Ⅱ-2
AFを始末したクロと紅緒は、アレッサンドラを送り出すと直ぐに用意した荷物を積み込み、車を走らせた。新たな任務は大陸の反対側だ。東から西へ。長い時間を掛け、海沿いの道路を進まなければならない。
「ほんと、人使いが荒いの。せめて航空機くらい手配してくれてもいいのに」
「時間が掛かっても北側から行くべきだったな。こうも雪で足止めされるとは思わなんだ」
「オーストラリア舐めてたの。ちょっと洒落にならないレベルで寒いの」
オーストラリアは広い。東から西に移動するだけで数日――悪天候が重なれば遭難しかねない程に自然も残っている。ガタガタと車内で震える紅緒の体には、執行官として任官した時に支給されたコートが掛かっている。防弾防刃耐火耐熱耐水様々な性能を詰め込んだコートでも、襲い来る寒さを和らげはしても完全に遮断することは出来ないのだ。
「ご主人、寒いのー」
「鬱陶しい。くっつくな」
「ごしゅじーん! ごしゅじーん!」
クロは自分の膝に掛かっている毛布も紅緒に渡して黙らせる。自分の分と予備を合わせると三枚目の毛布であったが、紅緒の震えは止まらない。
「……そこまで寒いのか?」
深夜のAF探しに連れて行かなかった仕返しなのではないかとクロは疑いの目で紅緒を見るが、どうやら本気で寒さに震えているらしく、体を縮めて歯をカタカタと揺らしている。
「私、余計な脂肪は付かないの」
クロの言葉に対し、紅緒は体重体脂肪で悩む女性を敵に回す発言をする。けれどクロも元来贅肉とは縁のない体の造りをしている。体脂肪率も5%を越えたことが無い。紅緒の言葉の意味は、言葉以上によく分かる。
強化型権利者特有のジレンマだ。優れた身体能力を手にしても、体を動かす仕組自体は普通の人間の頃から変わらない。動く為には食事でカロリーを摂取して、食べずに体を動かしたいのならば蓄えを燃やさなければならない。贅肉が、筋肉までもが燃え落ちて、強化型権利者の動きは速く鋭くなる。
「なら何か食べて、動かずジッとしてろ」
こればかりは、他に打つ手がない。
生きている以上、カロリー不足からは抜け出せない。息をするだけでも筋肉は動き、寒さに震えればそれだけ熱を生み出しカロリーを消費する。それを防ぐには、飴でも舐めて身体を誤魔化すしかないのだ。
「ご主人は寒くないの?」
「慣れたからな」
毛布に包まり丸くなった紅緒は、ニッと笑みを浮かべて
「慣れたって、ロシア人の恋人のお蔭なの? 小さい身体におっきな胸のロシア人、……ロリ巨乳って言うの? あんなの捕まえるなんて、ご主人も中々やるの」
と運転中のクロを小突く。似たようなやり取りは、最早何度目であるのかも思い出せない程に繰り返している。それ程に景色の変わらない雪道は暇で、その暇を潰す手立てがない。
「…………」
クロはその度に適当に答えていたが、いい加減に答えるのも面倒に感じ始める。
そこでクロは、紅緒を黙らせる為に一計を案じる。
「俺はお前の関係は、年の離れた兄妹のようだ」
クロと紅緒の年齢は六歳も離れ、相棒や上司部下の関係とも少し違っている。相棒のように対等ではなく、上司部下のように堅くもない。公的にはどちらでも問題ないのだが、そのどちらよりも兄妹の方が近かった。
「きょうだい?」
「俺が兄で、お前が妹だ」
「何となく理解は出来るの」
「だが俺は少し、思い違いをしていたようだ」
首を傾げる紅緒に、クロは皮肉を織り交ぜ口を開く。
「お前は妹ってよりは弟に近い。平坦な体型も込みでだ」
「なっ!!」
「弟は嫌か? 嫌なら俺とローザの関係を茶化すのは止めろ」
紅緒は口をへの字に曲げ、うーんと唸っている。紅緒は自身の境遇――少女としての自信に不満を抱いている。クロの予想通り、妹ならまだしも弟と呼ばれるのには難色を示していた。
「……まあ、弟でも別にいいの」
だがムキになって反論する姿を想像していたクロを裏切り、紅緒はあっけらかんと言ってのける。浮かべていた悩みは全て取っ払い、寧ろうんうんと頷いてすらいる。
クロが紅緒を女として見ていないように、紅緒もクロを男として見ていない。それ自体は別に不思議なことではなく、寧ろ男女の仲には絶対にならない自信もあった。それ故にクロは兄妹のような関係と例え――そして男女が関係ないのなら、兄でも姉でも弟でも妹でも両者の関係に変わりはない。
クロは大きな溜息を吐く。
「それでご主人、巨乳ロシア人とはどこまでいったの?」
目的地に着くまで、紅緒の干渉が続くと思うと憂鬱で仕方がなかった。
オーストラリア西部、内陸の町カルグーリーに到着した二人は、先に到着していた執行官と合流する。移動に二週間も費やしたことに関して他の執行官は二人を責めることはなく、寧ろ同情される程であった。
「ありゃ指令を出した奴が馬鹿だ」
「そうそう。雪の中を突っ切ってくるアンタたちも大概だけどね」
二人を出迎えた執行官――セルゲイとフェリックスがウィスキーを煽りながら笑う。紅緒はセルゲイが持っている袋からビーフジャーキーを取り出し、齧りながら尋ねる。
「二人は任務、もう終わったの?」
「俺たちか? 俺たちなら今回はお休み、近くにいただけの連絡要員だ」
「ほら、任務って基本選択制だから。無理そうなら引き受けないのよ」
執行官の派遣要請は世界各地あらゆる場所から行われる。けれど航空機の使用が世界的に制限されている現状、移動には多大な時間が掛かり急を要する事案は勿論、そうでない事案であっても一定数の執行官を集めるのは至難である。また得意不得意も合わせると一つの事案に係わる執行官の数は多くて三組、少なければ一組も集まらない場合もある。
「……拒否出来るのか?」
「出来るわよ。知らなかったの?」
「ああ、強制参加かと思っていた」
紅緒は恨めし気にクロを睨んでいたが、クロにしてみれば紅緒に非難される謂れはないのだ。二人は同じ時間に、同じ場所で、同じ説明を受けているのだから。
「でもオペレーターも馬鹿じゃない。出来ない奴ら遠くにいる奴らには無理に仕事を回さない。仕事の誘いは、あまり断らない奴と受けて達成出来る奴にしか来ないのさ」
軍隊や警察――果ては国家からも独立した執行官の仕組は、傭兵や賞金稼ぎのそれに近いとクロは感じる。
「というか今回の仕事が回されたってことは、アンタたち、結構強いのかい?」
フェリックスが酒の浸ったぼんやりとした目で二人を見つめる。目の前にいるのは、引き締まった身体の東洋人の青年と三色髪で細身の少女だ。他の執行官も変わり者が多いが、歴戦の軍人やネジの抜けた殺人鬼のような分かり易い変わり者と違い、外見からはその特異さを見つけることが出来ない。
「普通だ」
「普通なの」
クロと紅緒は声を揃える。強さの程を訊かれても、比べる相手がいないのだから答えを濁すしかなく、無難な普通に二人は逃げる。『加速』も『羽化』も汎用性が高く戦いには向いているが、それだけで己が強いと言える程に経験も積んでいないのだ。
尋ねたフェリックスはやれやれと首を振り、セルゲイはウィスキーの小瓶を懐に収めて代わりに紙の地図を取り出す。
「日本人は謙虚だな。そんな謙虚な二人に、普通のお仕事だ。何が居るかは知らないが、地図に記された場所に行って中にいる奴らを始末してきな」
「うへぇ……、また来た雪道戻らないとなの……」
地図を受け取った紅緒が苦い顔をする。今までの道程の半分――まではいかないが、三割は遡らなければならない。便を握ったままの手を振りながら、セルゲイとフェリックスは立ち去る。クロはその背を見送りながら、渡された地図を懐に収める。
「嫌ならここに残ってもいい。俺はすぐに出発する。時間が惜しいからな」
「……終わったら回収してくれるの?」
「俺の気が向いて、更に進路が重なれば拾ってやる」
クロはそう言うと踵を返して車を止めた場所に戻ろうとする。「一緒に行くの!」と叫びながら腰に抱き着いた紅緒を引き摺りながら、クロは雪に残った自身の足跡を追っていった。
「この寒さ、ロシアに残してきた恋人を思い出すぜ!」
良く晴れた空に明るい声と白い息が散る。薄く積もった雪を踏みしめながら、車を雪で埋まらない場所に置いた二人は、はっきりと目視できる目印を頼りに大自然を進んでいた。
「紅緒、俺は決めたぞ」
「何を決めたの? まさか!」
太陽の光を燦々と浴びながら、先行する紅緒は陽気な声色でクロを真似る。後ろでクロの蟀谷がぴくぴくと動いているのに気付きもせず、又も口を動かす。
「俺、この戦いが終わったら、結婚するんだ……なの!?」
「次お前が死にかけても、そのまま見殺しだ。助けないことにする」
「ええっ!」
「…………」
「ご主人、まさか本気……? それとも冗談だと笑い飛ばしていいの……?」
クロは足を止める。その姿を見てあわあわと動揺する紅緒を軽く睨み、指示を出す。
「地上はここまでだ。お前は空を進め」
「ご主人、私が悪かったの」
「いいから。行け!」
いつもより厳しめの命令口調に背中を押され、紅緒は頭が痛くなる程に澄み切った晴れ空に舞い上がる。執行官のコートの背中からは薄く張った氷のような翅が飛び出した。羽搏きで捲れたコートからは腰に取り付けられた弾薬ポーチが覗き、手にした対物狙撃銃が間に合わせの武器でないことを示す。
クロは宙を舞うその姿を見て、仕返しとばかりに確認する。
「今度は"普通に"コートを着ているな?」
「それは言わないで欲しいの!」
紅緒はくるりと回転すると、そのまま高度を上げて見えなくなる。寒い寒いと以前紅緒が口にしていたが、その原因は単純で明快である。本来着て然るべきなコートを着ていなかったのだ。寒さに震えるのも道理と言える。
執行官のコートは温暖極寒湿潤乾燥――基本的には、どんな環境にも適応出来る。防刃防弾など更に加わる機能もあり、その全てをコート一枚で全てを補うのは最先端技術を以てしても難しい。そして解決策として示されたのは、コートを複数に分けて着用するというモノであった。
今回の場合は雪山――寒冷地帯は従来の防刃防弾のコートの下に、保温効果と上のコートに染み込んだ水分を蒸発させる機能を持つコートを着込まなければならない。紅緒は本来なら着用する筈の下のコートを着忘れ、通常装備で出歩いた結果として震えていたのだ。
企業や国営研究所が精魂込めて創り出した試作品の試験運用も、執行官の職務の一つであり与えられた権利の一つだ。それは本来国軍が請け負う役割であるが、執行官の帰還率の高さに注目した環太平洋条約機構加盟国では、最先端技術は専ら執行官に流れている。
そして開発品を試すという名目で、執行官が出張る戦場は増えている。
二十一世紀初頭の、テロリズムとの戦いの延長だ。現代のテロリストは爆弾どころか銃火器すら使わない。何も持たず平気な顔で街頭に現れ、『魔法権利』を使って甚大な被害を与えた後に人混みに紛れ込み姿を隠す。
AFが現れても、最終的には人と人との対立構図は揺るがない。
「その点、今回は楽でいい」
だが今回の標的はAFだ。
本来、AFの外部持ち出しは条約で禁止されている。しかし何故か禁止されているAFの研究施設がオーストラリアの内陸に存在し、豪州政府すら掴めないその研究所からAFが漏れ出し広まった。数週間前にシドニーで対処したのも、その一角だ。
裏にどんな組織がいるのかは分からない。
確実なのは、豪州政府が係わっていないことだけだ。自国を脅かす可能性のある危険生物を、見つかり難いという理由だけの内陸の施設で研究しない。陸続きの孤島ではなく、本物の孤島で研究を行った方がずっと危険性も少なく合理的だ。
国家とは、集団を合理性に基づいて動かす組織の名称だ。
「反吐が出る」
この事件の裏には、国家が存在する。
彼らにとって、オーストラリアは孤島なのだ。危険を覚悟でAFを研究しようが、そのAFが逃げ出して被害が出ようが、彼らには関係ない。この大陸のルーツは流刑地で、彼らの元同胞を気取った国民は流刑者の末裔だ。
その証拠も、可能なら集めろ。
情報収集と敵の殲滅――それがクロに与えられた今回の仕事内容であった。