関係ない断罪劇に居合わせた王妃夫妻の静かな一夜
シャンデリアの光が天井を反射し、白亜の大広間に金糸のようなきらめきを散らしていた。
隣国との外交舞踏会。王妃カトリーヌにとっては、年に数度訪れる退屈な夜である。
王配のエドワールとともに壇上から社交の光景を眺めながら、彼女はそっと扇で口元を隠した。
「また始まったわね、あの令嬢争奪戦」
「うん。あちらの若者たちは血気盛んだ」
視線の先では、若い貴族が別の令嬢に熱を上げ、周囲が囁き合っている。
いつもなら気にも留めないが、その声が急に大きくなった。
「——ミリエル! 貴様との婚約は破棄させてもらう!」
音楽が止まり、視線が一点に集まる。
エドワールが軽く眉を上げ、カトリーヌは頬杖をついた。
「まあ、こういう場面を見るのは久しぶりね」
「止めないのかい?」
「止める理由がないもの。見物料くらいは払ってほしいけれど」
軽口を交わすうちに、若者——アルノー侯爵家の嫡男が声を張り上げた。
「我が家の名誉に泥を塗った婚約者など要らぬ! このレーヌ嬢と新たに婚約する!」
会場がざわつく。誰もが眉をひそめるが、誰も口を出さない。
貴族社会では「婚約破棄」は恥だが、同時に娯楽でもある。
しかし、その静寂を破ったのは、壇上から響く穏やかな声だった。
「——なるほど。では質問しても?」
全員の視線が王妃カトリーヌに向く。
彼女はグラスを指でなぞりながら、ゆるやかに立ち上がった。
「侯爵家の嫡男殿。そなた、婚約解消の許可を国王に得ているのかしら?」
「……は?」
「その令嬢、つまり婚約者ミリエル嬢は、あなたの領地の鉄鉱権を半分お持ちとか。
契約上、婚約は経済的同盟よ。無断で解消した場合——国家の契約違反になるの」
ざわり、と人々が息を呑む。
侯爵家の父が真っ青になり、慌てて前に出た。
「お、お待ちください陛下! これは息子の独断で——!」
「でしょうね」
カトリーヌはゆるく笑みを浮かべ、近くに控える侍女に扇を預けた。
「婚約破棄はよくある話。でもね、今夜ここは“隣国の王の御前”なの。
外交の場での婚約破棄は、我が国では“王族侮辱罪”として扱われるのよ」
会場が凍りつく。
次の瞬間、エドワールが軽く笑って口を開いた。
「——というわけで、我が妻は退屈をしておられた。君たち、よかったね。良い見せ場を作った」
王配の声は穏やかでありながら、確実に皮肉を含んでいた。
「裁定は簡単よ」カトリーヌが続ける。
「この婚約は破棄として認めます。ただし、侯爵家は国家契約違反の罰金として、鉄鉱の輸出権を半分譲渡。
ミリエル嬢には補償金を支払い、我が国への留学許可を与えるわ」
あっけに取られる観衆の中、ミリエルが驚きに目を見開いた。
カトリーヌは穏やかに微笑む。
「あなたの知識は無駄にならないわ。あちらの大学で思う存分学びなさい」
侯爵家の父は青ざめたまま跪き、息子を引きずって退場した。
残された恋人のレーヌ嬢は、顔を真っ赤にしてうつむくしかなかった。
——こうして、夜会の場は再び静寂を取り戻した。
*
舞踏会の後、王妃の私室には灯がともっていた。
カトリーヌはソファに腰を下ろし、靴を脱いで足を伸ばす。
エドワールがグラスにワインを注ぎながら笑った。
「退屈な夜が、ずいぶん賑やかになったね」
「ほんとに。まるで劇を見ているみたいだったわ」
「……主役は君だったけど?」
カトリーヌは笑って、軽くグラスを合わせる。
「たまにはいいのよ。ああいうのを見ると、まだ世の中に正す余地があると思えるもの」
「なるほど、退屈しのぎの正義だね」
「そう言われると身も蓋もないけど……まあ、否定はしないわ」
しばらく沈黙が流れる。
夜風がカーテンを揺らし、外の噴水の音が遠くに聞こえる。
エドワールはワインを一口飲み、優しく笑った。
「君は昔から変わらないね。理屈で人を諭して、最後にちゃんと救う」
「理屈だけじゃ人は動かないもの。少しの怖さと、少しの優しさでちょうどいいのよ」
彼の隣で肩を預けながら、カトリーヌは小さく息を吐いた。
「次の夜会は、もう少し静かだといいのだけれど」
「無理だろうね。君がいる限り」
そう言って、エドワールが笑う。
王妃は小さくむむうと唸り、グラスを軽く掲げた。
「まったく、退屈とは永遠に縁がないわね」
ワインの赤が灯に照らされ、彼女の瞳に映った。
静かな夜が、再び優雅に流れ始める。




