Ⅱ-7
クロは武器保管庫兼地下への入り口に辿り着くと、その中から手頃な小銃を選び出す。繋ぎ止めていた鎖を千切り小銃を手に入れると、それと合う弾倉を探し出す。手にした小銃――『FN F2000』とラベリングされた箇所から無造作に弾倉を数本掴むと、手早く5.56mmNATO弾を装填する。そして使わずにいたコートの収納スペースにそれらを突っ込んだ。
他にも何か持っていこうか見渡すが、必要なモノは特になさそうであった。残っているのは他の自動小銃と散弾銃――両手は既に『FN F2000』と<安全地帯>で埋まり、手榴弾と予備の拳銃は持参していてる。防護服やガスマスクは、そもそも毒が効き難いクロには必要ない。暗視ゴーグルは欲しいが、欲しいモノに限って置いていないのは、お約束なのかもしれない。
クロは右肩に『FN F2000』のベルトを掛け、<安全地帯>を左手に持ち替える。
「これでいいか」
紅緒は銃火器を使う時、いつも威力と銃身の長さを重視する。そして弾詰まりを嫌い自動小銃や自動拳銃は極力避け、その戦闘スタイルから専ら対物狙撃銃と散弾銃を好んで使っている。『バレットM82』や『ダネル NTW-20 BS』(12.7mm NATO弾仕様)、『フランキ・SPAS12』――余程のことが無ければ、その拘りは曲げようとしない。
そしてクロに拘りを押し付けようと躍起になり、軽くあしらわれ、その度口をへの字に曲げるのだ。
クロとしても、別に銃火器に拘りがない訳ではない。紅緒ほど一つの銃に固執はしていないが、選ぶ基準は存在する。一つは取り回しの良さで、もう一つは頑丈さだ。クロの選んだ『FN F2000』はブルパップ方式のアサルトライフルで、銃身の余計な部分を削っているだけに短く、左右どちらの手でも撃てる利点もある。頑丈かどうかは分からないが、角ばったこれがそう簡単に壊れることもないだろう。
取り回しと頑丈さ――自分の身体と同じだとクロは苦笑する。
クロは神経を研ぎ澄ませ、地下に続く階段を音を立てないように降りていく。
地下は暗いが、いつぞや訪れた地下鉄の廃路線のように真っ暗ではない。随所に緑の非常灯が随所に設置され、薄暗くだだっ広い空間を照らしている。昔に見た高級マンションの地下駐車場を思い出す。ただここには車は止まっておらず、机や椅子が雑多に並べられているだけだ。
クロは夜目が利く。常人よりも頭が良く、耳が良く、当然鼻も良い。
「…………」
他人が躓きながら歩かなければならない障害物の山も、慎重に躱しながら、尚且つ素早く避けて進むことが可能だ。それが出来ない相手に気付かれることなく接近出来るのは、何よりの強みである。
クロは机の影に身を隠す。
こちらに近づいてくる足音を感知したのだ。相手は一人、敵かどうかは分からない。呼吸は常人より早く、足音からも余裕がないのが分かる。恐らくティムやラスコーではないだろう。二人とは歩幅も靴音も違う。途中で靴を履きかえていなければ、の前提が必要だが。
ならば考えられるのは、紅緒が裏手で見かけた"良くない感じ"かティムの仲間だと消去法でクロは断定する。
「…………」
恐らく、後者であろうとクロは当たりを付ける。
紅緒は有能だ。他の役割を請け負っていながらも、必要なことは逃さない。そして自分の特性を理解して立ち回り、他人を活かせる場所の確保も怠らない。他者の助力に努めるのは自身への諦観の念からかと紅緒と組んだ当初のクロは考えていたが、今となってはそれこそが紅緒の性なのだとクロは理解している。
具体的に挙げるなら、紅緒はティムの仲間の特徴を聞き出していたのだ。
恐らくティムを運んだ数秒の間に尋ねたのだろう。クロに与えた特徴は酷く短く不鮮明だ。名前は無し。身体的特徴のみ……だが、そもそも特徴になるのかすら怪しい。
髭の生えた女と、クラゲ。
髭の女は兎も角、クラゲは何かの隠喩ではないのかとクロは勘繰ったが、それを尋ねるべきティムとは連絡が取れない。ラスコーが一緒にいるのならば取り付けたブレスレッドの発信機を辿ればいいと安易に考えていたが、ここは妨害電波らしき何かが満ちているらしく意味を成さなかった。
それにしても、クラゲは例えにしても酷過ぎる。駄肉を蓄えた人間は、当たり前だが縦ではなく横に広がっていく。その最終形をクラゲと称するなら、そう名付けた人の性根を疑わざるを得ない。
「…………」
足音の主がクロに気付かず真横を通り過ぎる。女性特有の線の細さはまじまじと見るまでもなく明らかで、ボロボロの薄着を纏っていることから来訪者でないことも分かる。
そしてこの距離なら、例えどんな相手であろうとクロが先手を打てる。
「待て」
故に短く静かに、声を掛けた。
「――――ッ!!」
女性は咄嗟に振り返り薄暗い辺りを見回す。腰を落として警戒を顕わにしていたが灯台下暗し、すぐ傍にいるクロには気付いていない。
「誰っ! 出て来い」
女性の声は、想像よりずっと高く澄んでいた。勝手ではあるが"髭の女"と称されるだけあって男性ホルモン過多な筋骨隆々、薄らと髭の生えた女性をイメージしていたクロは、囚われたティムの仲間がこんな女性だと知り少しだけ裏切られた気分で沈む。
「待て、と言った。俺はここにいる」
クロは立ち上がり、その代わりに髭の女が尻餅を付く。突然目の前に現れたクロに驚いたのだ。
女性は立ち上がる前に目を擦り、薄暗い中でクロの姿をはっきりと認識しようとする。
「そのコート、……まさか執行官?」
「そうだ」
クロは短く答え、髭の女を起こそうと手を伸ばす。
「私に触らないで、危ないから」
けれど髭の女はクロの手を拒否して自力で立ち上がる。存分に非常灯を浴びる位置に戻り、クロは何故ティムが"髭の女"と表現したのかを理解する。
「髭は、そっちの髭か……」
「ティム? 知らない人に説明する時、あいつは絶対に髭のことを言うの」
ムスッとした顔でそう吐き出した後、髭がぴくぴくと揺れる。
「私はソニア。ソニア・ヴァロア。執行官じゃないけど、ティムの同志」
ソニアの顔に付いていたのは人間的な髭ではなく、所謂動物――更に言うなら猫の髭と大変よく似た髭であった。頬の辺りから人差し指程度の長さが左右に三本ずつ伸び、フードの下には切り揃えられた前髪と好奇心が強そうなまん丸な瞳が輝いている。活発そうな印象と合わせて猫のように見えなくもない。年頃は二十過ぎだろうか。少女のような好奇心だけでなく、歳を重ねることで身に付く余裕や落ち着きも彼女からは感じ取れる。
「俺はクロ。新米の執行官だ」
クロも簡単な自己紹介をするが、握手の手は差し出さない。ソニアは分かってるねと言いたげに頷き、そしてハッと目を見開く。
「あなた、ガスマスク取ってきなさい」
「誰が使うんだ?」
「あなたが使うの! 私の『保菌』に抗体のないあなたじゃ……って唾飛ばしながら会話してると、どの道手遅れね」
「…………そうか、毒か。次からは先に言ってくれ」
クロは少し考えて、ソニアを手招きする。現在ソニアが立っているのは、机や椅子といった障害物の乏しい通路だ。そこに立たせたままでは、色々と不都合が生まれる。
「顔を出すな。奴らに見つかるぞ」
バタバタと地下に足音が響く。数に頼った進攻の仕方だ。
「下に降りているな……。ソニア、ティムとは出会ったか?」
「ティムは下に。多分最下層にいるジェノ君を拾いに行ったと思うの」
ソニアは、何故自分がこの研究施設の地下に幽閉されていたかをクロに話す。
ここではAFの研究――更に言うなら、『魔法権利』がAFに及ぼす影響を調べ、AFをより実戦向きな兵器に改良する研究を行っていた。AFの謎は深い。寄生の正確なメカニズムも、寄生型から強化型への変態過程も、どのようにして個体を増やすのかも分かっていない。ここではAFが環境から受ける影響を調べていたが、極秘研究に多彩な劇薬や細菌が費やせる筈なく、研究は難航していた。そこに『保菌』の『魔法権利』を持つソニアの情報が舞い込み、実働部隊で拉致――そして研究に利用していたのだ。
「当然、上手く行く筈がないのよ」
研究の前段階として、彼女の自由意思を奪う為に非合法な薬品で薬漬けにしようと画策した。けれど最高峰の免疫力を持つソニアには並の薬物は少し味が付いた水と同じで、逆に『保菌』によりAFの力を削がれ、制御を奪われ、研究所は崩壊した。
崩壊は二日前――幾つか疑問は残るが、頭の片隅に置いて損はない情報だ。
乗用車を使ったクロですら数日費やした道程だ。AFは基本的に徒歩だ。ここを抜け出しても、たった二日でシドニーや他の街に辿り着ける筈がない。
「弱かったでしょ、ここのAF」
「ああ」
「インフルエンザっぽい症状が出るウイルスをばら撒いたから、脱水症状とか関節痛とか。本能のまま動いたとしても、かなり鈍った筈よ」
あの防護服はウイルスを防ぐ用か、とクロは気付く。AFを強化する為に連れてきた筈のソニアに、逆に弱体化を施され、挙句の果てに制御を奪われてしまう可能性など、拉致した当初の彼らには思いつかなかったのだろう。クロは研究員たちの間抜け振りに心底呆れる。AFという奇妙な生物を相手にしているのに、更に底が見えない『魔法権利』を軽視していたのだから。
「行ったか」
足音が遠ざかっていく。ソニア曰く、この足音が地下を響いたのはこれが最初ではないらしい。最初の足音は怒声と銃声、そして何かを撒き散らす音を伴って、今のように下の階層に下って行った。そしてソニアは一つ下の階層に身を潜め、それが過ぎるのを待っていた。
合理的に考えるなら追われるのはティムとラスコーで、追うのは裏口の奴らだ。
クロは一定の距離を置いて付いて来るように言い、光の差し込む物資搬入口に向かっていく。どうであれ、まずは相手の素性を確かめる必要がある。ここに来る可能性がある組織は大きく分けて三つしか存在しないのだ。
一つは、自分たち執行官。一つは、この研究施設の親会社とも言える組織。
「ここで待て。俺に何かあったら、来た道を戻れば建物内部の扉に通じている。そこから逃げてくれ」
クロは<安全地帯>と『FN F2000』を置き、投げナイフを取り出す。『FN F2000』より小回りが利き、<安全地帯>より一目で武器と分かるのは、他にこれしかなかったのだ。護身用の回転式拳銃も腰のホルスターで眠っているが、これは早抜き用、不意を打つ為に使いたい代物だ。最初から手にするのは、本来の用途から外れる。
そして何より、殺傷能力の高い武器を手にしていたら相手の反抗心を煽るだけだ。
「ちょっと!」
ここに来る可能性がある最後の組織とは、オーストラリアの治安維持部隊だ。
クロは手早く物資搬入用の傾斜を駆け上がり、近くにいた兵士の背後に回り込む。そして自身の体を隠したまま、盾にした兵士の首筋にナイフを突きつける。地上に残っているのは、クロが押さえた兵士を含めて四人だけだ。深緑の迷彩服にタクティカルベストを装着し、口元に髑髏が描かれた目出し帽で顔を隠している者もいる。
「動くな、武器を置け!」と、クロは叫ぶ。
流石に相手の反応は迅速で、人質諸共撃てるように銃口を揃えている。即座に撃たないのはクロが仲間の背に隠れているからであったが、クロにはその一時の間があれば充分である。
「俺はTPTOの執行官だ。お前たちの所属を――――」
だがクロの次の一声――執行官という単語を聞き取ってすぐ、相手は引き金を絞る。味方ごと殺すのも厭わない銃撃だ。クロは即座に国家に所属した部隊である線を消す。オーストラリア軍や警察の部隊では、こうも仲間の命を軽視しない。
クロはナイフを人質にした男の首筋に突き立てる。男は既に雨のように降り注ぐ銃弾を浴びて息絶えていた。だがこの状態、左腕で肉の盾を抱えて進む態勢で手にしたナイフを正確に投擲することは流石のクロでも不可能に近く、収納するのも時間の無駄だと悟り、手早く肉の鞘に押し込んだのだ。
「死ね! 死ね、糞野郎!!」
銃声に紛れ、罵る言葉がクロの耳に届く。そのお返しとばかりにクロはホルスターから回転式拳銃を抜き、一番近くの相手に六発全部をぶち込む。『加速』させた六発の弾丸を受けた相手、ボディアーマーのお蔭で貫通はしないものの、映画にありがちな吹き飛び方で倒れる。
早々に仲間の半数を失い浮足立った相手の隙を、クロは見逃さない。
左腕で掴んでいた男の体を手放し突き立てたナイフを回収すると、欲張らずに地下に続く物資搬入口に飛び込む。長く緩やかな傾斜を数歩で飛び越えソニアの元まで戻ったクロは、遮蔽物の影に飛び込む。そして回転式拳銃をホルスターに収めると『FN F2000』を拾い上げて構え、追ってくる相手に狙いを付ける。
クロの隣でその一連の動作を目にしたソニアは、緩急に驚愕して声も出せずにいた。
全力疾走で戻って来たかと思えば、今は薄暗い床の一部となって敵を待ち構えている。息を止めているのではないかと疑う程に呼吸は静かで、その引き締まった体躯は微動だにしない。
そしてクロの持つ小銃が、ついに銃弾を吐き出す。
銃声が地下に響き、からんからんと薬莢が跳ねる音が続く。射撃時の安定性と速射性能の高さが売りなだけあり『FN F2000』はあっと言う間に装弾数三十発の内、半分以上の弾丸を撃ち出していた。
「立て、走るぞ」
だがクロは苦い顔をしてソニアの手を掴み立たせると、片手で牽制射撃を続けながら下の階層に繋がる階段を目指す。ソニアは慌ててクロの手を払いのけようとするが、クロは舌打ちしながら「俺は丈夫だ。気にするな」とだけ伝える。ソニアを掴んだ手が少しピリピリと痺れるが、恐らく問題はない筈だ。
クロはソニアを階段近くの物陰に放り投げると、追ってくる"三人"の内、一番近い一人に狙いを付け、引き金を引く。ダダッと放たれた弾丸は相手の胴体で爆ぜ、薙ぎ倒す。またも銃弾が貫通していないことにクロは眉を顰め、平然と立ち上がる相手に苛立ちを覚える。
「ゾンビか、あいつらは……」
クロは自分の頑丈さを棚に上げて悪態を吐く。相手の動きは緩慢だ。クロとは別種の頑丈さ――肉体的な強靭さではなく、装備による後付けの頑丈さを持っているに違いなかった。けれど5.56mm弾が貫通しない厚さのボディアーマーを装着していたとしても、その衝撃までは防げない。胴体で爆ぜた弾丸は間違いなく肋骨を圧し折り、激痛を与えているに違いない。
けれど相手は立ち上がる。
「あっ……」
銃が効かないなら、直接殴るしかない。そう切り替えて伸ばした手は、自分の犯した致命的な失態しか掴まなかった。
「……ど、どうしたの?」
乱暴に扱われたソニアが抗議しようとクロの隣にやってくるが、クロの並々ならない様子を見て不安がる。クロは目を逸らし、自分の失態を口にする。
「武器を一つ、持って来忘れた」
呆然としたお前の手を握ってしまったからだ、と口元まで出掛った言葉を飲み込む。
ここで何を言っても意味はない。<安全地帯>は遥か彼方に置き忘れたのだから。