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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第三章:許されざる者
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Ⅱ-5



 ティムの不意打ちに最初に応じたのは、ラスコーとティムの二人とは関係の薄い紅緒であった。一足飛びでティムとの距離を詰めると、ティムが次の引き金を引く前に回転弾倉(シリンダー)を掴んで押さえ、銃口を大地に向けさせる。


「ちょっと待つの」


 翅を取り出し、ティムと遭遇してから絶やさずに隠し続けた猜疑心と警戒心、そして敵意を剥き出しにする。クロには伝えていないが、紅緒は他の執行官を絶対的な仲間だと思っていない。クロもそれは同じだが、紅緒は寧ろ敵としてすら見ているのだ。


「離してください。奴を殺せません」


 真面な人間が、執行官になどならない。どこかネジが抜け、社会集団に属せないからこそ個人主義の便利屋――もとい掃除屋を続けているのだ。ギヴ・アンド・テイクは存在する。TPTOは勤勉な執行官に報酬と地位と権限を与え、執行官はTPTOの要請に応じて反抗的で不都合な組織や個人、そして時には概念すら消し去る。秘密裏に、時には開けっ広げに。


 だが執行官同士に、ギヴ・アンド・テイクは存在しない。


「これはご主人が手に入れたモノなの。殺すなら、ご主人の許可を得てからにして欲しいの」


 奪われることを経験し、奪うことに慣れた者同士なのだ。


 紅緒も、ティムも、クロですらも。


 我を突き通そうとすれば、起こり得る衝突のし易さは一般人の比ではない。


「……一理あります。確かに、いきなり殺そうとしたのは僕に非がありました」


 ティムは引き金から指を放し、リボルバーを紅緒に渡す。けれどそのアイスブルーの瞳は決してラスコーを殺すことを諦めていない。事実、続く言葉はクロを非難するモノである。


「ですが、これを生かしているキミにも非があるのは確かです」


 逃げ出そうとするラスコーを押さえ込んだクロは、眼帯で隠した右目を中心にティムの憎悪が高まっているのを感じる。憎悪が形をなして、目に見える訳ではない。ただ無尽蔵に溢れる殺意を煮詰めていけば、ねっとりと纏わりつき他者を飲み込む、あのような雰囲気になる。そしてティムの場合はそれが憎悪なのだとクロは本能と経験則で嗅ぎ取ったのだ。


「一理あるな。確かに、敵を生かしている俺にも非はある」

「えっ、ちょっ!」


 されど、その憎悪はクロに向けられたモノではない。対象は身動ぎするラスコーで、クロには怯むことなく持論を振り翳せるだけの余裕が残っているのだ。


「だがこいつは俺に降伏して、俺が確保した捕虜だ。情報を絞り出す前に殺されたら俺の費やした労力は誰が補填する? 無闇に女を侍らす趣味はないが、他人に横から掻っ攫われるのはそれ以上に趣味じゃない」


 フンッと鼻を鳴らしてクロはティムを睨む。


「そもそもこの女がどういった性質なのかは俺も理解している。俺の手に余り、然るべき場所で俺の手から離れることも予想出来る。その時が来たら何も言わずに引き渡すつもりだ。……だが、それは今じゃない」


 ティムは諦めたのか、ハァと息を吐いて両手を挙げて「お手上げです」と呟く。ティムは紅緒にリボルバーを返すように催促し、紅緒はクロの反応を窺い取り上げたリボルバーを返す。


「殺さずの信念は立派ですが、どうするんです?」


 受け取ったリボルバーを胸元のホルスターに収めたティムはクロの下で動けずにいるラスコーと、今まで無視し続けた周囲を見渡す。


「無抵抗を殺さないだけで、敵意がある奴は例外だ」


 ラスコーの拘束を解いてクロは立ち上がり、<安全地帯>についた血糊を拭う。紅緒は混戦になるのを見越して弾を込めていない散弾銃(ショットガン)を首から下げたまま、盾潰し(シールドバンカー)に対物ライフルの12.7mm弾を装填していく。


 四人は、AFに囲まれていた。その総数は確かめる気力を削ぐほどに多く、ちょうど研究所を挟んで森の反対側である居住区からやって来たことが分かる。


「ちょっと、うちはどうすればいいの?」


 着々と戦闘準備を進める二人を前に、ラスコーは焦りを浮かべる。この場にラスコーにとっての味方――もしくは危害を加えないという条件を満たす者とは、クロと、クロに従う紅緒しかいない。ティムは隙あらば殺そうとする可能性が高く、続々と集うAFも自分に容赦はしないとラスコーは知っている。制御や防御機構が利くなら、そもそも研究所から逃げ出す必要すらなかった。


「ティムと一緒に建物の内部へ避難していろ」


 だがクロはそんなラスコーの心情や立ち位置を知ってか知らずか無情にもティムを宛がう。翅を取り出して浮かび上がった紅緒が同情を籠めた瞳で見つめるが、救いの手は差し伸べない。


「いえ、露払いは僕が引き受けましょう」


 三人に背を向けたティムの目の前で、様子を窺っていた複数のAFが爆ぜる。ティムの左手にはカメラが、右手には取り外した眼帯が握られている。


「グルルゥゥゥアアアア――ッッ!!」


 再びティムの正面に位置したAFが弾け、様子見に徹していたAFが吼える。


 クロは「ピカッと光ってグチャってなったの」と紅緒の言葉を思い起こす。これこそがティムの『魔法権利』であるとクロは断定するが、触れずして敵と斃していくティムとの共闘も本能的に不可能だとも察する。


 例えばティムの『魔法権利』が一匹ずつAFを消し飛ばしたなら、まだ戦い方もある。だがティムのシャッターとフラッシュ一回で爆散したのは複数体だ。防御も意味を成さない攻撃――頑丈なAFの外殻も生命力も関係ない一撃だ。紅緒も自分も、喰らってはタダで済まないとクロは歯噛みする。


「クロ、キミたちは研究所の中で僕の仲間を探してください。それを連れて行けば、きっと収容場所までの道程は分かると思います」


 だがクロは、紅緒に目配せする。


「ティムを一人にはしないの。私も残って背中を守るの」


 紅緒は機敏にクロの意図を察して宣告する。続々と集結するAFの数は百を超え、それをティム一人で相手にするのは危険が大きいとの判断であった。そして万が一、ティムがAFに破れた時には、あの大群が自分たちを追って研究所に雪崩れ込むだろう。紅緒は屋内では充分に飛べず、クロも<安全地帯>を満足に触れない状況に陥ればAFの相手が出来なくなる。そうでなくとも敵の数は多く、ティムを無視して追ってくるAFは一定数は存在するに違いない。ティムにその処理まで任せるのは不可能に近く、少なくともクロか紅緒がゲートキーパーとして地上に残る必要があるのは変わらない。


 監視の意味合いは薄い。


 クロはティムと顔見知り程度の関係ではあったが、戦場で出会ったことで、その本質の姿形を何となく嗅ぎ取れていた。ティムは恐らく、自分と同じなのだ。敵と味方とそれ以外――出会った相手をその枠切りがはっきりと固定して、その境界に高く厚い壁を築き上げている。敵と見定めた者は生涯敵であり続け、味方も同じだ。自らその壁を乗り越えない限り、その立場は変わらない。決してティムが身を削って変えることはない。


「行くぞ、来い」


 クロはラスコーの手を引いて、AFの密集する一角に駆ける。驚きながらも付いて来るラスコーの体越しに、ティムのアイスブルーの双眸と目が合う。宙を泳いでいた紅緒が二人の進路を拓こうと研究所の少し手前に飛び降りる。


「ご主人、忘れてることがあるの!」


 盾潰し(シールドバンカー)付きの拳をAFの外殻に叩き付け、紅緒は叫ぶ。


 ぐちゃっ!


 クロは振り向いた紅緒の背から襲い掛かるAFの首を擦れ違いざまに<安全地帯>で叩き飛ばし、「何をだ?」と聞き返す。ぴくぴくと痙攣するAFを蹴り倒し遠ざかるクロの背中を追って、再び紅緒は叫ぶ。


「ご主人、多分だけど、ティムがどんな人を探してるのか聞いた方がいいの!」


 クロはハッとして止まりラスコーに目を向けるが、知らないと首を振るラスコーを見て苛立ち紛れに立ち塞がったAFを一刀両断する。ティムと自分の距離、そしてその合間に詰まったAFを見ると、来た道を戻ろうとする気力は失せていく。


 遠くでAFの肉片が舞い、ティムの包囲も徐々に狭まっていくのが分かる。


「紅緒、ティムを連れて来い!」


 壁を背に戦えば、数に押されても多少はマシになる。AFの死体が増えて積み重なれば、それだけティムの写線からAFは隠れ、それは命取りになりかねない危険へと繋がる。どれだけ『魔法権利』が凄かろうが、それを扱うのは人間だ。処理能力には限界があり、死ねばそれで終わりだ。


 数体のAFを挟んで紅緒が了承の声を上げ、翅を震わせ飛び上がる。高度はそれほど稼がず滑るようにして飛んだかと思うと、ティムの身体を抱えて悠々と舞い戻った。ティムは建物内部に入り込み、クロとラスコーがそれを追う。紅緒はゲートキーパーを引き受けている。


 ティムは焦るようにして真っ赤に充血した右目を眼帯で覆い隠すと、流れるようにカメラを別のモノに取り替える。そしてカバンから取り出した水のボトルで口を漱ぎ吐き出すと、残った水で顔を洗う。


「正直、死ぬかと思いました」


 吐き出した水の中にAFの肉片が紛れているのを見つけ、ラスコーが口を押さえて目を逸らす。クロは「だろうな」と短く答え、ティムが落ち着くまで待つ。


「ですが、僕は知っています。死ぬかもしれないって考える時は、大抵死にません。いや、死ぬ時は当然死にますが、本来多くの人は気付かずに死ぬモノです。銃弾で、榴弾で、地雷で、『魔法権利』で、死が迫ることに気付かず死ぬ人が殆どです」


 ティムは熱を籠めて語り続ける。クロも人のことは言えないが、やはりティムは頭の中から大切なネジが数本抜けているに違いない。満州の、ローザと初めて出会った喫茶店の時と同じだ。今の姿は、知人と襲撃者の死体相手にシャッターを切り続けた姿と重なる。


「僕の両目とカメラは、その多くを逃さずに捉えてきました。戦場を渡り歩く大義名分として選んだカメラマンという職業は、僕に多くの死に際を見せつけました。敵も味方も知人も身内も、誰も彼もが死ぬ。それが戦場で、僕はその最期を写し出すことを使命にここにいます」


 クロはその言葉から、嫌な予感を嗅ぎ取る。


 ティムはここの囚われた仲間を探しに来たと言い、クロと紅緒にも協力を要請した。協力自体は吝かではなかった所為もあり、その時は深く考えることなく頷いた。だが"探す"とティムは言ったが、"助ける"とは一度も言っていない。流石に既に死んでいる可能性を考慮しているだけで、仲間を探し出し、それから殺すことはないとクロは信じたかった。


「ごしゅじーん!! ちょっと戻ってきて欲しいのー! 数が、数が多いのー!!」


 出入り口の方向から、紅緒の助けを呼ぶ声が聞こえる。ティムがここにいる関係でAFの殲滅能力が落ち、残弾の制限のある紅緒だけでは処理が追い付かなくなり始めたのだ。


「ティム、あんたが先に仲間を探しに行ってくれ」


 クロはそう言うと、紅緒が待つ出入り口に向けて歩き出す。


「俺は紅緒と一緒に外の奴らを殲滅してくる。それが俺たちの受けた仕事だ。残しても厄介だ。今回は優先する」

「分かりました。僕は右目が落ち着いて、戦えそうなら助力に向かいます。無理そうなら先に進みます」


 そしてラスコーの肩に手を置き


「それまでは休息も兼ねて、この子から色々と聞かせて貰います」

「ちょっ!」

「……構いませんよね?」


 とクロを送り出す。ラスコーがティムの傍で二人きりになったとしても危害を加えられることはないとクロは判断した。出会った当初のティムはラスコーを物のように扱っていたが、敵から比較的どうでもいい存在にシフトしたのだろうか、今は一応人として扱っていた。


 縋る瞳のラスコーから突き放すように目を離し、クロはゆったりとした足運びを『加速』させて紅緒の元に急いだ。





 建物から外に出ると、そこは都市部も驚きの人口密度――いや、AF密集度を誇っていた。建物の内部には注意を向けていなかった所為もあり、大部分のAFはクロに気付いていない。


「…………」


 この中から紅緒を探すのかと辟易する気持ちは、すぐに吹き飛んだ。紅緒の居場所は探すまでもない。夏場の雑草のようにAFが敷き詰められたとして、大人しく紅緒がそこに埋まる筈ないのだ。


 紅緒には翅がある。


 巨大な樹木に侵された寒く湿った一帯で、太陽の光を浴びているのはこの近辺だけだ。テカテカとしたAFの灰色な外殻は日光を反射し、皆一様にその腕を頭上に上げている。新興宗教で導師の教えを仰ぐ入信者のように、地獄に垂らされた救いの糸を掴もうとする亡者のように、AFは太陽を背にした紅緒に手を伸ばしている。


 きっとティムの『魔法権利』ならば、一網打尽に始末出来ただろう。


「呼ぶ奴を間違えたな」


 だが、クロには少しだけ難しい注文だ。AF同士の間隔が狭すぎ、数も多い。<安全地帯>の斬り返しが致命的な隙となるのは明白だ。


 幸運なことに建物の出入り口付近には紅緒の斃したAFが転がり、それが壁となりクロの姿と気配を隠していた。クロは音を立てないように細心の注意を払って入り口である分厚い扉を閉じ、自らの退路を断つ。


 そして懐から手の平サイズの丸いカプセルを取り出すと、紅緒が意図に気付いてくれることを願って積み重なった亡骸から飛び出す。


 そして、臆することなく身近なAFに斬り掛かった。


 背後から一刀両断。丈夫な外殻も、頑強な<安全地帯>の前では役に立たない。


「ギィシャァアアアッ!!」


 断末魔が轟き、空を見上げていた視線の多くがギョッと動く。


 九州のAFと比較すると、ここのAFは細く小さい。例えるなら二十一世紀初頭に栄華を誇った肥満大国アメリカとカロリー不足が深刻なアジアの貧小国家の国民程に違う。後者には圧倒的に食糧が足りていないのだ。そしてAFにとっての食糧とは人間に他ならない。


 飢餓に苦しむからこそ、届かないと分かっていても手を伸ばしていたのだ。


 そして手の届く場所に別の人間(カロリー)がいると知れば、傾くのは当然だ。


「紅緒、受け取れっ!」


 クロは次を叩き伏せ、近寄ってくるAFを蹴り飛ばす。その合間に生まれた数瞬を使い、紅緒に向けて取り出したカプセルを投げる。紅緒がクロが投げたモノの正体に気付き、焦りながらそれを確保する。


「ご主人! 早く――――」

「いいから、やれっ!!」


 殺到するAFと、<安全地帯>を振るいAFを拒み続けるクロを見比べて、紅緒はクロの指示通りに動く。カプセルのピンを抜き、表面に現れたタッチパネル式の認証画面に四桁の暗証番号を打ち込んでいく。『0512』――クロとシロの誕生日だ。


 そして最後の番号を打ちカプセルを手放した紅緒は、一直線にクロに向けて宙を駆ける。


「早く跳ぶの!」


 近づいてくる紅緒の姿を確認したクロは、無事に自分の意図が伝わったことに安堵しつつも、壁のように押し寄せるAFの波から如何にして抜け出すかを考える。


 いや、悩んでいる時間はない!


 クロは正面に立つAFに<安全地帯>を叩き付ける。首筋から肩に抜ける斜めの斬撃を受けたAFは崩れ落ち、後続に押され前に――クロに向けて倒れる。


 その体を、最初の踏み台にする。


 そして次、その次と反応すら許さない速度でAFを踏み抜き、クロは跳んだ。


 下にはAFしかいない。その多くが目でクロを追い、反応速度に秀でている個体は既に手も伸ばしている。ブーツやコートを端にAFの爪が掠る。ギリギリの高度だ。掴まれ、落とされでもしたらまず間違いなく死ぬだろう。


「ギリギリなの!」


 だがクロは落ちることなく、紅緒に手を引かれてぐんぐんと空を突き抜けていく。


 地上では、クロが渡して紅緒が落とした爆弾(カプセル)が収縮し、衝撃を撒き散らしていた。



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