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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第三章:許されざる者
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Ⅱ-4


「アンタ、まさか……、魔人!」


 流石のガウンの女も状況を察する。大蛇に追われるより、大蛇より厄介な相手に目を付けられたのだと気付いたのだ。


「待って待って! 話す、話すから!」

「…………」

「私は混乱に紛れてあの施設から逃げ出しただけ! それ以上は何も知らない!」


 ガウンの女はクロから逃げようと木の裏に回り込もうとするが、クロの放ったナイフが鼻先を通り過ぎる。冷や汗が体中から溢れ出し、足から力が抜けてへたり込む。


「名前は? 出身は? 恐れず、顔を上げて答えろ」

「……っ!」

「お前の素性次第では、俺たちが保護してやらんでもない」


 クロはふんと鼻を鳴らし、放ったナイフを抜くと刃先に付いた苔を拭い落とす。その動作は、答え次第でナイフの切先が何処に向けられるのか分かっているだろうと暗に脅しつけているように思えた。


「う、うちはラスコー。出身は……、ここより東の街よ!」

「オーストラリア出身か。……親もそうなのか?」

「そうよ! 親も、その親もここで暮らしていたの」


 ラスコーは顔を上げ、用意した答えをつらつらと口にした。


 クロの疑惑通り、ラスコーは施設に囚われていたのではなく、あの施設でAF研究に助力する者の一人である。更に言うなら、口にした出身も嘘っ八だ。彼女の出身はオーストラリアどころか、この世界ですらない。


 ラスコーは、協定による技術供与の為に派遣された魔道研究師の一人である。


「ふっ、ふふふ……」


 戦闘面ではからっきしで抜けている部分もあるが、魔術の構築に関するノウハウと頭の回転には他者より優れていると自負していた。


 だが目の前で突然笑い出した男を見て、ラスコーは自分が途轍もない過ちを犯したのではないかと不安になる。クロは面白くて笑っているのではない。何か相手が決定的な襤褸を出し、それに気付けもしない間抜けを嘲り笑っているのだ。


「な、何がおかしいの……?」


 大きく息を吸い、吐き出し終えた時にはクロの表情は元に戻っていた。


「モニカ・ハイドレインシャ。ああ、確かに、あの博士は用意周到だ。頭が良くて、計算高い。――――相手の嘘を見抜く術を、しっかりと俺に残していたとは」

「なに……、何よ!!」

「自称オーストラリア人のラスコー。お前の出身は、何処だ?」


 クロに射竦められ、ラスコーは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。言い逃れの妙案も思い浮かばないラスコーは口を噤むしかなく、早くなる動悸がいっそう焦りを募らせた。


「オーストラリアは、かつてイギリスの植民地であった」


 クロは怯えるラスコーに、講釈を垂れる。


「大陸の発見自体は1600年代の初頭だが、最初の入植はそれより150年以上経過した後だ。入植者の半数以上が犯罪者――流刑地としてこの大陸は利用され、その有用性が分かった後は通常の植民地と同じく多数の入植者を募り、開拓を進めていった」

「…………」

「ここは移民の国だ。多くの国から人が集まり、多種多様な分化を内包している――と思われがちだが、実はそれほど多様性はない。同じ移民国家のアメリカは公用語を英語に定めているが実際は中国語スペイン語を扱う国民が多く、その割合も増えている。それに対してオーストラリア国民は八割以上が元宗主国の英語しか使わない。共産党の崩壊で溢れ出た中国難民の受け入れも慎重だった国だ。言語分布はそれ程歪んではいない」


 クロは多くの情報をラスコーの目の前に展開し


「お前は今、何語で喋った?」


 本命を叩き付ける。


 びくりとラスコーの肩が跳ねる。言語の分類など、出身世界では気にしたこともなかったのだ。


「え、えいご……」

「言語統一を成し得た仕組みは、俺には皆目見当も付かない。だが俺の属している世界には、多種多様な言語が存在する。言葉とは、声とは、口から発され耳に届くモノだ。言語の統一は言わば"耳に届く言葉だけ"の統一だ。口元までは一体化出来ていない」

「……うそ……つまり、口元を読んだの?」

「そうだ。読唇術――俺たちの世界では、そう呼ばれる技術だ。分かったか、異世界人」


 ラスコーは唾を飲む。目の前の男は、自分の正体に気付いている。


 こちらの世界に来て数か月が経過して初めて、与える知識は膨大で受け取る知識は乏しいことに気付いたのだ。そして交流先の――侵略先の異世界が、想定以上に殺伐として、個人が過剰とも言える武力を蓄えていたことにも驚きを隠せない。


「……分かった。何もかも話すから、命だけは保証して」


 ラスコーは早々に諦める。魔道士協会や遠征軍に義理立てするつもりなど更々ない。元々頭の回転と諦めの良さに自信のあるラスコーは、異世界の研究所に缶詰めにされた時点で自分が切り捨てても良い駒であることに気付き、その諦めの良さに更に磨きをかけていた。


 最初は魔道技術全般が遅れた世界に、侵略後の根回しに派遣されたのだ。


「随分と諦めが良いな」

「うちは魔道士だけど、その前に研究者よ。研究者には二つのタイプがあるの。理想を抱き研究を続けるタイプと現実の生活を念頭に置いて職業としての研究者に徹するタイプ。うちはどちらかと言えば前者で、尚且つ現実主義者よ。忠誠心は二の次三の次、大切なのはまず自分の命と理想」


 だがいざ訪れてみると、そこは魔道とは違った技術の支配する世界で、人口も都市の規模も世界の広さも段違いであった。放った魔道生物に殺された人数が数億を超えていると聞き、疑いもした。自分たちの世界で億と言う単位は複数の主要国家を足して初めて到達する人口なのだ。魔道生物――こちらの世界の人間がAFと呼ぶ生物――も魔術や魔道の優位性を証明する指標として成立しなくなった。第二回の侵攻計画は第一歩目から挫かれ、新たな橋頭堡を築けなかったのだから。


「勝てる訳ないのよ」


 そして何より恐ろしいのが、この世界は当座の侵略者を無視して内輪で闘争を続けていることだ。それどころか侵略者を闘争の陣営に組み込んですらいる。現に派遣されたラスコーを始めとする魔道士たちは世界の各所に配置され、碌に仲間同士で連絡も取れないまま体良く使われている。


 それを付け入る隙だと言う者はいたが、ラスコーの目には全く別物に映っていた。


「アンタたち、狂ってるわ」


 付け入る隙は、完全に潰されてしまったのだ。


 加担している陣営が負ければ、身代わり(スケープゴート)にされて反攻の旗印にされる。加担している陣営が勝っても同じだ。打ち倒した陣営を組み込む格好の口実として利用されるだけだ。


「俺に言われても知らん」


 クロは食って掛かるラスコーを疎ましそうに眺めながら、その手首に強化プラスチック製のブレスレッドを取り付ける。


「初めに言っておくが、俺はお前を守らない。当面の仕事が終わったら回収してやるから、それまでは好きにしろ」

「……最低限、自分の身は自分で守れってことね」

「そうだ。話も何も、目の前の状況を片付けてからだ」


 ラスコーはクロの体越しに幾つもの影を見つける。この鬱蒼と茂った森で生き残れる生物は少なく、人間を積極的に襲う生物は更に少ない。


 灰色の魔道生物――二人は何時しか、AFに取り囲まれていた。






 クロがラスコーを連れて目的地に着いたのは、森に入って四十分が経過した後であった。コートの各所をAFの体液でぐっしょりと濡らし、それでも平然とするクロを出迎えたのは、はっきりと分かる程の不満を顔に張り付けた紅緒であった。


「まーた、ご主人が女を引っ掛けてるの」


 溜息と共に紅緒はやれやれと首を振る。軽口で、本気ではないのは考えるまでもない。


 紅緒はクロに言われた通りに装備を替え、首から下げた散弾銃(ショットガン)がその動作に合わせてふらふらと揺れている。右手には盾潰し(シールドバンカー)を装着してはいたが、意外なことに使用した形跡はない。


「紅緒、お前独りで始末したのか?」


 クロは紅緒の軽口を無視して、紅緒を囲んだ状況を訝しむ。


「このくらいチョロイの……と、言いたいけど」


 紅緒は散らばった肉片――AFの残骸を爪先で蹴飛ばし


「やったのは、あの人なの」


 研究所の方から近づいてくる人影を指差す。


 紅緒の周囲――いや、工場と研究所の周囲にはAFの残骸が散らばり、その体液が地面を灰色に染めている。その様だけ見れば屍山血河は当て嵌まるが、本来の屍山血河の表す所は激しい戦闘の跡で、ここのAFは一方的にやられて戦闘にすらなっていないと紅緒は口にする。


「ピカッと光ってグチャってなったの」

「さっぱり分からん」


 抽象的過ぎる説明にクロは首を傾げるが、紅緒の言う"あの人"を見て少なくともピカッとだけは理解する。


「おや?」

「…………」


 そこには金色の髪と透き通ったアイスブルーの瞳、その片方を眼帯で覆った青年が立っていた。首にカメラを引っ掛けている姿は、クロが満州で出会った男――ティモシー久世と名乗ったカメラマンに間違いなかった。


「驚きですね。キミも執行官になり、まさか現場で遭遇してしまうとは」


 頬をポリポリと掻きながらそう口にしたティムは、クロや紅緒と同じく執行官のコートを身に付けていた。比較的新しいクロや紅緒のそれと違い、ティムのコートは使い込まれ(ボロボロ)、型が古いのか外観も微妙に変わって見えた。


 だがクロは再会を喜びもせず、事務的に追及を始める。


「ここには、俺たち以外来ないと聞いたが」


 AF発生原因の候補地は、ここの他にも数か所存在する。結果的にクロと紅緒は当たりを引いたが、それはまだ報告していないし他がハズレだとも限らない。ティムが戦える権利者だとするなら他に回されるに違いなく、そもそもセルゲイとフェリックスははっきりとここの担当は二人だけだと断言していた。


 ハッとした紅緒は「そう言えばそうだったの」と手の平をくるりと反してクロに同調する。けれどティムは二人を前に、臆せずキッパリと言ってのける。


「当然です。僕は私用で来たのですから」


 クロは呆れ、紅緒は笑いのツボに嵌ったのか肩を揺らしている。そして並ぶ建造物を指差して二人に助力を求める。


「もしよければ僕と一緒に、囚われの仲間を探してくれませんか?」

「ああ」

「構わないの」


 指差したのは建造物の中で最も造りが頑丈で綺麗な外観、そして薬品会社の名前とロゴが張り出してある平べったい建物だ。恐らく全体を統括するオフィスと研究開発機関が共生しているのであろう。


 そう、クロと紅緒の視線が移った一瞬


 ダンッ! ギィィンッ!!


 ティムとラスコーの間で、火花が飛ぶ。仕掛けたのは回転式拳銃(リボルバー)を握ったティムで、ラスコーは魔術の自動防御結界で防いだだけだ。ティムは端整な顔を苦そうに引き攣らせ、顔に汚れを付着させたラスコーは驚き目を見開いている。


「それが例の……」


 尻餅を付いたラスコーを見下ろして、ティムは口角を釣り上げる。


 それは全て計算尽くで、誰もの不意を打った行動であった。



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