「婚約する王子と姫は、誓いの口付けをするの」
「あらあら、ここに居たの」
そんな声に振り返れば、紫色のドレスに身を包んだお妃様がこちらへ歩いてきていた。
バルコニーに二人きりでいる私たちを見て、にっこりと笑う。
「リイナ様、イル。どうやら仲良くなったようで良かったわ」
「い、いえ、お妃様……。私たちは決して……」
仲良くなってなどいません。
喉まで出かかったその言葉を、慌てて飲み込んだ。
今私が演じているのは、"イル様の完璧な婚約者"なのだから、こんな台詞は言えない。
口元に手を当てている私を見て、お妃様はもう一度くすりと笑った。
「先程のダンスも、とても綺麗でしたよ。
イルも、やっと我慢することを覚えたようだし」
「は、母上……。私は昔から……」
お妃様の言葉に、少し困った顔をしながら反論するイル様。
やはりこの王家で最強なのは、あの濃い三人を生み育てたお妃様なのだろうか。
いやでも国王様もかなりの自由人なようだし、だとすると三人の王子と姫はまだ可愛いものなのかもしれない……とそんなことを考えていたところで、さて、とお妃様が口を開いた。
「とうとう、明日が国民への、婚約の正式発表の日よ。
今も婚約のことは国民のほとんどが知っているけれど、明日、それは確かなものとなって、もう取り消すことは出来ない。
もちろん、アルヴィンに代わることもね」
最後に付け足された言葉と共に、悪戯っぽく笑うお妃様。
そういえば、アルヴィン様が私の婚約者に……という話もあったっけ、なんて、ぼうっと考える。
「貴方達二人には、明日の正午、このバルコニーに出て国民に姿を見せてもらうわ。
そして……、怒らないでちょうだいね。この前は冗談みたいに言ってしまったけれど、昔からの決め事なのだから」
そう念を押したお妃様を、私はきょとんと見つめた。
お妃様は私を、次にイル様を見て、赤いルージュを引いた唇を開く。
「婚約する王子と姫は、このバルコニーの上で、誓いの口付けをするの」
昔からの伝統なのよ、と笑みを浮かべながら言うお妃様。
それに対して、予想外の展開に言葉を失う私。
イル様は―――――。
「……仕方ないでしょう。もう私と姫が結婚するのは避けようもない事実ですし、私たち二人もそれに向かって様々な対策を練っていた所ですから。明日のその件は、最初の試練と言えましょう」
諦めた表情で、お妃様にそう語っている。
真面目な王子様は、嫌いな婚約者との口付けも、国の為と割り切れるのだろうか。
「あら、イルが受け入れてくれて良かったわ。
ところで……、対策って? そういえば、今日のリイナ様は妙に落ち着いている気がしていたけれど」
「……二人で話したのです。せめて、ちゃんとした婚約者を演じようと。私も今日は、姫に対してかなりの我慢をしているつもりです」
「そんな約束をしていたの。でもねイル、我慢なんて言っちゃだめよ。これから貴方達二人は、ずっと夫婦として暮らしていくんだから」
「しかし……」
言葉を失った私を尻目に、普通の会話を交わしている二人。
お妃様は良しとしよう。でも――――。
「い、イル様!!」
思わず大きな声で呼びかければ、彼の濃紺の瞳がこちらを見る。
「あの、なぜ、そんなに平然としていられるのですか。
私達……、く、口付けするんですよ? い、嫌じゃ、ないんですか」
口籠りながらそう尋ねれば、彼は大きなため息をついた。
こちらへ向き直った彼との身長差は、確かに口付けするには最適かも―――――なんて、一瞬思ってしまう。
「姫、私は先程言ったでしょう。明日の婚約発表は、私たちの最初の試練だと。
結婚すれば、もっとたくさんの試練が待っています。国政の為にも仲睦まじい姿を他国の貴賓に見せねばなりませんし、世継ぎも生まねばなりません。
口付け程度で慌てていては、この先持ちませんよ」
「ですが……、い、イル様だって、口付けは初めて、でしょう……?
初めての口付けくらい、本当に好きな人としたいとか、せめてもう少しお互いに好意を持ってからしたいとか、そうは思わないのですか……?」
「もちろん、そうは思います。ですが、だからと言って断る理由にはならないでしょう。
姫、私たちは国の行く末を握っているのですよ」
「そ、れも……、そうですね……」
イル様の言うことは、確かに正論で――――。
母に諭された幼子のように、私は黙り込んだ。
なんだかイル様が、突然もの分かりの良い大人になったかのような、そんな気がする。結婚が確かなものとなったから、現実的になったのだろうか。
そんな私たちの様子を見て、ぽん、と手を合わせるお妃様。
「決まりね。
じゃあ二人とも、明日はくれぐれもよろしくね」
中間試験一週間前、です。非常に不味い状況です。←
リイナも、非常に不味い状況に置かれています。←