Ⅵ-2
「まずアフリカを襲ったAFの復習からだ」
ケイジは威勢よく切り出すが、それにシロが待ったを掛ける。
「それって必要なこと?」
「必要なことだ」
はっきりと切り捨てられ、シロは引き下がる。誰の目から見ても分かる必要ないやり取りだったが、ケイジは気にした風もなく講釈を始める。発表されてない公式見解を、惜しげもなく紐解いていく。
「……霧が掛かってる?」
「言葉の綾――と言いたいが、事実妨害電波らしきものに邪魔されて偵察衛星は監視に使えないし、そもそも衛星の多くが謎の磁場に吸い寄せられ墜落して数が足りなかった。偵察機も長い距離は飛ばせないし、偵察機を飛ばせるだけの基地と物資を確保することも難しい。通信基地は保守人員ごとAFに破壊され、衛星の支援がない以上航空支援も十分に行えない。AFが跋扈している戦場で悠長に電波塔を建てたり等間隔で通信兵を配置したりは当然出来なかった。……つまりアフリカ大陸は中央部は、十九世紀以前の暗黒大陸に戻ったって訳だ」
基礎的な情報が徐々に専門的な――出回らない情報に変わっていく。
「ここ二十年の間、人類は防戦に回っていたが、それはずっとじゃない。今から十七年前くらいまで――AFが発生してから三年程度は、各国は何度も中央アフリカに軍隊を送ったし、何回も戦える権利者が組織され軍に付随し戦った。その結果、押され気味だったが一進一退の攻防を続け戦線は維持出来ていた。核ミサイルで吹き飛ばせばそれで終わりだったんだが、いきなり他国に打ち込む決断が出来るいかれた頭を持った政治家なんて、常識的に考えている筈もない」
再び話が横道に逸れたことで、クロとシロの顔は翳りを見せ始める。ケイジが離し始めてから約十分、未だに女王に到達していないのだ。しかしケイジ本人が調子よく喋り続けている以上、クロとシロが口を挟むことはなかった。
「そもそも戦地に入らない政治家や軍指導者たちにしてみれば、他国で未知の生物との遭遇は不幸中の幸い、核で汚染された大地を後世に残すほど最悪じゃなかったらしい。それが人口爆発で悩みの種となっていた場所でなら尚更だ。精々データとサンプルが取れれば良いくらいに思っていたらしかった。もっとも現地の士官が寄せられた報告を纏めた論文、その内容は地獄絵図の文章化だったが、資料としては申し分なかった」
当然彼らは実際に体験してはいない。二十年前のケイジはまだ幼児――之江に至っては生まれてすらいない時の出来事だ。しかし当時の情景を脳裏に思い浮かべようと、ケイジは目を閉じる。本命の情報を、臨場感を添えて伝えようとする工夫の表れだった。
「そして論文の中に頻繁に登場したのが、AFの指揮官――つまり女王だ」
声のトーンが一瞬だけ落ち、即座に戻る。講釈に僅かな感情が混じったのだ。
「この論文が纏められた当時は、偵察衛星は機能していなかった。だが偵察機は飛ばせるくらいの余力はあったらしく、姿形はしっかりと写されていた。異形化した人間を親衛隊のように従え、時々前線に赴き指揮を執り、大陸中央部からAFをばら撒いた悪女――彼女を殺すために精鋭部隊が投入されては連絡が途絶え、偵察機が国旗状に並べられた彼らの遺体を発見する。前線から掻き集めた権利者を組織して進軍すると、その一部が数日後に敵になって……、AFを体に宿して戻ってくる。
前線で戦う誰もが、その人類を嘲るような遣り口に憤怒した。だがいざ写真が彼女の素顔を捉えるてみると、彼女は人間――素性の知れぬ現地人ではなく歴とした欧州人、同じ人類だった。戸籍はあるが、現住所はない。彼女は、AFが発生する二年前に行方不明になっていて、警察によくある家出娘と勘違いされ捜索を打ち切られた被害者だった」
さも衝撃的な出来事であるかのように語るが、ケイジ以外の五人はそれがどれだけの衝撃かは理解できず漠然とした情報として取り入れるしかなかった。
「統合司令部は騒然とした。何故彼女が――と。当然の疑問だが、誰も答えを持っていない。女王に接近した部隊は誰一人として、人間のまま戻ってきていないんだ。彼女の目的は何か、本当に彼女本人なのかも確かめる術もなく、最終的な決断が下されないまま戦闘は長期化した……いや、長期化させられた。その気になれば全滅に追い込むのは容易いのにAFを器用に制御して、前線の一般兵を嬲っていった。被害は適度に留め、定期的に勝利を与えることで前線を奥深くまで誘い込み、侵食する。長い補給線と兵站を維持するには、かなりの人数を必要とする。AF……、『Administration of Front』《前線の支配者》に蝕まれる人間はそれだけ増えていった」
ギリッとケイジは悔しさのあまり歯噛みする。とても演技とは思えない感情の籠った仕草である。
「人類がそれに気づいたのは、女王が消えてからだ。何度目かの権利者たちの遠征の後、大陸中央部を霧が覆い隠した。それを境に激変したAFたちの戦い方――組織的な襲撃の減少、無分別な攻勢の増加。伸びた補給線は崩壊し、前線の兵士は孤立し誰一人として戻ってこなかった。専門の分析官は誰もが女王の不在を指摘したが、それを確かめる術はない。前哨戦が激しすぎた所為で、暗黒大陸を切り開くだけの人員が残っていなかった。結果、女王の生死は不明……、目的も何もかも深い霧の中だ」
そこで言葉を止めるケイジに、之江は嫌な予感を覚える。
生死不明の女王、帰還者ゼロの出征、機能しない偵察機構。
「――以上だ。俺が女王について知っているのは、これで全部だ」
「何も有益な情報が何も増えていないよ、ケイジ!」
この説明だけでは、何も知らないのと大して変わらない。情報量を増やして煙に巻こうとしているのではないかと疑ってしまう。案の定シロはブーイングを送っている。
「一概にそうとは言えない」
そのブーイングを遮ってクロは静かに口を開く。
「ケイジさんの話を聞く限り、女王は対峙さえ出来れば手強い相手じゃないとも取れる。AFを組織し計画的に襲ってくるのは恐ろしいが、今まで俺たちが遭遇したAFにその兆候はなかった。駅の奴ら以外は、どうも個々が好き勝手に暴れ回っていただけにしか見えなかった」
「アフリカでは長距離移動と慢性的な孤立による疲労と不安、初めてみる相手との慣れない戦闘が苦戦の主要因だった。現在と比べるならかなり酷い環境で戦闘を強いられていたが……、そんな当時でさえも女王は倒せたんだ。指揮やAFの展開の仕方が女王本人の力量に依存すると考えるなら、ここの女王は支配力が弱いのかもしれないな」
頭を捻りながら与えられた情報を思考に落とし込んでいくシロ。
「つまり周りを抑えちゃえば、何とでもなる。問題はAFの処理をどうするか――って……、あっ、まさか女王ってあの子たち?」
そして半日前に司令部で見せられた一枚の航空写真に辿り着く。
「女王だから、AFの詰まった建物にいても平気だったって訳だ」
ケイジは頷きながら補足する。
「更に言うなら、どっちが女王かは分からないぜ。特徴的な耳の方か、普通の人間っぽい方か……、ひょっとしたら二人とも女王なのかもしれないし、下手したら高校にはいないかもしれない。……憶測が多いのは許してくれよ、俺にも予想がつかないんだ」
言葉は申し訳なさそうな風体を表してはいたが、その口調の軽さは本心は別にあるのではと疑ってしまいたくなる程である。
「乗り込んでAFを制圧し、女王が不在なら別のAFの気配を追って転戦する。白井曹長と七隈伍長には悪いが、ここにいなかったら泥沼の長期戦確定だ。十中八九まともな死に方は出来ないが、……軍属なら逃げるなよ? 見目麗しい女性が二人も戦場に残るんだ」
ケイジは一応釘を刺すが、あの高校はこの近辺で数少ない人類の拠点の一つ――それが制圧されたとなると、逃げたくても安全地帯は残されていない。強いていうなら、戦力の充実したこの車内こそ、残された唯一の安全地帯だ。
「ああ、大丈夫だ」
「……逃げませんよ、俺は。鈴鹿を殺し、住民を襲ったAF――その手引きをした女王って奴を叩きのめさないと」
戸惑いながらも相槌を打つ白井と違い、七隈は静かな闘志を燃やしている。ハンドルを握ったままの姿と宣言――少し温度差があるが、それを指摘する無粋な者はいなかった。
「――――止めて」
だがシロの要求により、順調に進んでいた車は止まってしまう。注文を飛ばしたシロは真剣な顔つきで、ただ黙り宙を見つめている。昇ってきたばかりの太陽は雲に隠れ、早朝の秋空は薄暗さを取り戻していたが、勿論シロは空の様子を眺めている訳ではない。
「どうした、シロ」
「えっと……、……うーん」
シロは感じ取った何かを上手く言語化出来ていないらしく、クロの問い掛けにも曖昧な返事で済ませている。ただ何時までも止まっている訳にもいかず、「ゆっくり進んで」と短く指示を出す。
「AFがいる……筈なんだけど、索敵がそれより先に届かなくなったの」
困惑気味にシロが告げる。
之江が目覚める前――索敵を使えるクロとシロの二人は、索敵範囲の分担を行った。シロが前方を、クロが後方及び側面部を担当する。その前方――つまり進行方向で、何かしらの異変が起こっているらしい。
「確かに、妙な感じだね。僕の索敵も微妙に逸れてるみたい」
「そろそろ高校に到着するし、その所為じゃないのか?」
「気配がありすぎて、壁になる感じ? ……僕的にはちょっと違う気もするけど」
誰もが前方に注意を向け、その気配の主を待った。車はゆっくり前進を続けているが、気配の主は未だに視認出来ない。目的地の高校までは目と鼻の先――そこには前日にはなかった瓦礫の山と掘り返された道路が、見せしめのように晒されていた。
そして一行は、気配の主に辿り着く。
「ああ、そんな、ミツが――……」
シロの顔が悲しみに歪む。
一行の前には服を赤黒く染め上げた三峰が、正門を背に立っていた。
その体に傷はない。だが表情は暗く、シロと同じく悲痛に歪んでいる。
その存在は、まるで見せしめだ。
”親愛なる人類の皆さん、すぐに私が化け物の仲間に加えてあげましょう”
三峰に添えられた悪趣味な女王の最悪なメッセージを、人類誰もが感じ取っていた。




