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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第三章:許されざる者
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Ⅱ-10



「彼女は死にました」


 何と答えるか少しだけ悩み、申し訳なさそうな表情を浮かべたティムはすぐに開き直ってそう告げた。死にましたが、何か問題でもありますか? と言いたげな態度に、クロは短く「そうか」と返す。


「……キミは、思ったより淡泊なんですね」


 何か言い返してくるだろうと予想していたのか、ティムはあっさりとしたクロの返答に眉根を寄せる。普通なら「死にました」に「そうですか」で終わりはしない。それに至ったまでの過程を尋ね、時には仕方ないと納得し、時には相手を糾弾するモノだ。


 世間は怒らない人間を理性的だと褒めるが、ティムにしてみれば喜怒哀楽の中で怒りは最もその人の本質を曝け出す感情であり、怒りを示さない人間は生物としての底が浅く、軽蔑すべき対象であるのだ。


「淡泊? 今ここで怒りを曝け出せば、死んだ人間が戻ってくるのか? 来ない。どれだけ手を尽くしても、死んだ人間は取り返せない。今の俺は自分の身を自分で守れないラスコーは死んでも仕方ないと割り切っている。あの時も、死ぬ可能性は充分に考慮してお前と行かせた。ならば俺の怒りは、他者に向けられるのではなく、それを判断した俺に向けられるべきで……」


 早口でクロはそう言い切ると、ティムの表情を備に観察しながら残りを吐き捨てる。


「……そうなると、無意味な遣り取りに拍車が掛かる。俺は自分に怒るような無駄なことはしない。ただ今回を教訓とし、次に活かすだけだ」


 ティムはやや表情を曇らせ、クロを睨む。


「キミは……、以前とは別人みたいです。執着が薄い。満州でニキを追っていた時とは、掛ける熱意が違いすぎます。それでは普通の執行官です。僕の期待していた人柄とは……僕の欲しいキミとは程遠い!」


 ティムが声を張り上げ、離れていた紅緒とソニアの注意がこちらに移る。紅緒は雰囲気こそ正常を保っているが、翅を収納していないことから即応態勢を崩していないと分かる。ソニアも空気の変化を繊細に読み取り、クロと紅緒に警戒を強めている。ティムが語気を強めるには、相応の理由があると信頼しているのだろう。


 当然ここでティムやソニアと戦う気のないクロは、自分の擁護――もといティムが何を気に食わないのかを知ろうとする。知らぬ間に妙な期待を掛けられ、裏切り、逆恨みされても困るのだ。


「……いえ、僕が早とちりをしただけでキミは悪くありません。ラスコーも生きています。地上の部屋に押し込んできたので、好きに回収してください」

「…………」

「僕はキミを試しました。同志になれると期待していたからで、それが無理だと分かった今、キミと僕はただの執行官の同僚です。何か、不満はありますか?」


 悪びれもせずそう言ったティムに、クロは短く「いいや」と答えて首を振る。執着が薄いとティムに言われたが、そもそもティムの第一声からクロは何か後ろめたい隠し事に勘付いていた。どれがその隠し事なのかと慎重に待った結果が、淡泊だと非難され、挙句に失望されるとは思いもしなかった。


 意表を突かれて失望されはしたが、代わりに次に活かせる要素も得た。


「不満はない。敵対する意思も、必要も。違うか?」


 クロは二度とティムに知人を預けないだろう。戦闘に巻き込まれて死んだなら、それはラスコーが自身を守れなかっただけだ。偶然の事故で死んだなら、そんな星の元に生まれた自身を呪うしかなくクロは関知しない。そしてティムに殺されたなら、それだけの確執を秘めているティムに相応の警戒心を抱くだけで、ラスコーには悪いが成仏して貰うしかない。


 だが、嘘はダメだ。


 許す許せない、そんなチャチな話ではなく、一度でも本気の――冗談で済まされない――嘘を吐かれると相手を信じられなくなるのだ。背中を預けて戦う可能性を潜在的に持つ同僚にそれをされると、次は何時同じことをされるのかと警戒を続けて緩めることも出来ず、関係と連携がギクシャクして互いに不信感が募るのだ。


 ティムが何を目的とした同志を集め、クロの何を試したのか。それはクロにも分からないし、好んで探りを入れることもない。同志に成れないと言われ、端から加わる意思もないクロが探りをいれると警戒と言う火種が生まれ、敵対と言う大火まで発展しかねない。クロも人のことは言えないが、ティムとソニアの頭のネジは数本飛んでいる。もう一人の仲間、クラゲのジェノに自浄効果を期待できない以上、燃え易い藁束(ティムとソニア)に火を近づけるだけでも不安要素だ。


 故に執行官としての立場でしか接しない。


 それに対しては、何の不満もないのだ。


「俺と紅緒は、住宅地方面のAFを始末してから戻る」

「その必要はないと思います。寧ろ行かない方が良いです。現地軍が何時も友好的とは限りませんし、何よりこの森は危険です。僕たちは日の高い内に森を抜けます。僕やジェノが居れば、通っても迷うこともないでしょうし」

「迷う? この森は迷うのか? 俺は随分とあっさり辿り着いたが……」


 ティムの言葉にクロは首を傾げる。確かに直線距離を進むと仮定して算出した時間を大幅に越えはしたが、それはAFとの戦闘や大蛇と睨み合いを挟んだ結果だ。暗いからと言って道を見失いはしなかった。


「ええ。常人なら同じ所をぐるぐると回ります。AFでも抜けられません。安全に通るには権利者の……魔力? と言いますか、そのようなモノで強引に捻じ伏せながら進むしかありません。キミが来る時にそうしたように、です」


 それが索敵を指しているとクロは気付く。


 森の張り巡らせていない住宅地側にはオーストラリア軍の監視が付いているとティムは続ける。AFを住宅地方面から逃さないように、住宅地方面からの侵入者を許さないようにする為だ。AFと遭遇して早二十年、AFの脅威を和らげる対処法が立案され日本軍が実行したように、住宅地方面のAFを掃討して、研究所や敵勢力を制圧するのも容易い。


「ところが安易に軍を動かせないのも確かなんです。この国には同調者(シンパ)が沢山います。政治家連中はそんな屑共にも配慮しなければならず、かといって対策を打たない訳にもいかない」

「それで、TPTOに泣きついて俺たち執行官を寄越したのか」

「そうですね。あとは上層部の誰かが障害排除の旨を伝えて、外部者の第三者を交えて制圧、証拠を確保した後にシンパを一網打尽にするという筋書きです」


 そんな筋書きに大した興味を感じないクロはティムの言葉を右から左に聞き流し、外に広がる森を想像する。迷いの森と言ってしまうのは簡単だが、その原因は電波を遮断する何かと衛星の監視を無意味にする樹冠だ。光を遮られ目印の無い道を歩くと多くの人はノイローゼに掛かると言われるが、人を襲う化け物――AFが潜んでいるかもしれないと緊張を続ければ更にそれだけ精神は擦り減り、疲労と負担は相乗効果により増していく。


 鍛え抜いた軍隊でも、それは例外ではない。


 それを軽減させる目印は権利者の放つ魔力――クロが用いた索敵と呼ばれる技術だ。


「そういえば、さっきの奴らの中には権利者はいなかった。他の奴らも妙に頑丈だったが、アレは『魔法権利』の身体強化の一環と考えていいのか?」

「奴らに付随した権利者は二人とも僕が消しましたが……、アレとは?」


 首を捻るティムを見て、クロはティムの『魔法権利』を思い出す。AFを外殻ごと爆ぜ飛ばすあの破壊力から考えるに、敵の頑丈さなど知る由もないのだろう。


 クロはそう思いティムに丈夫な敵の一部始終を伝える。


 裏の顔をTPTOの執行官とするティモシー久世、その表の職業は戦場カメラマンである。検索エンジンで"戦場カメラマン"の単語で調べれば必ずトップページに表れるほどに名も知られている。その写真は現代社会に――戦争反対、戦争賛美のどちらの陣営にも――多大な影響を与え、ピュリッツァー賞の候補にも毎年ノミネートされている。実際に幾つもの受賞歴もあり、連なる経歴がティムの腕の高さを保証していた。


 ティムの写真は必ず戦場を背景にして、それはそのまま戦場を渡り歩いた証明になる。そして写真が世に出るのはティムが生き残っているからであり、権利者が跋扈する戦場で生き残れるのはそれだけの実力と経験を有しているとも言える。


「それは『感染』の……いえ、ですが……」


 クロの話から一つの『魔法権利』に辿り着いたティムだが、目に見えて歯切れが悪くなる。ローザが有り得ないと笑い飛ばしたように、ティムもローザと似たような――いや、恐らく同じ相手に辿り着いたのだとクロは察する。


 そこから芋蔓式に……、など楽観を口にしなくて正解だった。


「『感染』は、誰が持っている?」


 クロがそう尋ねると案の定ティムは苦い顔をする。そして「聞いたら、引き返せませんよ?」と前置きをして、その権利者を口にする。


「『感染』は、皇帝の『魔法権利』です」


 皇帝――と現代社会では採用されない社会構造の長の名を聞いたクロは、帝政を採用している国家を即座に思い浮かべる。一党独裁で運営されている国家は数あれど、明確に帝政を採用している国家は一つしかない。


「誰も請け負わずに取り残された任務でいいなら丁度いいのがあります。ですが、TPTOが……執行官が手を出すには、あの国は少し遠すぎます」


 ロシアとEU、トルコに囲まれたその土地は、ティムの言う通り遠く遠く、あまりに遠すぎて係わることもない異国であった。






 ティム達と別れたクロと紅緒はラスコーの捜索を始め、早々にその隠れ場所を発見する。誰が来るのかとガタガタと震えた表情で扉を見つめていたラスコーは、クロの姿を見て部屋の隅まで後退る。捨てられた子犬のような――いや、まさにティムに置き去りにされていたのだが――瞳の中身は、警戒心と恐怖が折半していた。


「…………」


 クロはその姿を見て辟易し、紅緒は珍しくイラついたように言葉を投げる。


「来ないなら置いていくの」


 それでもラスコーは警戒心を解かず、「置いて行ったくせに!」と非難の言葉を口にする。紅緒はクロの手を引いてラスコーが籠る部屋の入り口から立ち去ろうとする。


「……紅緒、何を苛立っている?」


 クロは動くつもりはなく、紅緒は逆に手を引かれる形になり体勢を崩す。紅緒は一瞬表情を強め、結んだ口元から溜息が抜けるのに合わせていつもの顔に戻る。


「私には、今のご主人が何をしたいのか分からないの」


 紅緒はそう呟くと、手にした『ダネル NTW-20 BS』を落とす。


「私を連れて外に出た時は、ご主人には目的があったの。シロを助ける為だって言いながら戦って戦って、ご主人の命と釣り合った目的に命を燃やしていたの。でも、今はどうなの……? 言われるままに戦い、何かを言われても自分の意見をぶつけずに受け入れるだけなの! ティムと言い合ってたのが聞こえたの。淡泊だ、執着が薄い、普通だ、そんな侮蔑を投げられて何故黙ってるの? 悟ったような定型句で返す必要なんてないの! 怒鳴り返せばいいの! それが出来ないならロボットと同じなの! 操り人形なの!」


 涙が溢れ出した双眸を紅緒は押さえ、その代わりに口を開き叫ぶ。


「私は、何か目的を持って戦って欲しいの! ご主人がこれから死に掛けた時、俺は……なんで死に掛けてるんだ……? なんて思って欲しくないの! 気に入らない奴を皆殺しにする。気に入った女を全員孕ませて手元に置く。自分の強さの限界を知る為に戦い続ける。なんでもいいの。私はご主人の隣で戦うのが楽しいの。好きなの。でも、即席で、薄っぺらい人間は嫌なの。なんでもいいから……、自分を持って欲しいの……」


 紅緒は両膝を付き、背中を揺らしながら囁く。


「私はどんなご主人でも……一緒に行くの……」、





 クロは紅緒の咽び泣きを聞きながら、きっと今、自分が苦虫を噛み潰したような顔をしているだろうなと客観的に考える。


 紅緒の指摘は、絶えずクロの中で渦巻いていた不安の代弁とも言えた。


 今まで意思決定をシロと折半――酷い時にはシロに全てを委ねていたツケが回ってきたのだとクロは考えていたが、それは思った以上に深刻な問題だと紅緒に指摘されてしまった。だが「どうする?」と訊かれて「こうする」と即答出来るなら、そもそも迷いもしないのだ。


 気に入らない奴を皆殺しにする? クロは自分はそんな歪んではいないと信じているし、衝動で動くことも滅多にないとも自負している。


 気に入った女を全員孕ませて手元に置く? 好色以前の問題で倫理観に欠ける。この世で倫理観ほど当てにならない価値観はないが、それでも流石に節操がないのは自分には合わないとクロは知っている。


 自分の強さの限界を知る為に戦い続ける? そもそもクロにとって戦いとは手段であり決して目的にはなり得ない。戦いを楽しむことはあっても、楽しむ為に戦いを挑んだ経験はない……筈だ。


 クロはラスコーに目を向ける。


 ラスコーの態度は紅緒との遣り取りを聞き、少しだけ軟化しているようであった。


 この魔道士を自称する女は自分を現実主義者と称して自分の命と理想を最優先にするとクロの前で宣言した。ラスコーの理想がどういったモノなのかを知る由もないが、敵を前に宣言出来るほどにはしっかりと未来図が組み上がっているのだろう。そうでなければ異邦人しか存在しない地で自我を保つのは相当難しい筈だ。


「なるほど」


 クロはふと、自分が抑え込んでいた幼少の頃の夢を思い出す。


 それは執行官の性質と上手く噛み合い、誰からも後ろ指を指されることのない立派な目標と言える。


「紅緒、顔を上げろ」


 シロの元に戻るまでの一年半、クロは――――。


「うん、それでいいの」


 紅緒の顔に笑顔が戻り、クロは黙って頷き返す。


「世界は広いの。きっと一生掛けて回っても、見飽きることはないの」

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