Ⅰ-3
2015 2 7 加筆済
二十世紀が二十数年過ぎた頃――今から二十年前のアフリカ大陸中央部、そこのとある鉱山から全ては始まった。
欧州の会社の所持する鉱山は千人超の鉱員が在籍し、安全と効率を重視した経営方針から徹底した労働者の管理が施されていた。鉱員たちからは反発どころか待遇改善を求める声すら上がっていない。採掘に伴う水質や食糧は良質であり大気汚染もなく、落盤事故の形跡もない。
少なくとも会社が行った最後の調査では、そう報告されている。
そんな鉱山で、体調不良を訴える者が現れた。最初は更なる待遇改善を求めたストライキの類を疑った管理者も、更なる訴えと怯える労働者、大量の行方不明者を出したことにより、新種の伝染病や凶暴な野獣が住み着いた可能性を認め、自治体を通して政府や国連に調査を依頼した。
そこで初めて、人類はAFと遭遇する。
公的な記録としての初めてだ。人類との本当の初遭遇の時など知る術もない。国連の調査団を出迎えた中に、人間はいなかったのだから。
国連の調査団が彼の地で遭遇したAFとは、アフリカの文字から二つを取った即席の呼び名だ。パラサイトやデス・モンスターなど、多くの名前が候補に挙がったが、結局はAとFの二文字に落ち着いた。
「AFは人の中にいます。あんなの、見たことありません。映画に出てくるエイリアンみたいに沢山数がいる。我々はもうダメです。迅速な対処を――――」
音声と共に届いたのは、数十年前のハリウッド映画のような衝撃映像であった。
AFは人を喰らい、人の中に潜み、そして成長する。
感染症は犠牲を増やしながらも抗体を作り予防を行うことが出来る。寄生虫は宿主と共生を望むことが多く、そうでないとしても何を経由して体内に取り込まれるかを知ることで被害を回避出来る。
だが、AFは違う。
AFはウイルスと違い能動的に人間を襲う。AFは従来の寄生虫とは異なり人間を内側から食い殺す。どちらの枠組みにも当て嵌まらない危険な寄生生物だ。当時の人類の頭脳たちは、大陸で飽和する死者の数を耳にするまでもなく気付いていた。
AFは、人類を滅ぼす潜在能力を持つ天敵だ。
何より厄介なのは、AFを体内に保持している人間は気づけない点だ。
体内に入り込んだAFは一定の潜伏期間を経て増え、人体を食い破る。そして外部に出現したAFは人間を襲い、新たな犠牲者を生む。そのサイクルの中でAFを知覚出来るのは、AFが脳の支配を止めて外部に飛び出す一瞬だけだ。
少しでも対応を誤れば、人類の生存圏全てに広がる恐れがある。
倍々ゲームを遥かに凌ぐ速度で人類が滅び去る日がやってくる。
その事実を認識してから、頭脳の行動は非常に早かった。
徹底した陸海空の封鎖と対策の構築。軍隊を使った組織的な掃討と情報統制、数か月以内にアフリカ大陸中央部から移動してきた人物の隔離処置。
そして交戦の過程で得た事実も幾つか存在した。
AFが海を怖がり、意図的に海を越えることは出来ない点。
AFは小動物に寄生することが出来ない点。
そしてAFに耐性のある人間が一定数存在し、皆一様に得意能力を持っている点。
人類は多くの犠牲を払いながら得た知識を基にAFと戦い、築き上げた人道など叩き壊してAFの侵攻に抵抗した。
抵抗し、そして負けた。
大陸で暮らす二十億もの人命を対岸に置き去りにしてまで、人類は生存の道を選んだ。海洋という鉄壁に頼り切った籠城戦――そこに持ち込むまでの代償は、犠牲で片づけるにはあまりに多すぎる人類だ。
そして二十年が経ち、今日本の一角で――――
黒田海運の船が港から離れていく。中には黒田会長から社員の家族まで多くの人間――けれども九州全体で考えればほんの一握りの人間が詰め込まれ、安全地帯に向けて逃げていく。
「…………」
クロはその背中を見送りながら、淡々と荷物を車に詰めていく。
卑怯者だなど罵る者は必ず現れるだろうが、死んだら罵られもしない。彼らが逃げ延びたのは義父と出会えた幸運と、義父の部を弁えた優しさのお蔭で、自分とシロには必要ないモノだとクロは知っていた。
「ほら見て、クロ。テロってことになってるよ、テロ!」
助手席に座ったままのシロがクロを呼ぶ。作業を手伝う素振りなど見せず、カーナビから流れるニュース速報に興奮を見せていた。
ニュース速報で流れていたのは、関門橋の爆破の話題だ。
「二十四時間何百何千って車が通る橋を、ただのテロリストが爆破出来る筈がないのにね」
関門橋を爆破は、まず間違いなく政府の指示によるモノだ。架空のテロリストの存在をチラつかせ、危険なのでと上下の道を封鎖してしまえば、本州と九州を繋ぐ陸路は消え去り、AFの隔離は簡単に終わる。
そして確実な方法を選択したということは、AFの出没は誤報ではないとの裏付けも出来る。
速報を退屈そうに眺めるシロを横目に運転席に乗り込んでハンドルを握り、エンジンを掛ける。もし人間のテロリストが相手ならば、自分たちに出番はない。いや、本来なら軍すら抑えきれないAFを相手に、普通の人間に出る幕はない。ただ餌にされ、犠牲者と敵を増やして二重に足を引っ張るだけだ。
「行くぞ、シロ」
だがクロとシロは、普通の人間とは少しだけ違っている。
AFへの耐性――AFとの戦う手段にもなる『魔法権利』を所持しているのだ。
窓の外に流れる景色の中には沢山の人が存在する。けれどその中で二人と同じ『魔法権利』を持っている人間の割合は、九州全体から義父の助け舟に乗れた割合より低いに違いない。
多くの犠牲者たちが望み、手に入れられなかった代物を持つ二人に課せられたのは、AFと戦うことである。天敵の天敵として、人類の一翼として戦うように教えられてきた。
シロと共に戦って戦って戦って、その合間に少しだけの日常生活。
幼少の頃、義父について思う所がなかった訳ではない。欲しかったのは自分ではなく、『魔法権利』を扱える人材――果ては自分の持つ『魔法権利』なのではと疑ったこともある。けれど、それを知った所で余計な確執が生まれるだけだ。大人の助けなく子供が一人で生きていける程に現代社会は甘くない。
「止めて、クロ」
ハンドルを握ったまま思案に耽っていたクロを、シロの一声が現実の感覚に引き戻す。クロはシロの言葉を訝しみながらも車を路肩に止める。
「ちょっと行ってくるね」
「どうした、シロ?」
そしてクロの制止を振り切ってシロは車から降り、来た道を戻っていく。クロは少しだけ考え、何も持たずに車を降りる。
クロは車で進んだ道をシロを探しながら小走りで戻る。歩道には関門橋爆破事件で盛り上がる大学生らしき集団や会社から遅めの出勤を強いられ毒づくサラリーマン、そんないつもに少しアレンジを加えた人々が点在し――その先に手を振るシロがいた。
「遅いよー、クロ」
そこには呆れ顔で迎えるシロと
「……ケイジ、さん」
「おう、久しぶりだな。やっぱ白黒コンビはいつも一緒なんだな」
安堵の表情で再会を口にするケイジがいた。
「三年ぶり……いや、最後に会ったのが俺の卒業式だから四年か?」
人混みで頭一つ分抜ける長身とクロとはまた違ったタイプの逞しい体躯、そしてシロへの高校入学後の告白者第一号であり、撃墜者第一号でもある先輩だ。ちなみに第二号も彼であり、浮いていた二人の数少ない友人でもある。
「お前たち大学行ったんだっけ? シロは結局クロと同じ大学に受かったのか? クロは勉強してる素振り見せないのに常に学年上位だったからなー」
快活に笑うケイジの腹にシロが拳を叩きこむ。腰の入った良い拳に、ケイジが膝を付いて咽る。
「す、すまん。図書室で必死に勉強してたのは内緒だったな。もう時効かと思ってた」
「時効なんてないよ! こっちはずーっと一緒なんだから恥ずかしくなるじゃん!」
涙を浮かべながら弁解するケイジをシロが責め立てる。それに対してクロはケイジにとっての助け舟、シロにとっての追い打ちの一言を漏らす。
「シロは無事に受かった。家でも必死に勉強していたから」
「えっ、クロ知ってたの!」
「そうか、じゃ今は二人で楽しい学生生活か?」
頭を抱えるシロを無視し、ケイジは立ち上がり膝についた埃を払う。
「ええ、まあ。ケイジさんこそ高校卒業してから何を?」
「俺か? んー、俺は軍だったり公警だったりを流れに流れて、今は民警の下っ端で落ち着いてるぞ。そんで今日は久々の非番だから街に出てるって訳よ」
民警とは民間警察の略称であり、かつての肥大化した警察組織を役割に合わせて二分化したものである。民警は主に、凶悪化していく強盗や組織犯罪を独自に逮捕、または専門的な処置を下すのだ。公共警察が嫌う汚れ仕事も引き受けているとの噂もある。国内外多くの会社が業界に参入した民警システムは、その性質から民警は退役軍人の受け皿の一面を持ち、半数以上が元軍属という有様だ。
故に、ケイジの素性には特に怪しむ箇所などない。
「ケイジは何で待機してないの? テロだよ、テロ。関門橋落ちちゃったんだよ。下っ端の非番だからってうろうろしてていいの?」
当然人手不足を解消する為の民警には真っ先に声が掛かる筈で、ここにいるのは些か不自然だとシロは追及する。
「だーかーらー、連絡来ない内に街に出たんだよ」
「酷い民警だ!」
「ってのは冗談で本当は昨晩から私服で警邏だぞっ! 代われ学生ども、何故に俺は独りで警邏せにゃならんのだ!」
頭を抱えて叫ぶ仕草をするケイジを横目に、シロがこちらに目配せをする。往来での立ち話から、歩きながらの会話に自然に切り替る。何としても車の方角へ向かって誘導しなければならないのだ。
「ならケイジさん、俺たちとドライブにでも行かないか? 気分転換にパーッと、さ」
誘導しなければならないが、クロは自然な演技が出来るほど器用ではない。
「……らしくないな、クロ。昔はもっと真面目だったはずだ。少なくとも”パーッと”なんて言葉、初めて聞いたぞ」
当然の如く勘付かれ、焦りから鼓動が早くなる。二人の知っている昔のケイジは正義感が強く真っ直ぐで、そして無駄に鋭いのだ。数年ぶりの再会でそれを失念していた。
「まあ二人の折角の好意、今日は素直に甘えるか。家まで送ってくれ、実家の方だ。確か何度か来たこともあるし、知ってるよな」
二人はほっと胸を撫で下ろす。流石に職務を放棄させることに抵抗はあるが、この際それは気にしていない。後部座席のドアを開け、乗り込む姿を確認し二人も定位置へと乗り込む。
クロはキーに手を伸ばさず、バックミラーでケイジの様子を確認する。ケイジは初めて座るシートの感触を両手で味わっているが、その心はどこか別の場所にあるかのようであった。
まるで、こちらが話し出すのを待っているかのように。
気まずい沈黙を破る為、クロはキーを回しエンジンをかける。そしてサイドブレーキには触らずに、第一声をシロに任せた。
「ケイジ、AFって知ってる?」
世間話にすらならない唐突な一言。だがケイジは訝しみもせずに答える。
「エイリアン擬きか? あれはアフリカ中央部の内戦悪化を誤魔化すための方便だ。UFOやUMAみたいなもんだぞ」
「AFが九州南部で確認された」
クロは鋭く切り返す。ケイジは言葉の意味を理解する為なのか、少しの間を取り、反応する。
「確かに軍属の時、AFの噂は何度も聞いた。だが、まさか……」
冗談だと疑うこともせずケイジは口を右手で覆い、思案を始める。そして上着から携帯電話を取り出し、ボタンを操作し連絡を取ろうとする。だが、シロが助手席から後方へ身を乗り出し電話を押さえる。
「ダメだよ、ケイジ」
「何がダメなんだシロ。民警や軍属時代の同僚に確認を取るだけだ」
「だからダメなんだって。そのルートだと、ここから逃げられないよ」
ケイジは唖然とした。シロの言葉の意図が分からなかったのだ。ただ、単語のそれぞれ意味を噛みしめていく途中で、シロの言葉の意図に気づき、顔を徐々に曇らせて疑問を口にする。
「俺を逃がす……、何からだ?」
「AFから」
「冗談が過ぎる。これ以上くだらないことを続けると俺は車から降りるぞ」
しかしクロとシロの真剣な視線がそれを許さない。
「冗談じゃない。軍や民警といった組織は特定の個人を助けることは出来ない。だが俺たちのルートは別だ。口添えすれば、一人くらい強引にでも捻じ込める」
「そもそも毎日何千台と通過する橋をテロリストごときが落とせる訳ないし、仮にテロリストの仕業だとしたら連絡船が出てる筈。でも、そんな情報は全く流れてないよ」
ケイジは口元から手を放し、車の内部を見まわし、怪訝な顔で尋ねる。
「そのAFが本当にいたとしよう。そして関門橋の破壊は計画的なモノで、通常では九州から出る手立てはない。AFが現れた檻の扉は締められ、抜け出せない――と」
ケイジは大きく息を吸って吐く。束の間の静寂が車内に訪れ、エンジンの震えに被せるようにケイジの低い声が続く。
「ならばこそ、ここで……九州で暮らす人たちはどうする?」
「もう手遅れだ」
「見捨てて、俺一人で逃げろと言うのか?」
「そうね、アフリカでも同じことが起こった」
正義感を塗したテンプレートな会話を、シロが揺るがない過去の事実と被せて鼻で笑う。だが、それでもケイジは止まらない。
「ならシロとクロ、お前たちはこんな荷物を詰め込んでどこへ向かう? 箱の頑丈な素材に厳重なロックの仕方、とても夜逃げ用の荷物とは思えない」
積み上げた荷物の一つを持ち上げ、ケイジが非難の目を向ける。淡々とした問答だが外堀を順調に埋められたクロとシロは顔を見合し、どう答えたものかとクロは思案を挟もうとする。
だが既に誤魔化しは逆効果と判断したのか、シロは簡潔に答える。
「私たちはドライブに行くの。その途中でAF退治もしちゃうだけ」
その一言を聞き、ケイジはニッと笑う。
「なら俺も連れてけよ。これでも元軍属だ。エイリアンも全シリーズ見てる。戦力になるぞ、俺は!」
先ほどまで浮かべていた怪訝も思案も既に顔から消え去り、出所不明の活力に満ち溢れていた。シロ然り義父然りケイジ然り、強引にでも自分のペースに引き込もうとする相手がクロは苦手であった。だが嫌悪感はまるでない。寧ろクロ自身が持たない強引さに憧れすら抱いている。
「ごめんね、クロ。もう面倒になっちゃったから……」
「寧ろ俺たちと一緒の方が安全かもしれん」
危険を顧みずに同行すると宣言する相手に説得は無意味だ。その兆しを感じ取った時点で、シロは諦めたのだろう。言い合いや説得に使う労力は、もっと他に向けるべき場所がある。
「それと面倒ついでに一旦埠頭に戻ろう」
「俺は船に乗らねーぞ! AFだかKFCだか知らんが、全部捻り潰してやんよ!」
「ケイジさん用の武器を取りに行くだけだ」
「ミニガンはあるか? 軍じゃ普通に小銃だけだったから、一度撃ってみたいんだ。重い重い言われてるが、俺には小銃が軽すぎんだよ。分かるか、クロ?」
「…………」
「ちょっと、クロ! やっぱり鬱陶しいからケイジ置いて――いや、この際もう海に沈めちゃおうよ!」
そんなシロの提案に軽く頷いて、クロはアクセルを踏み込んだ。時間の猶予はないが、急いでも曝される脅威に変わりはない。ならいっそ、場が整って――AFが散々に暴れまわってからの方がいい。それを口に出さないのは良心からか、それともケイジが後ろにいたからか……。
だがクロは、車内の喧騒から逃げ出すようにただ車を走らせた。