ、追われておる。強くはないが、非常に厄介なんじゃ》


 ジャックがクロを派遣した理由は、ニキの護衛を務めてもらいたいのかとクロは察したが、その前に晴らさねばならない懸念がある。


「その追跡者は、…………ロシア軍人か?」


 クロはローザを横目に、遠慮なく問い掛ける。ローザもまた気にした風もなく、それが当然だと受け流す。


《ロシア軍人? いいや、追手は別の奴ら……っと、またか、切るぞ。また掛ける》

「おい、待て――――!!」


 ツーツーと不通を告げる携帯端末をクロは元あった場所に戻し、「疑って悪かった」とローザに詫びを入れる。気にしていないとローザは軽く首を振り、続ける。


「今の電話で、決まった」

「ああ、そうだな。行こう」


 クロとローザは立ち上がり、自らに積もった雪を払う。二人は最早、手持無沙汰な様など微塵も見せていない。


「俺たちは何もしなくていい。……ニキからの連絡を待とう」


 けれど口にした言葉は、どこまでも消極的であった。




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