「ほんの少しでもときめいた私が馬鹿でした」
「……ええ、喜んで」
ぎくしゃくとした笑みを浮かべながら、差し出されたイル様の手に自分の手を重ねる。
さすがイル様、私よりも自然に微笑んでいる。それが偽物であるということはもちろん知っているけれど。
「……私がリードしますので。
静かな曲です。大丈夫ですよ」
小さな声のそれは、励ましだろうか。
いつもなら、"静かな曲ですから踊れるはずです"とか"この程度、王女なら踊れて当然です"とでも言いそうなものだけれど――――。
優しい顔で、優しい声で、優しい言葉を掛けられたからだろうか。
少し胸が高鳴った――――のかもしれない。甘酸っぱい感情が、湧き上がったのかもしれない。
「…………まさか!!」
まさかそんな絶対ありえない、と考えたことを全否定したら、思わず大きな声が出た。
一瞬オーケストラの奏でるクラシックが微かに乱れ、近くの人々の視線が集まる。
「……姫、お静かに。曲の途中です」
小さな声でそういうイル様の表情には、呆れているような色は見られない。
――――もっとも、今までに何度も何度も口論をしてきたせか、彼が心の中で思っていることは、手に取るように分かるけれど。
「申し訳ありません。さあ、踊りましょう?
イル様に恥はかかせませんから」
小さく腰を折って謝罪をし、彼をダンスに誘う。
今流れているこの曲くらいなら、私にもきっと踊れるだろうから。
「ええ、喜んで。では、お手をどうぞ」
差し出された彼の手に再度自分の手を重ね、ゆっくりと踊りだす。
イル様がリードしてくれているせいか、身体が自然に動いて随分と踊りやすい。
美しい音楽の中で楽しく踊っているからか、いつも彼と一緒に居る時に感じる苛立ちなどは微塵も感じない。
「……結構、楽しい」
ぽつりと小さな声で呟けば、イル様がちらりと私を見た。
一瞬、交差する瞳。なんとなく恥ずかしくなって俯く直前に、彼は再び微笑んだように見えた。
―――――完璧、だ。
イル様は完璧に、"婚約者の王子"を演じてる。
イル様のことをこんなにも嫌っている私でさえ、時にときめいてしまうほどに。
でも、なぜか遠く感じてしまうのは気のせいだろうか。
いや、寧ろ遠いなら、彼を嫌っている私としては嬉しいはず―――――。
そんなことをぐるぐると考えているうちに、長い曲が終わった。
そのまま彼に手を引かれ、夜空の見えるバルコニーへと出る。
「……あ、お相手、ありがとうございました」
慌ててそう礼を言ったら、どういたしまして、とにこやかに返される。
だけど―――――気のせいだろうか。苦悶の表情を浮かべているように見えるのは。
「……あの、どうかいたしました?」
私も婚約者らしく、心配した表情を浮かべてそう尋ねたら―――――。
「…………37回」
小さな声で、彼が短く述べた。
「……37回?」
「ええ、37回です」
「……何がですか?」
きょとんとして尋ねたら、彼は長く息を吐いた。
心なしか、ほんの少し、いつもの呆れている表情が浮かんでいる気がする。
そしていつものその表情のまま、彼は口を開いた。
「……姫が、私の足を踏んだ数です。第一楽章で2回、第二楽章で3回、第三楽章で13回、第四楽章で5回、第五楽章で7回、第六楽章で7回。
ちなみに右足を23回、左足を14回です」
―――――まさか私が気持ち良く踊っている間に、そんなことがあったなんて。
いや、それより……ご丁寧に、そんな細かく数えていたなんて。
「……それは、大変失礼致しました。
ご丁寧に、そんな細かく数えてらしたなんて……」
ああもう、なんて嫌味な人。
心の中で、そう激しく毒づいた。
先程、ほんの少しでも彼にときめいたのは取り消しにしよう。
タイトルに困るよう。
相変わらずののんびり更新、申し訳ありません。
中間テストが近付いている……。