Ⅱ-6
「……別の出入り口、探さないといけないの」
紅緒が散弾銃で息のあるAFにトドメを刺しながら、AFが積み上がった建物の正面を見て呟く。
密集したAFの中に落とされたのは、収縮爆弾だ。
収縮爆弾とは、クロが持たされた試作兵器である。起動すると半径三十センチの空間を吸い込み解放することで衝撃波を生み出し、空気の汚染を最小に留めて敵を圧死させる綺麗な爆弾だ。
「うげぇ……、結構生きてるの」
スペック上の有効範囲は半径三百メートル弱、けれど予め説明されていた程の威力は出ていない。厳重とは言え正面から衝撃を受け止めた研究所の壁はそのまま姿を残し、叩き付けられたAFも相当数が蠢いている。
「威力に難アリ。報告しないとな」
当然威力不足は――しぶとく生き残っているのは、AFの頑強さと生命力があっての結果だ。開発チームが何を仮想的にしているのかで改良の必要性も変動する。AFに対して使うなら改良の余地アリ、人間相手に使うなら改良の余地ナシ、だ。
「紅緒、退け」
クロはコートからサインペンのようなモノを取り出すと、出入り口に積み重なったAFに向けて投げる。よろよろと抜け出そうと立ち上がったAFが、足を失い地を這うAFが、そのサインペン型爆弾の生み出した爆発で木端微塵になる。
腕で顔を覆ったクロの頭上に、ぼとぼととAFの雨が降ってくる。空中にいた為に舞い上がったAFの肉片を真正面から受けたのか、紅緒は恨めし気な目でクロを睨んでいた。
「紅緒、もう一発いくぞ」
入り口を塞いでいたAFはその殆どが死んでいたが、欲を言えば通れる程度の隙間が必要なのである。死んでいようが生きていようが、塞いでいるなら吹き飛ばすしかない。
クロは二本目のペン型爆弾を取り出す。威力を少しだけ強めに変え、時限装置を設定する。紅緒が嫌な顔を浮かべて翅を動かす姿を背中越しに感じながら、クロは積み重なったAFにペン型爆弾を差し込む。
十数秒後、クロが余裕を持って安全圏に到達した直後、死体の山が爆ぜる。
軽く頭を振り耳鳴りを追い払うと、散弾銃を抱えたまま避難していた紅緒に「行くぞ」と声を掛ける。索敵にAFの気配は掛からない。死体はゴミのように積み上がり、柔らかなクリーム色をした建物の外観は、今や鉛色に塗り替えられている。所々焦げてはいたが、元からこの鉛色だったと説明したら信じる人もいるくらいには完璧な塗装だ。
クロと紅緒は残った肉片を足で隅の方へと追いやりながら、ポツンと開いた鉛色の口の中に進んでいった。
クロと紅緒が辿り着いたのは、大量の銃火器や厚手の防護服にガスマスクまで、様々な装備が安置された部屋であった。銃火器は突撃小銃に短機関銃、散弾銃や各種手榴弾まで新旧問わず多くが揃っている。その中に非殺傷兵器や刃物はなく、対AF用に集められた武器だと分かる。
紅緒に着いて早々建物内部の捜索を命じてただ一人、クロは佇む。
「また地下か……」
目の前に鎮座した重厚な扉と本来その扉を押し退けて迫る虚空を見て、クロは呟く。
この部屋まで辿り着く道程からから、ここがAFを研究する為に改築された施設であると思い知らされる。紅緒が言うには裏手には物資搬入用の大きな扉があり、大穴が開いたそこからAFは地上に逃げ出したのだ。もしここから逃げ出したとしたら、もっと研究所内部は荒れている筈だ。
それ以前に、ここには血の臭いは疎か火薬の臭いすら漂っていない。
「いや、当然か……」
クロは立て掛けられた小銃の表面をなぞり、指に埃が付着していることを確認する。
全く武器を触る機会がなかったのか掃除が行き届いていなかったのか、はたまた無人の状況が何か月も続いていたのか。どれが正解かは分からないが、今この場所に薄らと埃が積もっている事実だけは間違いない。
しかしならば、妙なことが起こる。
AFの侵攻は緩慢だ。体内に入り込んだ寄生型AFが、一時間後に成長型となって体外に飛び出してくることは恐らくないだろう。早くても数時間は掛かる。紅緒が――女王が手を加えたであろう三峰ですら、AF化には数時間を要した。
AFが強靭な戦士と化すには、指揮者――女王が必要だ。
人類は二回、アフリカと九州で女王が後ろに付いたAFを相手にした。初めて遭遇したアフリカでは何億もの現地住民と兵士、諸外国からの派遣部隊員延べ十万人を越える大損害を被った。人口五十万の都市を根城に始まった九州は三百万の死者行方不明者に、日本国防軍からは七千人弱の兵力が消えた。
だがシドニーやカルグーリー(セルゲイとフェリックスが滞在していた街)では、合わせて二十一人の被害者を出してAFは全滅した。被害者の内十九人はAFを宿した元人間で、残り二人もAFに殺された訳ではない。執行官の処理現場を目撃した住民が驚き車に轢かれて一人、オーストラリア軍の同士討ちで一人。手を下したのはどちらも人間だ。
ここのAFは、とてもアフリカや九州を荒らし回った同種とは思えない。体格も気性も戦い方も、全てクロが目にした九州のAFより劣っている。シドニーは四百万人を抱える大都市だ。もし女王アリでAFが暴れ回ったら、今のオーストラリアに人は残っていないだろう。
「だが、結果として、ここの住民は等しく消え失せた」
緩やかに侵されていったのか、研究所の職員を含め、ここの住民は等しくAFに成り変わったのだろう。
「ただ一人を除いて」
クロは武器庫兼地下室への入り口から離れ、事務室にやってくる。書類が散乱し慌てて逃げ出そうとした痕跡は残っていたが、一点だけ、クロの予想を裏切っている箇所が存在した。
ここには、埃が積もっていない。
なればこそ、ラスコーが生きているのは余計に妙な話となる。ここの住人がAFに襲われてそれなりの日時が経過したと仮定するなら、その間ラスコーはAFの溢れるこの場所で過ごしていた、もしくは自分たちと同じ来訪者となる。事務所に生活の気配が残っていることから、ここの職員が消えてからあまり時間は経過していないと分かる。
クロは思考が熱を持ち、次第に頭が重くなるのを感じる。
ラスコーが嘘を吐いているのか、それとも前提条件となる情報が欠けているのか。今考えられるのはそのどちらかで、今の状況だけでは如何とも判断し難いのだ。
クロは無骨に見えて、感情の機微を目敏く察する性質である。
ただ他人の感情の変化を嗅ぎ取って、それを利用するかどうかは別である。シロの隣に居た時、クロは他人の悲しみや怒りを知ったとしても、相手を思いやり行動を変えることは滅多になかった。表に出ての応対はシロの得意分野であり、裏で実務に励むのはクロの担当領域と決まっていた。
クロは相手の繊細な感情に合わせて、精密に自分の動きを変えるノウハウを所持していなかった。けれど生来の適応力の高さとシロ不在で広がった交友関係の助けもあり、クロはシロの得意分野も飲み込み始めていた。相手を意識して見ていると、感情が動いた後にどうすれば効果的かが薄々と分かるのだ。
そうだ。分かってしまうのだ。
クロがシロと離れて半年ほど。ローザと出会い、紅緒と行動を共にした半年の間に、自分の二十二年が塗り替わっていくと分かるのだ。それを好ましい変化だと歓待出来たなら幸せだが、その変化はシロと過ごした十五年の否定に繋がる。人生の大半を費やして築いたモノはそう簡単に捨てきれない。故に宙に浮いたまま、クロの悩みは着地しない。
「紅緒は、まだ二人を見つけていないのか……」
けれどラスコーの疑問だけは、可能な限り着地させておきたい。
大蛇に追われていたラスコーに、誰かを陥れようと罠を張っているような素振りはなかった。クロを前に嘘を吐き、その嘘を暴かれた後に颯爽と両手を上げて諦めた現実主義者が、クロと紅緒、そしてティムを出し抜ける程に器用だとは思えなかった。少なくとも、ラスコーの態度から嘘の気配は感じ取れなかった。
足りない情報を補うには、本人に尋ねるのが一番だ。
「……ん?」
荒れた室内から出て行こうとしたクロの視界に、興味深い文字列が引っ掛かる。
『AF 生態調査報告書』
今現在、この研究所に電気は通っていない。故にクロは情報機器から情報を抜き出す為、紅緒にブレーカーの場所を探らせている。その最中にティムとラスコーを見つけ出し、拾ってくるようにも言い聞かせた。集合場所は研究所の裏手にある破られた物資搬入口だ。ブレーカーも二人も、見つけ出すまで時間はそれほど掛からない筈だ。
クロは報告書が纏められたファイルを手に取り、ページを捲る。
情報機器が発達した従来、人々の生活はそこに対し過剰とも言える程に依存していた。それは何も日常生活だけではなく、仕事場にも深く根付き、最早情報機器なしでは成り立たない様相を呈している。
だがここの職場は、どうやら違ったらしい。
外に大きな電波塔が建っていたことから、この報告書はデータとしてどこか別の場所に転送しているに違いないが、万が一の場合を考慮して紙媒体としても採取したデータを残している。機器の故障や電波障害も含めた不測の事態に対する保険なのだとは分かるが、お蔭で敵に足取りを掴まれているのだから笑えない。
目録に目を通し、興味を引かれた場所を開く。当然ながらページの上には英語しか存在しない。日本の中でも上位の大学に在籍して優れた成績を叩き出しているクロでも、普段使われない単語が潤沢に使われた報告書を読み解くのは至難だ。
当初の予定では、ここの情報機器のデータを全て掻っ攫い、分析は帰還後に然るべき機関に丸投げする手筈であった。だがそれとは別にクロ個人の興味として、AFとは何かを知る為に、クロはこれらの報告書を持ち帰ることにした。
そうと意識して見渡すと、ここには様々な種類の知識が落ちていた。
クロはごくりと唾を飲み込み、その中から一冊を手に取り開く。その背表紙に使われている文字はラテン文字やアラビア文字ではなく、クロの見たことのない文字であった。どちらかと言えばキリル文字に近くはあるが、キリル文字より更に複雑な造りをしている。ラテン文字もキリル文字も、元を辿ればギリシャ文字に辿り着く。そう考えるとここに使われている文字も――クロにはまるで心当たりはないが――ギリシャ文字という本流から枝分かれした文字であると考えられるだろう。
「ご主人」
突然、背後から声を掛けられクロの肩が跳ねる。
「なんだ、紅緒か……」
「ブレーカー見つけたけど、どうやらダメっぽいの」
紅緒は自分の労力が実を結ばなかった所為かムスッとした顔でクロの傍まで歩いてくる。クロは急に後ろめたさを感じて、手にしたファイルを手近な棚に戻す。
「集合場所は裏手の筈だ」
「その裏手が、ちょーっと良くない感じなの」
クロは、異様に足音を殺して近づいて来た紅緒の真意を察する。索敵を飛ばしてAFの反応を探るが、予想通り反応は一つも返ってこない。
どうやら紅緒の言う"良くない感じ"とは、AFではなく人間らしい。
そして味方の執行官でないのは、少なくとも執行官を示すコートを身に付けていない相手であるのは確実だ。もし執行官だと分かったなら、紅緒はこうも慎重に動かない。
「どうするの、ご主人?」
紅緒は部屋の入り口と窓を交互に睨みながら、クロに指示を待つ。クロは知識の沼に足を突っ込んでいた所為で外部の状況は全く掴めておらず、今も建物内部に派手な足音は存在しない以上、どのように動けばいいか判断を下すまで幾分か余計な時間を費やす結果になった。
「紅緒、ティムは見掛けたか?」
その質問に、紅緒は首を振る。
「なら地下に潜って、先にティムと……ティムの仲間と合流するぞ」
クロは手早く事務室を一周すると、手頃な肩掛け鞄を見つける。そこに数点のファイルを詰め込むと、怪訝な顔をする紅緒に付いてこいと促す。
「ご主人、余計な荷物は命取りなの」
当然紅緒はクロが手にした荷物に苦言を呈する。クロが選び出したのはたった四冊のファイルだ。けれどファイルとそれを包む布の鞄は、歩き方次第で衣擦れを一切出さない高性能なコートの機能を阻害し、戦闘になれば各種動作の邪魔にもなる。
「もうここには戻れない可能性がある。これを持って帰るのは、任務として必要なことだ」
どのような相手が来ているのかクロは直接目にしておらず、その危険度は知る由もない。けれど敵を倒した後に電気設備を復旧させ、情報機器を起動した後に然るべき情報を抜き出そうと考えるのは、あまりに悠長だ。時間を掛けても可能ならば、それでいい。難しそうならこれを紅緒に持たせ、一足先に離脱させるのが一番理に適っている。
「だとしても……、ご主人は……」
「…………」
「ああ、もう、分かったの! 私の命はご主人のモノだし、多少の危険には付き合うの。でも、徒に命を危険に晒すのは許さないの。無駄死には真っ平ご免だし、ご主人を先に死なせるつもりもないの!」
紅緒はクロから鞄を奪い取るとそれを肩から掛ける。散弾銃と盾潰し、そして二つに必要な弾薬を収めたポーチを、既に紅緒は身に付けている。そこに更にファイルを収めた鞄が加わるとなると、最早戦う戦わない以前の問題だ。
クロは様々な要素で体積が倍近くに膨れ上がった紅緒の頭に手を乗せてわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「紅緒、それだけ抱えたら流石に飛べないか?」
そして手を離すと、困惑する紅緒に正答が既に手の内にある問い掛けをする。人ひとりを抱えて飛べる紅緒が、あの程度の重量で音を上げる筈がない。
「余裕なの」
「なら、もう一度装備を替えて来い。対物狙撃銃に持ち替えて、俺たちの撤退支援だ。ついでにあと三冊持っていけ。気付かれないように慎重に飛べ。分かったか?」
矢継ぎ早にクロは幾つかの注文を付け足し、紅緒の背中を押す。
紅緒はここに来た時より更にムスッとした顔でクロを睨むが
「了解なの」
と渋々、クロに聞こえるように態とがましく大きな溜息を吐き出て行った。
クロの頼んだ追加の三冊は、当然受け取っていない。




