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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第一章:彼と彼女らの馴れ初め
16/119

Ⅳ-2


 朝日の届かない薄暗い階段を、クロと三峰は並んで歩く。


 二人の手にはそれぞれ一つ、小さな箱が握られている。三峰はずっしりとした重量感を訝しむも、クロは中身を伏せたまま明かさない。


「これは保険だ」


 いつも通りの短い説明に慣れてきた三峰は、それ以上を尋ねることはしなかった。三峰自身も『魔法権利』を得たことで、以前とは違う感覚で満たされている。クロの口数の少ない理由の一端を、無意識の内にその所為だ察していた。


 しかしクロの興味は持ってきた箱ではなく、専ら別のモノに集中していた。


「あのAFは、確実に仕留める必要がある」


 クロは昨夜、屋上を襲ったAFの生死を確かめに表に出た。そして落下した車、その周囲を見回して確信した。


「あのAFは生きている」


 仲間を囮に分断と奇襲を易々と行う狡猾さと手際の良さ、車と共に落下しても逃げ延びる生命力、そして行動を制限する『魔法権利』を持つ敵を残しておくことは、必ず脅威になる。


「確かに、あいつは普通のAFとは明らかに動きが違った気がします」


 三峰もAFに掴まれた首に手を当て、その感触とともに襲撃の時のことを思い出す。





 銃痕のAFは、クロがモール内に消えてすぐにやってきた。スロープに築いたバリケードを易々と乗り越え、屋上に侵入したのだ。


 モール内で溢れるAFの気配に隠れて進攻したAFの姿に、屋上の誰もが息を飲んだ。AFがこちらの裏を掻いて、直接本陣に乗り込むとは考えもしなかったのだ。


 だが、いざ姿を見せてからの対応は早かった。


 座り込んでいたシロは即座に立ち上がり、『閃光』を右手に集約させ臨戦態勢を整えるが、弾痕のAFが握っているモノを見て、頬を引き攣らせる。


 AFの手にあるのは自転車――それも持てる限りの数を握っている。


「――――ちょ、ちょっと!」


 シロに向けて、それを無造作に投げつける。


 降り注ぐ自転車から逃げる隙も与えられずに、AFの不意打ちがシロを襲う。溜め込んだ『閃光』を解放することなく、シロはアルミの雨を受け、気を失う。




 あの時のAFを思い出し、三峰は背中に嫌な汗が湧き出すのを感じる。


 その感情が恐怖だと、三峰は意図せずに知る。


 今まで遭遇したAFは恐怖より先に嫌悪感が湧き、恐怖を感じるより早くクロとシロが始末してきた。


 三峰がAFに対し恐怖したのは、あの時が初めてで――その対象は、クロとシロを一蹴している。


(自分も力になりたいが、……なれるのだろうか?)


 三峰は漠然と手の平で『拡散』を発動させるが、何も起こらない。芽生えた恐怖心は消えず、苦悩も消えはしなかった。


「――――、――――ッ!!」


 だが苦悩だけは、屋上から聞こえる怒声によって掻き消された。


 クロは表情こそ変えないが、発散する雰囲気が一気に険悪なものに塗り替わる。その様変わりの早さに三峰は苦笑を浮かべつつ、屋上への足を速めた。





 この数時間でかなりの回数、クロは屋上の入り口から広がる景色を眺め、その度に問題解決のために尽力してきた。だが基本的に人付き合いが得意でないクロの頭には、眼前の問題を綺麗に解決出来る妙案は浮かんでこなかった。大きく息を吸って吐くが、現実は全く変わらない。



 屋上では、いい年した大人三人が茶山一人に罵声を浴びせていた。



 その光景は、ある意味AFより醜悪で、とても見ていられないものであった。


「難民キャンプやスラム街で、たまにあるんですよ。どうしようもない理不尽な恐怖に遭遇した人々が、そのストレスを紛らわすために攻撃的になり、自分より弱い相手を攻撃する。……まさに、あんな風に」


 足を止めたまま肩を竦める三峰をクロは不思議そうに眺め、クロの視線に気付いた三峰はクロと向き合う。


「どうかしましたか?」

「お前なら率先して止めに入ると思ったんだが、違うのか」


 そういってクロは視線は茶山と大人たちに戻る。三峰も視線を戻し、止めに入らない理由を口にする。


「俺にも、あの人たちの気持ちは分かります。きっと平時なら、彼らも少年相手に罵声を浴びせることはないでしょう。ですが彼らは未知の恐怖に曝され、茶山少年は未知の力を持っていた。彼らは少年の力を頼って集まり、受け入れられた。なのに受け入れた少年は力を持つ者の責任を果たし切れなかった」


 三峰は、再びクロに視線を合わせる。


「俺は、見たくなかった……。普通の人間がこうも簡単に捻じ曲がってしまう様を見たくなかった……」

「俺に言われても困る。捻じ曲げたのは俺ではないし、付いてきたのはお前の選択だ」


 三峰の心の叫びをクロは飄々と流し、茶山と大人たちの方へと近づいていく。三峰も止めた足を動かし、クロの後を追っていった。




 茶山を責めていた大人たちは皆四十代で、ジーンズにシャツといった休日の父親のような出で立ちであった。そしてクロが近づいてくることに気付くと、怒りを宿した瞳に若干の恐怖と後ろめたさを混じらせる。


 どうやらこの大人たちは、自分たちの行動の愚かさを自覚しているらしい。


 それ故に得体を知れないクロから浴びせられる非難を恐れ、クロの無表情が意図せず恐怖を『加速』させる。


「茶山、考えは変わらないか?」


 だがクロは大人たちを無視し、茶山に声を掛ける。声を掛けられた茶山は、ピクッと肩を揺らす。どうやら答えに窮しているらしく、クロと大人たちを見比べたまま口をパクパクと動かしていた。


「俺たちは二時間後にここを出る。その時に再び返事を聞く」

「…………分かったよ、お兄さん」


 謎の圧力を発するクロに怯んでいた大人たちは、茶山の言葉で正気に返る。


「ちょっと待て! 俺たちがこのガキと話してる最中に割り込んでくるんじゃない!」

「そもそもお前たちは何なんだよ! あの化け物を連れてきたのも、お前たちじゃないのか、ああ?」


 そして怒りの矛先を向けられても尚、クロの表情はピクリとも動かない。


「お前たちの言う通り、あの化け物は俺たちを追ってきた。そして、また今夜にでも戻ってくる筈だ」


 無表情のまま、口周りの筋肉だけが動く。相手の恐怖を煽る。その淡々とした口調と膨れ上がった自らの恐怖によって、大人たちの背筋が凍り付く。


「故に俺たちはここから逃げ出す。その出立に、茶山も連れて行こうと考えている」


 茶山は気まずそうに大人たちから視線を逸らせ、大人たちは焦りを口にする。どれだけ罵声を浴びせようと、茶山の持つ未知の力でショッピングモールの無事が保たれていたという自覚はあったのだ。


 自分たちの命の保障――その最後の防衛線として役割を果たしてきた茶山を、横からクロが掻っ攫おうとしている。大人たちには、そう見えてしまっていた。


「ちょ、ちょっと待て、取り残された俺たちはどうすればいいんだよ!」

「俺に聞くな」

「また化け物が襲ってきたら……、あ、ああああああああああ」


 悲痛の叫びをあげる一人に、珍しくクロの表情の一部が崩れる。目じりをヒクつかせ、苛立ちを露わにしていた。シロが見たら驚きで目を丸くしたかもしれないが、シロとケイジは騒動に我関せず――ベンチで爆睡中であった。


「俺たちや茶山に、お前たちを守る義務はない」


 クロの無情な言葉に押された大人たちは、それならば……と三峰に目を向ける。


「任務には優先順位があります。俺の任務の内容はクロさんとシロさんに同行することであり、それは何よりも優先されます」


 三峰も毅然とした口調で突き放し、大人たちを更に追いつめる。自分たちより遥か年下の者に良いように言われる不満と、全く先の見えない生活に放り込まれた不安が大人たちを焦らせる。


「な、なら俺たちも連れて行ってくれ! 安全な場所まででいい、頼む!」


 焦りながらも思い浮かんだ妙案に顔を輝かせる一人を、クロは元のような無表情で再び絶望へと突き落す。


「メリットは――――」

「……え?」

「お前を連れていくメリットはあるのか?」


 目を見開き口惜しさで喋れなくなる大人たちに、クロは短く「もういい」と告げ立ち去ろうとする。その背後で大人たちは再び喚き始め、勢いは次第に増していく。


「シロが寝てるんだ、静かに――――」


 辟易しながらも律儀に足を止め振り返るクロの背後に、ぬっと影が立ち上がる。朝日を背に受けて広がるその影に圧倒され、クロは動けなくなる。


「うるせーぞ、お前ら……」


 影の主は、ケイジであった。怠そうな声の底に沸々と怒りを滾らせ、その長躯から全員を見下ろしている。頭をポリポリと掻きながら、大きな欠伸をする。


「あの化け物は、頭がいいんだぜ」


 お前たちは知らないだろうが、と付け加えながらクロの肩をガッと掴んで固定する。


「俺たちを追ってきた化け物は、俺たちが出ていけば俺たちを追ってくる。奴らはクロや茶山が持つ不思議な力を察することが出来る。つまり茶山を連れて行こうとするのは、ここが襲われる可能性を少しでも下げようとするクロの善意だ」


 いつの間にかケイジの口調から怒りは消え、諭す――悪く言うなら誘導する――ような口調へと変わっていた。だがちょっと違和感とその原因に気付いたクロは、ケイジにだけ聞こえる声量で呟く。


「ケイジさん、あんたずっと起きてたのか」


 ケイジが使った言い回しは、クロと三峰が屋上に来た時に、二人に向けて大人たちが口にした罵声の一部であった。


 ケイジは何も答えず、正面を向いたまま話し続ける。


「更に加えるなら、連れていけないのも事実だ。仮に俺たちに付いてきたとして、その先の安全は保障しないし、有事の際には足手纏いは真っ先に見捨てられる。俺とそこの三峰はそれでも構わないから、と同行している。そしてクロとシロは――――お互い以外は、それこそ路傍の小石と同じだ。形や色が気に入ったら拾って大切にするが、もしそうでなければ……、分かるだろ?」


 大人たちは次第に冷静になっていく。いや、冷静と言うよりは視野を狭められただけなのかもしれない。酷い言い草だと嫌な顔をするクロも目に入っていない。


「今一度言うが、あの化け物はかなり頭がいい。無事だった奴らを連れて進むには、必ず車を分乗しなければならない。道中で襲われたなら、まず間違いなく分断しようとする。そして分断後に化け物が殺到するのは戦えない奴が乗っている車だ」


 ケイジはクロの言葉を善意に変換する解釈――つまり飴と、化け物の恐怖を募らせる煽りという鞭を巧みに使い分け、誘導している。そしてその最終段階として、クロにだけ聞こえる声量で囁いた。


「クロ、痛がれ。大袈裟じゃない程度でな」


 そういって掴んだ肩に力を籠める。ケイジの長く太い指が肩から首寄り――まさに鎖骨辺りに、ちょうど人間離れした治癒力が繋ぎ終えた部分に食い込む。演技とは微塵も関係なく、クロの顔が一瞬だけ本気の苦痛に歪む。


「昨夜の襲撃で、俺たちの中で一番強いクロは負けて死ぬ所だった。俺の機転のおかげで間一髪で助かったが、再戦したらまず勝てない。相手の化け物は熊のような体格だ。普通の人間なら殴られただけで即死だし、徹底的に近接戦闘技術を仕込まれ、人間やめてるクロですら肋骨を数本持っていかれる有様だ」


「折れたのは右の鎖骨だけだ」――ケイジの指が食い込むのも、右の鎖骨だった。


 クロは無表情を保ちつつも脂汗を浮かべながら訂正を加える。治癒を全て回して接合した鎖骨が悲鳴を上げる。安眠を邪魔された仕返しなのかもしれない――とクロは背後に立つケイジの仕返しに、内心恐怖する。


 そもそも常識的に考えれば、肋骨や鎖骨が折れた人間が歩き回れる筈もないのだが、大人たちはそれに気づかない。折れていたとしてもクロの治癒力ならば問題なく、現に歩けている。だがクロの常識外の力を知らない大人たちがそれに気づいたら、ケイジの言葉の信憑性は一気に失われていただろう。


「……つまり俺たちは、ここにいた方が安全なのか?」


 どこにいても同じだ、と出掛った言葉をクロは飲み込む。政府や諸国はAFを逃さない。アフリカという広大な大陸で培った犠牲のノウハウは、遠い九州の地でも活かされるに違いない。しかし今、それを敢てここで公言する必要はない。言わなくていいことは、当然言わない方がいいのだ。


「おい、三峰。いまアレ持ってるか?」


 突然に声を掛けられた三峰は、ケイジのジェスチャーにハッとしてアレを取り出す。ケイジは右手の親指と小指を立てて残りの指を折り曲げ、そして立てた指を丁度耳と口に当たるように持ってきていた。一言で表すなら、電話を掛ける時の仕草である。


 通信機を取り出した三峰に、”それを寄越せ”と手招きするケイジ。


「すぐ終わるから、頼むよ」


 三峰は嫌な顔をするが、切実さを前面に頼み込むケイジの熱意に負け、通信機を投げて寄越す。ケイジはそれを受け取るとすぐにクロから手を離し、黙ったまま流される一同を置いて声の届かない場所まで行ってしまった。


 封鎖を成功させる(かなめ)は、情報の処置に掛かっている。”外に漏らさず内に与えず”は初歩の初歩――強引で乱暴で非道で非営利的な選択であっても、必要なら躊躇はしない。それがここ二十年の間に培った世界の頭脳の基本理念である。


 故に庶民に普及する通信機器は、九州に於いては全てその機能を失っている。当然ケイジや大人たちの持つそれらも例外ではなく、クロに至っては持っているのかすら怪しい。唯一の例外は三峰の持つ軍用通信機であり、三峰ですら忘れていた定時連絡用の通信機である。


 沈黙を伴った重苦しい雰囲気に、誰一人として動けずにケイジが戻ってくるのを待つ。


 ただ、クロだけは視線に合わせて体を動かし、シロの様子を窺う。生憎シロはケイジと違って微塵も目覚める素振りも見せず、硬く寝辛い筈のベンチで爆睡していた。


「……膝枕も腕枕も必要ないな」


 クロは誰にも聞こえないように呟き、その虚しさから逃げるように視線を逸らす。




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