Ⅳ-5
頭部に開いた弾痕と傷だらけの外殻を誇示しながら、昨夜ショッピングモールを襲ったAFが道の先に現れる。その背後に八体の成長型AF――昨日より小さいサイズだが――を引き連れて一同の車と対峙する。
AFはシロの『閃光』を恐れて十分に距離を取っている。
それ故に車体と気配を確認することは出来ても、正確な人員の確認は出来ない。
この弾痕のAFが『魔法権利』を持つ相手と対峙するのは、これで四度目である。最初は殺して『魔法権利』を奪い、二度目は追いつめるも逃げられ、三度目は昨夜屋上で圧倒的有利な状況から反攻を受け撤退を強いられた。そして四度目は今である。
つまりこのAFは、普通の人間どころか『魔法権利』を持つ特別な人間にすら決定的な負けを喫してはいない。AFの身体能力と『魔法権利』が引っ張り出す個性が絡み合い、恐るべき強者へと変貌させたのだ。
そして強者となったが故、ここから先に進むことが出来なかった。
第一に彼が率いていた群れの殆どが昨夜シロの『閃光』で焼かれ、耐えた残りも簡単に撃破されてしまった。なので現在彼が率いているAFは即席で掻き集めたモノである。シロの『閃光』に耐えられるほど、成熟した個体はいない。
次に彼は単純な対面勝負の場合、クロに勝てないことを自覚していた。どうにかして分断し、各個撃破と消耗戦に持ち込まなければならない。それは『魔法権利』を使えば可能である。だが使うには射程距離まで近づく必要があり、姿の見えない現状で使えば効果は漠然としたものにしかならない。
それでもここから離れないのは、捕食者としての本能からである。
しかしその本能には、重要なことが刻まれていなかったのだ。
人間の武器は、『魔法権利』だけではない――――と。
ダダッ! ダダダッダダダッ!
耳を劈く重低音が死んだ街に響き、同時に足元にアスファルトの破片が舞う。そして下から上へ、修正された軌道に合わせて二体の成長型AFが外殻ごと撃ち抜かれる。
未成熟な外殻はその圧倒的な暴力に食い千切られ、見るも無惨な残骸を晒していた。
「思った以上のオーバーキルじゃねーか! クロの奴、これを人間相手にぶっ放すつもりだったのかよ!」
ボンネットを伝い足元に散らばった空薬莢を気にもせず、ケイジは一旦銃撃を止め反動を受け止めることが出来るように姿勢を整える。
「来たぞ、三峰! 撃て、撃てッ!」
ケイジは言い終えるとともに銃撃を再開し、それに合わせて三峰もケイジの反対側から身を出し銃撃を始める。
重低音を伴う必殺の弾幕とそれに隠れた乾いた小銃の発砲音――引くには近く進むには遠い。無機質な暴力を全身に浴びながらAFが選んだ行動は、悲鳴にも似た叫び声を上げながらの吶喊であった。
残った六体のAFと昨夜のAFは、間隔を開けつつ狙いを付けさせないように展開し徐々に距離を詰めようとする。しかし果敢に進む六体のAFは、一体また一体とケイジの弾丸に穿たれ、肉塊へと変わっていく。そして三峰の弾丸が外殻を貫けないと知るや否や、生き残りはこれ幸いと狙いを変え三峰に殺到する。
生き残りは二体とその少し後ろに『魔法権利』を持った個体の計三体で、今まさに先の二体が三峰に迫ろうとしている。しかし三峰は引く素振りすら見せず、一歩も動かずに効き目の薄い銃撃を続ける。
そして三峰の頭上に、AFの爪が煌めいたその時――――
「――――最善のタイミングねッ!」
車の陰から飛び出したシロが、『閃光』で焼き払う。至近距離で喰らった二体は消し炭となり呆気なく崩れ落ちる。
「って、最善じゃなかった!」
飛び出したシロの視線が捉えたのは、少し離れた場所で急遽足を止めたあのAFの姿であった。昨夜より遥か近くで『閃光』を浴びたため、外殻を易々と焦がしていたが、致命傷には程遠い。
外殻を焼かれても、その瞳に宿った戦意は衰えることなく、怯えなど微塵も見せない。ただ沸々とした怒りを宿らせたまま、シロを睨みつけている。そして自身を狙う銃口など気にもせず、『魔法権利』を使って攻勢に出ようと体を動かし――――……
次の瞬間には、風切音と共にその体の上半分が消え去った。
小銃の銃弾すら弾き返す外殻を容易く引き千切ってみせたのは、言うまでもなくクロである。攻撃方法は、単純な飛び蹴り――単純ではあるが、一般的な飛び蹴りとは決定的に違う部分が幾つかある。
一つはその方法。
「……ケイジさん、手伝ってくれ」
もう一つは、その威力。
しかし当人はAFの生死を確認すらせず、脛までアスファルトに埋まった右足を引き抜こうと四苦八苦していた。
クロの選んだ攻撃は、実に単純である。
四階建ての雑居ビルから狙いを付けて飛び、そのまま蹴り抜く。ただ付け加える点があるとするなら、落下のスピードを『加速』させて、避ける以前に察することも許さない速度で蹴り抜いた点である。
その一撃必殺を受けたAFは、クロの宣言通りに『魔法権利』を使う間すら与えられずに始末されてしまった。
もっとも、それをやり遂げたクロも無事では済まない。アスファルトから抜き出した右足は見て分かる程度に折れ短くなり、頑丈なブーツから滴る血がブーツの内部を伝える貴重な情報源となっていた。
治療のためブーツを脱がない訳にはいかず、シロの手を借りながらクロは慎重にブーツの紐を外していく。そして紐を外し終え僅かに覗いたクロの右足は、内出血の紫一色に染まっていた。
「――――ッ! ひどっ…………」
その惨状を直視したシロは即座に目を逸らし、抑えきれない衝動を物体として吐き出してしまう。クロも悲鳴は漏らさないものの、目には大粒の涙を溜めている。
「ケイジさん、三峰、どちらでもいいから頼む。手に、力が入らない……」
クロの息は荒くなり、手は震え顔からは血の気が引いていた。
「ま、麻酔とか……、救急箱にモルヒネとか無いんですか?」
「強化型の権利者に麻酔は効かねえぞ。それより俺がやる、いちにのさんで脱がすぞ。いいか、いちにの――――」
「待って!」
ブーツに手を掛け引き剥がそうとしたケイジに、横から制止が飛ぶ。
「麻酔なら私が使える!」
全てを吐き出し終えたシロがクロの頭を胸に抱き、『閃光』で包み込む。数秒、その光を浴びたクロは呼吸を落ち着かせ、血の気は引いてはいたが震えは収まっていた。
「凄いな……」
掛け声を途中で止めたまま、その手も止めていたケイジの後を引き継いでクロが自身でブーツを剥ぎ取り、ジーンズを捲り上げる。シロの体がクロの視界を塞いでいるにも関わらず……いや、塞いでいるからなのかもしれないが、クロの動きに迷いはなく痛みを感じているか如何かすら怪しい。
「これは、――――…………」
露出した右足の怪我の程度を目にした三峰は、言葉を詰まらせる。クロの足は脛辺りでぽっきりと折れ、鍛え上げられた筋肉の上からでも分かるほどに、大きくずれていた。
体の内部から込み上げる吐き気を抑えるために顔を背けた三峰とは違い、ケイジはクロの微かな声を頼りに、再びその凄惨な足に手を掛けていた。
「よしいくぞ、力抜けよ」
そして今度は掛け声を使わず呼吸に伴う弛緩に狙いを付け、それを行った。
「ッ! ――――ッアァッ!」
ケイジはクロの足を引っ張り、ずれた骨を正常に近い位置に戻す。歯ぎしりのような鈍い音に、シロの体の下から押し殺した叫び声が遅れて重なる。しかし右足は赤紫に染まったままだが、顔色は次第に良くなっていた。
「もう二度と、絶対にやらない」
か弱い力でシロの体を押し離し、今回の戦闘における簡潔で切実な感想を口にする。
「当り前よ、クロ!」
そしてその口をシロの唇が塞いだ。責める口調とは裏腹に瞳には怒りではなく安堵が浮かび、薄らと涙を蓄えていた。その涙を拭いながらクロはシロの顔を離し、感謝を口にする。
「心配かけてすまなかった。もう大丈夫、数十分で回復する筈だ」
腕を借りながら立ち上がるクロの隣で、身長差から肩を貸せなかったケイジが驚愕を漏らす。
「回復って……、人間離れしてんのは体力だけじゃねーのかよ」
もし常人がクロと同じ傷を負ったなら、右足どころか命すら失いかねない。それどころか専門の設備と医師を備えた病院の玄関で負傷しても予断を許さない程である。
ならば何故、クロがこうも易々と回復出来たのか。
当然、『魔法権利』が下地にあることに違いはないが、権利者の全員がこれほどの治癒能力を備えている訳ではない。寧ろ発散型の権利者の持つ治癒能力は、一般人のそれに軽く塩胡椒を掛けた程度の違いしかない。強化型は塩胡椒を盛大に振り撒いた程度――つまりはこの段階に達しない限り明確な差は現れないし、それでも比較対象次第では違いが分からない場合すらあり得る。
恒常的な肉体酷使と治癒の反復使用。
クロの身体能力には、二つのスパイスがしっかりと利いていた。
長年続けてきた走り込みは、ただ体力や筋力を培うためだけではない。真の目的は治癒能力の向上である。ただ一つ難点と言えるのは、クロ自身にもその向上具合を知る機会がなかったことである。人間社会の基礎となる平和な日常では、最大限の治癒能力を必要とする事件など滅多に起こらない。シロに絡んでくるチンピラ相手の喧嘩では、指の捻挫がやっとである。
「三峰、知ってるか? こう見えてクロのやつって――――……んあ?」
無邪気にクロの過去を話そうとするが、どうやら場の雰囲気にケイジの無邪気さを受け入れる余裕はなさそうである。やっとの様子で隣に立っていたクロは、眉間に軽く皺を寄せ何かに集中している。当然クロだけではなくシロと三峰も似たような表情を作ってはいたが、その隅々から滲み出る雰囲気にケイジは見覚えがあった。
自身のミスに気付いたが、どうにもそれを言い出せない――そんな雰囲気だ。
「これは……、これはいいもだな」
クロはケイジの腕から離れ、右足を引き摺りながら歩く。足の具合を確かめるにしては意識の向きが妙であり、どちらかと言えば太陽の光を浴びに出てきた梅雨明けの野良猫のような動きであった。
「あっ!」
その様子から一番に察したのは、三人の中で最も知識を蓄えていたシロであった。
「クロ、上手くいったんだ」
クロを眺めるシロは嬉しさと寂しさの入り混じった切ない表情をしていた。そしてシロの言葉に応えるように、クロは控えめで爽やかな笑顔とサムズアップ。
今まで無表情を貫いていたクロが、爽やかな笑顔。
万全でない足のことなど微塵も気にしない、呑気なサムズアップ。
それらの仕草が、シロだけでなくケイジと三峰の表情も凍らせ、そして各々が見てはいけないモノを見てしまった時のように、言葉もなくゆっくりとクロから目を逸らす。
その反応を受け、クロは再び無表情に塗り替える。そして咳払いを挟み、少し恥ずかしそうに呟く。
「冗談だ、気にするな」
ただ彼らに迫る状況は、冗談では済みそうにはなかった。