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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第三章:許されざる者
104/119

Ⅰ-3




「――と、俺の方は何とかなっている」


 大陸系の特徴を受け継ぎながらも独自の文化を発展させた台湾の、特徴のないチェーン店のカフェテラスに座った二人は、近況報告という名称の雑談を続ける。


「そう、安心した」

「ローザこそ、罰則は大丈夫だったのか?」

「減俸三か月。そんなに重くない」

「すまない」

「気にしなくていい。軍に所属している限り、大金を使う機会なんて巡ってこない。義父母も比較的裕福、仕送りの必要もない」


 ローザはそう言うと、紅茶に口を付ける。ローザの格好は白のワンピースとつばの広いキャペリンハット、首元にスカーフを巻いて全体的に清潔感に溢れふんわりと柔らかな装いだ。少しだけ伸びた灰色のおさげも風に靡いて揺れている。普段の漏れ出す冷たさも多少は相殺され、良家のお嬢様だと言われたら誰もが納得してしまう程に落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「それにしても、クロのアロハ、ちょっと面白い」


 反面クロは黒地に白と赤のハイビスカスが咲いたアロハシャツと簡素なジーンズしか身に着けていない。長髪もその大部分を短く切り、後頭部に残した一部を尻尾のように束ねている。ローザと並べば不自然に見えてしまうが、単体で見るなら広い肩幅とゆったりとしたシャツの下に引き締まった筋肉の存在をそれとなく匂わせるアロハシャツ、ミステリアスな後ろ髪は、男性的な色気とチラリズムを引き出していた。


「夏用迷彩服だ」

「なら私も夏用迷彩?」

「人類の半数には通用しない迷彩服だな。ローザは綺麗だから、男なら自然に視線が傾く」


 クロがそう言うと、ローザは照れているのか帽子のつばを下げ、真っ赤に染まった自身の顔を隠す。もじもじと恥ずかしそうにするローザを横目に、クロは向けられた通行人の視線を吟味する。


 誰もクロが、黒田玄輝だと気付いていない。


 クロの顔写真は容疑者の一人として日本のテレビに晒され、今もネットの海を漂い、個人の端末と記憶で生き続けている。手の施しようがない。これから一生クロの素顔は大量殺人犯の一人として覚えられ、後ろ指を指される生活になる可能性も考えられた。


 だが、それは杞憂に終わった。


 世界の興味関心は極東の診療所より、口語の統一の件に寄せられた。当然だ。大雑把に数えてもこの世界に言語は数十以上、方言のような些細な差異まで含めると最早数えられない程に膨大な種類に分別出来る。それが一夜にして――場所によっては昼だが――統合されてしまえば、誰であれ驚きの声をあげたくなる。


 コミュニケーションは大切だ。言語の違いも身振り手振りで補えると自慢げに口にする者もいたが、口語の統一が成された今では如何に非効率的な行いをしていたと悔いるに違いない。言語の違いから生じる誤解もなくなり、この変革を歓迎しない人間は通訳と言語学の教師くらいだ。


 これからの任地が異国のみのクロと紅緒には助かる変革だ。


 どれだけ見た目をその地に馴染ませるよう努力しても、発声に違和感があれば瞬時に来訪者だと発覚して警戒心を抱かれる。行動に速度と鮮度が必要な執行官が、そんな下らない警戒心で任務をしくじるとなっては笑い話を通り越してお払い箱にされてしまう。


「クロはあれ以来、日本に戻っていない?」


 ローザは指でおさげの先端を弾きながら尋ねる。


「数回船の乗り継ぎをしている。生家に帰ったり、知人に会ったりしているかと訊かれれば、否だ。アメリカ、インドネシア、ベトナム、台湾、香港……、この辺りを行ったり来たりで目が回りそうだ。船酔いと忙しさの両方で、だが」

「なら今日は貴重な休日?」

「いいや、貴重ではない待機状態だ。紅緒も街を散策している」


 『魔法権利』を使った犯罪や組織犯罪に対応する執行官は、その特異性から現行犯に遭遇することは滅多にない。周到な調査を重ねる時間と、どんな要請にも即座に応える身軽さが必要なのだ。故ににアジアを中心に活動する執行官は、交通の要所である台湾やマレーシアで待機を言い渡される回数が自然と多くなる。


 今も前回の任務を終えてから、二週間近く放置されている。


 凶悪事件などそうそう起きてもらっては困るが、やることがないにも拘らず自分を執行官に推薦した理由を改めて問い質したくなる。


「私も異動を希望した。でも却下された」

「異動?」

「権利者運用の実験中隊からTPTOの出向に。でも、結局は情勢が不安定な西部に回されることになった」

「それは……、真逆だな」

「そう。だから暫く会えなくなる」


 だから、台湾まで来たのか……とクロは口元まで出掛った言葉を飲み込み、ローザの手を握る。ひんやりと冷たいローザの手は、触れると見る見るうちに熱を持ち温かくなる。


「寂しくなったら、いつでも電話してくれ。俺でよければ話し相手になる」

「分かった。次に長期休暇が貰えるまで電話で我慢する」

「休暇が重なれば、今度は俺が会いに行く」


 恋人同士になったクロとローザ、二人が迎える最初の障害は圧倒的な距離である。直線距離で五千キロ以上。その距離は全くと言っていいほどに実感が湧かず、また多忙な二人を苦しめるモノであった。


 クロはローザがどのような任務を西部で行うのか知らず、ローザもクロに与えられる仕事を知ることはない。お互いに何も伝えない。危険が付き纏うのだけは知っているからだ。先に進むには立ち塞がる敵を斃し、その死体を足場に進むしかない。一度戦い始めた権利者には、そうした生き方しか残されていないのだ。


「私は、今日ほど軍に入ったことを後悔した日はない」


 はぁとローザは大きな溜息を吐く。平時の無表情や時折見せる笑顔とは違い、ローザの本気の憂い顔をクロは初めて目にする。ローザの笑顔が雪原を照らす太陽なら、この憂い顔は長閑な雪原に前触れなく現れた旋風だ。雪原に佇む者に寒さという本質を思い出させ、ギュッと胸を締め付ける。


 クロはシロを助けた件について後悔はしていない。シロは大切な人だ。クロが養子として迎えられてから十数年、ほぼ毎日を共に過ごし、紆余曲折を経て互いに強固な信頼関係を築くことも出来た。シロの腕を取り戻す条件としてニキを探しに出なければ、攫われたシロを奪還する為の足を途中で止めてしまったならば、きっと今以上の苦悩に苛まれていたに違いない。


 けれど、現状に不満がない訳でもないのだ。


「俺は後悔していない」


 クロは手を伸ばし、沈むローザの頬を撫でる。


 クロがここに縛られているのは身勝手な行動の結果で、渦巻く不満はこれからの行動で晴らせばいいだけだ。過ぎ去った時間に干渉できない以上、現状は変えられないし変わらない。


 目的のない生活――無為に過ぎていく時間に、クロは怯えていた。


 シロやローザから紅緒まで、誰とも共有できない時間の流れの中でクロは生きている。大勢の人が一歩で踏み越える距離を、クロは数歩掛けて進んでいる。『加速』によるメリット――そして誰にも理解されないデメリットでもある。緩慢に流れる時間は、それだけクロに機会と猶予を与える。


 その皺寄せが恐ろしい。


 クロは未来を視ることが出来ない。もしもあの時――その後悔が、今無駄にしている機会と猶予に当て嵌るのではないかと常々不安に襲われている。


 ふと、クロはローザの頬に触れた手を離す。


「……どうした、ローザ?」


 ジッと見つめていたクロは、何かを追ったローザの眼差しを見逃さない。ローザは驚きで目を丸くしながらも、しっかりと指を向ける。


「あの子、クロの連れの子」

「……紅緒か?」

「誰かを追い掛けている」


 クロは慌ててローザの指先に顔を向け、顔を顰める。


「すまない、ローザ。港までの見送りは出来そうにない」

「そう。追い掛けるの?」

「ああ、紅緒が本気で怒っていた。追い掛けないと不味い。任務以外で人目のある場所を飛ばれると色々面倒だ」


 クロはカップに残ったコーヒーを飲み干すと、椅子を引き立ち上がる。


「クロ、気を付けて」

「ああ。行ってくる」


 そしてローザに軽く手を振りながら――周囲の情景から浮かない自然さで、クロはカフェテラスから抜け出した。






 紅緒は走っていた。


 一定の距離を保ったまま、真っ直ぐに自分の荷物を奪った三人の男たちを追っているのだ。息は全く乱れていない。全力で走れば荷物を持った金髪の男に追い付き、奪い返すことも容易い。


 だが、問題は人目だ。


 荷物を掏られた少女がいて、その子が荷物を奪った男を追い掛けるのならば世界各地で見られる光景だ。治安の良い台湾では珍しくはあるが、まだ常識の範囲内に収まる。


「撒く為に路地に逃げるか、振り向いて返り討ちにしようと画策するとか……ないの?」


 走りながら紅緒は悪態を吐く。


 街の住人の大半は見て見ぬふりで、残りは携帯端末の内蔵カメラで顛末を撮影している。この状況で紅緒が成人男性三人に追いつき捕まえるようなことがあれば、それは常識の範囲内の出来事ではない。焼け石に水な気もするが、少しも水を掛けないよりは自分の賢さを示せる。


 紅緒が掏られた荷物の中身には、クロと共用で使っているTPTO本部からの連絡用端末も入っている。そこから抜き出せる情報はあまりないが、連絡用の暗号を解析されれば全ての通信機の仕様を一から組み直さなければならない。奪われてはならない代物だ。クレープを買うほんの僅かな合間に強奪され、イチゴと生クリームのたっぷり入ったクレープを受け取ることも出来ずに追わざるを得なかった。


 紅緒は走り始めてすぐ、相手が普通の物取りだと考えるのを止めた


 相手はプロだ。プロの物取り――ではなく諜報畑の人間だと察したのだ。紅緒の荷物の中身を知っているが故に奪い取り、逃げるその走り方も日常生活で身に付くモノではない。三人と言う人数も厭らしい。一人や二人ならまだしも、三人の成人男性相手に飛び掛かる勇気ある一般市民は存在しないからだ。


 全力疾走の追走劇は、既に十分を超えた。


「くそっ!」


 前方から悪態が聞こえる。三人の足は疲労に喘ぎ、次第に回らなくなり始めていた。速度が落ち、その足跡の隣には汗の粒が滴り落ちた跡が残っている。紅緒と三人の違いは、強化型の『魔法権利』による身体強化だけではない。持久走において重要な要素である体重が違いすぎるのだ。男たちの体重は筋力を付けた成人男性に相応しい七十キロから八十キロ台、反面紅緒は四十キロ――空を飛ぶ紅緒は自然と脂肪が付き難い身体になっている。一時的に脂肪や筋肉が付いたとしても、燃費の悪い『羽化』を使う度に元の軽い身体に戻ってしまうのだ。


 軽い紅緒に追い立てられ、三人の進路は人気のない路地に向いていく。


 そろそろかと紅緒が身構えたその時、荷物を持っていない二人が振り返る。


「このガキ、しつけえんだよ!!」

「ぶっ殺すぞ!!」


 一人は黒髪で目の下に傷があり、もう一人は赤毛で目付きが悪い。黒髪はアジア系の顔立ちに見えなくはないが、純粋な台湾人としてはあり得ない造形だ。


 どちらも手には安っぽいバタフライナイフと多量の汗を握っている。


 紅緒はクロとお揃いのアロハシャツを脱ぎ捨てチューブトップのアンダーを晒して、か細い体の大部分を肌色に塗り替える。アロハの下に肩と背中が大きく開いた服しか着ていないのは、『羽化』を使う度に上着が破れてしまうからだ。専用のコートでは背中の翅部分を考慮して作られているが、市販品にそんな構造はない。三人を始末した後、破れたアロハシャツと露出過多な服装で街を歩く気分には到底至らないと分かり切っているのだから、上着(アロハ)は脱ぐしかない。


 扇情的な装いで街を歩くのは、もう懲り懲りだ。


「げっ、ちょっと待つの!」


 長く薄く透明な翅を取り出した紅緒は、慌てて翅を震わせて地面を蹴る。羽搏きで勢いを殺したが、慣性に流されて爪先だけが前進する。


 ナイフの切先が紅緒の爪先を掠めると同時に、ガンッ!! と痛そうな音が響き、ナイフを振った男二人の背中に何かが打ち当たる。


 飛んできたのは、二人を置いて先行した金髪だ。


 そして金髪を飛ばしたのは、角材を持ったクロだ。


「ご、ご主人……えっと、その……ごめんなの!」


 紅緒は金髪と一緒に飛んできた荷物を受け取ると、滞空したまま進行方向に佇むクロに両手を合わせて謝る。血濡れた角材を捨てたクロは無言でつかつかと靴を鳴らして近づき、紅緒は無意識に後ろへと流される。


「そいつの顔、見た覚えがある」


 クロはよろよろと起き上がった黒髪が手にしたナイフを蹴り飛ばす。そして頭を抑え付け、その鼻頭に右膝を叩き込む。血を吹き出した鼻を抑え悶える黒髪を無視して、クロは赤毛を指差す。


「英国秘密情報部のリストに載っていた顔だ。ここで言う情報部とは、俗に言うMI6だ」

「ジェームズ・ボンド?」

「そうだ。だが……」


 頭を押さえて立ち上がろうとした金髪の顎を、クロは容赦なく蹴り飛ばす。歯が折れ、飛び散り、壁に叩き付けられた金髪は口から血を流しながら動かなくなる。


「紅緒、こいつらがジェームズ・ボンドに見えるのか?」


 クロは起き上がって逃げ出そうとした赤毛の足を払い転倒させる。そして黒髪が落としたナイフを手に取ると、躊躇なく赤毛の脹脛に突き立てる。


「ご主人……、……ひょっとして、怒ってる?」


 地上に降りられない紅緒は、恐る恐るクロに尋ねる。


「……お前には、そう見えるのか?」


 悲鳴を上げる赤毛の脹脛からナイフを抜き、その傷口を踏みつけているクロが静かに答える。赤毛の叫び声に埋もれない通りの良い声に怯えた紅緒は、震えながら覚悟した。


 次の追走劇があるのなら、追われるのはきっと自分になるだろう、と。


MADMAX見てきました

実は他にも色々見てますが、これほど何も考えずに見れる作品は稀ですね

とりあえず爆発させとけ!って精神は嫌いじゃないです

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