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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第一章:彼と彼女らの馴れ初め
41/119

Ⅵ-6



 クロはただ一人、広い校庭に立っていた。


 四百メートルのトラックを確保して尚、かなりの余裕を見せる校庭を戦場として選んだ理由は単純明快――敵を多く収容出来る場所ならば、必然的に多くの敵を殺す機会を得るからだ。


 クロの周囲には多数の成長型AFが囲み、少し距離を置いた場所では寄生型AFを宿した隊員が小銃を手に遠巻きにする。クロの手には窓ガラスや壁――校舎の一階を砕いて回った鉄パイプ<安全地帯>が握られ、『加速』を発動させたままそれを維持し、臨戦態勢を取っていた。


 クロを囲んだAFたちは、数の利があるにも関わらず仕掛けて来ない。命令を待つ無数の瞳が、ただクロを睨んでいる。


 クロの視線もまた、自身を囲む多くの敵に向けられてはいない。


 ただ一点、屋上にに立つ二人に向けられていた。


 手遅れの元仲間と遠目で分かるほど痩せ細った少女――三峰と、恐らくAF騒動の元凶である女王はジッと眼下のクロを見据えている。


 恐らく肉眼で捉える必要があるのだろう。


 クロたちは動き始める前に、女王の正体を――人間かAFを宿した人間か、それとも全く別の生物なのかを想定する必要があった。ケイジの話が確かなら、女王とはAFを支配し自由に動かす存在であり、それは敵の指揮官であることを意味する。


 もし仮に女王がAFなら、権利者と相互に気配を感じ取れることで一行の動静は少なからず掴まれてしまう。しかし女王が人間なら――それが権利者であるか否かは関係なく、こちらの動静はAFを通してでしか掴めない。


 女王が聡明な指揮官でクロが囮だと勘付いたならば、まず誘いには乗ってこない。しかし女王はクロの誘いに乗ってAFを屋外に展開し、剰えその姿を晒した。


 姿を晒したのならば、もはや相手の正体は二の次だ。


 あの少女が女王である確証はない。三峰と同じく寄生された権利者の可能性もあるが、それは特段重要なことではない。



 クロの役割は囮――そして高みの見物を決め込む相手に危機感を植え付けること。



 存分に暴れ、存分に追いつめ、敵の余裕と戦力を根こそぎ削り落とす。目の前に並んだ百を超す成長型AFを残らず肉塊に変え、寄生型AFを宿した隊員を人間の死体に戻し、撤退を許さず、増援を引き出す。それを可能にする能力が、今のクロには備わっている。


 クロは右手で握った<安全地帯>を屋上の二人に向け、左手を首の前で左右に動かす。


 お前たちを殺してやるぞ――と。


 『挑発』を使わない普通の挑発を二人に向け、<安全地帯>を地面に叩き付ける。


 砂埃が立ち上り、同時に糸が切れたようにAFたちが一斉に動き出す。


 しかし砂埃が治まった時にはクロの姿は既になく、大きな穴を残すだけである。


 騒然とする猶予も与えずにクロは自身の居場所をAFたちに明かす。


「――――グァ?」


 丁度包囲網の中頃にいるAFが、間の抜けた声を発する。そして短く鋭い風切音がそれに続き、その首が密集するAFの頭上を舞い注意を引く。数の強さを過信していたAFたちは、敵が数の中に躊躇いなく飛び込んでくるとは思ってもいなかったのだ。唖然とする他のAFたちも<安全地帯>によって斬られ、砕かれ、崩れ落ち、僅か数秒でクロの周りには安全地帯と新たな包囲が出来上がる。


 恐慌に駆られた元隊員たちはクロに向けて引き金を絞るが、クロは狙いを付けるより早く強固な外殻を持つ成長型の中に潜り込んでしまう。弾丸は外殻に弾かれクロまで届かないばかりか、味方の外殻以外の部分を穿ち、跳弾して新たな被害を生む。それならばと元隊員たちは崩れ落ちる味方の成長型の流れを追うが、気付けばその流れは途絶えていた。


「どコに――――ッ、ギャァッ!」


 不審に思い照準から目を離した直後、その視界に銀色が叩き付けられる。鼻から上が無惨に吹き飛び、AFの体液と同じ赤が――AFより水っぽい赤が、そこから溢れ出す。返り血でその身を染めながら、クロは一人また一人と斬り伏せていく。


 鈍い打撃音、乾いた発砲音、地面に倒れる湿った音、断末魔の叫び――様々な音を伴った一対多の乱戦は、お互いの消耗から一種の膠着状態へと陥る。


 三十人近くいた元隊員は数を半分以下に減らし、その殆どが銃火器を失っている。成長型は数こそ残っているものの、それは頑丈さの違いからだ。腕を失い、目を抉られ、万全の状態で戦える個体は、それこそ数えるほどしかいない。


 クロもまた、無事では済まない。その体の随所からは血を滲ませ、防弾防刃仕様のジャケットには大小含め多くの爪痕が残っている。致命傷こそないものの、肩で息をする姿は既に満身創痍と言っても差し支えなかった。



 クロは膠着状態なのを良いことにジャケットを漁り、板ガムのような何かを取り出し三枚纏めて口の中に放り込む。濃縮した練乳を湯煎してドロドロになったチョコレートに混ぜ込んだような味が――この世のモノとは思えない甘ったるさが、口の中に広がる。


「うっ…………!」


 水で流し込みたい欲求を抑え、クロはそれを無理矢理に飲み込む。『加速』を用いて戦うクロの最大の難点は、肉体を酷使することから来るカロリー消費の激しさである。当然これまでクロのように肉体派の権利者が抱えてきた悩みを軍や政府の研究者たちが見過ごす筈もなく、解消する為の研究と開発が繰り返し行われてきた。


 その終着点の一つとして開発されたのが、クロの持つソフトキャンディである。


 形状は板ガムであるが、これ一枚で通常の板ガムの五百倍――5000kcalも摂取でき、唾液と反応することで急速に溶解を始めるお手軽さから、戦闘食だけでなく災害時非常食としても重用されている。


 元は宇宙開発計画の一環で行われる筈の研究で、それを流用したモノだ。


 この計画が頓挫した原因は言うまでもなくAFであり、AFによって人生を狂わされた人間の数は、想像よりずっと多い。アフリカの住人、研究者、軍人、政治家、会社員からマフィアまで多岐に渡る。AFに関係ないのは、スラム街で野垂れ死ぬ孤児や常に他人を食い物にする銀行員、そして遠い海の向こうの一般人くらいだ。平和ボケが深刻だった日本人ですら、大多数が気付かない内に何らかの形で実害を被っている。


 技術の進歩と裏腹に、人口の減少と併せて人類の衰退は着実に進行していた。二十年前の地球の全人口が八五億人。貴重な人類の生存圏――サハラ以南のアフリカの喪失と対AF戦争、その余波と疲労により地球人口は五十億人まで減少した。破綻する国家と減退する景気を合併による合理化と強引な政策で誤魔化し、敵の情報の大部分を隠蔽することで人類は辛うじて安定を維持してきた。昔に比べたら確かに生活は苦しいが、それでも徐々に改善の兆しが見えてきていた。


 そして人々に活力が戻り始めた矢先に起こったのが、今回のAF襲来である。


 よりにもよって日本で――致命的な打撃を受けず他国を支えてきた島国で、AFが現れてしまった。もしアフリカの二の舞になったら人類の再起の道は更に遠のいて、アフリカ奪還どころか何時何処でAFが現れるか分からない恐怖に怯えて暮らすことになる。


 だがこの状況は逆に好機でもある。今ここで進攻の首根っこを抑え込めれば人類は反撃の糸口を掴め、更にはAFの謎にも迫れる可能性もあるのだ。


 負けられない戦いを強いられる興奮とこれまで募らせた憤り全てを活力に変換し、クロは<安全地帯>を握る手に力を籠める。クロにしてみれば、高尚な意志などは所詮便利な建前の一つに過ぎない。自分は人類代表ではなく、その器でもないことをしっかりと理解している。寧ろ”人類のため”と口にするのも烏滸がましい理由を心の奥底に隠したまま戦場に立っているのだ。


 クロは口に溜まった粘ついた唾を吐き捨てる。


 クロの戦う理由とは、八つ当たり染みた復讐とシロだ。


 幼い自分から両親を奪ったのはAFで、今まで苦しく終わりない鍛錬を耐えてきたのはAFと戦う為である。日々溜まる鬱憤を一気に発散する為にAFを嬲り、シロの隣に立つ理由にAFを使う。いつの間にかAFの存在が――戦いの楽しさが深く根を張り、それをシロに悟られたくないが故に口数を減らし、そんな自分を嫌悪する。


 酷い堂々巡りだと自嘲するが、そこから抜け出す気は更々ない。


 クロはゆっくりと<安全地帯>を持ち上げ、握る力を強める。


 内容がどうであれ、戦う理由は必要だ。


 邪魔なモノを捨て去るのは、AFを全てが終わってからでも遅くない。




 クロが合間の睨み合いに勤しむのとほぼ同時刻、四人は無事に校舎内部に侵入を果たした。この高校は左から正門、校庭、L字を半回転させた一般校舎、駐輪場を挟んで実技棟に部活棟、体育館、武道館といった配置になっている。


 四人は一般棟の端――二か所ある昇降口の片側から侵入し、数分と掛からずに一階の殆どを踏破した。廊下を挟んで教室は左右に存在し、その数もかなり多い。しかし一階に屯していたAFや元人間の多くはクロが外に引き寄せ、残った敵は少なく、宿主(ニンゲン)を掌握しきれない貧弱な寄生型ばかりである。


「二つ先、右の教室に小さいのが二匹、左にはいない。一階はそれで最後」


 之江が小さな声で敵の配置を告げる。四人――特にシロと之江にとって、寄生型AFなど田んぼに直立する案山子同然の相手である。


「了解、俺が止める。焦らずに斬れ、シロ」

「任せて」


 毛布や洗面用具、暇つぶし用の文庫本――生活の残滓が残る教室の扉を静かに開き、ケイジは気付かれることなく『影打』で二人の元人間を固定する。この二人は案山子――しかし、厄介なことに叫ぶ案山子である。クロが存在感をばら撒く役割なら、四人の役割は囮に意識が向ける間に敵の戦力を密かに削ぎ、あわよくば女王――敵の指揮官を討ち取ることだ。


 隠密行動で進めば進むほど、討ち取る確率も逃亡を阻止出来る可能性も上がる。


 女王がこの一般棟にいる確証はない。だが一番守りが堅い建物――AFが集中しているのは、この一般棟である。相変わらず遠距離索敵は多勢の前に意味を成さないが、それは逆に短距離索敵が敵の後詰に察知されない利点でもある。


 もっとも銃声や叫び声でそれが無駄になっては元も子もない。故に当面は銃の出番はなく、動きを止めるケイジの『影打』と音を立てず一撃で葬れるシロの『閃光』を頼りAFを処理していた。


 開け放たれたドアから固定された二人に向けてシロは足音を立てずに走り寄り、腕を縦に一振りする。ジュッと焦げる音と共に二人の瞳から光が消え、その代わりに縦に一本カミソリの刃で切ったような真っ直ぐな傷跡が残っていた。


「ブゥン……ブゥン……」


 シロの右手には光の剣――ケイジはその動きに合わせて効果音を付ける。二十世紀の某宇宙戦争モノに登場した武器と同じ効果音に、シロはその手に宿した輝きを消し呆れた顔でケイジに向き直る。


「そりゃ参考にしたけど……、切れ味あんなに良くないわよ」


 AFと人間の死骸を巧みに避けながら、シロは愚痴を呟きながら三人の元に戻る。


「本当はブゥンブゥン言わせたいけど、これ以上『閃光』を凝縮させるのは割に合わないのよ。切れ味と効果音は確かに良くなるけど、持続力の低下と疲労が馬鹿にならないし」


 くだらない問答を打ち切り、シロは次へ行こうと促し移動を開始する。



 『閃光』の使い方は、無造作に光を放出するだけではない。『閃光』の出力を固定化して剣の形を保つことも、範囲を絞ってレーザー光線のように扱うことも、その気になればどんな物質も集積した光の刃で焼き切ることが出来る。


 いや、手段さえ選ばなければシロは単身で九州のAFは全て殺し尽くせるだけの潜在能力を秘めている。もっとも『閃光』を存分に活かせる環境を整えてからであり、輸送などに必要な人員は含まないならば、の話である。


 方法は簡単――爆弾の雨を降らせ、平らな街に徹底的に光を浴びせればいい。


 犠牲は住人と建造物。消耗は大量の爆弾と権利者一人。算出した期間はたったの二か月弱。アフリカの被害を考えれば、最小限の損失で済む方法だ。他国や不穏分子との戦争を隠れ蓑にすれば、支援と隠匿を同時に行うことが出来る。アメリカやロシア――数日前の日本と同様に、余力が残っている国は喜んで爆撃に協力するだろうし、現に日本政府も似たようなシナリオで動いていたが故に、関門橋破壊時に”テロリスト”という単語を使ったのだ。


 だがシロが拒否し、そのシナリオはいきなり頓挫した。


「嫌よ。何十何百万もの人々と不完全な私――天秤に賭けるのは、やめて」


 自分の力不足を前面に押し出した拒否に、役人と父親は渋々引き下がる。それが建前だとも知らずに、断った本当の理由にも気付かずに。


(とどこお)ったクロとの距離を縮める絶好の機会に、爆弾なんて無粋なだけよ」


 誰も知らない本音を、心の中で独り漏らす。吊り橋効果――、守り守られ――、共有する達成感――、そういった単語がシロの思考を巡回する。


 見知らぬ他人の命がどれほど積み上げられようと、クロの存在と釣り合う筈がない。理性的で利己的で明朗な判断基準を元に、シロはここまでやってきた。


 そして理性的で利己的で明朗な思考が、階段に差し掛かったシロの足を止める。


「………………」


 二階に続く階段――四人を見下ろす相手に、シロは言い様のない圧力を放っていた。


 紅茶色の髪に深紅の瞳、笹の葉状の耳と細長い剣を見せ付けるように立つ少女が、一行の前に立ち塞がっていた。




すみません寝過ごしました一日遅れの投稿です

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