Ⅴ-10
人間が空を制し、空を戦いの場に選んだのは二十世紀前半以降である。空を制するということは絶対的なアドバンテージを得ることであり、宙を舞う野鳥が野を這う虫を啄むように、航空機もまた地上の兵士を追い回した。
制空権の利点とは相手に最低限の反撃しか許さないことだ。その筆頭は一撃離脱であり、空中戦のみならず古今東西問わず有用な戦法の一つである。
しかし人には向き不向きがあるように、『魔法権利』にも得意分野と苦手分野が存在する。
今現在ケイジを踏み台に宙を走るクロは、『加速』の強みである変幻自在の動きは行えず、いつもは容易に可能とする一撃離脱すら行える状況にない。ただ動きを『加速』させクロを待ち構えるAFのいる天井へ速攻を仕掛けているだけだ。
咆哮を添えることもなく行われた静かな特攻は、観客たちに目を剥く間も与えずに幕引きを迎える。
「――――クロッ!!」
接触する遥か前方で天井に立ったAFは、鞭のように長くしなやかな腕を振り抜き、クロを壁に叩き付ける。
クロの体で起こされた壁の瓦解音とシロの短い悲鳴が暗闇に反響し、余韻を引く。
「――ッ、僕がやる!」
「危ないから下がってろ!」
反射的に壁に叩き付けられたクロに目を向けたシロとは違い、之江とケイジは天井に居座る敵を見据えて次の行動に移っている。キンッと爪が金属を弾く軽い音を合図に之江とケイジは呆然としたままの白井たちを促し、牽制と離脱を始める。
之江と鈴鹿は外の方に、それ以外は駅構内へ向かって。
一枚、二枚、三枚と之江は惜しげなくコインを飛ばしながら、注意を引きつける。AFを狙ったコインは天井を燃やしているが、肝心のAFには掠りもしない。ステップを踏むように身軽に躱している。
ただ、それだけだ。相手は上を抑えたまま仕掛けては来ない。
「埒が明かない!」
之江は歯噛みし、早撃ち前のカウボーイがそうするように鎖へと手を伸ばし相手との距離を測る。天井に張り付くAFとの距離は八メートル弱、攻撃が届くまで掛かる時間は二秒。コインと鎖で到達時間こそは変わらないが軌道と攻撃範囲はまるで違う。
しかし鎖を振るうより先に『閃光』が迸り、天井を銃弾の雨が穿つ。
「之江と鈴鹿、早くこっちにこい。分断されるのは不味い!」
小銃の引き金を引いたままケイジが二人に向けて叫ぶ。AFの外殻には通じない弾丸も大量に浴びせれば目晦ましになり、外殻以外に当たればダメージも与えることが出来る。
そして動けないAFを横目に、鈴鹿は合流しようと走り出すが――――
「ダメだって!」
「うおゎっ!」
その襟首はまたしても之江に捕まれる。
「なんでや! なんで止め――」
その言葉が終わる前に鈴鹿の鼻先数センチ先を、振り子のような何かが通り過ぎ、床のタイルを抉る。之江は呆気に取られる鈴鹿の襟首に力を籠め、再び後方へ引き寄せる。そしてベルトポーチに手を伸ばしコインを掴みとって天井を睨む。
だが視界の先に、AFは立っていなかった。
「之江、前だ!」
瓦礫の下にいる筈のクロから届いた言葉とほぼ同時に、之江の正面に天井のAFが降り立つ。その瞳は真っ直ぐに之江だけを捕え、背後に控えるクロやシロには目もくれようとしない。之江もまた、自分のすぐ先に現れた二メートル超の相手に対し明確な敵意を向けていた。
そして一瞬の間を置いて、両者は同時に動き出す。
AFはその太い腕を之江に向けて叩き付け、之江はコインを握ったまま左へ飛び間一髪でそれを躱す。AFの攻撃は床のタイルを砕き、捲り上げる。その威力の恐ろしさと頬を伝う冷や汗を感じながら、之江は握った三枚のコインをそれぞれ別の場所に向けて撃ち出していく。
一枚目は直接AFに向け、二枚目は自分とAFの中間地点の床に向け、三枚目は自分の真上に向けて、それぞれ進んでいく。
之江の『魔法権利』は、近接戦闘に向いてはいない。狙撃銃で手の届く距離の相手を撃ち難いのと同様に、『点火』も近接戦闘において十分にその威力を発揮することは難しいのだ。
故に、まずは距離を取るためにコインを弾いた。
一枚目で相手を牽制し、二枚目で相手の足を止め距離を取る。三枚目は保険、万が一接近された時に迎撃を可能にするための罠だ。これは之江にとっての安定行動であり、相手に不利な選択を強いるための布石である。相手が罠を恐れ立ち止まるなら良し、向かってくるなら迎撃を加え、また同じ択を迫るだけだ。
結果AFは一枚目のコインをタイルの破片を使って叩き落とし、『点火』を防ぎながらその場に留まった。之江は十分に距離を取り、そのまま追撃を加えようと次のコインへと手を伸ば……――したが、そんな之江の行動を打ち崩す一撃が、AFから放たれる。
外から眺めればなんてことはない。今までと同じ、無造作に腕を振り払っただけだ。
「――――ッ!!」
だが、その腕が伸びたのならば話は別だ。横薙ぎにされた長い腕は、距離を確保し余裕の生まれた之江を容赦なく襲い、ベルトポーチのコインを撒き散らしながらエントランスホールから弾き出す。
それこそがヘリを落とした攻撃であり、このAFの『魔法権利』であった。
そして厄介な相手の一人を簡単に仕留めたAFは、ゆっくりと振り返り残った面々と向き合った。
之江が外に弾き出され、AFは天井を這っていた時とは違い、戦闘態勢を維持したまま対峙している。戦況はあまり、芳しくはない。
「何故、気付けなかった」
瓦礫から抜け出し戦線に復帰したクロが口にしたのは自身の失態についてであり、誰かを叱責する訳でもなく、ただ単純に疑問の解消と問題の究明を目的とした口調であった。その答えをAFの体内から抉り出そうと<アプレーター>と<霧肌>を構え、初めの一歩を踏み出した。
「冷静になれ、クロ」
その肩をケイジが掴み、前進を妨げる。クロは無理矢理に振り払うことをせず、押し止める理由を待つ。
「お前は之江と鈴鹿の救援を、ここは俺とシロに任せてくれ」
「ケイジさん、あんたは何を言ってるんだ?」
「お前こそ何を言ってるんだ、クロ。AFとの戦いで最悪の事態とは、殺されて『魔法権利』が奪われることだ。頼りになる味方が、そのまま敵になることだ。分かるか?」
有無を言わせぬ言葉に圧倒されるが、クロの背後からから掛けられる言葉は、まるで背を押す追い風のようであった。ケイジの言葉は、よく理解出来る。『魔法権利』があるだけで、有象無象の羽虫が何倍もの巨体をも殺す毒虫に変わるのだ。
だが、問題はそこじゃない。
「ケイジさん、任せてくれと言うが……、あんたに出来るのか?」
ケイジはふっと息を吐き、クロの疑惑に答える代りに背中を押して応える。
「出来るとか出来ないとか、俺はそういうことは気にしない主義なんだぜ?」
「初耳だが」
「ずっと隠してたから……なっと!」
そしてケイジは小銃を床に投げ捨て、律儀に待っているAFへと拳銃を向ける。当然、そこから放たれる弾丸は弾かれる。AFの外殻を穿てない。
「好きなタイミングでいけよ。足止め程度は、多分……出来る!」
言い終わると同時に、ケイジの握った拳銃は火を噴いた。薄暗いエントランスホールは一瞬だけ照らされ、暗闇に慣れた目を再び鈍らせる。
だがほんの一瞬であってもクロと正面で待ち構えたAFは見逃さなかった。
ケイジの右目の下に浮かび上がった一本の線をその視界に捉え、それと同時にケイジもまた『魔法権利』でAFの体をがっちりと捕えていた。
「ここで言うのは、まあ少し違うかもしれないが、俺は約束を破っちゃいないぜ」
ケイジは拳銃の残弾を確認しながら、クロに語り掛ける。
「AFの存在に怯えてクロやシロ、之江に庇われる俺は、ここに来ちゃいない」
そしてケイジの『魔法権利』に縛られ動けないAFに背を向け、この場にいる全員に向けて宣言する。
「ここにいる俺は、たった一人でも生き残れる俺だ!」
しかしその宣言を聞き入れる余裕を持っていたのは、ケイジの隣に立つクロただ一人であった。残りの三人――シロと白井、七隈は背後から迫るAFの対処で、それどころではなかった。




