アドバンテージの無駄な使い方
じつはある長編の構想のなかの脇役の話
よって、結末がきちんと書かれていません
あまりにも昔に書いた物なので、その内手直ししたいなと
高校3年の夏を目前にした、ある放課後の出来事。
「ずっとお前の事が好きだった。」
私は、気のおけない友人である幼馴染に、夕方の教室に呼び出されていた。
「だから、恋人として付き合って欲しい。」
夕日の差し込む教室での告白。彼には珍しくベタな展開だ。
「ありがとう。とっても嬉しいよ。」
そのベタな告白への私のベタな対応。
「でも、ごめんね。」
しかし、結果は幼馴染物のベタなパターンではなかった。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
「来月にうちのチームに配属されるチーフって、独身の男で他社から引き抜かれたやり手らしいわよ。」
それは、同僚達とのランチ中に隣に座った同僚の何気ない発言だった。
私達の企画営業部は幾つかのチームが存在し、それを取り纏めるチーフが中心になって活動をする。
今のチーフは女性なのだが、既婚者であったこともあり育児休業に入ることが決まっていた。
「えっ、そうなの? 独身って言っても、おっさんとかじゃなくて?」
他の同僚が興味津々とばかりに、質問をぶつける。
「うちのチームって女性がターゲットの商品をメインで扱っているのに男性チーフって馴染めるのかしらね。」
どうやら今日のランチの話題は、新人チーフの話題で決まったようだ。
独身の女性社員にとって、新たに配属されてくる人物が、独身男性でやり手とくれば格好の話題のネタである。
ただでさえ、男性社員は人数が少ない職場なのだ。
「どうなの?あんたの彼氏って人事部でしょ。詳しい事知っているなら教えなさいよ。」
別の同僚が最初に話を始めた同僚に問い正していた。
その同僚は彼氏経由で大抵の人事を社内発表より先に把握しており、今までも彼女から漏れた情報は多々ある。
「落ち着いた感じのなかなか良い男だって彼は言っていたけど。まあ、男の言う良い男だから、どうだろうね。」
数少ない男性社員でしかも人事部としてエリートコースにのっている彼氏を捕まえているからであろう。
優越感に浸った表情で話す彼女を見ていると、人事情報漏洩の事実を上にばらしてやろうかと思うこともある。
まあ、色々面倒な事になりそうだからやらないけど。
「20代の真ん中辺りって言っていたけど。あっ、確かあなたと同じ県出身とか言っていたかな。」
くだんの彼女は、そう言いながらいきなり私を指差した。
「へえ、そうなんだ。楽しみだね。」
それほど興味がある訳ではないのだが、なんとなく会話を合わせる。
大人になるっていう事は、周りの空気を読むってことなのよ。
地元の高校を卒業した私は、上京して東京の大学に進学し、そのまま首都圏の企業に就職。
ある事情から地元の知り合いとはほぼ連絡を取る事も無かった。
そうなると、数年もすれば地元の知り合いとはどんどん疎遠になり、今では実家とさえ殆ど連絡はない。
まあ、こちらでも親しい友人が出来た事もあって、特に不便を感じた事も無かったが。
その間に何人かの異性と親しくなる事もあり、その内の何名かと交際をするに到った。
しかし、私が過去のトラウマから交際に臆病になっている事もあり、結果的に長続きしない交際ばかりだった。
その事にホッとする自分も確かに居て、そんな自分に時たま嫌気を感じながらも、友人達と過ごす休日や遣り甲斐のある仕事と、それなりに充実した日々をすごしていた。
なんとなく、そんな日々がまだまだ暫くは続くと思っていた矢先にそれは起こった。
それが、運命の神様の慈悲なのか悪戯なのかそんな事は分からないが、運命の分岐点だったのは確かだ。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
小学校就学の頃からの幼馴染でもある彼の事を、私は得がたい良い友人だとは思っていた。
落ち着いた雰囲気と真面目で義理堅い性格の為か、私の親を含んだ大人達の受けも良い。
それほど交友関係が広い訳では無いが、それなりに級友には信頼されていた。
「でも、ごめんね。あなたとは付き合えない。」
これが、彼の告白に対する私の回答。
全体的に地味であり、運動でも目立った所は無い。
付き合いの長い私の前だけ限定だが、結構ざっくばらんで幾分傲然な態度をとる事もある。
しかし、どちらかと言うと物静かな性格で話術に長けている訳でも無く、成績も平均よりは上だという程度。
まあ、平たく言うと思春期真っ只中の女子高生だった私にとって、彼は恋人にするには面白みが無く物足りない存在だったのだ。
しかし、私としてはこの幼馴染の事は得がたい友人だと思っていたので、この事でギクシャクしたくは無かった。
その事をどう彼に伝えようかと思い悩んでいる私に彼が掛けてきた言葉の内容は、私の予想の外の内容だった。
「サッカー部の奴と付き合いだしたって噂は、本当なのか?」
それが先月から付き合いだした彼氏の事だと直ぐに分かった。
多少性格と口の軽さはあるものの部のエースで話題も豊富な人気者であり、彼とは正反対のタイプ。
その上、平均以上に整った容姿で、学内でも人気者であり、多くの女生徒が淡い憧れや恋心を抱いていた。
私もその内の一人だったが、それは思春期特有の見栄えの良い異性に対する偶像の様なもので、実際にはその様な心理も周囲の女生徒達の雰囲気に流されていただけの物だったのだろう。
しかし、そんな人気者に人生で初の告白をされ有頂天になっていた私は、その事に気付く事は無かった。
交際の事実を周りに知られたくない気持ちを初めての交際ゆえの羞恥心だと思い込み、他の皆には内緒にする事をその条件として交際をスタートさせていた。
今から思えば交際を隠したかった理由は、只一人の彼にだけは知られたく無かっただけなのに。
「はっ? …いや、何で知っているの?内緒にしていたはずよ。どこで調べたの。」
一番知られたくない相手に知られている。その事実が私の頭は真っ白にした。
そして、そんな私の驚きなどに無視をし、諭すように彼は続ける。
「あいつはやめておけ。お前とは価値観が違いすぎるし、良い結果にはならないぞ。」
私が冷静さを欠いていたのは確かだ。
「なに言ってるの? あんたとなら良い結果になるって言いたい訳?」、
自分の心の中を駆け巡る感情を、淡い恋心を否定されての憤慨とまったく見当違いな勘違いしたまま、私は続ける必要の無い台詞を吐いていた。
交際の事実を彼に知られたことによっての動揺とは気付かずに。
「しかも、こそこそ私の事嗅ぎ回っていたの? 」
「そんな事する訳ないだろう。俺はお前が傷つくのが目に見えているから、心配しているだけだ!」
彼が珍しく声を荒げて反論をして来た。
それが私から更に冷静さを奪って行く。
通常の私であったなら、彼がそんな事をする性格で無い事も、性格と一緒で口も軽かった彼氏が原因で話が広まったのだろうと分かはずだ。
当時に戻れるなら、自分をぶん殴ってでもこの続きの言葉を遮りたい。
「嫉妬からの中傷なんてみっともないわよ。そんな奴だとは思わなかった。金輪際話し掛けて来ないで。」
私の言葉を聞いた彼は、落胆の表情を隠そうともせずに私を見つめた。
その態度が更に私の感情を逆なでした。
「さっさと此処から出て行ってよ! あんたが出て行かないなら私が出て行くから!!」
「……分かった。不快な気分にさせて悪かったな。」
そう言って、教室から去った彼との、これが最後の会話になった。
そして、この瞬間に私の心の中で何かがストンと抜け落ちた。
本当なら後日にでも彼に暴言を謝って、友人としての親交を取り戻したい旨を伝えれば良かったのだろうが、子供じみた意地もあり素直になる事が出来なかった。
はっきり言えば、馬鹿なお子様だった。
こうして私は掛替えの無い相手を失った。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
新たに配属されてきたチーフは、部署内外やチームの意見も効率よく吸い上げて、それ以上の結果を出す等、確かにやり手だった。
平均並の顔立ちだが清潔感もあり穏やかな雰囲気。派手さは無いが思慮深さと行き届いた気配り。
同年代の男がガキに見えるぐらいだ。
きっとこういうのが、大人の良い男というのだろう。
「チーフ。昨日の件ですが、こちらの統計結果も必要かとまとめておきました。確認をして頂けますか。」
そして、いつの間にか私がその良い男であるチーフの専属アシスタントになっていた。
「ありがとう。確かに必要だと思っていた資料だ。助かるよ。」
「いえ、他にも何か必要な資料がありましたら仰って下さい。」
専属アシスタントなんぞ本来ただのチーフに付くわけがないのだが、それが認められる事から彼への会社の期待度が伺える。
まあ、とりあえずチーフと言う事で、来年にはその上に行く事になっているらしい。
これは例の人事部に彼氏持ちの彼女からの情報だ。
「お前を専属にして貰って正解だったな。この手の事は得意だったもんな。やはり俺の人を見る目は確かだ。」
彼が私の耳元に口を寄せて、他の同僚達に聞こえないよう囁いてきた。
因みに私のデスクは、彼のデスクの直ぐ隣に移動させられていたりする。
「うっさい。あんたこそ、その自画自賛するの、いい加減直しなさいよ。」
小声で返す。
「大丈夫だよ。昔からお前以外にはやらないから。」
将来を嘱望さているチーフの専属アシスタントなど、羨望の的であり実際に同僚達には羨ましいがられた。
しかし、私にとってはチーフの専属になるなど、これ以上不本意な人事もなかった。
なぜなら彼は、もう何年も連絡を取っていなかった私にとってはトラウマに関る幼馴染だったからだ。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
人生初の彼氏と別れたのは、高校3年の年末だった。
結局、彼が言ったとおり、この交際は最悪の結末を迎える。
彼氏にとって私は、ちょっと気になって声を掛けたら、なんとなく彼女になった女の子でしかなかった。
告白されたはずの私がいつの間にか彼氏に振り回され、逆に私が追いかけるような関係に変るまでそれほど掛からなかった。
致命的だったのが、彼氏が私との肉体関係を友人達に自慢げに語っていたことだろう。
それを発端として噂が噂を呼び、誇張された内容が広まって行く。
彼氏にしてみれば子供じみた自尊心を満たす為の言動で、軽い気持ちだったのかもしれないが、私にしてみればとても耐えたれる物ではなかった。
もともと思春期の女子にありがちな、人気のある異性に憧れる心理から入った交際だった事もあったかもしれない。
恋心が冷めるのはあっという間だった。
そいて、私から交際の終わりを告げる事により、私の初めての交際は終わった。
その後、元の普通の生活に戻っただけならば、青春の甘酸っぱい思い出程度で済んだのかも知れず、幼馴染の彼ともまた違った展開もあったのかもしれない。
しかし、別れた相手が悪かった。
元彼氏は人気者だった事もあり、今まで元彼氏から別れを切り出した事はあっても逆は無かったらしい。
軽い気持ちで多くの女生徒に声を掛けていただけに、交際に到らない事など多々あったが。
それとは違い、今回は初めて交際をしている相手から元彼氏が振られた。
端から見れば、元彼氏と付き合って肉体関係を持って直ぐに元彼氏に別れを告げたという事実だけ。
これが元彼氏のファンから見ると、まるで元彼氏を落として興味が無くなったから捨てたように見えた。
それが原因で、幼い嫉妬ややっかみから敵意を持たれる様になり、体で男を誑かす女との噂が流される様になった。
その噂話はあっという間に全校を掛け巡ったらしく、まともに声を掛けてくる男子など皆無。
逆に近寄って来る男子のほぼ全てがその視線に肉欲を含んだものばかりで、交際前からの同性の友人達にまで距離を置かれるようになった。
男性経験など、別れの理由になったその一度しかなかった私にはその男子達の視線は恐怖でしかなく、真実を知っている同性の友人達に避けられる事実が更に私を打ちのめした。
不登校になってもおかしくなかったが、受験を理由に必要最低限の登校をすればあとは卒業を待つだけの時期だった事もあり、何とか卒業までこぎつけ逃げるように東京の大学に進学をした。
その間、幼馴染の彼は何度か私に話しかけようとしていたのだが、彼に対する引け目と幼い自尊心もあって、そのような状況にも関らず彼を避けるようになっていた。
卒業の頃にはほぼ全ての元友人達との付き合いが無くなっていた私は、上京後に地元に連絡をしなくなる。
就職してからは一度も実家に帰った事さえない。年に数回親から連絡が入るぐらいで、しかも留守電の時は私から折り返すことはまず無く、私は地元の事など すっかり忘れていた。
いや、忘れようとしていた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
再会してからの彼は、あの時の絶縁宣言など無かったように振舞ってくれた。
お互い変にギクシャクしていては、仕事に影響があっただろうし、かといって私から謝るなど素直では無い性格の私が出来るはずも無かったからこればかりは本当に彼に感謝していた。
彼の話では、この再会は本当に偶然だったらしい。
なぜなら、私は地元を離れてから、年に1、2回連絡を取る程度で、後は一切音信不通状態だったから、彼も私もお互いが今までどうしていたのかなど知り様も無かったからだ。
彼は地元からは離れていたが、県内の大学を出てそのまま県内の会社に就職。
その会社である程度の業績を出しており、その仕事で偶然うちの会社の役員と知り合う機会があり、その縁で引き抜かれた。
上京するまではそれなりの頻度で地元にも帰っていたらしい。
上京したいまでも、年に数回は戻っているらしく、そこそこ地元情報にも詳しかった。
そんな事もあり、彼は仲の良かった頃の昔の話や、私が連絡を絶ってからの地元の事などを私に話して聞かせる。
「小6の時のクラス委員長と副委員長いただろう。」
「あー、お笑い芸人とその保護者カップルね。」
「そうそれ。あの二人、実は結構前に結婚して小学生の子供がいるんだよ。」
「本当に! まあ、当時から夫婦みたいなもんだったしね。」
「町の北はずれの山の方に高速のICで出来たの知ってるか?」
「あ、うん。実家からの電話で聞いた。」
「じゃあ、その傍にアウトレットが出来たのは?」
「えっ。それは初耳よ。」
「休日になると周辺が大渋滞になるらしいぞ。」
「なんか、田舎だった記憶しかないからか、渋滞とかイメージ湧かないな。」
「かなり開発されていて、道も家も増えたし雰囲気はずいぶん変ったぞ。」
「うーん。あの辺りって田んぼのイメージしかないんだけどね。」
地元との連絡を絶った私に、少しでも帰郷する気を無理なく起こさせるつもりなのだろう。
私も表情には出さないようにしていたが、郷愁の感情も密かにあったし、まるでリハビリのように、無理なく地元の話しを振ってくれるその気遣いがありがたかった。
幼馴染で親友だったという懐古的な感情もあったし、あの頃の後悔の念も多分に影響していたかもしれない。
更に今の彼は、大人の男の魅力に溢れ企業人としても優秀である。
そんな彼に、私が恋心を抱くのに時間は掛からなかった。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
彼との再会から2年。
その間、彼は様々な企画を立ち上げ、それに伴って笑ってしまうくらいに忙しく働いていた。
私もそれに巻き込まれ、しかし充実した2年間を過ごしていた。
その頃には、彼と私はセットの様に周りに思われるぐらい意気投合していた。
社内でも私以上に彼と親しい人間はいない。
それは元々幼馴染だった事もあり付き合いの長さも深さも社内で一番だったからだ。
この2年で、彼はチーフから課長に出世していた。
30歳まであと数年と彼の年齢からすれば異例の出世スピードだ。
そんな彼にくっ付いて居た為か、私まで異例の20代の女性で初の課長補佐になっていた。
そして、今の私はやはり彼とコンビを組んでいる。
私の能力と彼との仕事での相性の良さを買ったとの彼の台詞に、素直に嬉しいとは思おもう。
しかし、密かに抱く恋心とまったく進展しない関係に焦燥感を感じる日々。
一緒にいる時間が長いだけに、徐々にそれに耐えられなくなって来ていた。
この間彼とは偶に仕事の後に食事や飲みに行く事はあっても、基本は仕事のパートナーとしての関係であり、それ以上の関係を持てずにいた。
私も彼に対して積極的にアプローチを掛けておらず、そんな彼もそんな素振りを見せた事もない。
昔の仲の良い幼馴染だった頃と同じな様で、実はその時よりも互いの心は遠かった。
「今度の連休で、数年ぶりに実家に帰ろうかと思うのだけど。」
「そうか。あっちもだいぶ変ったから、色々見てくると良いよ。」
「うん、それでね。どうせだから、一緒にどうかなって思って。車持っていたよね。」
更に半年ぐらい過ぎた頃、その事に耐えられなくなった私は、思い切って彼との距離を縮める為に行動を起こした。
それは、私が異性に対して積極的に行動をするという、人生で初めての出来事。
「うーん。……まあ、俺も実家に用事があるし、調度良いか。」
「えっ、本当に良いの。」
「なんだよ、お前から誘っておいて。但し、俺も用事があるから向こうでは一緒に行動出来ないけど構わないか?」
自分で誘っておいてなんだが、承諾してもらえるとは思っていなかったし。
「あ、うん。構わないよ。ありがとね。」
「あと、帰りは別になるけど。」
片道だけとはいえ、一緒に出かける事が出来る。
その一事だけで、私はこの時この上ない幸せを感じていた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
地元までの数時間の彼とのドライブ。
初めて仕事以外で彼と二人の外出は思った以上に心を湧きたてる。
私は、まるで子供のように浮かれたていた。
彼は車で実家の前まで送ってくれた。
「じゃあな。久しぶりに親孝行ぐらいしておけよ。」
「うん。今日はありがとうね。」
「ああ、また休み明けに会社でな。良く充電して、今日みたいな良い笑顔を会社でも見せてくれよ。」
「えっ。あ、うん。また会社でね。」
最後の笑顔の話は反則だ。
顔が火照るのが自分でも分かる。
そんな私の態度をどう捉えたのか分からないが、彼は笑いながら去っていった。
「ただいまー。」
「あら、お帰りなさい。暫く顔を出さないから、お父さん拗ねて大変だったのよ。」
数年ぶりに顔を合わせたというのに、母親はまるでそんな雰囲気も出さずに暖かく迎えてくれた。
やはりここは私の実家なんだという嬉しさと、思った以上に頭髪に白い物が増えていた両親に今まで殆ど連絡も取らずに心配させていた事への申し訳なさがない交ぜになって、思わず私の目から涙がこぼれた。
その日の昼間は両親と一緒に出かけて、夜には数年ぶりの母親の手料理に舌鼓を打つ。
そんな中で、その話題が母親から出た。
「そう言えば、あなた、あの幼馴染の彼と職場一緒なのよね。」
「あ、うん。おばさんからでも聞いたの?」
私と彼の実家は近所との事もあり、彼の母親と私の母親は昔からそれなりに付き合いはあった。
わざわざ連絡は取らなくても、顔を会わせる事があればそんな話題も出るだろう。
「そうなんだけど、あんたは何も言わないから、あちらから言われてびっくりしたわよ。」
「いや、別に隠していた訳ではないけど。」
私は元々滅多に実家に連絡を入れていないし、特に隠していた訳ではないのは本当だ。
「まあ、同じ会社と言っても東京の会社じゃ人もいっぱいいるだろうから、その大勢の中に偶然に知り合いがいてもたいした事じゃないのかもしれないけど。」
実際には、大勢の中どころか直属の上司と部下で、しかもコンビを組んでいるが。
「じゃあ、彼のプライベートとか知らないわよね。」
「あー、うん。仕事の事とかなら多少は分かるけど。」
本当は、仕事の事なら多少どころではない。
プライベートの事は、私だって知りたいとは思っているけど、なかなかそこまで踏み込む切欠がなかった。
今日は一緒に帰省した訳だしこれから知れば良いと、そんな事を思っていた私は母の次の言葉など予想の外だった。
「それじゃあ彼が東京で知り合った、結婚を考えている女性とか知らないわよね。」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
頭の中が真っ白になっていくのが分かる。
「えっ…。知らないけど…。」
そう言うのがやっとだった。
会社内なら私以上に彼と仲が良い人間はいないはずだから、社外なのだろうか。
その後は何も考えられずに、両親とも何を話したのか憶えていない。
それどころか、次の日に東京まで戻ってきたのだが、地元での記憶など殆ど残っていなかった。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
休み明け、思ったより気持ちが落ち着くのは早かった。
きっと今日は、きっかけになるのだろう。そんな予感、いや確信がある。
私は出勤して早々に彼を捕まえて、彼と二人きりで話をする為に屋上まで連れ出した。
昼休みならいざ知らず、朝のこの時間の屋上は私の予想通り人気はまったく無かった。
彼と話す事とは、勿論実家で聞いた彼の結婚を考えている女性についてだ。
「この前は、実家まで送ってくれてありがとうね。」
「まあ俺も実家に用事あったからついでだし、お前こそゆっくり出来たのか?」
多分私の表情が硬い事にも気付いているはずなのに、彼はいつもと変らずに気さくで穏やかな雰囲気で私に接する。
それがいつもの彼のやり方。
どんな時でも変らずに、相手に喋らせて受け答えしながら彼のペースで会話を続ける。
もともと、ごちゃごちゃ遠まわしに聞くのは性分じゃない。
そのものズバリと聞いてみた。
「それで、母さんから聞いたんだけど、あんた結婚考えている人が居るって?」
「ん?ああ、お袋がしゃべったのか。」
彼の表情が一瞬強張ったが、それも一瞬で直ぐにいつもの表情に戻った。
そして、彼の答えを聞いた瞬間に、心の中で何かがストンと抜け落ちる様な感覚。
きっと私がまた失ったと気付いたから。
「ほぼ毎日顔を合わせているのに、まさかそんな遠回りして聞かされるとは思わなかったわよ。」
「別に隠していた訳ではないんだけどな。まだ決まった訳でもないのにペラペラ話す事じゃないだろう。」
「まあそうなんだろうけど、なんか冷たくない?」
「いや、決まったらお前に一番最初に話そうと思っていたからな。」
「本当かなぁ。」
私は自分の表情が引きつっている事が分かった。
彼もその事は分かっただろう。
きっと私の態度から、彼は私の気持ちに気付いている。
彼は淡々と私に語った。
その婚約者と知り合ったのは、役員に引き抜かれたて半年程経ってから役員の自宅に招待された際の事。
その時に役員の末娘に気に入られた事。
その末娘は生まれつき病弱な事。
その後、役員の家族での催し等に誘われる事が多くなった事。
頻繁に顔を出す彼に末娘が恋心を抱き、数ヶ月前に親である役員経由で彼に交際の打診があった事。
役員との付き合いという断りづらい理由があったにしても、彼が交際を承諾した事。
末娘が二十歳になったのを機に婚約の話が出ている事。
「ありがたい話だと思ったし、お嬢さんを大切にしたいと思っている。」
「そう。まあ、あんだがそれで良いと思っているなら良いのよ。幸せになりなさいよ。」
「確かに、断りづらい状況ではあったけど、俺には勿体無いぐらい良いお嬢さんだ。」
そう言った彼の表情は、いつも通りの穏やかな表情だった。
「お嬢さん相手だと、お前の時と違って強く出れないんだよな。守ってあげなくちゃいけない気がして。」
そして、お嬢さんに対する気持ちも、言っている事が本心なのは長い付き合いから良く分かった。
更に、結婚という人生でもそれなりに大きな節目の話題なのに彼は本当にいつも通りな事も、長い付き合いが故に何故なのか気付いてしまった。
そう、私も彼の気持ちに気付いてしまった。
彼はそのお嬢さんへの愛情はあるのだろうが、恋愛感情の先にある愛情を持っていない。
親しい者への親愛の延長上にあるのなのだろう。だから、彼はいつも通りなのだ
彼にとって、私や家族以外の近しい者への親切と優しさは当たり前の事なのだから。
それは高校生の頃より前から変らない彼の本質。
普通に彼と会話を続けられる自分に驚きながら、気付いたその事実の為に驚愕が表情に表れているのが分かる。
彼の事だ。私の表情を見ただけで、私が気付いた事など分かっただろうなと、頭の別の所では考えている。
なのに、二人とも口調はいつもと変らない。
「まあ、結局そのお嬢さんに惚れているでしょう? ならそれで良いんじゃないの。」
「俺が自分から惚れた女は、今も昔も一人だけだよ。」
だからか、彼の言葉に驚く事も無かった。
心にも思っていないセリフを吐いたのは確認したかっただけだから。
多分お互い昔と同じで何かを失ったはずなのに。
昔の様に感情を露にして相手にぶつける事も無く、淡々と事実だけど告げての受け答え。
それはきっと、昔の馬鹿なお子様ではなく小利口な大人になった証。
「……そうか、結局またアドバンテージを無駄にしたんだ。」
「アドバンテージ? また?」
傷つかないように気持ちを伝えられる様になったのは、小利口になった分か。
ならば、あの時に気付かずに伝えられなかった気持ちを今から伝えよう。
「あの時私はあんたの事が好きだったんだと思う。結局失敗するまで気付かなかったけど。
そして、私は幼馴染で親友というあんたに一番近い場所にいられるアドバンテージに気付かなかった事。
自分の気持ちも分からずに浮かれてそのアドバンテージを壊した訳だけど、
それが一回目の無駄にしたアドバンテージ。」
「……二回目は?」
「あんたと再会して、あんたが昔と同じように接してくれるのが嬉しく、その関係を壊したくなかった。
直属の上司と部下の関係で、いつも一緒居られる事のアドバンテージに安心していた事。
その彼女と出逢うのより先にあんたと再会したのに気持ちを伝える勇気が無かったから、
それが二回目の無駄にしたアドバンテージ。」
彼は珍しく驚いた表情をしていたが、最後には自嘲とも苦笑とも取れる表情で返してきた。
「なら、アドバンテージを無駄にしたのは俺も一緒だな。
一回目の時は、俺も幼馴染のアドバンテージに安心してお前に気持ちを伝えるのが遅かった。
多分、その関係が居心地が良すぎたんだろうな。
二回目は、再会してからのお前の俺に対する気持ちを勝手に幼馴染故の友情だと勘違いし、
自分からアドバンテージを無視したことかな。」
きっとそれは、お互いが大切過ぎて失うのを必要以上に恐れたから。
だから臆病になりすぎて、本来見えていたはずの物が見えなくなっていたのだろう。
「結局、二人ともお互いの事を一番理解している様に見えて、判っていなかったという事よね。」
「そうだな。お互い不器用と言うか間抜けというか、成長していなかったんだな。」
お互いの顔を見つめながら、同時に噴出す。
「さて、仕事に戻りましょうか。朝から仕事さぼった分取り返さないと。」
「そうだな、これ以上遅れるとチームの連中にも迷惑掛けてしまうな。」
そんな冗談混じりな、いや結構本音も入った会話をしながら彼の前を歩きオフィスに戻る。
これから先、彼は婚約者と結婚して幸せな家庭を築くだろう。
私も他の男性と交際する事もあるだろうし、結婚だってするかもしれない。
「あんたを一番理解していて相性の良い私が一緒になのよ?遅れた分なんてすぐに取り返してみせるわよ。」
恋愛という意味では私達はお互いの隣に立つ事は無かったけど。
二人が望んでいた関係とは違うかもしれないけど。
「そうか悪いが頼む。これからもパートナーとしてよろしくな。」
「任せなさい!」
振り返りながら心からの笑顔で彼に答える私がいる。
「私のベストパートナー!」
こうして、私の、いや私達の初恋はやっと終わった。
(了)