Ⅳ-6
その存在に感づいて尚、四人に為す術はなかった。視界の端にチラチラと入り込むAFに辟易しつつも、この場から動くに動けない理由があるのだ。
一つ、『加速』を持ちAFと対等以上に戦えるクロが負傷で動けないこと。
クロの『加速』は、動画の倍速再生に似ている。どれだけ速度を上げたとしても、元の動作にキレがなければ持ち味は活かされない。シロの『閃光』は距離次第では必殺になり得るが連射が利かず、消耗戦に弱い。近接戦闘も行えるが、多対一で圧倒できるほどの技量は持ち合わせていない。ケイジは『M240機関銃』を持ってきていないし、三峰の小銃では威力不足だ。
一つ、戦わずに逃げることはリスキーな選択であること。
クロを道路から引き抜く際に移動したため、ここから車までは許容できないほどの距離がある。足を引き摺りながらも『加速』で速度を保てるクロだが、乗り込むより先にAFが殺到してきた場合に、それら迎え撃てる戦力がいない。
「――――と、クロが無茶したから結構危険な状態で、着々と危険な要素が積み上げられてるんだけど……、どうしよう」
「すまない、俺の所為だ」
シロの言葉通りに、少し離れた道路にはAFが近隣の建物から投げ込んだ椅子や机が積み上げられていた。だが危険と連呼する割にシロの表情に焦りはなく、小さな子供の作る砂山を遠巻きにするガキ大将のような余裕を発していた。
その気になればいつでも蹴り潰せるぞ、と。
事実、クロの右足から僅かにあった外傷は見当らなくなり、内出血で赤紫色に染まった足に肌色がかなり戻ってきていた。クロが万全な状態に回復すると同時に、動けない理由も消え去るのだ。
「おっと、危ない」
左足だけでピョンピョンと器用に動くクロ。そして数秒前にクロが立っていた場所にスチール製のビジネスデスクが降ってくる。大きな音をたてて道路に打ち付けられたデスクは、アスファルトを数回跳ねて止まる。それがAFが近隣の建物から調達した一つであるのは一目瞭然であった。
結局、クロが復調して動けない理由が消え去るより先に、シロから余裕が消え去ることになってしまった。
第一投に打つ手なしと見るや否や、それなりの体格を持つ成長型が数体、姿を現して第二投以降を試みる。そしてそれに併せて遠巻きにしていた残りのAFもジリジリと距離を狭めてくる。
これは着実にこちらの弱点を突いた戦法であり、クロが万全で『加速』を使えたとしても苦戦を強いられた可能性がある。
「まさかAF同士で情報交換とかしてるんですかね!」
三峰が冗談半分で呟いた一言に、残りの三人が「可能性はあるな」と神妙な顔で頷き返す。三峰は小銃で牽制をしつつ飛んできた物を避け、ケイジは飛んできた物を避けつつそれを投げ返す。クロは必要最低限の動きで避けながら回復に専念し、シロは集中的に狙われて『閃光』を撃つ隙さえ与えられない。
「キリがない。危険かもしれないが使ってみてもいいか?」
「何を?」などと聞き返したりはしない。クロが右足の負傷と引き換えに手に入れた新しい力を、三人は認知していた。
クロはあのAFから、『魔法権利』を奪い取った。
そして殺して奪い取った『魔法権利』を試してみたい。
そんな子供のような笑みを浮かべ、健気だが不器用なクロに対しNOとは、誰も言えなかった。……いや、言う余裕がなかっただけかもしれないが。
「やるなら早くして! そろそろ当たりそうなの」
小さな悲鳴を漏らしながら右往左往するシロを横目に、クロは大きく息を吸い込みタイミングを計る。
「正々堂々――――…………」
普段大きな声を出さないクロには、あまりに難易度が高すぎた。AFに対する主張は導入部分で止まり、続きが発せられることもなく消えていった。
「おい、クロ…………」
「締まらないわね」
「正々堂々……、何です?」
呆れた顔で視線を集める三人に対し、クロは軽く肩を竦め呟く。
「無理に叫ぶ必要はないらしい」
クロの言葉通り、椅子と机のシャワーは無事に止む。それらを降らしていたAFから包囲を縮めてきていたAF、更には物陰に潜んでいたAFまでもが一堂に集まり、こちらと向かい合う。
その光景は圧巻であった。こちらを着実に追い込める戦法を簡単に捨てさせ、人間を襲いたいという本能すら屈服させる『魔法権利』。
クロが手にした『魔法権利』――その名称は『挑発』。
「正々堂々と戦えないのか?」とクロは『挑発』に乗せて発したのだ。実際は発声していないが。ただ『挑発』に無理矢理乗らされたAFは、正々堂々と戦う為に集まっている。
その実情を目の当たりにして、使用者であるクロも含めた四人は少なからず恐怖を覚える。この強制力を存分に揮われたならば、軍隊どころか人間社会すら容易に崩壊してしまうに違いない。
「三峰、後は任せてもいいか?」
「任せるって……、何をですか?」
困惑しながら答えを待つ三峰に、クロは言葉と視線で応える。
「練習にはちょうどいいハンディゲーム、動く相手にも試してみたいだろ?」
動く相手――と称された相手、クロが視線を向ける先にいるのは『挑発』で呼び寄せたAFたちである。各々が怒気を発し今にも襲い掛かろうとしてはいるが、実際は一歩たりともこちらに寄ってこない。律儀にも四人から誰かが出てくるのを待っている。
「……正々堂々、ですか」
クロが叫ぼうとして、途切れた言葉を反芻する。人間を襲う化け物相手に容赦する必要などはない。それでも二十年以上を真面目に過ごしてきた三峰にとって、正々堂々という響きは心地よかった。
口角がスッと上がり、体からマイナスの感情が抜けていく。
自然と足が進み、勢揃いするAF相手に一人で対峙する。一般人なら悲鳴を上げ逃げ出す光景だったが、三峰の心中に恐怖など微塵もない。逆にうずうずとした気持ちが治まらず、あちらこちらと視線を泳がせていた。その様子はまるで、多くの皿に盛り付けられた多種多様な餌を前に、お預けを喰らって尻尾を振る飼い犬のようである。
三峰の様子を遠巻きにした三人も既に腰を下ろし、完全に観戦モードに入っていた。
戦いの舞台が次へと移ったのは誰が見ても明白だった。そして次の舞台には三人が立つ必要がないことも。
始まった正々堂々の勝負は、クロを除く二人の予想を遥かに超え圧倒的かつ一方的に進んでいく。それもその筈、三峰の『拡散』は触れられた場所を中心に粒子状に変質させていく。多対一ならまだしも、一対一の戦いを強いられた現状で――近接戦闘を強いられる戦場で、『拡散』を持つ三峰に勝てる相手はそういないのだ。
「『挑発』……、奪えて良かったね」
シロの目に映っていたのは三峰がAF相手に無双する姿ではなく、蹂躙される仲間の周囲に佇んだまま逃げることを許されないAFたちであった。
人間とAFと権利者――戦局と力関係は変動させたいならば、どんな手段を駆使してでも相手を自分たちの土俵に引きずり込むしかない。それを容易に実行できる『挑発』は、『拡散』や『加速』、『閃光』などより余程有用な『魔法権利』である。
当然、それを欲しがる人間は山のようにいる。
『魔法権利』は強奪出来る。その情報を知る者は少ないが、その根本部分――『魔法権利』が偶発的事象であるため、全てを隠し通せる類の情報ではないのだ。しかし権利者の内でそれが公然の秘密とされているのは、『魔法権利』を持たない人類の内では垂涎を誘う情報と早変わりするからだ。
「つーか『魔法権利』って、隠し通せるもんなのか?」
退屈そうに三峰とAFを眺めていたケイジが、唐突に尋ねる。その質問を不審に思いつつも、律儀に返答する。ケイジは頭の回転が速く、異様に鋭い。断片的な情報を繋ぎ合わせるくらいのことは容易にやってのける。
「権利次第だ。『閃光』や『拡散』は効果がはっきりと表れるが、『加速』や『挑発』なんてモノは見ただけでは分からない。精々漠然とした情報が関の山、仔細を知るには権利者の口から語らせるくらいしか方法がない」
「実際、私たちも昨夜のAFに『挑発』使われたけど、それが『挑発』だって知ったのはクロに権利が移ってからだよ」
意図して広めなきゃ持ってるかすら分かんないよ、とシロは肩を竦めて見せる。
「だからケイジさん、元同僚に訊かれても黙っててくれ」
言い終えるとクロは真剣な視線をすぐに逸らし、右足を庇いながら立ち上がる。ヒョコヒョコとぎこちない歩きで三峰の方へと歩み寄る。
「クロってさ、意外と臆病なんだよ」
離れていくクロの姿を眺めながら、シロはため息をつく。
「臆病……、あのクロがか?」
ケイジが呆れた声を上げる。臆病な人間は化け物の懐に飛び込んだりしないし、自身の怪我を恐れない行動は選ばない。ケイジの知る臆病とは、こういった類のものだ。
それを余さず伝えると、シロは軽く笑って肯定する。
「そうかもね。じゃ臆病だった、に修正しようかな」
んっ、と伸びと共に息を吐き出し立ち上がる。
「でもケイジは凄いと思う、軸が全くブレてないからね」
唐突に自分へと向けられた言葉と赤茶色の瞳が、ほんの一瞬の間だけ、ケイジの鼓動を速める。平常を取り戻した時にはシロの瞳はこちらに向いておらず、綺麗に編み込まれた白く長い髪を持つ後姿が、ゆっくり遠ざかっていくだけであった。
ケイジは周囲を確認することもせず、懐から手帳を取り出す。
「軸がブレないってなんだよ。もっと分かり易く言えよ」
そしてため息を程々に、熟読し熟知した内容を改めて目に入れ決意を固める。




