この上の世も雨が降る。6コマ目
揺れるなあ。
小刻みな荒波の上にある船、私は甲板に座り込んでいた。吐いた息が真っ白で、床も凍ってしまいそうな色をしていた。
少し振り返ると、船上には我先にと建てられた建物が不細工に寄り合っていて、その隙間からは、奥の方で焚いて上がった煙が船の来た道を示すように流れていくのが見えた。
また人が通る。
「風邪だけはごめんだよ。もう家に入りな。」
「えっと。」
細い目をした男の人が、こちらを見ている。だるまのような厚着で鼻が少し赤い。
あとちょっとぼんやりして見えるけど、これも霧かな。
「あんた!なんだか顔が青いんじゃの。そんな服で寒かないのかい。」
「いや、体感はそこまで?」
さらにこちらに寄ってくるが、なぜかその顔がはっきりとこの目では読み取れない。
「いいや、その顔で平気なら人じゃないだろうな。」
「そんな、普通に立てるので大丈…夫で…。」
私は立ち上がることもなく、なんとかその人に支えてもらって、それからは覚えていない。睡魔に抱き込まれたんだ、疲れてたから。
でも外で寝るのは良くなくて、きっとあの人がどこかしらの寝床に届けてくれたのだと思う。
気がついた時、私の周りはやけに慌ただしかった。朝?
「ああ起きたか!ただ顔色は最悪だぜ。」
「おーい。起きたってよ!」
「床拭いとけって言っただろう!」
「だめだ、それ以上身体を冷やしてやるなよ。そいつ感覚どうなってんだよ。」
色んな声が飛び交う。私のことだろうか。でもやっぱりうまくその人達や部屋の様子が見えない。仰向けのまま、顔の前に持ち上げて見た手も輪郭がはっきりとしない。
まばたきをしたつもりでもう一度目を開けると、辺りは一気に静まり返って明かりも小さなランタンが一つになっていた。船が揺れると、中の炎もゆっくりと傾くのを繰り返していた。
お腹の下の方から、木造の床をとことこと踏み鳴らす音が少しだけ届く。ただ、部屋には人の気配がほとんどなく、さっきの人たちはどこかで寝静まった様子だった。また気を失ってしまったのだろうか。
来たときより身体に力が入ったので起き上がってみると、頭の後ろにあった窓から海が見えた。
ちょうど辺りを見渡していたとき、頬にくっついていた布が落ちた。白かった布に暗色の液体が乾いた跡のようなものが広がっている。暗くて色はよく見えない。
「怪我?」
でも、部屋が暗くて静かなのはかえって安心感を生む気がする。私は地方で僻地の祖父母の家にいたはずだった。そろそろちゃんと状況を受け止めなければと心がじんと熱を帯びて、こんな冷えた手先も私だと思い返す。
ただ、案外やさしい異世界だったから、多分私の性格も相まって傷少なく流されているんだと思う。
だんだん静けさと暗さに慣れてきて、落ち着くのもあるけど、感覚が丁寧な仕事を見せる。
目の前に落ちた布の色がランタンの明かりを照り返すと、見覚えのある滑らかな青だった。いつかの空とも、窓の外の海とも、彼の上着とも違う。この暗さではっきりとしない色は、一色のはずなのにゆっくり呼吸するように変わって見えた。
ふいにその頬を触ったら。
「うわ、なにこれ。前より多くない?」
その青はこの前と変わらない質感で、肌から滲んでいた。さっきまで当ててあった布でまた拭う。いくらかこすってみたが、やっぱり絵の具みたいだ。
「起きたのかい。」
「はい!?」
振り向くと、やはり厚く着込んだおばさんがいた。今まで揺り椅子で寝ていたのが起きたのだと思う。
「良かったの。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
彼女は静かに繰り返し頷いた。
「調子はどうなんで。」
「いや、もう元気十二分で、えっとそんな感じです。」
「そうかい。」
彼女は微笑んだ。
「名前はなんというのか、私はあんたに初めて会ったはずだね。船から移ってきたやつかは知らんが。」
「しらの…みはるです。」
「そう。この寒さの中にあんな格好でいるもんだから、もう死んでるんじゃないかと思ったよ。」
「へえ、そんなに寒いですかね。」
わずかに船が傾いて、この船はゆっくりと低い音を立てて軋む。
「今朝は海が凍りかけたもんだったから、日が昇るまでこれより傾いたままだったんだよ。それに貴重なゼリーまで凍ってたのを溶かしても、食感がだめになってたね。知ってるかい?ゼリー。」
「雲の上には何が在るか知っていますか?」
あばあさんが話していたのを遮ってしまったが、船はまたバランスを取って私の質問に耳の方を傾けた。
「雲の上に…?私の知る限りは誰も見たことはないと思うが、知っていて聞いてるのかい?」
いつの間にか、辺りから人の気配を感じさせた足音が消え、彼女以外にも私の話を聞こうというのかという空気が張り詰める。
「確信はないけど、あんたは一度も口にしなかったから聞く。本当はもとからこの海の上にいなかったんだろう。天の性格が変わってきたのはここ最近のことだ。昔はもっと暑い日やシケもしょっちゅうあったのに、おまえはそれを知らない様子なんだ。」
「ま、まあはい。どうなってるのかは知りませんけど。」
「そう言うのかい。”本人”なら知らないだろうが、この船じゃわりと有名な昔話だよ。内容が突飛だし起源も分かっちゃないが聞かせてやろう。」
ちょっとずつ設定を進ませてます。
書いてる人が飽きちゃったらおしまいなので、愛着を持って見守れればいいんですけど。




