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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第一章:彼と彼女らの馴れ初め
34/119

Ⅴ-13



 乗用車の影から飛び出した之江は、AFの咀嚼音の遥か先で弾ける銃声を聞き取り、僅かな懸念を振り払う。銃声の出所はケイジと他の隊員の二人だ。三人が生きていてクロとシロの二人が死んでいるとは考えられなかった。


 つまりこの右腕を失ったAFは、エントランスホールから逃げてきたのだ。


 そう思うと俄然戦う活力が湧いてくる。真実かどうかは別として、そうやって自分を奮い立たせなければ、コインを握る右手の震えは止まらない。之江はまだ十八歳になったばかりだ。数日前までは殴り合い所か口喧嘩すらしない、少し不思議で周りから浮いた少女だった。『魔法権利』による補強があったとしても、殺し殺されの修羅場を潜り抜けるには心の支えが未成熟すぎるのだ。当然それは、迫る死の奔流に飲まれれば呆気なく削られてしまう。


 だが、まだ折れてはいない。


 コインはまだ、この手に握られている。


 二枚のコインは細い指に弾かれて宙を舞う。一枚は直線を、もう一枚は放物線を描いてAFへと向かっていく。之江の出現に気付いたAFもまた、その手のモノを無造作に放り投げる。之江はそれに一瞥もくれず、滑らせるように最低限の回避だけを行う。機械的に残り少ないコインや弾を迎撃に使うのは無駄だと判断したのだ。十五枚から更に二枚を小さな掌に装填し、着弾を待つ。


 着弾は、同時に訪れた。


 之江の弾いたコインは肩部と大腿部に、AFの無造作はボンネットにぶち当たり派手に撒き散らす。


「えっ――……い、いやあああああああああああああああ」


 ボンネットを跳ねたのは、鈴鹿の上半身だった。血液が飛び散り之江の右半身を斑模様に染め上げる。鈴鹿は肌を青白くし虚ろな瞳で之江を見つめている。


 これは未来の姿だ。そんな之江を追い打ちを掛ける光景が目の前に立ち塞がる。


 途端に絶望が迫る。自分の死がありありと浮かぶのだ。腕が震える。止まらない。


 コインは二枚、確かに当たった。『点火』も発動させた。しかし鈴鹿を手放したAFはただ涼しい顔を浮かべていた。『点火』の前ではAFは火打石――それも起こした火の粉で燃え尽きる儚い火打石だ。いや、火打石の筈だ。


 しかし所詮は火打石――火の粉は簡単に振り払われてしまった。


 一発当てれば勝てる。その圧倒的有利な前提が無惨に崩れ去る。


 絶望が迫る。『点火』が通じない。心の支えが削られる。足が震える。止められない。


 次のコインを弾く指に力が入らない。視界の先ではAFが太く長い尻尾を頭上で撓らせている。逃げる足に力が入らない。今からあの尻尾が自分に振り落とされるのだ。


 そして尻尾は高く振り上げられ――――


「――――ッ!!」


 迸る『閃光』によって消し炭にされる。


 温かい光――そう感じたのは遅れて熱風が吹き荒んだからだろうが、それでも之江の心に巣食った絶望を焼き払うには十分な熱量であった。見覚えのある光は、体に活力を滾らせる温風は、シロの『閃光』だ。


「間違いない!」


 九死に一生を得た之江は右手に握ったコインを左手に持ち替え走り出す。戦闘の目的が変わったのなら、戦い方も変えなければならない。


「僕一人で倒せないなら、それでもいい」


 遅延戦闘――時間稼ぎで之江が命を繋げば、その分AFの勝ち目は薄くなるのだ。


「クロとシロ、そして僕の三人に囲まれたら勝てない。なら必死に僕を追ってくるしかない……今まで以上に!」


 右腕に続き尻尾まで失ったAFは『閃光』の被害を最小限にするために地に伏せた。その無様な姿に油断することなく、之江は両手に更なるコインと銀玉を装填していく。左に三枚、右に二枚と一個。


「ギシャアアアアアアアアア!!」


 之江の動く気配と背後からの不意打ちに焦りを感じたAFは、第二波の存在など頭から振り払い之江を追う。


 キンッ、キンッ、キンッ!


 AFの足音と絶叫で埋まる駐車場であっても、之江の爪がコインを弾く音は軽やかに響く。背を向けたまま弾かれた三枚のコインは、各々が役割を果たすために暗闇へと飛び込んでいく。極限状態の集中力と『円熟』によって底上げされた技能がそれを可能にしているのだ。


 『魔法権利』を持つ之江本人とは違い、弾かれたコインは気配を放っていない。夜目が利き優れた身体能力を保持しているとはいえ、暗闇に紛れる直径数センチのコイン――それも複数枚のコインを目で追うことなど何者にも出来る筈がない。


 可能なのは、精々自身に向かってくるコインを叩き落とし、体を跳ねる火の粉を振り払う程度だ。


 現にAFは向かってきたコインの一枚を叩き落とすが、これは囮だ。囮だと分かっていても叩き落とさざるを得ないのだ。之江の本命は見抜けないし、見抜いた所で対処は容易ではないのだから。


 広い駐車場で着実に距離を詰めるAFがコインを叩き落とすと同時に、二枚のコインに仕込んだ本命の『点火』が爆炎を散らす。


 ――――爆炎。そう、爆炎だ。


 之江の『点火』はAFに通じない。ならば別のモノを燃やすまで。幸運なことに広い駐車場には燃えやすいモノとAFの勢いを削ぐに足る質量が同時に存在していた。


 之江が狙ったのは乗用車だ。アスファルトを跳ねたコインは下部から乗用車を燃え上がらせ、火の粉を振り払えない乗用車のガソリンは引火し、巨大な火の玉となってAFの進路に躍り出る。


 それも二台、左右同時にだ。


「潰れて死ねぇ――ッ!」


 アクション映画の登場人物のように之江は振り向いて荒く叫び、右手から銀玉を撃ち出す。数分前の絶望が嘘のように昂揚していた。そして再び正面を向き走る。目的のモノは、すぐそこに落ちているのだ。


 二メートル超の体躯に満身創痍といえど、『魔法権利』は容易に想定や常識を覆す。


 火の車に怯むこともなく突っ込んだAFは持てる力を費やし左腕を伸ばし、迫るそれらに差し込み、僅かな隙間を作り出して突破する。


 だが突破の先に待っていたのは、更なる欠損である。勝ちを確信して油断した敵――――之江は存在しなかった。


「っと、ドンピシャ!」


 踏み出したAFの右足、その膝部分には一本鎖が絡みつく。鎖は当然之江に繋がっている。関節である膝裏には外殻はなく、即座に手も届かない場所故に『点火』の火の粉を防ぐことも不可能であった。AFは焦って断ち切ろうと腕を動かすが、それより早く鎖を伝って『点火』が発動する。


「アッ、アガガギャッ!!」


 鎖に絡みつかれた右足は簡単に切断され、バランスを崩し倒れたAFは左手と手首のない右手を使って、大腿部に広がる炎を叩き消そうと必死になっていた。


 AFと人間――種族間の殺し合いに降参や温情はない。


 殺さなければ相手に殺され、殺せば相手に殺されないのだ。


 之江は鎖を(しな)らせ追撃を仕掛け、鎖は無防備な首に迫る。右足を落とした時ように首に巻き付き、後は燃えるだけだ。


 だが、鎖は首まで届かなかった。


 AFは肘から先のない右腕で受け止め、『点火』で切断されると更に短くなった右腕を『魔法権利』で伸ばし、そのままアスファルトに擦りつけ火の粉を振り払う。そして自由を与えられた左手は遠くに並べられたバイク一台を無造作に掴み取り、叩き付けるように渾身の力で之江に投げつける。


 撓る腕と重いバイクが作り出す風切音を、之江は『点火』で難なく散らす。


 左手のコインを使った『点火』で迫るバイクの軌道を変えた之江は、伸び切った鎖を投げ捨ててベルトポーチに手を突っ込んだ。トドメを指すためだ。そして再びAFに背を向け、一息に放置された車を飛び越える。


 その猫のような身の熟しの直後に、バイク以上の衝撃が之江の元いた位置を――それも飛び越えた車を大きく巻き込んで――長く逞しいAFの左腕が薙ぎ払った。


「もう夜は明けるよ」


 だが、之江はそれに巻き込まれていない。


「化け物の時間はもう終わり、これからは人間の時間になる。だからさ――――」


 寧ろ最後の障害は、AFの攻撃が薙ぎ払ったと言ってもいい。事実、振り払われた車の影に佇んでいた之江はとっくに弾丸を構え、狙いを定めていた。


「――――僕の代わりに、永遠に寝てなよ!」


 弾丸は文字通りの弾丸だ。コインやベアリング弾ではなく、鈴鹿の小銃から拝借したライフル弾だ。当然使えるかどうかは之江にも分からない。……今まで本物を使ったことがないのだから。だが経験がなくても『円熟』は実力を底上げしてくれる。之江の思考回路に宿った『円熟』が、「このライフル弾は使えるぞ」と普通の女子高生の之江に囁いたのだ。


 だから之江は、細い指で弾丸を放った。


 一般的な小銃の銃口初速は音の三倍程度だが、之江の指が生み出せる弾速は遅く、小銃と比べる以前の問題だ。それもその筈、小銃に使われるライフル弾は弾丸、薬莢、発射薬、雷管などで構成されるが、之江はこの中の何も使っていない。


 ライフル弾の発砲の仕組は、アツアツのソーセージとよく似ている。


 まず薬莢はソーセージの皮で、中には弾丸の肉と発射薬の肉汁が詰まっている。そして銃器の撃針である包丁がソーセージに振り下ろされ、断面が雷管代わりとなって内部の肉汁を勢いよく開放する。違いがあるとするなら、アツアツのソーセージの中身は包んでいた皮を捨てないし、肉汁は音速以上を生み出せない。……アツアツのソーセージは殺し合いの道具ではないのだから当然だが、之江のライフル弾は殺し合いの道具だ。それを可能にする潜在能力は秘めている。


「いっけえええええええええええ!!」


 之江の放った弾丸に速度がないのは当然だ。


 之江は西部開拓時代のアメリカを思わせる早打ちで、続けざまにコインを射出する。先行するライフル弾を追う一枚のコインは、ほぼ同時にAFの胸部に到達する。そしてAFとライフル弾、そしてコインの順で接触、すると即座にコインに仕掛けられた『点火』が発動し、ライフル弾の尖端は外殻に刺さる。しかし貫通することはなく止まってしまう。


 まだソーセージはまな板の上――包丁は振り下ろされていない。


 だが余裕もない。AFの左腕は円の軌道を描いて再び之江に迫っている。心なしか左腕は先程より伸びている。誰が見ても直撃コース――直撃は、間違いなく死に繋がる。


 そして左腕が之江の首を薙ぐ直前で――――包丁が、振り下ろされる!


 AFの胸部に突き刺さったライフル弾、その先端に組み込まれた弾丸は最後の役目を果たそうと体内を進んでいく。それを追うようにして『点火』の炎と引火した発射薬が道を広げていく。胸に大穴を開けたAFは、そこと口から多量の血液を吐き出して項垂れる。衝撃に負けた左腕は、之江の鼻先を掠めただけであった。


 動かないAFを眺めながら、之江は込み上げてくる安堵に身を任せる。言葉を出せないほどの危険で短い綱渡りを渡り切ったのだ。


 『点火』では雷管を作動させることは出来ない。作動出来るのならば、最初のコインで弾丸は飛んでいった筈だ。之江が『点火』させたのは雷管ではなく薬莢の方だ。雷管の役割は発射薬への発火――ならば発射薬を包む薬莢を『点火』させ、燃焼させても結果は同じになる。そう之江は考えていた。


 いつの間にか之江は両膝を付き、激しい動悸を抑え込もうと躍起になっていた。


 危険な場面は幾らでもあった。何時死んでも不思議ではなかった。爆発させた車がガス欠だったら――、目算で走った先に鎖がなかったら――、炎の車を突破した直後に突き出した足が逆だったら――、ライフル弾が外殻を穿てなかったら――、考え始めたら終わりがない。


 之江が生き延びたのは、幸運と偶然が最善の状態で重なっただけだった。


 クロとシロから譲り受けた揃いの懐中時計を取り出し、時間見て青褪める。


「叩きだされて十五分も経ってる……、早く合流しないと」


 戦闘開始から終了まで実際は三分も掛かっていない。残りの十二分は、車の影に隠れて縮こまっていただけだ。確かに『魔法権利』を持つAFを倒したが、二度目の接敵時に相手は右腕を失っていた。クロかシロかは分からないが、誰かが戦い弱らせ逃げてきた敵にトドメを刺しただけだ。


 戦闘の昂揚感は、今や不安と焦燥感に塗り替えられていた。


 この出征の目的は、あのAFを倒すことではないのだ。航空写真が捉えた少女たちを捕えることであり、自分が外に投げ出された所為で探索が中断されたのならば、あまりに申し訳が立たなかった。おめおめと戻ったとしても、きっと誰一人文句は言わない。それどころか待っていても救援も来るかもしれない。ここは戦場とは理不尽と想定外が飛び交う場であるし、それに未知の――といっても遭遇から二十年も経ってはいるが――化け物が絡んでいるとなれば尚更だ。


 だがその事実もまた、之江の自尊心を酷く傷つけるものであった。


 自分は戦地に佇む非戦闘員の広報係(カメラマン)ではない。対AFの対策――未知の化け物の殲滅係として同行したのだ。分断され孤立して足手纏いになって本末転倒だ。だが、それでも――……


「のーえー、すずかー、生きてるなら返事してー」

「無事ですかー? 無事でいてくださーい」


 それでも、自分を探しに来てくれた仲間の声を拒むことは出来なかった。


 頬を流れ落ちる大粒の涙を右手で払い、平常に戻ろうと苦心するが上手くいかない。

『円熟』は、この状態で応えるべきだと囁く。『円熟』が囁くなら仕方ない、と之江は大きく息を吸い、言葉を選び、細い喉に運び込む。

















 そして、その言葉は紡ぎ出すことなく止まってしまう。


「――――ッ!!」


 右手で涙を払ったのは幸運だった。『円熟』を発動させたままだったのは幸運だった。声を張り上げようと大きく息を吸ったのは幸運だった。


 そして、最期の一撃を受けきれたことは、本当に幸運で、偶然だった。


 鉛色の殆どを黒ずんだ赤色に塗り替えたAFの体躯は、生きていた。偶然の仮死状態だったのか意図した偽装だったのかは知る由もないが、現にAFは体をピクピクと痙攣させながら、肘から先を失った右腕は之江の細い首へと巻き付いている。


 凶悪な爪も強靭な外殻も焼け落ちた腕ではあるが、之江の首を絞めるには十分の強さを持っていた。強化型の『円熟』で身体能力を水増ししているにも拘らず、拮抗出来ない絶妙な力加減で、之江の首と差し込んだ右手をギリギリと絞め付け骨を軋ませていた。


(ダメだダメだダメだダメだ! 早く抜け出さないと、このままじゃ僕が先に――――!)


 遠くから聞こえる声は、鈴鹿の死体を見つけて慌ただしくなる。同時に戦闘痕も見つけたのか、足音は慌ただしいモノに変わる。実際に聞こえてきそうな距離ではあるが、聞き取る為に必要なの意識は次第に遠のいていく。それでも腕の力を緩めないようにと奥歯を噛みしめ、必死の抵抗を続ける。この状況で『点火』は使えない。『点火』とは、素手のままでは満足に性能を発揮できない欠陥権利なのだ。


 ズルズル……ズルズル……


 AFは腕を縮め、長い赤をアスファルトに塗り付けながら、之江に這い寄ってくる。視界の隅にいた筈のAFの姿は、次第に広がっていく。自分もその恩恵を受けている強化型の『魔法権利』が齎す生命力を、之江は忌々しく思った。激しく呪った。だがAFは力尽きる前に拘束された自分にまで到達する。その事実は変わりそうになかった。


「――――私に触れるな、汚らしい蟲め」


 之江は僅かに残った息を共に呪いの言葉を吐き出し、そして唾を吐き掛ける。


 AFは既に、それを可能とする距離まで近寄っていた。


 そして最後の抵抗を無事に終えた之江は、朝日が暗闇を裂き始めたにも拘らず、その意識を深い闇の底へと落としていった。



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