Ⅴ-8
朝日が昇る前の暗い空を、何枚もの回転翼が放つ重低音が切り裂いていく。空路で渋滞は、基本的には起こらない。それが暗闇の中で、無人の街の上空を飛ぶなら尚更だ。
「嫌になるくらい……ってのは、誇張表現じゃなかったんだね。僕、あんまり持ってきてないよ」
空中に足を投げ出した之江は、左右のベルトポーチに収められた『点火』に使うベアリング弾をジャラジャラと弄ぶ。そして身に着けた衣装とシロから貰った鎖にと順に手を這わせ、その顔に満足を浮かべる。
之江は、クロが手配した衣服を身に纏っていた。
本来はシロ用のチュニックであるが、身長差からズボンを省きワンピースのような着こなしが可能となっていた。迷彩服のような毒々しさはないが、浅葱色には落ち着きのあり風景に違和感なく溶け込んでいる。市販のスニーカーもブーツに履き替え、ベルトやベルトポーチと合わせてクロやシロとお揃いとなっていた。
初対面のボロボロの制服姿からは、想像も出来ない変遷であった。
「随分と機嫌がいいのね。そんなに服が気に入ったの?」
「まぁね。多機能って言われて最初はびっくりしたけど、思ってたより肌触りも良くて今は大満足だよ」
之江の身に着けているチュニックには防刃防弾耐熱など、様々な性能を兼ねる繊維が編み込まれている。決して過信出来る代物ではないが、あるとないとでは大きく生存率は変わってくる。
「そろそろ、かな」
気配を飛ばし、下を眺めながら索敵を行っていたシロが顔を上げる。
避難所を出発して、まだ時計の長針は三つも進んでいない。夜の空を快速列車以上の速度で進むのは、攻撃ヘリであるリトルバード三機に多目的ヘリであるブラックホーク一機の計四機である。随行する軍人たちはブラックホークに、クロたち三人はリスクとコストを減らすために攻撃ヘリの方に外装を取り付け、そこに座っている。
「間もなく降下ポイントです、幸運を!」
操縦士の大声と共に、僅かに先行していた二機のリトルバードが地表に向けて掃射を開始する。ナイトビジョンを駆使した掃射は、AFを綿毛のように吹き飛ばす。この掃射の目的は攪乱であり、見事にAFの頭と注意を同時に押さえていた。
「シロと之江を降ろすタイミングは、そちらに任せます」
クロは、声の届く方の操縦士にそう告げてヘリから飛び降りる。
低空で航行速度はかなり落としているとはいえ、飛び降りたら無事では済まない。加えてナイトビジョンがあるから分かることだが、降下ポイントにはまだかなりの熱源が蠢いている。
そんな場所に自ら飛び込むなど、正気の沙汰ではない。
操縦桿を握った二人は旋回しながら、その狂気の結果を待つしかなかった。
ぐちゃ……、と熟れたトマトを踏み潰したような音が路線に響き、トントントンと軽い足音がそれに付随する。ヘリのローター音と機銃の掃射音に誘われて姿を現したAFたちは、鋼鉄の鳥たちより厄介な相手と対峙してしまった。
ブラックホークから撃ち出された照明弾に照らされ、クロの姿が露わになる。
灰色の肉片を足元に散りばめ、両手の先を銀色に輝かせ、大きく広げて威圧するクロを前に、AFたちはこの場に立っていることを後悔した。
これまで何度も空からの強襲を受けたAFが対処法を模索し、辿り着いたのがここであった。近接戦闘が主であるAFがヘリに向けて攻撃を行うには、何かを投げるしか道はなく、その何かを安定して入手出来る場所が線路であった。
レールを支える枕木、その間に敷き詰められたバラストこそが、彼らの武器であった。
当然、鉄臭い砕石の一つや二つが当たった程度でヘリが落ちるなんてことはない。だがその数が十、二十と増えるにつれて危険は増し、ヘリは撤収していく。権利者を相手にする時も同じだ。数で攻めればどうとでもなる。
それが彼らの考えであり、戦術の中核となっていた。
それらを胸に後悔を拭い去り、勇気を奮い立たせ、本能を滾らせる。
そして唸り声を上げるより先に、クロの左手に握られた<霧肌>がその首を刎ねる。
首が地面を跳ねる音を合図に数十匹のAFが一斉に殺到し、クロも首のないAFを蹴り倒してそれを迎え撃つ。
人間対化け物――映画のような殺し合いが今、幕を開けた。
断続的に打ち上げられる照明弾の灯りが地表のクロの奮闘を照らし出す。
「すげぇ……、次々数を減らしてるぞ……」
「ハリウッド映画の主人公かよ」
驚嘆の声を漏らす間にも、クロの<アプレーター>は外殻ごとAFを斬り裂き、<霧肌>は筋組織の集まった太い首や腕を難なく斬り飛ばす。
白井曹長から作戦概要を伝えられた部隊の面々は、その無茶な要求と部外者に依存し切った作戦に、失敗と多大な犠牲を払う覚悟を決め空を進んだ。このブラックホークに乗り込んだ分隊でAFに遭遇経験があるのは約半数、残りは補充要員として権利者の代わりに後方からやってきたばかりであった。
当然、AFや『魔法権利』を見るのは初めてである。
上空という圧倒的優位に酔いながら、分隊はドアガンとして搭載されているキャリバーで逃げ惑うAFを狙い撃つ。大口径の機関銃特有の重低音と機内に漂う火薬の臭い、それらに伴って地表に広がるAFの残骸――つまりは戦果が彼らの気持ちを高揚させ、また緩ませていた。
AFなど現代兵器の前では大した脅威ではない――と。
事実、空にいて上から攻撃するだけなら、AFはそれほど恐ろしい存在ではない。脅威に曝されるのは地上に降り立ってから――同じ土俵に上がってからである。徐々に減らされていく降下ポイントの敵を確認しながら、白井曹長は部下の緩みを叱咤する。
しかし隊員たちは、AFと『魔法権利』の双方から洗礼を受けてしまう。
曹長の叱咤が終わるより早く何かが旋回するブラックホークに迫り、回避行動も間に合わずにテールローターに直撃する。大木から舞い落ちる枯葉のように制御を失い、ドア側の一人はあっという間に振り落とされる。回転しながら地上へ向かう機内では怒号が飛び交っていた。
「何が起こった! いや、何が当たったんだ!?」
「AFに決まってるだろ! それより振り落とされないように掴まれ!」
騒然とする機内で、不意打ちの正体を見たのは操縦席に座る二人と、ドアガンを握った三人だけであった。しかし回転する機内では反撃は行えず、地上は、目と鼻の先まで迫っていた。
「ブラックホークダウン! ブラックホークダウンッッ!!」
「墜落する、衝撃に備えろ――――!!」
そして操縦士がお決まりの台詞を吐いた後、搭乗者を八人に減らしたブラックホークはプラットホームへと墜落した。
「墜落地点の真上に移動して、早く!」
墜落の一部始終をその目に収めたシロは、操縦士に対し指示を飛ばす。
「危険だ! あそこには妙なAFが――――」
「私と之江がいる側を建物に向けたら何とかする、信じて」
「ああ、くそっ、しくじらないでくれよ!」
薄らと煙が立ち上る墜落現場の上空へと移動する最中に、シロと之江はブラックホークを落としたAFと視線を交わすが、AFは仕掛けずに駅構内へと引いていった。
二人を乗せたリトルバードは、残りの二機の援護を受け無事に墜落現場に到達する。
「厄介なのがいたね」
「うーん、仕掛けてくれると楽だったんだけど」
ベルトポーチから取り出した銀玉を構えた之江は、逃げたAFでなく墜落現場に集まるAFに向かって指で弾き出していった。動きを的確に先読みして弾かれた銀玉に当たったAFは、油の染み込んだ松明のように燃え上がる。
「寄ってくる相手は片づけたから、僕とシロも下に降りるよ」
「負傷者収容の時間くらいなら稼ぐから、終わったら手早く離脱してね」
二人に促されるままに墜落現場に着陸したリトルバードは、墜落したブラックホークから這い出てくる隊員たちを収容していく。奇跡的に八人の中から墜落による死者は出ておらず、負傷者は操縦士二人を含めた四人――リトルバードで収容可能な人数ギリギリであった。
「すみません、隊長。あとはお願いします」
足を引き摺る壮年の隊員が負傷者を代表して白井曹長に後事を託すと、三羽のリトルバードは離脱していった。後に残ったのはクロシロ之江の三人と白井曹長、そして二十代前半と思われる若い隊員が二人。そして、――――。
「すまない遅くなった。無事か、みん――――……」
群がるAFを全て始末したクロが、無表情の額に汗を浮かべながら現れ、想定外の人物の発見に言葉を詰まらせる。
「無事だぜ、クロ。…………正直、死ぬかと思ったが」
軽口を叩くよく知る人物に、クロは苛立ちと動揺を隠せなかった。
「ケイジさん、なんでアンタがここに……!」
そこには、いる筈のないケイジが立っていた。
クロの覚悟に負けたケイジが、立っていたのだ。
更新は来週から水土日に




