べっこうあめ
君に伝えたいことがあったんだ。
ありがとう、ここにきてくれて。
戦争という文字が我が国にちらつき始めてのことだった。
王が何を思ったか異世界から高度な兵器を召喚すればいいと言い出した。
確かに兵器という高価なものを手に入れるにはある一定のレートが必要で、そのレートを使用すれば近隣諸国には間違いなく緊張が走るだろう。それが戦争のきっかけにならないとも限らない。
そのレートを使用せずに武器を調達するにはなるほど、別の世界から手に入れるという考えは有効だ。
別の世界から物をこの世界に召喚するという魔術は確かにあるし、できないことではない。
この国唯一存在する魔術師として僕はそれに賛同し、実行した。・・・それが僕の罪の始まりだった。
白い部屋に用意された魔術の陣。大量に流れこませる力。
成功ならば白い光があふれるはずだった。
けれど呪文が途切れるとともにあふれたのは黄色い光。
失敗だ。
光の中出てきたのは漆黒の髪を持つ貴女。なにがなんだかわからないとでもいうような表情はすぐに見て取れた。
召喚するのは武器で、還すつもりもなかったから陣には返還の呪を込めていない。
貴女はここで、命が尽きるまで生きていくしかない。
「・・・ごめん、貴女はもう帰れない」
貴女の眼がまっすぐに残酷な言葉を吐いた僕を見た。見開かれたその色はこげ茶色。たくましく伸びる大樹の色。
ああ、綺麗だな。そう思ったのは間違いだった。
少なくとも、貴女にとってはその感情は害でしかなかった。
それから貴女は壊れたんだ。
暴れて、閉じこもって、一人で死のうとして止められて、そしてまた暴れて。
困るという感情は僕には許されなかった。彼女を連れて来たのは実質僕で、加害者は僕だから。
暴れる異世界の女に王も、貴女に使わされた侍女でさえも見放して疎んじた。
苦しむ貴女に助けの手は伸ばされず、貴女が餓死を選ぶのは当然とも思えた。
けど僕はそれを許せなかった。嫌がる貴女に無理やり水を飲ませて食べ物を食べさせた。
元の場所に帰して、もしくは殺してくれと喚く貴女の希望に僕は応えなかった。応えるつもりはなかった。
ただ貴女を感情のままに抱きしめて泣いて笑って謝ることしかできなかった。
貴女を楽にするわけでもなく、ただ自分のため許してくれと懇願して。ごめんね、と謝って。
最低だ、僕なんて。
数日して貴女が暴れることをやめたとき、王からもう貴女を城で保護することはできないと伝えられた。
気が狂った異世界の女など城に置けるわけがない、ということなのだろう。王は現実的な人だったから。
貴女は従順に頭を下げて謁見の間から去ろうとした。そのまま誰の目にも触れずに消えてしまうつもりだったんだろう。
引きとめたのは僕だ。誤って喚んだのは僕だから僕が引き取ると王に進言したのは僕だ。
人の自由を奪って、と貴女は軽蔑しただろう。でも僕は貴女を一人にさせたくなかった。まだ一人で生きる意思のない貴女を世界の中に一人きり放りだすことはできなかった。
ただ黙って僕の言うことに頷く貴女を見ながら僕は僕の勝手な淡い感情をこのときに捨てた。捨てたはずだった。
引き取ってからの貴女は僕の手伝いをするようになった。
「貴方によりかかるつもりはない、せめて何かをさせてください」
貴女はそう言ったんだ。
僕は嬉しかった。
少しでも貴女が生きる意思があることを、そして僕の傍にいてくれることを子供のように無邪気に喜んで気付いてしまった。
貴女は忘れたいんだと、自分がこの世界にいることを。働くことによって頭の中を空っぽにしたくて憎い僕にまで仕事をねだったんだと。
貴女がそれを望むのなら僕は反対はしなかった。ただ何も気付かなかったふりをして貴女がいる生活を甘受した。
せめて貴女が楽に呼吸できるときを願って僕は貴女にありがとうと微笑んだ。
その時の顔はきっと泣き笑いに似たものだったんだろうか。
僕の心境は良く顔に現れるって言われてたからきっとそうだったんだろう。
それでも泣きたくなるほど僕は幸せだったんだ。
近くの国が鉄鋼を集めているという話が出て僕の仕事はにわかに量が増えた。
鉄鋼は武器の量産につながる。武器の量産は戦につながる。
なんとかしたくて、なんとかしなくちゃいけなくて徹夜の日々が続いて僕の机は白い紙で埋まっていった。
貴女が休んでくださいと言ってくれても僕はこの国唯一の魔術師だから、とその言葉を下げさせた。
魔術師は脅威で不幸を呼ぶと恐れられた。ばれたら待っているのは死だけだ。ばれても死なないでいるには国に従属するしかなかった。それを非とし、死んでいった仲間はたくさんいた。
けど僕は甘んじて国の下についた。僕に魔術を教えてくれた人がこの国を守ってくれと言ったからだ。この国が好きだから、と言ったからだ。それだけの理由で僕は国を守る駒になることを厭わなかった。あの人が愛した国を守るのが僕の存在理由だったんだ。
懐かしい思い出を反芻しながら砂糖がたっぷり入った紅茶を飲んでいた僕に貴女がもってきたのがべっこうあめだった。
甘くて、こんなおいしいものは食べたことが無かった。
おいしいと喜ぶ僕に貴女は少しだけ照れて、それが可愛くて僕は初めて貴女に触れたんだ。
甘くて、とても甘くてでも少し苦くて。その苦さは貴女のようで。
ほろりと溶けたのは口の中なのかそれとも僕の心のほうなのか、あの人を超えた人ができてしまった瞬間の音だったのか。
僕、これが好きだなぁと言った言葉は貴女に届いてしまったのだろうか。
ついに僕が出てしまうときが来た。それほどに戦況は悪く、行ったらまず帰ってくることができないのはよくわかっていた。
国に従属した魔術師は莫大な財産を得る代わりとして国のために働いて国のために死ぬ。それが契約だった。
僕は財産なんてどうでもよかったし、死んだらどこかの施設に全て預けてしまうつもりだった。
でも貴女のため小さな家を残すことを決めた。僕がいなくなってもそこに住んで、幸せになってほしかった。最悪売っても良かった。貴女のためになるならなんでも良かった。
僕が戦場で散ったら貴女は清々することだろう。
自分の人生を狂わせた男が消えるのだからそれこそ万々歳だろう。
たくましい貴女のことだから生きていける。もう僕の手は必要ない。
でも最後に我儘を言わせてほしいと戦に出る3日ぐらい前に貴女に切り出したのは「べっこうあめが欲しい」。
せめて貴女が作ったものを食べて散りたかった。それなら貴女の苦さを持ってるべっこうあめがよかった。
ただの自己満足。貴女は3日間部屋から出ることはなかった。しょうがない、と諦めて僕は黙々と死の準備を進めるだけだった。
戦へ出るという直前になって貴女が持ってきたのは茶色い皮の袋。
専用の袋がないと困るでしょうと不器用な貴女が縫ってくれたべっこうあめのための袋。
今はずっしりと膨らんでいつもより重量感の増した袋。
嬉しかった。言葉にできないほどにうれしかった。言葉にできないから貴女を抱き締めた。ふらふらになった貴女は甘い香りがして、それがずっと心の奥に残った。
貴女のいるこの国を守ろうと初めて強く思ったんだ。
戦場は地獄だった。
力が尽きるほどに兵を治療して敵兵の罵声を、断末魔を浴びながら攻撃を放った。
力がなくなって昏倒することもしばしばででも朝がきたらまた地獄が始まって。
夜に舐めるべっこうあめの甘さと苦さに何回も救われて、泣いて貴女を想った。
貴女は元気にしているだろうか。寄り添う人を見つけただろうか。
甘い甘い気持ちに包まれて泥のように眠ってまた血を浴びる。
その繰り返しで袋のなかの飴は少しずつ姿を消えて行った。
なくなってしまうことを恐れた僕はある時からその優しい甘さに救いを求めることをやめた。
救いが無くなった地獄はああ、あのときの貴女と同じ状況で。
こんなときでさえ貴女のことが目に浮かぶ自分に嗤って僕は阿鼻叫喚の響く戦場にでていった。
それは僕ができた隙に的確にねじこんできた。
戦場で鍔競り合った刹那、懐からこぼれおちた貴女の袋、べっこうあめ。
それを目で追ってつかもうとして脇腹から熱い感覚が広がり、同時にさあと冷めて行く。
その場所に目をやると生えている銀色の刃と隙間から流れ出る赤く鉄くさい血。刺されたのだ、と冷静に理解できた。
僕を刺した相手は勝ち誇ったように僕の剣に手を伸ばす。それでトドメを刺そうという腹だろう。やっと楽になれる、と思った。
ああでも僕が倒れたら誰が貴女のいる国を救うんだ?
無意識に放った魔術は大きな街一つ壊滅させる威力があるが反動が大きく、術者は時間と空間の狭間に落ちてしまう禁術。運がよくとも全く違う世界に落ちてしまうことは明白だった。
けれど貴女が生きていられるなら。
心残りといえばべっこうあめを一緒に連れて行けなかったこと。
我ながらなんという最期だろう。
白い光が敵兵に向かって走ってゆくのを最後に僕は目を閉じた。
ここはどこだろう。どこか僕の部屋にそっくりだ。そして貴女がいる。
きっと夢だ。そうだろう?
貴女が泣いている。なんで泣いているんだろうか。
ぐす、と泣き声を抑えたその泣き方は悲しみを彼女の体に閉じ込めるものだった。あのときの、泣いて叫んだものとは違う。
貴女が泣いている。抱きしめたいのにこの足が邪魔をする。だって動けない。
貴女が泣いているのだからよほどの親しい人がいなくなったんだろう。例えば苦しいほど愛した人、とか。愛しているからそんな悲しみさえも自分の中に閉じ込めようとするんだ。
僕はそんな貴女を見たくなかった。
僕じゃない誰かを愛して泣く貴女を見たくなかった。だから足が進まない。
動かない足をなんとか動かして僕はこれが夢じゃないと気づいた。だって彼女が持っているのはあの茶色い皮の袋。見覚えのある汚れた銀色の兜。
幸せすぎて死にそうだ。
もうすぐで彼女が振り返る。
そしてきっと何でここにいるのかと僕に聞くのだろう。僕にもわからない。けど自分の意思でここまで来たのだったら答えは一つだ。
「こうめのべっこうあめを食べるために決まってるじゃないか」
甘い口づけを交わしたら二人してあの小さな家で暮らそうか。
僕はもう魔術師ではないし、お金もあまりもっていないけれど貴女はそんなこと気にしないだろう?
それと言わせてね。
「ありがとう、ここにきてくれて」
「貴方のためじゃないです。私のためですから」