Epilogue - 止まった二人
瀬戸内海に面した港町から車で二時間。小さな港と茶畑、それ以外は何もない。そんな辺境の小さな診療所――白く薄く頼りない建物を、静寂と足音が彩る。
すれ違う人影はなく、すれ違わない人間も数える程しかいない。
「くそっ! 一月でこんな寒いってんなら、来年の八月はどんだけ寒くなんだよ!」
下らない冗談を、反応する相手がいないにも拘らずケイジは口に出す。そしてドアノブに手を掛け、開く。
「よう、クロ……元気か?」
反応する相手はいない。
ケイジはずかずかと病室に入り、中の二人と対面する。外と中――気温は微塵も変わらずに、どちらも恐ろしい程に冷えている。
左腕を失って以来、シロの意識は戻らずにベッドで人形のように眠っている。健やかな寝顔は相変わらず万人を惹き付ける魅力を放つが、布団の下に広がる身体――その非対称の膨らみの仔細を知るケイジは、とても見ていられなくなり思わず視線を逸らす。
そのシロの横には、パイプ椅子に座ったままのクロの姿があった。
「クロ……」
今のクロは、ケイジの呼びかけにも答えず、定期的に瞬きをする抜け殻と化していた。短く切り揃えられていた髪は伸び、髭が雑草のように生え、頬の肉が落ち、酷くやつれている。ピンと伸びていた背筋を曲げたクロは、椅子に座っていることもあり小さく、そして弱々しく見えた。
どちらも等しく痛々しい姿で、生命を保つ最低限しか動かない。
女王との戦闘から二ヶ月が過ぎ、AFの被害の八割は収束した。権利者を中核に添えた軍は、河川と山間部を利用してAFを食い止め、数を減らし狩り尽くした。本来なら最前線には出ないケイジも裏方として扱き使われ、日本を縦横無尽に走り回った。そしてクロとシロの容体を伺おうと僅かな合間を作り出し、任務を調整し、実際に顔を出せたのは今回でやっと四度目である。
「何を見ておる、大男」
「俺はクロを見てんだ……、肩に留まってりゃ嫌でも目が行くだろ」
唐突に病室の三人目がケイジに声を掛ける。
いや、人ではない。文鳥サイズの小さな鳥――図鑑で調べたハクトウワシという分類の猛禽類。文鳥サイズであるのに幼体ではなく成体の姿のまま、クロの右肩に鎮座して、二人と一緒に病室を占拠する生ける置物と化していた。
今や魂の抜けた二人に代わりケイジと言葉を交わす置物――二回目の訪問時にカーマインと名乗った猛禽類は、高い調子で尊大な口調のまま言葉を紡ぎ出す。
「何しに来た、大男。用がないなら帰るがよい。……用があっても二人は今、話せる状況にない」
「見りゃ分かる…………が、これを話すのは二人との約束なんだ」
猛禽類特有の鋭い眼光がケイジを射竦めるが、ケイジは体を小さくしながらも負けじと続ける。
「クロの母親について、全てが終わったら知っていることを話すってな」
ケイジは己の築いてきた縁故を訪ね、情報開示について上官より更に上の許可をも取り付けてやってきた。それでも増えた情報は少数で、何度も何度も釘を刺されてやっと、ここまで辿り着いたのだ。
「クロの母親……、まさか暁のことをか? 何故息子のこやつが、母である暁のことを知らんのだ? …………いや、息子であるからこそ、知らん方が良いのかもしれんな」
カーマインの自己完結の間、ケイジはジッとクロの観察を続けていた。だがやはり、ピクリとも反応しない。以前にクロがあれだけ反応した話題である。ひょっとして……、と期待していただけに、ケイジの落胆はより大きかった。
「確かに……、俺が矢鱈に話す内容じゃねーな」
ケイジは妙に白けた気分になり、二人と一匹に別れを告げて病室を後にする。
相変わらずの寒い廊下を進み、ケイジは熱くなる心を鎮めようとする。
「沈んでる時に死んだ母親の話聞かせてどーすんだ、俺は! どんな追い打ちだよ、無駄なことしちまったぜ」
白い溜息と共に白けた気分を吐き捨てて、ケイジは次の扉に手を掛ける。
その扉はシロの病室とは比べ物にならない程に頑強で、壁と同化させる入念な偽装が施されている。閉じた鍵穴に『影打』の一端を差し込んで開き、扉の先――地下へと続く階段に足を踏み入れる。
近所の老人すら寄り付かない地方の寂れた診療所――その地下に隠匿された施設は軍所有の研究所であり、今は危険人物を収容する為の秘密牢獄と化していた。
簡素故に希薄――希薄故に堅牢、それがこの診療所である。
だが、警備が手薄な訳ではない。
現在この診療所及びその近隣の町には陸軍の一個中隊が出動待ちという名目で駐留し、万全の態勢で警備を行っている。万が一襲撃にあったとしても、三方は木々の王国で残りは狭い内海――追跡と包囲は実に容易い。
只でさえ少ない人員を、これほど警備に回す理由は簡単だ。
「よお、起きてるか」
最後の扉をノックしながら開き、中を見渡す。看守兼軍医の男性が慣れた様子でファイルを手にケイジに追随する。彼は軍人抜きで入室しない。出来ない。恐れているから。
コンクリートの壁と床は申し訳程度に色を塗り変え、誤魔化されている。室内には簡易ベットに簡素な造りの勉強机と本棚、簡易トイレ――狭さを無視して必要なモノが並べられ、まるで引っ越した直後の学生の部屋のようであった。
「起きてるの」
ボーっとベッドの上に座り込み、入室したケイジと軍医を眺めている。
女王だ。
九州の半分以上を災厄に巻き込んだ女王――こちらも何かが抜けた様相で、微動だにせず座っていた。
ここに運び込まれた直後の女王の肌は、失血と過度の栄養失調により青白く、その生命は正しく風前の灯火であった。貴重な手掛かりは失われた――そう誰もが諦めたが、皆の予想に反して女王は死なず、僅かな輸血とブドウ糖の点滴だけで傷は塞がり生命を維持した。改めて手術によって背中から散弾を取り除く最中には健やかな寝息を立てる程であり、脂汗を浮かべ見守る関係者を大いに驚かせた。後日麻酔も効果がないと告げられた時には、歴戦の軍医ですら目を回してしまった。
「どうだ、気分は? ちょっとは良くなったか?」
「良くなったの」
女王がここに収容され、既に二ヶ月が経過した。一日二食の多くはないが栄養価の整った食事で痩せ細った女王の体は張りや膨らみを取り戻し、それだけの時間を費やしたことで頻発していた頭痛は消え、脱色し白一色に染まった髪には本来の色が戻り始めている。簡素だがボロボロではない服を与えられ、その姿形は普通の少女に戻っていた。
ある一点――少女の首に掛けられたチョーカーのような枷を覗いて、だが。
強化型の『魔法権利』の恩恵――超回復を、関係者の誰もが恐れた。たった数十グラムのブドウ糖で驚異の復活を遂げた彼女に餌を与え続け、万全に戻った時に牙を剥かれては堪らないと判断したのだ。チョーカーは遠隔操作型の小型爆弾と発信機を備え、自分では取り外せない位置――他の情報部の面々と同じ、顎の裏辺りに内蔵型無線機を取り付けられていた。
皮肉にも牢獄内で、立派な首輪と誰も握らない手綱をプレゼントされたのだ
ケイジはふと一か月前――二回目の来訪を思い出す。
女王の回復に伴い、軍上層部から数回の尋問――それも”慎重に、刺激しないように細心の注意を払った尋問を行うように”と但し書きを添えられた指令を受けた時のことだ。
ケイジは、多くの専門家、学者に混じり参加した同僚たちと共に、訪ねた人々よりも多くの機械に繋がれた女王の尋問を眺めていた。実験動物さながらの待遇にも拘わらず、女王は不平の一つも漏らさず、素直に、淡々と協力した。
海軍情報部に所属するケイジが誇る得意分野は、窃盗と拉致――尋問や拷問には精通していない。だが集められた専門家たちの処置は、専門家と名乗るだけあって的確であることが素人目に見てもありありと伝わった。
それでも尋問は微妙な成果しか出せずに終わった。
とある問題から、終了を余儀なくされたのだ。
最初は素直に従っていた女王が、ある一線を越えた質問を繰り出されると急に苦しみ、受け答えどころではなくなったのだ。その興味深い変貌と多くの機器による虚偽ではないという判断を頼りに、専門家たちは踏み越えた一線を手探りで見つけ出し、結論を出す。
女王の頭痛は偶発的なモノではなく、人為的なモノである――と。
「また魔法か……」と、多くの学者が落胆する。従来の暗示や調教では現れない水準の効能を発揮する何かが女王に掛けられたとしたら、それは『魔法権利』由来の何かとしか考えられなかった。
どんな仕掛けか、誰の仕掛けかも分からない。
ただ、話せない状況だけは確かである。以上。
尋問の報告書に上層部の面々は渋い顔をしたがそれ以上の音沙汰はなく、ケイジには新たな任務が与えられた。事情通でお喋りな同僚から、「唐突に女王の頭痛は収まり、尋問の必要がなくなったみたいだぜ」など、ケイジたちの働きが無駄になりかねない与太話を聞いたが、ケイジはその詳細を知る権限を持っていなかった。
しかし新たな任務のお蔭で、忙しいケイジは今日もここに来れたのだ。
「まあ、結果から言うが……、間違いなく本人だ」
軍医から渡されたファイルを流し読みし、ケイジは簡潔に告げる。女王はホッと息を吐き、すぐに「当然なの」と呟く。
ケイジの任務は、女王が本当に之江が挙げた人物なのかどうか、その裏付けである。
戸籍、歯型、DNA鑑定――可能な限り、考え得る手の全てを尽くして、女王が本人である証拠を集めた。AFが暴れ回った市役所のパソコンから古いデータを掬い上げ、目を回しそうになりながらカルテを求めて歯医者を梯子した。挙句の果てには親類縁者を探して全国を練り歩いた。
「結局、決め手は叔父と祖父のDNA鑑定と……歯型、でした。あなたは”八幡紅緒”本人ですよ、恐らく、ええ」
軍医がたどたどしく添える。最後の余計な一言には、誰も触れない。
女王は二人の相手が飽きたのか、二人の代わりにボーっと少し離れた勉強机を眺める。
気の抜けた炭酸飲料のような姿に、ケイジは憐れみすら覚える。
ケイジは、カルテの探索を付き合わせた海軍情報部の同僚から聞いたのだ。その時の会話も、後日照会した情報も、未だに脳裏に焼き付いて離れない。
「橙堂少尉、AFがどうやって広まったか……知りたいか?」
「んあっ……? 機密じゃないのか?」
赤黒く染まった事務室で作業をしながらの会話――「機密にする程じゃねーよ」と言い放つ同僚の声色は下品と同情と不安を混ぜ合わせ、無性に興味を駆り立てる。
「いいか、橙堂少尉。AFの出没地域は複数あるが、場所は酷く限定的――繁華街や、そこに集る汚い蝿が飛び回るゴミ溜めのような場所だらけだ」
「随分と汚い言い回しだな」
「良いから聞けって。でだ、俺の任務はAFの拡散方法の裏付けだ。もう意味ないかもしれないが、一応ってことで行ってきたんだ」
ケイジは手を動かしながら同僚の言葉に耳を傾ける。
「警察署――民警と公警問わず、他に根こそぎ浚われる前に必要な分だけ持って来た。まあ、案の定だ。粗末な記録しかなかったが、ばっちりと裏は取れた。で、そんなもん見せられたお蔭で胸糞悪くなって言葉も汚くなった訳だ」
「言葉が汚いのは元からだろ」
「俺も入隊当時は綺麗な言葉遣いだったんだぜ? まあ警察に、未成年だ。分かるか?」
「警察……ああ、まさか……」
「そのまさか、だ。売春だか強姦だかは知らないが、AFは女王とヤった男たちを媒介して広がったのさ。警察も保護して、身元不明と分かると即座に放り出した。面倒だからな。それで男に拾われて、ヤっちまうのさ。女王と男がヤって、男と別の女がヤる。写真で見たが、あんな骨の浮いた細い体に興奮するもんなのか……? 異常だぜ……、ヤる方も、ヤられる方もな」
「躊躇わずに撃ち落とした俺も、相当の異常者になるな」
「ハハッ、違いねーぜ」
ケイジは手を休め、同僚を見る。地雷によって両足を吹き飛ばされ、新しい脚を自慢しすぎて家族に逃げられた――と笑って話す同僚には、確か娘がいた筈だ。
「まあ、なんだ、接する機会があったら、少しは優しくしてやんな」
同僚との会話を思い出しながら、女王を見つめる。
同僚の言葉が一定の事実に裏付けされているとしたら、AFをばら撒いた女王は、最初からAFを宿していたことになる。権利者はAF化しない線は三峰という実例によって消され、”ならば何故”と深い疑問だけが残る。
「橙堂少尉さん」
顔を横に向けたまま、女王は静かに口を動かす。
「私は何時、死刑になるの?」
女王の言葉を聞き、ケイジは即座に視線を滑らせ軍医を睨む。軍医は必死に首を振り、「私は何も喋ってない」と身振り手振りで応える。
「悪い夢……。酷い濃霧の中を、ずっと手探りで歩いてた気がするの。何かに触れるたびに押して押して押して……、気付けば私が空から落ちてて……、目が覚めたら一人、ここに座ってたの」
今度は軍医がケイジを睨む。「どうするつもりだ」とカウンセリングの専門家が素人のケイジの手腕に期待する。
「何人押したかは分からない……でも、沢山押して、沢山落としたのは確かなの……」
いつしか女王の双眸には涙が溢れ、頬の伝ってシーツを水玉模様に濡らす。
「殺したのはAFで、お前じゃないだろ」
「でも、ミツをあんな風にしたのは――――」
「それも、今更だ」
ケイジは罪の告白を半ばで遮り、女王は涙を拭わずにジッとケイジを見つめている。
「俺はな、気にしないんだ」
ケイジは取り繕うのを止め、人の耳など気にせずに独白を始める。
「過ぎたことなんて、どうでもいい。誰が死のうが、誰が誰を殺そうが、見知らぬ人間が何人死のうが、結局過去は過去、今の俺に関係ないんだ。死んだ奴を見て悲しむなんて一瞬で終わる。こんな間抜けにはなりたくない。そう思うのが関の山だ」
無責任な発言――けれどケイジは自分の信条を語る。
「真似すんなよ、これは俺だけの生き方なんだ。誰も彼もが俺みたいになっちまったら、世界は簡単に滅んじまう」
言い終えたケイジは、冷やかで呆れた軍医の視線から逃れる為に女王に近づく。女王は涙を拭うのに必死で、ケイジを気にも留めない。
じっくりと室内を見渡し、そこで初めて、女王の勉強机にある一枚の写真に気付く。
写真には笑顔の女王――背景には見たこともない建物が並ぶ。
「誰が撮った写真だ……?」と尋ねるも、女王は答えない。知らされていないから。
ケイジは首を傾げ、撮影者の署名はないかと裏を見る。
そして、奇妙な絵を見つける。崖の上に立つ男の絵――その右下に記された短い単語。
「『愚者』……、タロットか? なんだこれは」
ケイジはその写真を元の場所に戻し、軍医に促されるまま外に出る。
写真は、遥か先のモノ――未来の、八幡紅緒を写したモノだ。
世界は、まだ女王の退場を許さない。
『運命の輪』に巻き込まれて、擦り減って消えるまで……。
これにて第一章終了です
自分の妄想にお付き合いくださってありがとうございました
キャラ設定など必要なようであれば作ります
第二章は少し時間を置いてから投稿していきます
と言ってもまだ書き終わってないので投稿ペースは遅めになる筈……




