Ⅵ-4
眩しい朝日が規則正しく並べられたガラス窓から差し込む。大勢の避難民が寝泊まりに使っていた校舎は、奇妙な静謐さを保っている。
その静謐さを撃ち破る足音を伴って、三峰は一点を目指して歩き続ける。
AFに取り付かれ与えられた快楽に呻き声を漏らす男は三峰を見ると黙り、道を塞いで新たな感覚に踊り狂う女は三峰が放つ怒気を感じ悲鳴を上げて逃げ出した。
しかし三峰は、そんな些事に苛立ちを募らせることはない。
四階建ての校舎の最上階――その教室の一つを乱暴に開け、遠慮せずに踏み入れる。
教室の中には、現在の三峰の主。
「ミツ、お~かえり~」
病んだ少女が甘い声と共に出迎え、頭から三峰の腰の辺りに飛び付く。
「俺に触れるなッ!」
だが三峰は、拒絶の声を添えて彼女の頬を平手で打つ。乾いた音が教室に響き、少し遅れて少女の華奢な体がフローリングの床に倒れ込んだ。倒れた衝撃で噛んだのか、少女の小さな口からは血が覗いている。
ただ今は分析する余裕がない。湧き上がる不快な感情――少女に対しての嫌悪感と主に手を挙げた拒絶反応が、酷く三峰の苛んでいく。動悸が激しくなり、腕が振るえる。我を失う感覚――体の内部で何かが暴れているのだ。
その蠢く何かを鎮めようと胸を抑える三峰は耐えきれずに膝を付き、少女もまた三峰を見兼ねて寄ってくる。
「いいの、身を委ねれば楽になれるの」
少女はその胸に三峰を抱き、頭を撫でる。微かに揺れる瞳が、苦しむ三峰を優しく見つめる。
「……黙れ」
「溢れる力には、逆らっちゃダメなの。受け入れた方が楽になるの。私はもう慣れたの」
「黙れ……、黙れッ!!」
「散々ヤられたから、もう慣れたの。だって男は好きでしょ、無理矢理ヤるの」
少女の頬が不気味に歪む。その笑みと焦点の合わない目に言いようのない恐怖を感じ取った三峰は、壁際まで後退りする。本能的な恐怖――三峰はそれを感じ取ったのだ。
「やめてくれ、頼むから……」
三峰は一般的な日本人と同じ焦げ茶色の瞳に、大粒の涙を蓄えて懇願する。
「頼むから……、俺を仲間と戦わせないでくれ……」
三峰の懇願を聞き終えると同時に、少女は立ち上がり歩み寄る。そして頬骨を鷲掴みにした少女の手が三峰の涙を受け止めた。それは優しさからきた行動でないのは、籠められた怪力が教えている。そして善意を以て、少女は三峰に助言する。
「ミツの仲間は、私たちなの」
善意から来た、最悪の宣告だった。そして最善と最悪が混ぜ合わさった誘惑――悪魔の囁きが、その宣告に続く。
「敵なのが嫌なら、私たちの仲間にしないと……ね?」
少女の顔――女王の病んだ顔が嗜虐に歪む。女王の甘い誘惑はコーヒーに溶ける角砂糖のように三峰の思考に染み渡り、蝕んでいく。
「そう……ですね……。みんな敵だからいけないんでした……。俺の、俺たちの仲間になれば……戦わなくて済む……」
「そうよ。あの人たちも仲間にしたら、戦わずに済むの」
「仲間にしたら、いいんですね」
「そうよそうよ。だからまずは、仲間にするために戦いましょう?」
「分かりました、女王」
涙を全て流し終えた虚ろな目に光が宿る。隠そうともせず誘導に添えられた矛盾は、女王の権限によって差し押さえられる。『魔法権利』とは別の権限――AFを総べるために女王が強いられた苦痛の代償が、三峰を暗い闇の底に繋ぎ止める。
「いい子……私を守ってね……?」
女王は三峰の首に手を回し、痩せこけ青白い顔を近づける。三峰はその顔を平手で打つことも、後退って逃げることもしない。ただ女王の首に腕を回し優しく口づけた。
「任せてください、女王。邪魔者は全て、俺が排除します」
人間としての権利の全てを擲ち、三峰は女王に忠誠を誓う。
その忠誠に女王は何も言わず、ただ口づけで応えた。
「増えてる増えてる、凄いペースで増えてるよ!」
穴だらけの箱型車と白井の死体をそのままに、一行は高校の周囲を徘徊する。近づきすぎず離れすぎず、適度な距離を保って索敵を使って内情を探っている。
「増えてるのは寄生型――成長型の数自体は増えていないし、ミツも動いてないみたい」
三峰が放つ独特の気配を覚えたシロが、之江の言葉に補足する。やはり問題となるのは三峰の存在であった。通常のAFついては倍々ゲームでどれだけ増えたとしても、シロの『閃光』があればどうにでもなる。
「それにしても、僕が思ってたよりずっと厄介だったかな」
「ミツの『拡散』?」
「うん、アレはちょっとズルいよ。接触系の攻撃全般が散らされちゃったら、僕やクロは逃げるしかないじゃん」
そう言って之江は先端を失った鎖を見つめる。これをシロから譲り受けた時は、戦略の幅が広がる画期的な武器だと感じた。だがいざ戦場に出てみると欠点が幾つも見つかってしまった。繰り出し性能の低さや展開後の持ち運びと回収の不便――移動しながら戦う之江にとって許容し難い欠陥である。そして何より微妙な射程距離とそれに伴う到達時間の差異が扱い辛さを助長していた。この鎖の所有者はシロ名義であるがクロが使う為に持ち込まれた武器であり、クロの『加速』と合わされば上記の欠陥など些事に収まる事柄だ。
ただ、之江にとっては些事では済まない。敵が銃を使うなら尚更だ。
銃火器は射程範囲と威力を兼ね揃え、弾幕は之江に必要な移動を制限する。銃火器の前に生身で躍り出て無事でいられるのは映画やアニメ、創作の世界だけだ。しかし之江の『点火』の際に弾き出すコインなどは、体勢を整えて初めて射程距離と命中精度が備わる
攻撃だ。銃火器を持つ敵に対し有用な攻撃方法を探し出さなければ、仲間の足まで止めてしまうことになる。
そしてその不安を打ち明けると、二人は呆れた声でそれに答えた。
「銃撃に飛び出すって前提がまず変だよ、之江ちゃん」
「でも数で押される以上、対策は用意しておかないと殺されちゃうよ」
「数とか銃とかはクロとかケイジに任せればいいのよ。頑丈な男の子と違って、私たち女の子は繊細だからね」
「その二人いませんよ、シロさん。……いま襲われたら結構危なくないですか?」
この場にいるのはシロと之江、七隈の三人だけだ。
「囮だから危ないに決まってるでしょ」
シロの挙げた頑丈な二人は、気配を抑えて学校内に潜り込んでいる。シロと之江の役割は敵が仕掛けて来れないギリギリの範囲で、潜入した二人が発する微弱な気配を上書きすること。引き上げる者がいない状況で釣り針を垂らしているのだ。食い付かれたら最後、餌は暗い水底に引き摺り込まれてしまう。
「相手は仕掛けてくる気はないのかな……僕たちに寄ってくる気配はないよ」
「つまり、籠城を決め込んでる?」
「その割に簡単に潜入を許してるじゃないの。ただ単に私たちの相手をするより先にやらないといけないことがある……とか?」
憶測と推測をあれやこれやと口にしながら、三人は静かな街並みを闊歩する。迫撃砲の攻撃に曝された正門前と違い、学校の周囲や駅からここまでの道中の街並みはあまり崩れていない。景観を壊すのは主にパニックになった人間だ。AFが街の景観を壊すのは、港町の時のように恐怖を煽って効率的に人間を炙り出したい時だけだ。
故に目的地も無事に違いないと言う期待は、見事に叶った。
「まあでも、そのお蔭で私たちも準備が出来るのよ」
三人の目の前には、主の帰りを待つ一台の車が鎮座していた。
北九州の港から一行を運んできた功労者を労うように、シロはポケットから取り出したキーを優しく差し込んだ。シロは単身車の中に入り込み、出てきたときには轟音を撒き散らす対AFの暴力装置が――ずっしりと重く黒光りした機関銃がその手に握られていた。
「はい、まずはこれ」
そして『M240機関銃』を七隈に手渡し、車内に戻っていく。
「まずは……って、他もあるんですか?」
「当然!」
再び姿を現したシロの両腕には、合計三つの箱が抱えられていた。
「一つはそれの弾、残りは護身用――人間相手なら活躍できる武器だよ」
ジャラジャラと音を鳴らす弾薬箱を地面に置き、シロはその箱の中身を見せつける。
「之江、これ使いなよ」
二つの箱に黒白二挺の拳銃とマガジンが四つ。白の銃には黒字で『TRUST ME!』、黒の銃には白字で『FUCK UP!』と、まるで正反対の文字が刻み込まれていた。シロに勧められた之江は恐る恐る手に取ってみるが、二挺の拳銃は外見程の重量はなく之江の小さな手にも良く馴染む。生まれて初めて握る銃の感触を味わいながら、之江はシロに視線を合わせる。
「……いいの?」
「いいよ、使って。護身用にって持ってきたけど、私もクロもどうせ使わない物だし」
「護身用って……、やっぱり僕じゃなくて二人が持つべきじゃないの?」
遠慮しがちな言葉とは裏腹に、之江は『円熟』を発動させ弾の込められていない二挺の拳銃をクルクルと器用に弄んでいる。西部劇のガンマン顔負けの手捌きに七隈が驚嘆の声を上げ、シロが微笑み答える。
「護身用でも無理に自分で使う必要ないの。誰かに託して結果自分たちの身が守れたのなら、それは立派に目的を果たしたと言えるでしょ?」
その諭すようなシロの口調は、之江からある一言を引き出した。
「なら二人は僕が守るよ。可能な限り、銃を持っている間だけでも頑張って、さ」
之江の危険な一言を、シロは何も言わずに頷きで応える。その動作から提案が受け入れられたことを理解した之江は、そのまま二挺をベルトの間に突っ込み弾倉に手を掛ける。
そして初めて、この銃の神髄に触れる。
「でもシロ、これに込める銃弾って何処にあるの……?」
「確かに普通の拳銃弾じゃ入りそうにないですね」
マガジンを手に首を捻る之江と七隈に、シロはまず結論から伝える。
「それは、『魔法の銃』なの」
想定の遥か圏外に落とされた解答に、之江と七隈は目を丸くする。
シロの口から飛び出した『魔法の銃』という単語は、そのまま受け入れるには途方もなく、世迷言と切り捨てるには早急すぎた。結果二人は目を丸くしたまま無言でシロの補足を求めたが――――
「だから、それは『魔法の銃』なの」
返ってきたのは、奇妙な銃の漠然とした名称だけであった。
そして数秒後、魔法を体感した二人が驚きを露わにしたのは、言うまでもない。




