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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第三章:許されざる者
102/119

Ⅰ-1 執行官



「貴方には幾つかの選択肢が用意されています」


 クロが目を覚ましてすぐに手術が行われた。麻酔が効かない、激痛を伴った手術だ。クロの腹部は打たれ、撃たれ、斬られ、ぐちゃぐちゃになった内臓は治癒能力だけでは正常の機能を取り戻すことは出来なかった。もう一度切り開き、内臓を元の配置に置き換える必要があったのだ。


「お前たちは俺を殺す気なのか?」


 手術が終わって数時間後、『加速』により強引に傷を塞いで抜糸も終えたクロの元に最初に来たのは、医者でも軍人でも知人でもない、検察庁の人間であった。


「その選択肢もあります」


 椅子に座った女が、口を開く。


 黒い髪に瞳、高い鼻に薄い唇の若い女性だ。年頃は二十代にも三十代にも見える。検事の激務が若さに影を落としているのだろうか、はっきりとした年齢は分からない。自他共に妥協を許さない厳しい人間のみに身に付く、鋭い眼光を持っている。


「黒田玄輝(くろき)さん、貴方には幾つかの容疑が掛かっています」


 フルネームで呼ばれるのは数年振りだ。誰も彼も皆、シロと合わせて自分をクロと呼んでいた。決して長くはない名前だが、クロのより短く鋭い語感には勝てずに誰も呼んでくれない本名だ。


「容疑?」

「殺人、殺人幇助、器物損害、軍施設への無許可侵入に密入国」

「…………」

「挙げればキリがありません。ですが、やはり問題は……」


 検察庁の女性は大きな溜息を吐いて、口にする。


「脱獄幇助です」

「だろうな」


 検察の人間と聞いて、クロがまず最初に連想したのは紅緒を連れ出したことの追求であった。紅緒を連れ出した時のケイジの反応から、越えてはならない一線を越えたのだという予感はしていた。


「ですが、これはその気になれば幾らでも握り潰せる類の犯罪です。数年前のマンションの火災により八幡紅緒は戸籍の上では既に死んでいます。九州の件での首謀者と言っても、その事実を知るのは収監を許可した検察庁の一部と政府上層、そして軍だけです」

「国民はその事実を知らないから、握り潰せると?」

「そうです。法治国家なのに、と思われるかもしれませんが、AFや『魔法権利』といった超常的な存在が絡む現在、超常が存在しなかった時に定められた法のみに頼っては国が立ち行かなくなります」


 今の法律は、あくまで人間社会に適応した法律だ。『魔法権利』で相手を殺しても、証拠不十分で立件出来ない案件は過去何度もあったのだろう。


「なら何故、俺に容疑が掛かる?」

「殺人に関与したとして追及が来ています。あの場所を襲撃した武装組織の中には日本で活動していた民間警察の構成員も含まれていました。図々しいことに本国の親会社が、事件に対処している最中に貴方に構成員を殺された。そう訴え出ました」


 彼女の喋る相手方の主張を聞いて、クロは唖然となる。


「検察は、その主張を受け入れるのか?」

「本来なら受け入れません。ただ、この情報は既にマスコミ側にリークされ、止める間もなくニュースとして流されました。多くの人が知り、世間が注目しています。裏の事情を知らない検察内部では法の番人ならば起訴して当然、そういった空気が満ちています。通常なら貴方が法廷に立たずにやり過ごすのは不可能です。そして何より――――」

「……法廷に立てば、その他の案件の揉み消しも難しくなる」

「その通りです」


 法廷に立ったとして、民警構成員殺害の容疑は問題なく晴らすことが出来るだろう。けれど密入国と脱獄幇助に触れられでもしたら、クロは途端に言い逃れが出来なくなる。軍も検察も、リスクを負ってクロを助けるとは思えない。クロはどちらの構成員でもないのだから。


「……何年だ」

「求刑されれば最低十年、最高で終身刑まで。相手がどれだけの情報を掴んでいるのか分かりません。政府も一枚岩ではなく、相手に懐柔された輩がいないとも限りません。味方も決して多くない。世論は少なくとも、貴方を良く思っていない」


 クロは相手の言葉を先回りして、終着点だけを呟く。


「だから、俺に死ねと」

「そうです」


 死とは生命的な死ではない。死亡扱いで戸籍を無くし、社会から個人としての存在を消し去ることだ。司法取引を提案するということは、消えた後の受け皿も用意しているのだろう。


「死んだことにして、海軍情報部にでも組み込まれるのか?」

「それも選択肢の一つです」


 クロに与えられた選択肢とは、法廷で争った後に監獄で半生を過ごすか、個人としての記録を残らず抹消して軍に所属するか、そのどちらかだ。


 どちらも重い。今後の全てが決まる選択肢だ。


「ところで、お昼はもう済ませましたか?」


 唐突に、けれど自然に彼女は口にする。検察庁の人間はもっと真面目て硬い人間ばかりだと思っていたクロは、その空気を緩める提案に眉を寄せる。


「まだなら、外の子も誘って一緒に行きませんか?」

「…………」

「支払いは経費で落ちるので、気にしなくて結構です。続きもそこで。暗い話も、美味しい物と一緒なら多少は明るくなりますよ」


 どういった意図かは兎も角、食事の誘いは有難い。


 点滴だけではやはり物足りない。、ローザが作ってくれた朝食以来、クロは真面な食事を取っていないのだ。空腹は最高潮に達している。手術後の自分に医者は許可しないかもしれないが、何かを詰めておきたい欲望には勝てない。


「ご馳走になります、検事さん」


 検察庁の彼女の言う外の子に淡い期待を抱きながら、クロは彼女の提案に乗る。


「急に畏まるのは、不安になるのでやめてください。……高すぎる店はダメですよ」


 そう言うと彼女は椅子から立ち上がり、杖を突いて扉へ向かっていった。





 外の子とはシロでもローザでもなく、紅緒であった。ジーンズにコートにキャスケット帽子の何処にでもいる若者のような装いだ。キャスケット帽の隙間からは三色の髪の毛が見え隠れしているが、それも含めて不自然には見えない出で立ちだ。


「ご主人、露骨にがっかりするのは止めて欲しいの」


 病室の外の壁に凭れ掛かる紅緒を見つけたクロを見て、紅緒は口を尖らせる。


「紅緒、検事さんがご飯を奢ってくれるらしいが……、一緒に行くか?」

「当然、ご一緒するの」


 手の平をくるりと引っ繰り返し、紅緒は不満を笑顔に塗り替える。


「それで、何処にいきますか? そちらで決めて結構ですよ」

「なら病院を出て、一番近い店にしよう。なんなら病院の売店で適当に軽食を買って、ラウンジか外で食べてもいい」

「ちょっと待つの」


 紅緒は笑顔を剥ぎ取り、真顔でクロの肩を掴む。ギリギリと筋肉と骨を締め上げるその腕には、冗談が通じそうになかった。


「検事さんは足が悪い。遠出は出来ないぞ」


 クロは紅緒に、出資者がどのような状態なのかを確認させる。彼女は右足を引き摺るようにして進み、杖なしでは歩けない。そんな状態の相手に遠出を強いるのは、少しだけ思いやりに欠ける。


「問題ないの。今日病院まで、この人の車に乗って来たの」

「心遣い感謝します。ですが遠慮なくどうぞ。経費で落ちますので」


 思いやりが全てではない。クロは複雑な心境のまま、紅緒に手を引かれながら歩き続けた。





「貴方たち、よく平気で食べられますね」


 濛々と煙が立ち上る机をクロと紅緒、そして出資者の三人が囲んでいた。箸が進んでいるのは専らクロと紅緒で、取り残された彼女は呆れ顔でその食欲を眺めていた。


「見ず知らずの他人と食卓を囲めない類の人間なのか? なら済まなかった。配慮が足りなかった」

「ご主人、違うの。手術で腹を掻っ捌いたのに、こんな重いモノをパクつくご主人にドン引きしてるの」

「……そうなのか、検事さん?」

「違います」


 検察庁の彼女は首を振る。潔癖症やクロの超人具合に引いているのではなく、もっと根本的な部分に存在する相違点に戸惑っていた。


「貴方たち、先の件で人を何人殺しました?」


 食事時の話題ではないと理解しつつも、彼女は嫌々口に出す。反面クロと紅緒は気にする様子もなく、指を折っていく。


「私は十人ちょっとしか殺していないの」

「お前は俺より殺しているぞ、紅緒。俺も……、多分両手両足の指だけじゃ足りないは」

「即死させた相手だけしか数えてないの。撃たれた後に出血多量で死んだのは私が殺した内に入らないの。生き残れない、貧弱な奴らの責任なの」

「それがどうかしたのか、検事さん?」

「どうかって……、いえ、それより一つ訂正があります。私は検事ではなく、まだ検察官です。なので検事と呼ぶのは止めてください」


 紅緒は口の中のモノを飲み込むと、次の手を伸ばす合間にさらりと返す。


「検事じゃないのは知っているの」

「検事は特定の公職に就き一定年数経過人物しかなれない。検事さんのような若い人は、検事という役職には絶対に就けない。"検事さん"と俺が呼ぶ理由は、"検察官さん"だと語呂が悪いからだ」

「……博識ですね。もっと頭の中身まで筋肉で、人殺しが大好きな人間かと思っていました」

「統計的に罪悪感を合理的に打ち消せるサイコパスは総じて知能指数が高めらしいの。ご主人もつまりは、そういうことなの」


 店員が運んできた皿を受け取りながら、紅緒は悪びれもせず締め括る。流石のクロもその物言いには思う所があったが、それ以上は何も触れずに会話を元の路線に戻す。


「俺たちの殺しと今の食事、何か関連性があるのか?」

「わっ、折角話題を変えたのに……、ご主人はもう少し空気を読むべきなの」

「まさか検事さん、ナイフや素手で人を殺した後なのに、肉を躊躇いなく口に放り込めるのは……とでも言う気なのか? 殺したのは俺たちで、検事さんじゃない。更に言うならリクエストしたのは紅緒だ。検事さんが気にする必要はない」


 クロの言葉に図星を刺されて、彼女は何も言えずに黙ってしまう。


 紅緒がリクエストしたのは事もあろうに焼肉で、偶然入った焼肉屋は昼時にも拘わらずに大変な賑わいを見せていた。ナイフと拳と銃弾で『黄金の羊』の構成員をボコボコにして、彼らから夥しい量の返り血を浴びた二人が平然と座っていると知ったなら、まず間違いなく多くの客が食欲を失くし出て行くだろう。


「ただ、検事さんの考えは最もだ。これから擁護しなければならない相手の頭のネジが前評判通り二、三本抜けているなど、たとえ事実でも知りたくなかったに違いない。心象に関わり、裁判にも影響が出る」


 クロは惜しげもなくそれを口にする。その発言の意図に気付いた紅緒は机を叩き、立ち上がる。


「ご主人、裁判に出るの? 司法取引で軍に入らないの?! これからも私と一緒に戦わないの!!?」


 紅緒の大声は店中の視線を集める。これまでの口調から察するに、検察官の彼女も紅緒と同じく司法取引を受けるものだと決めつけていたのだろう。クロの発言に懐疑的な目を向けている。


「悪いな、紅緒。俺は死ねない。死ぬくらいなら、一生塀の中で暮らす」


 紅緒は立ち竦んだまま何を喋っていいのか分からずに口をパクパクと動かしている。


 察しの良いクロは、どういった意図で紅緒がこの場所にいるのかも理解していた。紅緒を地上に連れ出したあの時、クロは侍風の男――守矢から、紅緒の首輪という役割を押し付けられていた。その首輪が役割を放棄して監獄に身を寄せるとなると、紅緒を待っているのもクロと同じ鉄の枷と暗い監獄だ。


 故に紅緒は唇を噛み、クロの選択を受け入れ切れずにいた。


「死んだらシロとは会えない。俺は死ねない。絶対に」


 シロと再開するだけなら塀の中からでも十分だ。個人を殺して軍の歯車となり、擦り減れば擦り減る程、きっと自分が望んだ未来は遠のいていく。軍は作戦より個人を優先しない。シロを優先出来ない。命令のまま戦場から戦場を渡り歩き、果てに待っているのは自分の名前が刻まれた冷たい墓石で、足元には死体の山だ。きっとそこに、シロはいない。


 紅緒には悪いが、どちらかと問われればシロを取るのは当然だ。


「やはり、守矢大尉の読みは正しかったようですね」


 そんな二人の様子を見て、検察官はやれやれと首を振る。


「残念ながらクロさん、貴方は法廷には立てません。立たせません。メディアが煽り立て、世論がどれだけ騒いだとしても、権利者二人分の損失は補えない国の損失です。安易に認められません」

「なら、どうする」

「新たな選択肢を提示します。他国に亡命するか、一度国家の枠組みから逸脱するか。亡命の打診はロシアとアメリカ、どちらもあまりお勧めしません。少なくとも、日本には十年単位で帰ってこれなくなります」


 検察官の口調は、あまり乗り気なモノではない。ならば亡命は本命の後者を釣り出す為に提示したに過ぎないとクロは推察する。


「逸脱とは?」

「TPTOの執行官です。執行官はTPTO加盟国――主に太平洋沿岸国の凶悪犯罪組織や『魔法権利』を使用した犯罪の取り締まり、そしてAFが発生した場合の初動制圧任務など、超国家的な戦闘集団です。八幡紅緒も出向という形式で同行させることも可能です。彼女は今、一応情報部の所属となっていますからね」

「…………」


 美味しい話だと、クロは直感的に気付く。これが彼女――延いては軍か政府かは分からないが、この国の上層が用意した本命なのだろう。国家や民族と言った帰属意識とシロの存在により縛り、自国の脅威を鋭敏な嗅覚で嗅ぎ取り潰せる力を責任の所在を曖昧な場所に置いて操作出来るのだ。


 軍に組み込むより、監獄に詰め込むより、他国に渡すより、日本国籍を維持したまま国際機関に所属させる立ち位置の方が、断然都合が良い。


「条件はあるのか?」

「はい。給与や交戦規程などは別途説明しますが、それとは別に貴方に打診した相手から三つほど。一つは今の名前を捨てること。一つは二年後に行われるアフリカ奪還作戦に参加すること。そして最後に任を解かれる二年後まで、可能な限り素性を隠すこと。特定の相手を除き明かすことは出来ません。友人にも、親族にも」

「任地で”偶然”出会ったら?」

「それは不可抗力です。以上の三つの条件を了承していただけるなら、政府も貴方が執行官として活動することが認可出来ます。当然心配なのは分かります。任期の二年間、貴方が職務に専念出来るように貴方の義理の妹は我々が責任持って保護します。なのでご心配なく励んでください」


 ピクリとクロの眉が動く。名前を捨てることも、アフリカを取り戻すことも、あまり重要な条件ではない。素性を明かせないのも、この際受け入れるしかない。だが今回襲撃を受け、護衛ごと連れ去られておきながら「保護します」と言い切った相手の厚顔無恥さ加減は、少しだけ気に障る。


 その言葉に責任が持てるのかと問い質したくなったが、思い留まる。


 この検察官に悪気はない。与えられた役割を果たしているだけだ。


 そうだと分かっていても、釈然としない。そもそもシロを保護するなど到底無理な話なのだ。シロは自信家で、努力家で、欲しい物を手に入れる為には手段を選ばない傍若無人な本質を華麗な容姿の裏に隠している。寝続けて弱っていた時とは違う。そうと決めれば、監視も護衛も振り切って独りで飛び出すような苛烈な性格と行動力を秘めている。だからこそ、隣で大人しくしてくれることに、一層の喜びを感じるのだが。


 果たしてシロは、名前を捨てた自分を探してくれるのだろうか?


「その話、是非受けよう」


 少しだけ、興味が沸いて来た。


「なら、この書類にサインをしてください。現在の黒田玄輝の名前で結構です。死亡前の手続となりますので」


 書類は何枚も重ねられ、最初の一ページ目からぎっしりと文字が詰め込まれていた。隣で覗き込む紅緒はそれを見て呻き声を漏らしたが、『加速』を持つクロには大した障害にはならない。


「悪趣味だ。この書類を作った奴の顔が見たい」

「私、碓氷が指示された通りに作りました。何か不備でも?」


 クロはサインを終えた書類を検察官に渡す。彼女は受け取るとペラペラと捲り、必要箇所全てに記してあるかを確認する。そして問題ないと分かると手を差し出す。


「それでは世界をよろしくお願いします。伯谷玄輝執行官、八幡紅緒特務」

「世界なんて知らん」

「上に同じなの」


 クロは書類一枚で一度死に、蘇った。


 名前を捨てろ、とは誰が出した条件なのかクロは考える。結局クロが捨てたのはシロと過ごせる二年もの時間だけだ。黒田の姓も捨てなければならないが、逆に名前を取り戻してもいたのだ。


 紛い物ではない十五年前に捨てた本当の名前――伯谷とはクロの生家、母親の姓だ。


 考えるまでもない。クロの過去を握り、現実に影響力を持つ人物と言えば限られる。満州の地にクロを呼び出し、敵を呼び寄せた浅黒い肌の少年だ。


「ニキは、俺に何をさせたいんだ」


 ニキが自分に何をさせたいのかは分からない。


 だが誘われた先に平穏が待っているとは、どうしても思えなかった。


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