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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Epilogue - 行先/対価



 クロの真正面に現れた攻撃ヘリは、まるで巣に近づく外敵を威嚇する黒い蜂のようであった。鋼鉄の巨体の上部に備えた六枚の大きな羽を回転させていたが、その羽音はほとんど聞こえてこない。静かに、けれど六枚羽の生み出す風圧が確かな存在感となり、今まさにクロを刺そうと針を向けている。


「待ちなさい! 聞こえないのか!!」


 しかし博士の良く通る声が裏から届き、攻撃ヘリは機体を傾けてクロの前から離脱する。離脱する寸前のパイロットの顔ははっきりと分かる程に不機嫌で苛立ちを顕わにし、けれど博士の言葉には逆らえないのか嫌々ながらも従わざるを得ない。そんな様子が見て取れた。


 黒く大きな蜂が去った後、博士もパイロットに負けない程に不機嫌な顔でクロに近づいてくる。付き従うズィルバーも不機嫌で、クロも不機嫌と怪訝を足して割った表情をしていた。


「何の真似だ」


 声が届く距離になり、クロは真っ先に口を開く。博士が一度喋りだしたら止めることも、話題を割り込ませることも難しいとクロは嫌と言う程知っていた。故に今は博士に先手を打ち、真意を尋ねなければならない。


「何の真似? ヘリを制止し、キミを助けたことについて訊いているのかい?」

「そうだ」

「なら理由は単純だよ。忘れ物をしたからだ。私はキミに自己紹介をし忘れ、キミが抱える疑問の一つを解消していない。私はそういう中途半端が嫌いでね、良い機会だから戻って来た」


 そんな理由で、と呆れるクロとズィルバーを余所に、博士は続ける。自分の命を奪おうと攻撃を仕掛けた相手に、自己紹介がまだだと戻って来た。普段なら何か裏があるのではと勘繰る状況でも、この狂人ならばやりかねない。


「まずは自己紹介からだ。私の名前はモニカ・ハイドレインシャ、組織の皆は私のことをハイド博士と呼ぶ。多重人格ではないよ。あの小説で博士はハイドではなくジキルの方だからね。そして私はキミに少しだけ興味がある。私のことをハイド博士ではなく、モニカと呼ぶ権利を与えよう」


 嬉々として口を動かす博士を、クロは切って捨てる。


「そんな権利はいらん」

「手厳しいね。それでは次に私たちの組織についてだ。聞きたいかね?」

「それは聞きたい」

「素直でよろしい。では、まずは――――」

「待ってください、博士!」

「どうしたのかね、ズィルバー君?」


 博士の口は調子よく回り始め、静観していたズィルバーは慌てて止めに入る。


「ああ、言いたいことは分かってる。喋り過ぎるな、だろう? 心配はいらないよ。こう見えても私は頭がいい。その分口も軽いが、どこまで話せば尻尾を掴まれるのかは理解している。株式会社じゃないんだ。組織名を名乗った所で照会出来る場所もない。インターネットで検索したら出てくるかもしれないが、ふふん、そんな場所に落ちている真実なんて、仮に真実だとしても真実ではないのさ」


 言葉のダム(ハイドレインシャ)は適量の言葉を吐き出してズィルバーを黙らせると、再びクロに向き直り喋り始める。


「まず改めて自己紹介、私はハイドレインシャ。結社『黄金の羊たち』で技術顧問の役職に就いている。博士、狂人、変態、危機中毒者(リスクジャンキー)など呼び名は様々だが、私から見れば一人の少女を天使(アンヘル)と崇め、自らを差し出す生贄の羊たちの方が余程狂っているね。ちなみに、『黄金の羊』の名付け親は私だ」


 妙な説得力を持っている生贄という単語にクロは苦笑する。天使に生贄を与えてどんな見返りを求めているのか分からないが、この場に集った羊たちは、残り一人しか居ない。


 クロはズィルバーを指差し、博士の言葉を引用して皮肉を言う。


「ここの羊たちは、そいつ以外全て狼に食べられたぞ」


 その一言でズィルバーの眉間に皺を寄せ、一回り年下のクロに本気の殺意を向ける。それでも殴り合い殺し合いにならないのは、クロに同調する博士が隣にいるからだ。


「やはりキミは良いね。頭も悪くない。私が羊の一員ではないとしっかりと見抜いている。そうだ、その通りだ。私は結社に属しているが、正式な意味では彼らの仲間とは言えない。力を貸しているだけで、決して同胞にはなれない。何故なら私は羊から余計な毛皮を剃り落す役だからだ。アンヘルなんて子供には心酔していないし、あんなガキの元に集まってくる輩は心底馬鹿だと軽蔑もしている。ああ、ズィルバー君、怒らないでくれ。キミは別だ。キミは違う。犬だよ、犬のような羊。羊飼いの手先で、普通の羊ではないのだよ」


「博士、早く済ませてくれ」

「そうだね、ヘリを待たせているんだった。それで続きはまた今度、時間がある時にじっくり話してあげよう」

「必要ない」

「ああ、そんなことを言わないでくれ。私の話を黙って聞いてくれる人間は貴重なんだ。話しを始めたら皆が逃げる。私の話を聞いてくれるのは、昔馴染みのズィルバー君とリッキーと、あとはキミくらいだ」


 自分もズィルバーも、うんざりして何も言わないだけだ。けれどその一言を伝えたら、数十倍になって返ってくる。それを察しているからこそ、余計なことは何一つ言わないのだ。


「それについては、また今度でいいかな」


 ズィルバーに急かされ、クロに冷たくあしらわれ、勢いを殺がれた博士は元の落ち着いた説明口調で、やり残したやるべきことを始める。


「それより今は、キミの抱える疑問を解消しなければならないね。そういう約束だ。もう少しだけ、私の声を聞きなさい」

「約束はしていない。疑問も抱えていない」

「疑問とは潜在的に誰もが抱えているモノだよ。気付かないだけだ。指摘されたら、ああそうかと気付く類のモノだ」

「お前が生き残っているのが一番の疑問だ。敵は勿論、仲間から殺されても不思議じゃない」


 クロの言葉に、博士は確かにと何度も肯く。


 茶番なのは嫌という程に分かる。だが失血と疲労と空腹で真面に戦えない現状、ズィルバーとの戦闘は可能な限り避けたい。この際博士を見逃すことにはなるが、話すだけ話して満足させるのが一番無難な逃げ道だ。


「その疑問も、後で解消されるだろう。ただ、今解消するのはこれだ」


 そう言うと博士はビシッとクロを指差す。


「何故、私が一目でキミが敵だと理解出来たのか。これはね、最新のギミックのお蔭で見破れただけで、キミには難解な問い掛けになる。ああ、補足しておくが私は羊たちの顔なんて覚えていないよ。さて、何故だか分かるかい?」

「…………」

「当然、分からないだろうね。なればヒントをあげよう。キミが日本人だからだ」

「人種が関係あるのか?」

「人種はないよ。原因は言語だ」


 端から状況を掴めていないズィルバーとは違い、クロは言語と言われ一つの可能性に辿り着く。それはとてもアホらしく、一目……いや、一耳しただけでクロが身内でないと分かる落とし穴だ。


「博士か」

「正解! 疑問が解消すると、心が晴れやかになるだろう? 病みつきになる。疑問が正答に変わり、正答が幸せに変わる。そして幸せは、心を満たすのだよ」

「…………」

「博士、俺にも説明してくれ。博士と識別に何の繋がりがあるんだ?」

「ズィルバー君、キミは日本語を学んでいないね?」

「ああ。言語の違いなど、今は些細な問題に過ぎない。妙な輩が魔術だの魔道だの良く分からん方法を使ったお蔭で、今は誰とでも同じように喋れるようになっている」

「そうだね。知っているよ」


 型通りの返答に博士は溜息のような相槌を打つ。


 ズィルバーの口から出た言葉は、クロの想像を裏付けする。この二人は口語の垣根が消えた絶妙なタイミングで診療所を強襲し、言葉の通じない笹葉耳の少女の強奪を企てた奴らの一員だ。ただ、十中八九そうだと確信があっても、突飛な内容なだけに安易に結びつけはしなかった。


「まあね、簡潔に言うなら日本語のハカセには幾つか意味があるんだ。狭義から広義まで、様々な意味がね。だが、私の耳では彼の言葉は全て英語だ。キミ、英語で博士のことを何と呼ぶ?」

「ドクター」

「そうだ。だが組織の中で私はプロフェッサーと呼ばれている。日本語ではキョウジュに当たる言葉だ。何故そうなったのかも、呼ばれてすぐにピンと来たよ。私を教授(プロフェッサー)と呼ぶ多くの者が、他人の頭を弄る私の姿を医者(ドクター)と重ねていた。心の中でね。だからプロフェッサーと発声しても心の中で思った姿はドクター、故に変換後のキミには博士(ドクター)として聞こえた。ただ、それだけの話だよ」


 そう言って博士は肩を竦めて見せる。


「まあ、羊たちが私をどう思っていようと、私は私が求める対価を頂くだけだ。そしてキミも、私の羊たちを殺した代償は支払わなければならないよ。分かっているね?」

「……なに?」

「キミの疑問を一つ、私が解消してあげよう。何故誰からも恨みを買っている私が、敵からも味方からも殺されずに今まで生きてきたのかを」


 博士はそう言うとくるりと身を翻し、ズィルバーを伴って後ろで着陸して二人を待っていた輸送ヘリに向かっていく。博士の言葉と行動の真意を読み取ろうとするクロだが、それはすぐに形をなって現れる。


「私はね、用意周到なんだよ。頭が良くて計算高い。キミに悟られないように攻撃ヘリを送り返し、弾薬と燃料の補給を受けさせ時間を稼ぐくらいには有能でもある。ああ、地下に逃げようとしても無駄だよ。今度は焼夷爆弾を持って来させたから、みんな仲良く蒸し焼きになる!」


 豆粒のように小さかった攻撃ヘリは次第に近づき、その姿を視認出来る場所を飛んでいる。あの攻撃ヘリに積める爆弾が地下まで届くとは思えず、海への逃げ道もある地下で蒸し焼きになる規模の爆弾なら、そもそも逃げた所で意味がない。


「ああ、そうだ! 一つ誤解を解いておかなければならない。私はあの小娘(アンヘル)を信奉してはいないが、彼女の『奇跡』には少しだけ期待している。それだけだ。ではクロ、生きていたら、また会おう!」


 クロの耳に、最早博士の言葉など届きはしなかった。博士とズィルバーを乗せて離陸した輸送ヘリも見ていない。今必要なのは、数十秒後にやってくる攻撃ヘリを落とせるだけの火力だ。


 幸か不幸か、ここには沢山の武器がある。AFにやられた日本軍の武器を回収したのか、各倉庫に大口径の銃火器も多く揃っていた。対空ミサイルも保管されていた。


 だが、それを取りに行く時間的余裕はない。


 今一番身近にあるのは、紅緒の迎撃に出た輩の使っていた銃火器だ。


 クロは足元に転がる死体を踏みつけ、彼らの使っていた中から大きな銃を二つ選び出す。どちらもそれなりの重量だが、替えの弾倉を探し出す手間が惜しい。ヘリを落とすなら最低でも五十口径、それより下だと牽制程度にしかならない。


 それでも、撃たないよりはマシだ。


 幸いどちらの銃の弾薬箱にもジャラジャラと弾が詰まっている。クロは狙いを付け、空に向かって引き金を引く。銃口が光り、弾丸は現れたばかりの攻撃ヘリに真っ直ぐ向かっていく。


「くそっ!」


 それでも高高度を飛んでいるヘリには当たらない。仮に当たったとしても、効果があるかは分からない。機銃で対地攻撃を加えるのなら高度を落とす必要もあるが、積んできた誘導弾を目的の場所に落とすだけなら高度を維持したままで十分なのだ。


 クロは一丁目の銃に詰まった銃弾を全て使い終え、二丁目の銃に持ち替える。


 攻撃ヘリは被弾を嫌い旋回し、クロはそれを追い撃ち続ける。


「くそっ! くそっ!!」


 数十発の弾を吐き出して二丁目の弾薬箱も空になる。万策尽きた。後はあの攻撃ヘリが爆弾を落として、この一帯が燃え上がるだけだ。何を何処で如何にして間違えたのかは分からない。後悔は尽きない。全力を出せておらず、最善も尽くせていない。


 こんな所で、終わりたくない。


「ふざけるなっ!!」


 クロは最後の足掻きのつもりで、十キロ近くある機関銃を放り投げる。飛んでも数メートル、当然機関銃は攻撃ヘリまで届かない。


「なっ!」


 だがヘリは爆発炎上――そして墜落する。


 耳を劈く爆音と降り注ぐ破片、爆風に煽られてクロは思わず腕で顔を覆う。


 偶然当たった銃弾が致命傷に繋がったのか、それとも積んだ爆弾が誤作動を起こしたのか――そのクロの考えを、突如現れた黒い影と肌を刺す冷気が一掃する。


「カーマインと……」


 黒煙を振り払ったカーマインは、呆然と見上げるクロに背中の人影を落としていく。決して低くない高さだ。そのままだと大怪我は免れないと気付き、クロは慌てて受け止める。


「ローザ!」

「クロ、間一髪?」

「お互い様だ。落ちたら大怪我だ、ローザ」


 受け止めた衝撃で熱を持った腹部の傷が痛みを吐き出すがクロは堪え、抱えたローザを降ろす。血はもう全て出し尽くした。今はただ、眩暈と寒気と激痛だけが溢れ出している。顔色も、ローザの灰色の髪に負けないくらいに青白い。


 それでも、クロは言葉を捻り出す。


「助かった、ローザ。ありがとう」

「礼はいらない。私はクロの相方。助けるのは当然」

「カーマインも、助かった」

「気にするでない。ワシは灰色に突かれて飛んだだけぞ」


 『縮尺』を文鳥サイズに切り替えたカーマインは、立っているのがやっとな状態のクロの右肩に降り立つ。このサイズのカーマインは軽くそれほど負担も掛からないが、それでも今のクロには辛かった。


 クロは座り込むと、人差し指でカーマインの頭を撫でながら


「地下にシロがいる」


 と短く伝える。クロの意図を読み取ったカーマインは飛び上がると、頭上で旋回しながらクロに尋ねる。


「地下……、入り口は何処だ?」

「あそこに居る奴に訊け。紅緒だ。案内もしてくれる」


 クロは半壊した倉庫の一角を指差し答える。そこには地下から出てきた紅緒が隠れ、クロの傍に立つ一人と一羽の様子を窺っていた。ローザとカーマインが敵の場合を想定しての行動だろうが、瀕死の自分に見つかるようでは……、とクロは考え、そこで全てを中断する。


 クロは身体に力を籠めることを止め、糸の切れた人形のように大地に両手両足を投げ出す。ローザの色気たっぷりの太腿が目に入るが、後ろ髪引かれることなく目を閉じる。


「流石に限界だ。少しだけ、寝かせてくれ」


 目を閉じて静かな世界に逃げ込みたかった。ローザも、カーマインも、良く喋る博士も、紅緒も、シロですら、今は相手にするのが億劫だ。


 もう十分だ。身体は無茶な『加速』と生傷でボロボロだ。結局博士も取り逃がした。ローザとカーマインが間に合わなければ死んでいた。


 自己満足ではない。シロは無事に助け出した。シロを攫った輩も沢山殺した。情報部の二人も健在で後の材料になる。


「俺は十分、よくやった」


 だから今だけは寝かせてくれ。


 心の中でそう呟き、クロは深い眠りの底に沈んでいった。




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