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すってん小町  作者: 奈良松 陽二
3/5

宮中に入内した小町、個性豊かな歴史的文学者揃いの文芸サロンで異色を放ち大人気に、そこで悲劇の皇后中宮定子と邂逅する

   八


 どれくらい眠っただろうか。すっかり明るくなっていた。目が覚めたのは、彼女の周りで晴明が何やら忙しそうに動き回っていたせいだ。

「お、丁度いい。起きたか?ところで、君はどれくらいこの時代のことを知ってる?聞くだけ野暮だが、一応な」

「知らん。まったく知らん」

「そうだろうな。無知で無鉄砲な品とか知識とか無縁そうな感じだから、そうだと思ったんだ」

「普通起こして早々喧嘩売るか?」

「そこでだ。宮中の生活に慣れるためにも、特別講師をつけようじゃないか。話は付けて来た。これ以上にない、最高の講師だ。無知な君でも知ってるだろ。「源氏物語」の作者紫式部だぞ。まぁ、彼

女に宮廷貴族の風習から礼儀作法と文学のなんたるかを学んで少しは男にもてるような女性になることだ」


 小町は口をあんぐり開けている。あまりの唐突な話に起きたばかりの頭では到底処理ができなかった。

「ちょ、ちょ、ちょっ!」

とりあえず、せかせか動き回る晴明の首を捕まえて、無理やり座らせると、自分がどれほど寝ていたのか、寝ている間に何があったか、なんで宮中に行くことになったのか、順を追って説明を促した。

「たっぷり十二時間程寝ていたよ。もう昼過ぎだ」

「あんたは寝てないんか?」

「寝たよ。君が落ちてから程なく」

「なんや。寝ずに考えてくれたんかなと少し期待しとったのに」

「君みたいな凡人と一緒にしないでくれ、睡眠は非常に重要だ。特に俺のような頭脳には十分な睡眠は脳内の情報整理に不可欠だ。おかげで朝から冴えまくっている」

「ああ、はいはい」

「で、君の入内の件だが」

「じゅだい?」

「聞いたのは君だろ?ああ、宮中に入ることだ。話を進めるぞ」


晴明も一応陰陽寮という機関の役人であるが、役職は天文博士である。

陰陽寮は暦・天文・時・占いと4つのセクションからなる機関で、晴明はその天文のトップということになり、天文、つまり月や星の動きを見て日々の吉凶を占ったりする部門である。

他の三つは陰陽と暦と時で、陰陽は陰陽師と言われる専門職の育成機関と言える。暦と時は読んで字のごとくである。

陰陽寮において当時の朝廷や貴族の年間行事が決められていたようなものだから非常に重要な役所であったことは言うまでの無い。


余談であったが、要は晴明のいる天文のセクションは月や星の動きを見るので主に夜勤ということになるがそれは部下の仕事。

彼はトップなので、部下の取ったデータを基に吉凶を占い、時や暦の博士と情報を摺り合わせて上部機関の中務省に報告するというのが仕事だ。


つまりは朝一番に出仕し、ちゃちゃっと報告を済ませるとそれで、本日の仕事は終了する。仕事を終えると、出仕前の道長の屋敷に向かう。そこで、道長の吉凶を報告するようになっているのだ。

「役人の私物化やな」

「よくそんな難しいこと言えるな」

「馬鹿にすなっ!・・ほんで?」


 今日も報告に行ったが、吉凶なんぞはさておいて話題は当然小町のことになる。


「ということは分かっていたから、御堂公に会う前にきちんと考えを整理する必要があったんだ。あの方も、まったりしてはいるが相当頭の回転が早い上に切れる。下手に疑られても厄介だからな。」

「御堂って誰?」

「いちいち話の腰を折るな。全然前に進まないじゃないか。いいか・・」


 元来、名前、いわゆる本名は個人を縛る呪いである。主君や身内でもない人間に名前を知られるのは、今でいうところの個人情報を知られるのに等しい。本名は「いみな(諱)(忌み名)」と言われ、当時、その名で人を呼ぶことは極めて無礼なこととされている。

よって、よほど親しい関係でも名前で呼び合うことはしない。その場合、通称で呼び合うのだ。

では、特に親しいわけでもない場合はどうなのだろうか。よくよく考えれば、特にこの時代特有というわけでもない。現在においても、日本ではごく当たり前のように、本名で呼び合う仲と、苗字に「くん」「さん」をつけて呼ぶ仲には互いの付き合いの深さが関係する。さらにビジネスの場面では、相手の役職をつけて呼ぶのもごく当たり前のことだ。

ただこの時代の面倒なところは、石を投げれば藤原氏に当たる程だったことだ。官職名で呼んでも、それでもわからない場合も多々ある。そこで住まいの場所で特定するとか尊称や、個人的な通称である。道長は通称で御堂と号していたので、御堂様とか御堂公と呼ぶ。

ちなみに、宮中の女房の名も姓と親族または夫の官職名を略したものが多い。「清少納言」もかの六歌仙である清原少納言元輔の娘だからで、「紫式部」は通称で本来は「藤式部」、藤原式部卿の娘だからであって本名はわからない。 

男の本名は、文書、特に公式文書には名前を載せるが、当時の女性の名前が公式に残るのは、それこそ中宮にでもなった人間のみであろう。


「話が大いに反れたが、とにかく君も宮中では絶対に名前を言うな。いいな」

「わかった」

 と、言ったが、彼女がこれまでの話を理解してるとは思えない。


話が戻る。

「君のコードを取得するには極めて難しい。大体、君自身が我々の時代の人間ではないのだから保護対象者にあたらない。君みたいな人間ならちょっとやそっとの感染症ならびくともせんだろうが、念の為に隔離しといた方がいい」

「いやや、隔離なんて」

「そう言うと思ってたし、素直におとなしくしてないだろうからな。かと言って、あまりうろうろもしてほしくない。君は人の人生に土足で上がり込むような性格だろ。この時代の問題に首を突っ込むと歴史が変わってしまう」

「そない大層な」

「バタフライエフェクトって知ってるか?」

「何や急に?」

「南米で蝶が羽ばたいても、その空気の微妙な動きが、太平洋を渡ると大風になるという気象現象だ」

「んなアホな」

「あるんだっ!実際!歴史も同じだ。ほんの些細な出会いや会話でも、その後の未来に大きく影響する」

「ほなあんたはどやねんな?」

「俺はいいんだ。正しい歴史を把握しつつ注意深く緻密に計算して行動してる。だが、君には無理だ」

「うん。そら無理や」

「素直だ。で、そこでだ」

 本来なら、この屋敷が一番安全なのだが、おとなしくしているはずもない。感染の危険性の低い比較的清潔で、身の安全も図れて、かつ小町の行動を制御できる監視がつく所とはどこか?

「それが宮中?」

「はじめは御堂公の所がいいと思っていたんだが、君の出て来たタイムホールがなぜ、あそこだったのかと考えると・・」

「茨木とつるんどるかもしれんってことか、あのまろまろ」

「ま・・まろまろ?お前、それ絶対に本人の前で言うなよ。本名言うより酷いことになるからな」

「あかんか?」

「言うつもりだったのかっ!やめろっ!」

「わかった」

「とにかく」


 私邸はまずいと思った。万が一の場合、敵にわざわざ捕まりに来たようなものだ。その点、宮中ならセキュリティは万全である。何かあってもすぐには手出しができない。


「そう思ってたら、なんと向こうから言ってきた」



   九


 千年後の未来からやってきた天女がいるらしい、そんな噂が朝から広まっていた。

と言っても小町がやってきたのは昨日の晩で、広がるにしてもあまりにも早い。

噂の出処は当然ながら道長である。

「また彰子様の所に付けるのですか?」

願ったり叶ったりの要請でも、道長のこの手当り次第はいささか呆れる程なのだ。

「今、女房は何人でしたかな?」

「伊勢大輔がこの前入って、ん?何人であったかな?」

道長も恍けて見せた。

「いや晴明よ、案ずるな。何も天女殿を女房にしようと言うのではない。畏れ多いことじゃ。あくまで客人としての」

「そうではありますまい。一流の文人揃いの女房についても、今回天女を宮中に招くのも全部、帝を呼び込む為でしょう」

 図星である。

道長もこのことに関しては、なりふり構ってられないらしく、かなり焦っていた。中宮定子にはすでに先年生んだ皇子がいる。しかもまた身籠っているらしい。

一条帝の気持ちはこの薄幸の皇后から一向に変わらない。


そこでとにかく帝の興味や関心を引くことなら何でもやった。

その一つが紫式部であり、彼女の描く「源氏物語」であったのだ。今でいえば連載形式みたいで、帝が来るたびに続きが仕上がり、次はどうなるのか気になって仕方がないようにする。

しかも内容はといえば、道長の意図的によるものかはさておいてもプレイボーイの女性遍歴である。それなりの年齢である帝にすればムラムラするような話である。

さらにそこへ当代きっての恋愛歌人で魔性の女と噂される和泉式部も女房に加え、恋の歌なんぞを詠まれようものなら、若い帝も堪らなくキュンキュンするだろう。


定子の所にはあの清少納言がいる。それに負けない一代文芸サロンとする為に、さらに赤染衛門や、伊勢大輔を加え完璧な布陣を引いた。

にも拘らず。未だ一条帝の心は定子にあるのがどうにもならない。


(北風と太陽だな。)

 晴明は思った。


道長が躍起になって彰子の周囲を豪勢にすればするほど、定子の悲劇性は高まり、定子への風当たりも強くすればするほど、さらに定子の悲劇性は強まる。となれば必然的に一条帝の定子への同情も強くなり、愛情も増してくる。そして愛する定子へつらく当たる道長への反抗心も増してくるというありがちな寸法である。

(自分で筋書き立てといて、肝心な出来上がったストーリーを読んでいないんだな)

「な、どうじゃ?この御堂の元に降りて来たのはまさに吉兆であろう。天女の力があればさすがの帝も今度こそは彰子になびくと思うのじゃ。な、頼む、晴明」


「正直、無駄と思いますがね」

と言いたい気持ちをぐっと堪えた。


呆れ返る程、人の恋心がわからない男だ。研究一本で朴念仁のように生きて来た自分でもこれぐらいのことはわかるのに、なぜ人心をあれほど掴んできたこの男にして中高生の若造レベルの恋心が分からないのか、不思議でならない。

しかし、今やまさに渡りに船である。断る手はない、しかも、多少勿体付けたおかげで当時の日本で一番偉い男が自分に頭を下げている。ここで恩を売って置くのも悪くない。

「では、こう致しましょう」

と提案を出したのが、天女の付き人に紫式部を充てることだった。


さすがに無知な小町でも「源氏物語」の紫式部くらいは知っているだろうから、高名な彼女になら多少は言う事を聞くだろうと思ったのだ。

「でもうち読んだことないわ。「源氏物語」なんて。漫画でちらっと読んだくらいや。」

と小町が言うのも、晴明は分かっていた。

「でも、聞いたことはあるだろ?」

「そら、学校でも習うとるしな」

「紫式部だぞ、どんな印象だ」

「ま、めっちゃ偉い、すごい人いうのは、分かる」

「十分だ。いいか、世が世なら皇居に招待されたようなもんだからな、畏れ多いことに天皇陛下のすぐ近くで生活するんだ。くれぐれも無礼の無いようにしろ」

「あかん。うち吐きそうになってきた」

「吐くなら今のうちにトイレでして来い」

ということで、京都のつぶれかけの家具屋の娘は時を超えて、なんと天皇のおわす宮中へ客人として招かれることになった。



   十


 小町が宮中に入り、しばらく経った。

はじめは窮屈だの、十二単が重いだの暑いだのと文句ばっかり言ってたが次第に慣れて来たようで、女房たちともうまくやれているようだった。

というより、天女という触込みだけに周りが必要以上に小町に気を使ってくれているおかげで、特に小町の性格や言動が変わったからではない。

敬語も無茶苦茶でべたべたな関西弁を遠慮なく使うが、まわりは、その聞き馴染みのない言葉がまた珍しくて仕方がないようで特に恥を掻くことなく受け入れられている。

あと、小町の持ってる天性のコミュニケーション能力と言えるのかもしれない。


たださすがの小町も一条帝を前にしたら緊張したらしく、訳の分らぬ無茶苦茶な敬語がさらに訳が分らない言葉になってしまったのだが、それがまた殊の外面白かったらしく帝の覚えも上々だったようだ。それを聞いた道長もかなり上機嫌で、事あるごとに〝天女〟、小町の自慢を方々でしていた。


そんな時、道長の元にある噂が入る。

「大江山の酒呑童子とな?」

道長は土御門邸の縁側で碁を打っていた。

その相手は、藤原保昌、または後年所領の地名である平井保昌とも言われる。この土御門邸の家司(執事のようなもの)にして右馬権頭に任じられている。

庭先には頼光も控えていた。

「は、里の村などを襲い、女・食糧を奪う悪行を尽くしたる盗賊団でござりまするが、かなり統率のとれた賊のようでございます」

「ふむ」

と言って道長がぱちんと碁石を置くと、次いで保昌が

「頭をはる、酒呑童子は一騎当千の強者と言われております故。国の役人共には少々荷が重いかと」

と言うと、石を打つ。

「ほう、そんなに。で、その者がこの京にまで攻め入るとな」

「近くの村の者の話によれば、時より地を揺るがすほどの凄まじき音がしたかと思えば、コンキンコンキンと音がすると・・・。四天王は、鬼を養うておるのかと・・」

頼光が言うと道長の石の動きが止まり、長考している。

「鬼のう。コンキンという音というは、鋳鉄ということかの?」

やっと石を置くと、すぐに保昌が打つ、

「そうであるなら、作っておるのは刀剣の類と思われます。人足に致しても武器の稽古を施しておるとのことなれば、武器と兵をもって、京に攻め入るものかと・・」

「・・。けしからぬ」

「は?」

保昌はうっかり自分の打った厳しい一手の事かと思い、少しびくっとした。

「いやいや、保昌、そっちではないぞ。頼光よ。そなた、兵をもって大江へ向い、その者ら、討ち果たせ」

「ははっ!!」

「さればこの保昌にも申付下さりませ」

そういうと、保昌はその場に平伏した。

「いやいや、それには及ばん。そのような輩は頼光だけで十分じゃ。伊勢でも平致頼と維衡が内輪もめを始めて暴れておって手がつけられん。京が手薄になる。右馬頭のそなたは残れ」

「・・はは」

少し釈然としないまでも、道長の言うことも尤もである。

(さがな者がおる故、京が一番心配じゃ。)

と、かなり隆家を警戒してのことなのだ。


「そんなことより、そなたの番ぞ。」

保昌は盤上の石をじっと見ている。

得意げな顔をして道長は、「いかがじゃ?」と尋ねるように保昌の顔を覗き込む。

「負けました」

保昌が頭を下げると、道長は得意げだった顔からいきなりため息をつき、

「そなたとの碁はどことなくつまらん。なぜいつもそう肝心な局面で手を緩める。見え見えの気遣いは逆に相手を不快にさせるぞ」

「いえ、おとど、決して手を抜いては」

「よい。この頼光などは、手を抜くことを知らん。ただ、下手くそじゃから相手としてつまらん。どっちもどっちよの」

頼光も保昌もなんとも言えず、ただ、

「恐れ入ります」

としか言いようがなかった。


そこへ、晴明がいつもの定例報告にやって来た。

「それでは、我々はこれにて」

と、保昌・頼光は退出して行った。

晴明の挨拶も程々に、話題はやはり、小町のことになった。


「大分と宮中でも噂が広まっておる様子。天女が、家具屋家具屋と申しておる故、〝かぐや姫〟と称す者もおるとか」

「かぐや姫とな。それは、よい名じゃな」


 実際に〝かぐや姫〟の名が広まっていた。

 と同時に「小野小町」の名も広まっていた。

(あれだけ名前を言うなと言っておいたのに)

と、呆れもしたが、そんなことよりこれには晴明も驚き、困惑した。

「竹取物語」は、成立年不詳ながら平安初期の成立と言われている。もうこの時には成立してるはずなのだ。ところが、誰も「竹取物語」のことを知らない。

 小野小町も平安初期の歌人で知る人ぞ知る世界三大美女と言われる有名人だ。ただ、謎の多い人物ではあり、一部の説では実在が疑われてもいる。にしても百人一首にも名を連ねる歌人なのに、この時代において誰も知らない。

 それどころか、二百年以上もずれた上に、キャラ被りまでして最も縁遠い小町に使われてしまっていた。

しかも、竹取物語をなぞるかのように、5人の公達が小町に求婚したという。

「なんと、もう5人も求婚したかっ?!して天女殿は?」

「難題を申しつけ、体よく断ったよしにございます」

「左様か。・・・〝浮かれ女〟がよく黙っておるの」

「浮かれ女というのは?」

「和泉よ、和泉式部じゃ。親王殿下のしかも兄弟二人とも、あの女に骨抜きにされて、しかもお二方ともまだお若くして御隠れになられた。宮中ではもっぱらの噂よ」

(自分で女房にさせといてよく言うな)

と思ったが、当然口には出さず、

「帝がよもや和泉殿に、とでもご心配なされてます?別に今までも特にそういうことも無いのでしょう?」

「・・うむ。そうよ。ただ、あの女の放つ色香が強烈なんじゃ。いつ、帝が惑わされてもおかしくない」

(ああ、自分の好みなんだろうな。帝の好みではないのだろう)

と思いつつ、

「なるほど・・」

 と相槌を打つに止めた。

「なんとか、皆が納得する形で、和泉式部を娶せたいのだが、誰ぞおらぬか?これぞという男は?」

(勝手な事を言う人だ)

「はて・・・?そう申されても」

「そうか。晴明も無理か。いやよいよい」


「それはさておき、先程の左馬頭殿の話、いささか、この晴明、気懸りでございます」

「大江山の酒呑童子の件か?なんじゃ、聞いておったのか。相変わらず耳敏いのぉ。頼光にまかせた故、大事なかろう。なんじゃ、なんぞ悪い卦でも出たか?」

「いえ、まったく」

(しまった)

と、瞬間正直に答えてしまったことを後悔した。

でも、今の段階で吉凶を言ってしまうと、あとあと面倒なことになりかねない。

「少々予見が過ぎて心配性になっておるのであろう」

「そのようで・・」

と、今は答えるしかない。


ただ、絶対におかしい、と思うのだ。

(何なんだ、一体?)

小町の「かぐや姫」といい、歴史に微妙なずれが生じている。

大江山にいるご存知酒呑童子という鬼を、頼光と保昌、あと頼光配下の四天王が討伐するというおとぎ話がある。

年代にもずれがある。この話は道隆がまだ生きていたころの話だ。

(だがどれも伝承の域を出ない。確実な史実とは言えん)

おかしいのは分かっているものの、これといった確証はない。ややこしいのは、この時代がまだおとぎ話的な話が歴史的事実と相まって存在していることだ。


(ま、だからこそ俺も小町もこうしていられる)


その通りである、非科学的なことが日常においても受け入れられている時代である。不思議なことを素直に不思議として受け入れてしまう寛大さがある。

(情報を再度集める必要がある。ここは一旦、流すしかない)

「そんなことより、もっと気をつけねばならぬことがあるぞよ」

「は?」

「隆家よ。あやつ、挨拶に来てから全く顔を見せぬ」

「前中納言殿・・ですか?」

「近いうちに伊周も帰ってくる。さがな者ゆえ、何を仕出かすかわからぬ」

(そう言えば、帰って来てたな。小町が落ちて来た夜に見て以来、宮中でも都でも見てないな)

特に注意をしていたわけでもないから、彼の都中に張り巡らせたセンサー網には反応記録があるかもしれない。

遠巻きに道長も隆家の動きを調べろと言っているのだと解釈した。

「わかりました。よくよく注意しておきましょう」

と言うと、廊下から、

「父上、ただいま帰着しました」

と、声がした。


見ると12歳ほどの子供が束帯を着て礼をしている。

膝を崩していた道長も姿勢を正し、

「うむ。お勤めご苦労であった。」

と、慇懃に返事をした。

晴明はこの利発そうな子供をよく知っている。

「これは、田鶴様・・、いやいや、ご無礼を申しました」

「この度、内大臣様より加冠を授かりました頼通と申します。博士、ご無沙汰しております。以後、お見知りおき下さい」

この少年が、道長の跡を継ぎ摂関藤原氏の全盛期を築き、宇治平等院でも知られる藤原頼通である。

この頃はまだ元服して任官したての十二歳の少年である。と言っても「氏の長者」の後継者であるから、正五位下からスタートである。

(さすがだな。きちんと礼をされる。従四位である私にもこの対応か。中関白家のお坊ちゃんにはマネできんだろうな)

「頼通、奥で待て。すぐ参る」

頼通は、丁寧に頭を下げると、すすっと美しい所作で下がって行った。

道長は立ち上がると、

「さて、かぐや姫にも会いに参りたいが、何分、多忙での。よしなに頼む」

と言って、部屋を後にした。



   十一


 土御門殿を出た晴明は、早速、屋敷に戻ると、隆家のここ数日の動きがセンサー網に引っかかっているかどうか検索にかけてみた。

確認すると意外だった。

「ゼロ・・?何処にも引っ掛かっていない?二条の中関白家にも札は貼っといたはずだ。ゼロはないはずだ」

何度、検索しようとも結果は同じだった。

それぞれ札にはナンバーが振ってある。

中関白家の札の番号を照会してみるとちゃんと反応は出ている。

「消えた?まさか」

すると、センサーが隆家の存在をキャッチした。

どこかと思えば、中宮定子のいる内裏後宮の登華殿である。

「妙だな・・。」

おもむろにセンサーを切り替えて、音声を拾った途端、ドタドタドタッと廊下を走る音とともに、

「これ、小町殿。いけませぬ、小町殿っ!」

と、おそらく紫式部の声がしている。

「あいつ。」

晴明は、音声のボリュームを上げた。

 そう、この時、小町は宮中を逃げ回っていた。


後宮は内裏の北側にあり、七殿五舎と呼ばれる十二の建物に分かれ、それぞれ帝の后である中宮や東宮などが住んでいた。

建物はそれぞれ紫宸殿や帝の住まう清涼殿と廊下伝いにつながっているが、七殿と五舎はつながっていない。

因みに、中宮定子は七殿の一つ、登華殿。中宮彰子のいるのは五舎の一つで飛香舎、通称『藤壺』である。


小町は、入内してその日に晴明にも紫式部にも釘を刺されたのが後宮をみだりにうろうろするな、ということだった。ただでさえ珍しがられて目立つのに、うろうろして人目に触れれば余計な混乱を生みかねないからだ。

というのも、この当時は後宮といえども男子禁制でもなく、昇殿の許された位の高い殿上人と呼ばれる人間であれば、比較的自由に訪れることができた。

小町が今、あれほど釘を刺されたにもかかわらず、案の定この後宮を走り回っているのは、先日断ったばかりの公卿達がまたやって来て、追い駆けられているからだ。

ついには、紫式部の必死の制止も聞かず、彰子側の人間としては絶対に入ってはいけない所にどかどか入って来てしまった。


「騒々しいぞっ!皇后様のご寝所を荒すとはいずれの女房かっ!」

隆家が一喝すると、紫式部は平伏する。ただ当然小町は止まらない。

「あ、すんません。すぐ出てきますんで。」

 相変わらずの小町の言葉遣いである。

「小町殿っ!小町殿っ!」

紫式部は必死に訴えるも、小町は自分がどこにいて、目の前にいるのが誰かもわからない。

 すると、一人の女官が小町の行く手を遮るように立つと、

「これは、中宮の所の藤式部殿か。ならば、これなるは、噂の天女殿かえ?」

と言われると、紫式部は急に落ち着き、平伏していた身を起こして、

「これは清少納言殿。とんだご無礼をいたしました。いかにもそちらにあるは、天女「かぐや姫」様にございます」

「これが噂の。毎日毎日、殿上の殿方とあろう方が尋ねて参り、振られては帰り、振られては帰り。これでは、宮中の風紀を乱されてかないませぬな」

 隆家は、清少納言に対応を任せたようで、扇で口元を隠して、様子を見ている。

「ほんま、すんません。断っても、断っても来よりますんで、うちも困っとるんです」

 その言葉を聞いた瞬間、清少納言は、宇宙人にでも出くわしたかのように目をむいてしまっている。隆家も、扇の中でくすりと笑っている。すると、

「ふふふ・・」

 御簾で隠された奥から、上品ながら嫌みの無い笑い声が聞こえて来た。なぜか、この笑い声がした瞬間、周囲のピリッとした空気が少し緩んだような感じがした。

「天女と申すに、よほどの美人と思うておったが、雅さの欠片も感じられぬ」

 嫌味たっぷりに清少納言が言うが、長年京都に住んでいる小町にとっては、どうってこともない挨拶みたいなものである。

「もしかして、この人が、清少納言なん?うわぁ、ほんまにぃ。会えて嬉しいですぅ」

と言うや、いきなり清少納言の手を取り、握手する。当然、この時代に握手なんて言う習慣はないので、清少納言もあまりのことにどうしたらいいかわからない。

 狼狽する清少納言を見て、隆家おろか、紫式部まで噴き出してしまった。

 もう完全に小町のペースである。


「あっははははっ!」

 なんと御簾の奥から大笑いが聞こえて来た。

声の主は当然、中宮定子である。


「あ・・姉上・・」

 隆家もあまりのことに驚いている。

「あはは、ははは・・。ごめんなさい。はしたないことをしました。でも、納言が実に可笑しくて・・」

 隆家は、久しぶりに明るく大笑いする姉の姿を見たのか、少し笑いながら泣いているようにも見えた。

「かぐや姫と申されるのか?納言が無礼を申しました。許して下さい」

 

御簾から覗かせたその姿は実に美しい。

薄幸の后と呼ばれ、この頃はかなり体も弱っていたようで、ずっと臥せっていたと噂もあったが、今の大笑いで血色も良くなり、顔が明るくなり、元の美しさが戻ったみたいだった。

小町もその明るさと美しさに見惚れるほどで、すぐその魅力に吸い込まれた。

「中宮定子様ですか?」

「これ、中宮は無礼ぞ。皇后宮ぞ。気安く話しかけるな」

「よい、隆家。そうです」

「あの、かぐや姫なんて大層なもんやないです。私、小野小町いいます。小町と呼んで下さい」


あれだけ名前を言うなと言われていたのに、すんなり言う。


「小町・・殿?ふふふ、本当に帝の申される通り変わった女人です事。私も一度お会いしたいと思ってました。のう?納言」

 なぜか清少納言も大泣きしてしまっている中、声を凝らして、

「はい・・」

と、なんとか返事している。


 勘の鈍い小町でも、彰子のいる藤壺で定子のことはあれこれ聞いている。道長の意向はともかく、後宮内においてはそれなりに定子への同情が強く、それは彰子も同じ思いだった。その反面、中宮の地位を奪いにかかった彰子の方が、後宮内では無言の風当たりが強く感じられるぐらいだ。


(何とかならへんもんかな・・)

と、小町も思っていた。政治的なものはわからないし、晴明からも首を突っ込むなときつく言われている。

 しかし、

(彰子様も定子様もむっちゃええ人やん。このままは、なんか可哀そうや)


 小町は、考えるとすぐ顔に出る。小町以外は全員、この平安時代においてはトップクラスの人材である。小町の顔だけ見れば、何を考えているかは手に取るようにわかる。


「ありがとう。小町殿」

「へ?・・うちなんも、礼を言われることなんかしてません。逆にすんませんでした。勝手にズカズカやって来て、勝手にしゃべってご迷惑かけました」

「いいえ。本当にありがとう。久々に、はしたないほど大笑いさせてもらいました。もし良ければ、また来て下さい。もっと、お話を聞かせて下さい」

「いや、そんなら、いつでも言うて下さい。すぐ行きますから」

と、それを聞いた紫式部は、

「・・小町殿・・」

と、何か制止しようとするのを、

「控えよ」

と、隆家が制止した。

「ん?何?なんかあかんの?」

「良いのです、小町殿。叔父上の手前、中々難しい事でしょうから、ただ、それでもできたら、本当にうれしい事です」

 少し悲しみを帯びた笑顔は、急に先程の生気に満ちた顔から急に花が萎れるように生気を失って行くように見えた。


「何を言うてますのっ、あんな〝まろまろ〟に文句言わせまへん。うちが来る言うたら絶対に来ますよって楽しみしといて下さい」


 一瞬、誰のことかわからない空気になったが、すぐに引きつるような顔して、

「こっ・・小町殿っ!」

と、紫式部が突っ込んだが、

「ま・・まろまろ・・っ。・・それは、叔父上のことか?」

と、驚いて言うなり、みるみる生気が戻り、引きつる紫式部以外、一同全員大爆笑に包まれた。

「あははは・・。もう、本当。ありがとう。いきなり笑い過ぎて、少し疲れました」

「姉上・・」

「心配いりません。こんな良い心地は久しぶりです。ごめんなさい、小町殿、少し休みます」

「え、あ、すみません。お体のことも考えずに、アホな事ばかり言うて」


 定子は奥に下がると、

「小町と申したか・・」

と、隆家は小町に頭を下げる。

「た・・隆家殿っ」

 隆家のあまりの行動に、清少納言も驚いている。

「礼を言う。姉上があのように明るくなったのは、本当に久しい。無礼を詫びよう。本当に、本当に叶うのであれば、再びお越し願いたい。無理を承知でお願いしたい」

「それはもちろん」

「なりませぬ。小町殿」

 間髪入れずに紫式部が小町を制した。

「なんでっ?」

「小町殿は、御堂のおとどが彰子様の元へ招いたお客人です。たとえ、天女殿でも、勝手はできません。これは筋道の話です」

 筋道を言われると、確かにその通りで、小町も納得せざるを得ない。

「此度のことは、図らずも起こったことにて致し方ありませんが、おとどの耳に入ればただでは済みませぬ」

「・・・わかった。ごめんな。・・・あ・・え~と・・」

「前中納言で藤原隆家にございます。なに、ご懸念無用です。姉もそれは十分にわかっています。いや、だからこそ、小町殿のあの強気のお言葉が何よりお心に響いたのです。本当にありがとうございます」

「なんかそんな大したこと言うてるつもりないんやけどな」

「小町殿ぉ~っ!」

 感極まってか、清少納言も縋りつくように飛び込んで来た。

 清少納言はお世辞にもきれいな顔と言い難く、小町は、その顔を見た瞬間に頭の中でオカメのお面が直ぐに浮かんだ。それが、突然眼前に急接近してきたので、それはもう驚いた。

「うわぁーっ!」

 とにかく、ひたすらお礼を言われ、紫式部に引っ張られるように登華殿を後にした。


 小町の立ち去った後に、隆家は清少納言にこう漏らした。

「納言。あの天女、どうあってもこちらに欲しい。姉上も時間がない。こちらから先に進めることにする」

 そう言われると、清少納言も、

「かしこまりました」

と、答えた。

 このやり取りを聞いていたのは、晴明のみである。

(何かをやろうとしている)

 その確証を得たが、何をやろうとしているか分からない。

 晴明は急いで屋敷を出て、内裏に向かう。



   十二


晴明が向かったのは、内裏五舎の一つ飛香舎、通称「藤壺」である。

内裏においては昇殿が許されるのは三位以上の官位の人間で、「殿上人」と呼ばれるが、晴明は従四位であるから、本来は許されない。

 だが、そこは当代随一の陰陽師という肩書が物をいう。特別に昇殿を許されている。

 藤壺に向かう渡り廊下で、丁度、登華殿から退出する隆家と出くわした。


「これは晴明。無沙汰であったな。・・・そういえばおもしろい天女をお連れとかで?」

(やはり、そこに話題を持ってくるのか、しらじらしい)

と、思いつつ。

「これは、前中納言様。ご無沙汰しております。もうお耳に入っておりましたか。いかにも先般、月より参った天女殿のお世話をさせて頂いております」

「姉上・・。いや、これは口が過ぎた。かしこくも皇后宮様の元に見舞いに参ったところだ。・・・叔父上もなんとか帝に足を運んでもらおうと必死じゃな。宮中では姉君への同情が多い、肝心の帝すら未だお心を寄せておられる。年端もいかぬ小娘の彰子では、京一の才女をかき集め、天女でつなぎとめるのでやっとというのが実情だ」

「・・・はぁ」

 いやらしい物言いをするものだ。ふと会話に合わせて相槌をうつように「そうですね」とか「なるほど」とか言おうものなら、批判的なことを言っていたと吹聴されかねない。古来から朝廷内で使わ

れる陰謀策の常とう手段だ。

 ただ、ふと違和感を覚えた。これを言っているのが、あの隆家だからだった。

(もっと直情的でド直球の言い方をする人だと思っていたが、こんな粘着質な言い方をするとは人が変わったな)

 すると、隆家は急に話題を変え、晴明の耳元で囁くように。

「大江山の酒呑童子の征伐に向かうという話、聞いておるか?」

「はあ」

「そなたのことだ。何かおかしいと感じておるのであろうのう?その予感。杞憂であれば良いがのう・・・」

と、言うと、扇で晴明の肩をポンと軽く叩いて、「ふふ。」と薄く笑いながら、その場を去って行った。


(バレている?まさか?)

隆家の言った意味について考えれば、極めて利口な晴明なら気付くと分かった上で言ったことだとわかる。

敢えて言っているのだ。

「!・・・嫌な予感がする」

晴明は、急いで小町の元に行った。


小町は、その頃、紫式部からコンコンと説教を受けていた。

それもそうだろう、小町は客人であるのに、招いた主の許可なく、近所をうろついた挙句、招待主と仲の悪い隣人と懇意となり、その隣人との会話で招待主の悪口を言って盛り上がる、極めて非礼である。

 小町もそこを言われると、弱い。筋道や道理はわかっている。だから、時代も常識も違えども、たとえ小町であっても、紫式部の言う事は十分理解できた。

(でも、なんか釈然とせえへん)

 そう思っているし、それが顔に出てしまうものだから、紫式部も言わずにいられない。


 小町の気持ちも分からないまでもない。定子の置かれた状況を思えば、気の毒と思うのはこの藤壺の面々全員共通した思いだ。

 この藤壺の主である彰子でさえ、そう思っている。だが、ここはそうであっても実質的な主である道長の意向に沿わねばならない。

そのことを、この自由人にもしっかり意識してもらわなければならないのだ。事はこの後宮だけに留まらない。この時代においては、極めて高度な政治的問題なのだ。


「これ、藤式部。もうそのくらいしてはどうじゃ。小町殿も分かっておる」

 さすがに彰子がたしなめた。

「正直申して、これ以上小言を聞くのもつらいのじゃ、小町殿に申されているようで、わらわに言われている気がしてならぬ」

「中宮様・・」

「いや申すな。わらわもよう分っておる」

 妙に気の重い空気が流れてしまった。

 その空気がよほど嫌だったのか、一番若い伊勢大輔が話題を変えようとした。

「そういえば藤式部殿。源氏物語は如何なさるのです?次に帝がお渡りになるまでに続きを書き上げねばなりますまいに」

 それを、聞くと、紫式部はふうっと溜息をつき、

「ええ。そうですね。どうにもこちらの天女殿が大人しくなさってくれず、そちらの方に手が回らないのです」

「ごめんな、うちが来てからやたらと客が来るもんやから、もう、邪魔せんし、源氏物語書いて。」

「すみませぬ、気を使わせてしまって」

よくある嫌味たっぷりの対応である。

「いや、うちが悪いんや。謝らんといて。・・・・なぁ?安倍が言うとったんやけど、光源氏って、あのま・・」

 言いかけた瞬間、紫式部の刺すような鋭い視線を感じて、瞬時に言い換えた。

「み・・御堂様がお手本って、ほんま?」

「ああ、御堂のおとどですね。源氏の君にしては、少々、恐ろしい方ですからね。おとどは・・・」

「ああ、ん、まあな」

「あの方は、位人臣を極められた方。それゆえ、敵も多く、一族同士でも気を許せぬ者ばかり。ですから、御堂公も逆らう者には容赦ありませぬ。およそ、華やいだ世界とは程遠い方ですと、先刻あれ

ほど申し・・」

 またぶり返しそうになった。

「ふ~ん、ほな誰?」

「え?」

「光源氏のお手本」

 そう言われると、紫式部は、さっきまでの勢いが収まり、急にモジモジし始めた。何かゴニョゴニョと小声で言うだけで一向に名前が出て来ない。

 彰子含め周りの女房達も「ほほほ。」と笑いつつ、興味津々のようだ。どうやら周りも知らないらしく、道長の手前もあってか聞きづらかったようだ。

 すかさず、和泉式部が割って入ってくる。

「鈍い天女様。光る源氏の君なんですもの。そのまま、その通りということです」

「光る・・、源氏・・?・・・ん?・・え?ほんまに?あの・・頼光さん?」

 この答えには一同一斉に驚きの声が上がった。

「え、いや全然イメージちゃうねんけど、ごつごつした厳ついおっさんやで」

 顔を赤らめてはいるものの、平静を保った体にして、

「これ。要らぬことを言われますな。和泉殿の言葉を真に受けてはいけませぬ」

と、和泉式部をたしなめた。

「あら、あいかわらず素直じゃない方。あんな歌の良し悪しもわからぬ無骨者のどこが良いのかわからないけど、好いているなら好いているとはっきり言えば良いのに」

 「魔性の女」と呼ばれるだけあって、何とも話し方が粘着質でいやらしいのだ。本人は特に無意識でやっているようだから尚始末に悪い。

「だから・・」

 紫式部も、この女に絡まれるとなかなか抜け出しにくい。

「小町殿。女の幸せを教えてもらうなら、こちらの方からは何も学べませぬよ。こうやって、大人しい人の良さそうな女を装ってますけど、私は知っています。日ごと隠れて日記をつけておいでなので

す。その日記に私や、定子様の所にいる清少納言殿のことなどは、悪しざまに書き連ねてらっしゃるの。恋も同様、慕う人に伝えもせずに、そうやってせっせと妄想の中で情を通じていらっしゃる」


 和泉式部の言った紫式部が夜な夜なつけていた日記は、後世「紫式部日記」と知られることになるが、和泉式部の言う通り、彼女の日記に記された人物評はとにかく手厳しい。日記につけるくらいだから、おそらく直接本人には言えなかったのだろう。特に、清少納言については相当な文字数を割いて長々と文句を言っている。和泉式部についても魔性の女のイメージ通りで、「素行は良くないが、歌は素晴らしい」と評している。誰に対しても概ねこの調子で、作者から見れば、とにかくマウントを取りたいのか褒めるにしても一言多いのだ。いつの世も女の世界は恐ろしい。

 

 そんなわけで、和泉式部の言った事はど直球ど真ん中の評で、紫式部も何も言い返すこともできず、

「和泉殿。もうそのへんで・・・」

 と、言うしかなかった。


 紫式部は顔を真っ赤にさせ、モジモジしつつブツブツ言っている。

 年長者で、お局様といった感じの赤染衛門がやっと入って来た。

「そうなの?左馬頭殿のこと。いつから?」

「あ・・いや、その・・、土蜘蛛退治とか、ほら都でも・・。みんな噂をしてるでしょ。私は、御堂様の屋敷の頃から何度もお顔を見てますから、その・・・」


(ああ、いわゆる「推し」っちゅうやつかな。)

 小町はなんとなくそう感じた。

 会話や付き合いを通じて人となりで好きになるような恋ではなく人気者のイメージ先行で、実際会ってみるとイメージギャップに、いわゆる「萌え」てしまい。実際の人となりよりも、より妄想のイメージをその人に当てこんで盛り上がっていく。一種のファン心理。一昔前の「ミーハー」というものだと。

 とすれば、和泉式部の推察は実に的を射ているのかもしれない。

 「源氏物語」であれだけ濃厚な男女の色恋を書いているのに、実際の本人はいい年しながら妄想だけで顔を赤らめているコミュ障女子なのだ。


「それならそうと言ってくれれば、左馬頭殿殿にもちゃんと紹介するのに」

「いや、それももうお気持ちだけで」

「赤染さん。頼光さんのこと知ってはんの?」

「それはもう。大分長いお付き合いですよ」

「へぇ~・・。藤式部さん、紹介してもうたら?」

「もう結構ですうっ!」


(かわいい。)

 今や世界で最初の、かつ最も著名な女流文学作家が、目の前で中二女子みたいなリアクションをしながら、顔を赤らめている。

 さすがの無知な小町もやや感動を覚える。


 普通に登場している女房たちだが、何も一流の文学者は紫式部だけではない。彼女が群を抜いて有名だから目立っているだけだが、この「藤壺」と言われる歴史的に見れば稀にみる女流文学者が揃った文芸サロンが、どれだけすごいのかというと、まずここにいる女房全員が「小倉百人一首」に名を連ねている。つまりは小中学校の時に一度は彼女たちの歌を聴いたり読んだり覚えさせられたりしたはずだ。


 まず、一番の古株は、赤染衛門である。彼女は道長の妻の女房として妻の実家から道長の所に入ってきていて、それこそ母子二代に渡ってずっと面倒を見てきた。彰子入内にあたって、この「藤壺」を取り仕切る女房頭として投入されたのだ。

 性格も温厚で、おっとりしている。しかし、指示も指摘も簡潔でかつ的確であり、言葉も選んで言うから、妙な軋轢も摩擦も生まない。今の時代では、まさに理想の上司ナンバー1だろう。道長も、そういう彼女を見込んで中宮彰子お付きの女房筆頭として抜擢したのだろう。

 彼女は前に述べた通り百人一首にも載る歌人であり、作家でもある。有名なところで、道長の栄華を書いた「栄花物語」は彼女が書いたものだと言われている。夫は大江匡衡で、大江氏といえば古代より続く名家で多くの学者を輩出している。ただ、この頃は家柄としては低く、官位は五位で中流か下流貴族にあたる。ちなみに紫式部日記の赤染衛門の評価は他の人物評と比べ概ね良いが、それでも「身分は低いが歌はいい」というものだった。

 

 その紫式部が、この中で2番目の古株で、赤染衛門と同じく当初は道長の妻の女房として土御門邸に出仕した。つまり、赤染衛門は以前から先輩・後輩の間柄だ。しかし、宮中には遅れて入ってきている。理由はわからないが、作者の勝手な憶測ではあるが、土御門邸を取り仕切っていた赤染衛門が彰子に付き従うことで、紫式部が彼女の後を引き継いだが、理想の上司の後を継いだのが、心に大分と闇を抱えた上司に変わると、下の者も相当やりづらかったのではないだろうか。結果的には、彰子サイドで赤染衛門のサポートに回るという体で、配置替えになったということではないだろうか。何度も言うが、作者の勝手な憶測である。

 

 和泉式部と伊勢大輔は、ほぼ同期入社であるが、年齢は和泉式部の方がだいぶと上である。


 和泉式部といえば、それこそ道長が心配し、紫式部が指摘していたように、男性関係が奔放な女性であった。

 実際彼女はまだ人妻であった。

 その証拠に、彼女の女房名である和泉式部の和泉は夫の官職、和泉守から来ている。

 夫婦関係はとうに破綻しているものの離婚はしていない。にもかかわらず、道長の言った親王兄弟二人から求愛され付き合うと、兄弟いずれも早逝されたものだから魔性の女と噂された。その後もすぐに違う誰かとくっついたりしたものだから、とにかく男が放っておかないのだろう。外見もさることながらだろうが、とにかく歌の才についてはあの辛口の紫式部をもって天才と言わしめるほどだった。特に「恋愛」を歌わせれば天下一品で、誰を思って詠んだものでもなくても、聞いた男は揃って、「私を思って詠んだに違いない。」と勘違いさせ、その内容にメロメロになる。歌だけでなく、恋文を書かせても、読めば必ず男は落ちたという。

 彼女自身が常に男を求めているというわけでもない。歩けば、勝手に男が寄って来るだけなのかもしれない。一つの突出した才を与えられた人間は、得てしてその才のみを頼って生きていくものであれば、彼女の才はあまりにも偏りすぎて、自由で、奔放だった。


 そんな彼女が、なぜ堅苦しい宮中の女房になったのだろうか。

 当然、道長が、その類い稀な才能に惚れ込みスカウトしてきたからなのだろうが、和泉式部の実家は大江氏で、実は赤染衛門の夫からすれば姪にあたる。女房の人選にあたって赤染衛門の推薦もあったのではないだろうか。

 当の本人ですら、「なんで、私が?」と、思っていた。

 ちゃんとお勤めを果たせているか、と言えば本人としては何とかやれている、と思っているが、実際のところ、やれているかどうかは同僚に聞いてみないとわからない。

 

「はあ・・」


 どうも、小町はこういった恋バナが苦手である。基本、ストレートな感情表現をするたちなので、奥手な子の恋愛相談はどうもイライラして、気が付くと要らぬお節介を焼いてしまう。

 すると、奥で大人しくしていた伊勢大輔が、いつの間にか、輪に寄って来て、

「小町殿はどうなのです?あれほどの殿方がかぐや姫、かぐや姫と、毎日おいでになるのに、心に決めた方でも?」

と、いきなり振って来た。

 すかさず小町は、

「これがまた、全然おらんのや、ダイスケ」

「あの小町殿、何度も申し上げますが、私はタイフ、イセノタイフです」

「あ、ごめん、ダイスケ」


 小町の最近のトレンドは、この伊勢大輔をいじることだった。

 

 伊勢大輔。この中では一番若く、彰子と年が近い。彼女も年若ながら、歌才の秀でた才女である。道長としては、彰子がさみしがらないように年の近い彼女を置いたのだろう。しかし、気の毒なことに先輩たちが余りにもクセが強いせいで、結果、ほとんどの雑用を任されてしまい、彰子の相手をする暇もなかった。

 そこへきて、さらに厄介な小町が来て、どれだけ訂正しても「ダイスケ、イセダイスケ」といじって来る。小町のキャラクターなのか、伊勢大輔もいじられて悪い気はしない。ただ、しつこすぎて、つっこむのも飽きてきたころだ。

 伊勢大輔は、父親が伊勢神宮の神祇大副という役職にあったので、伊勢大輔という女房名となった。余談だが、父親の官職名でつけるなら本来「伊勢大副」となる。ところが、父の名が大中臣輔親おおなかとみのすけちかといい、名前の頭と官職とをかけて「伊勢大輔」となったのかもしれない。なので、「いせのたいふ」以外に「いせのおおすけ」とも言われる。ということは、小町のいじっている「ダイスケ」という呼び名もあながち間違いとも言えないかもしれない。

 ただ、小町にすれば、こんな可愛らしい娘っ子が、いかにもいかつい男のような「伊勢大輔」という名前であることがおかしくてたまらないだけなのだが。

 

 ずっとニコニコしながら話を聞いていた年長者の赤染衛門がすかさず、

「あらあら、そうなの。こんな美人なのに、もったいない」

と言う。

 見た目は良いのに、キャラクターのせいでもてないのがもったいないのか、それとも言い寄って来る公卿たちを袖にするのがもったいないのか、あるいは両方なのか、よくわからない。

 小町は、この平安時代でろくに風呂にも入らない厚化粧の公達に追い掛け回されているのに、現代になると適齢期も過ぎて貰い手も無い。何かとオープンな小町であっても、さすがに年齢は伏せてい

た。それも、そのはずで年長者の赤染衛門は当然、はるかに年下の彰子も中宮だから言わずもがな。自分と年が近い紫式部も和泉式部も既婚者でかつ子持ちで、それぞれの子供も唯一独身のJCくらい

の伊勢大輔と同じくらいだ。にもかかわらず、和泉式部は自由に恋愛を楽しみ、それを「素行が悪い」と陰で文句言ってる紫式部にしても、さっきから妄想が暴走してるのかキュンキュンして悶えている。

 思えば、この時代の女性の方が、自らの才能に頼って職を持ち、評価され、恋愛を楽しんでいる。

 ある意味自由で自立していたかもしれない。

 と、らしくもなく考えてたことなどはこの場で言えるはずもなく。

 ただ、一言、

「ほんま。なんでやろ?」

と、ぼやくしかなかった。



   十三


 そこへ、長い渡り廊下を小走りで晴明がやって来て、小町の姿を見つけると、

「おっ!いたいた。おいっ、おいっ!」

 なにかもう、宮中の、しかも帝も渡る後宮であるのにもかかわらず、まるで緊張感の無い上に、身内に声をかけるような言い方に、小町ですら呆れてしまった。

「何や、アベか・・・」

「何だとはなんだ」

 あれこれ色々考えすぎて、あまり意識が向いてなかったのか、ようやく、ここがどこかを理解したようで、

「あ。少々小町殿を拝借致します」

と、姿勢を正して断わった。

「構いませぬ」

と、藤壺一同が声をそろえて返した。


 晴明は、小町の袖をひっぱり縁側の端まで行くと、いきなり、

「おいっ。大江山の酒呑童子の話知ってるか?」

と、小町に耳打ちした。

「なんや?いきなり。なんやったっけな、鬼退治の話やな」

「そうだ、大江山をねぐらとする酒呑童子という鬼を退治する話だが、退治したのは源頼光と四天王、平井保昌の6人ということになってる」

「それが、どないしたんや」

 さっきの恋バナの流れで、晴明と言えども男が来て、何やら端っこで体を寄せ合ってひそひそ話している。藤壺メンバーは興味津々で素知らぬ顔をしつつも聞き耳を立てている。が、来るまでどんな

話をしていたかなんて晴明が知るはずもなく。いつものペースで話すたびに声のボリュームも上がって来る。


「時代がずれてる。これはもともと六年前の話だ。今思えば色々そこから歴史的事象にずれが出ている」

「ずれ?」


 晴明は、ここに来る間、ずっと考えていた。さっきの隆家の言葉が引っ掛かっていたからだ。

 冷静に考えると確かに歴史にずれが生じている。

 本来、彼が認識している歴史で言えば、以下の通りだ。


995年(長徳元年) 頼光、四天王、保昌が大江山酒吞童子討伐。

同  年        関白藤原道隆死去。 天然痘が大流行し、関白継承七日後藤原道兼死去。

996年(長徳2年) 長徳の変が起こる。伊周は大宰府、隆家は出雲国司に強制的に左遷。

997年(長徳3年) 大赦により、伊周・隆家兄弟が許され、京に召喚。前年中宮定子が女児を出産、一条帝によって中宮復帰。

999年(長保元年) 中宮定子、第一皇子である敦康親王を出産。道長の娘、彰子が入内。

1000年(長保2年)彰子、立后され中宮になる。一帝二后並立

1001年(長保3年)定子、第二皇女となる女児を出産直後崩御。


 ところが、今現在、晴明たちが辿ってる歴史はこうだ。


995年(長徳元年) 天然痘が大流行。

997年(長徳3年) 関白藤原道隆死去。七日後、新関白道兼死去。

998年(長徳4年) 中宮定子、第一皇子である敦康親王を出産。長徳の変が起こる。

           道長の娘、彰子が入内。

1000年(長保2年)彰子、立后され中宮になる。赤染衛門・紫式部出仕。一帝二后並立

1001年(長保3年)大赦により、伊周・隆家兄弟が許され、京に召喚。中宮定子、第二皇女となる女児を出産後に病床に伏せる。そしてこれから、大江山四天王討伐


 歴史的事象・事件は必ず起こってはいるから、晴明自身もちゃんと調べて確認するまで気付かなかった。例えば、関白道隆の死去にしても二年ずれている。当然、これに伴って起こった「長徳の変」も同じく二年ずれた。本来、変の翌年罪を許され帰って来るはずの伊周・隆家兄弟も三年近く留め置かれてる。

 

「つまり、君と関係のない所で、本来の歴史が捻じ曲がってるってことだ。これは、つまり、捻じ曲げる存在があることを示す」


 この話の先を言おうと思ったが、晴明は思い留まった。

「確証がないが・・」

 冷静に検証すればわかるかもしれないが、今はまだ仮説にも至らない単なる憶測に過ぎない。自分の知っている歴史は単なる歴史的資料の積み重ねでできた記録の羅列に過ぎない。本来起こっていた

ことがずれていたところで間違っていると言える根拠はないのだ。

 近年でも研究によって、歴史教科書の記載が大幅に変わることなどよくある話だ。

 しかし、このずれを見るにつけ、なぜか中関白家に関わるずれが目立つのだ。そう。あの隆家の意味深な言葉がここに来て相当な意味を持ってくる。

(既に亡くなるはずの中宮定子様も、もはや危ういながらもまだ存命だ。・・・なんだってんだ、一体・・)

 IQ200の天才と自慢してはみたものの、

(正直、さっぱりわからない)

 自分がわからないものを、もっとさっぱりわかってない小町に話したところでどうにもならない。


「君や俺以外で、その存在になり得るのは太郎君だけのはずだ」


 そこに持って行くしかなかった。

「ほんまにっ!さすがやなぁ!」

 小町は晴明の苦し紛れの言葉を鵜呑みにして、今まで有力な情報が無かった太郎の消息に少し光明が差したことを本当に喜んでいる。その喜びと安堵感は「さすがやなぁ」と言った瞬間に晴明の肩を

叩く手の力に表れていた。

「痛ぁーっ!」

 肩が外れたのか、と思うくらい強かった。


「ふん。今頃、この俺の凄さがわかったか?当然だ、物理学は万能だ。とにかく、御堂殿の許可をもらって、その討伐軍に同行しようと思う」


 そこは本音だ。ここでウダウダ考えていても埒が明かない。ずれの始まりは間違いなく大江山の酒呑童子なのだ。放ってはおけない。


 そこへ、聞き耳立ててたものの期待していた話とは全く違って、全然わからない話をするので興味がなくなった藤壺メンバーの中で、推しの頼光の名前が出たので最後まで聞いていた紫式部が突然割って入って来た。

「晴明殿が同行されるのであれば、心強うございますな」


 これに気づいた小町は、とうとうお節介心に火がついて、急に話題を変えた。

「なぁ、なんとか頼光さんとくっつけたいんやけど?」

 話題を変えて欲しかったのは晴明もだが、あまりにも突然、なんの脈絡もない話を振られたので、

「ん?え?何?誰と?どういうこと?」

 と、混乱した。

 すると、奥の方で我関せずとばかり、何やら筆を走らせていた和泉式部が、笑いだすと、

「晴明殿まで鈍い。女心はさすがにわかりませぬか。光源氏の正体は・・、そのまま光る源氏の君」


(光る源氏の君?・・・光る源氏・・?)

ダジャレにもならない語呂合わせだ。すぐにピンと来る。

 それだけにあり得ない。

「紫式部と源頼光の恋話なんて聞いたことがない」

(なんだそりゃっ?)

 正直な感想だろう。現代の歴史学者、いや歴史作家にしても、日本文学の研究者たちも漏れなく揃って鼻で笑うような話だ。なんなら、怒り出すかもしれない。


「堅い事言わへんの。男と女のことやろ?そんなもん、歴史がどうだこうだ言うこっちゃないやろ」

「そんな無茶なっ!」

(お前にとっては些細なことでも歴史を変えることに変わりはない。タイムパラドックスだ)

 つまり、時間軸がゆがみ、ひずみが生じる。ほんの些細な出来事でも、長い歴史で言えば、バタフライエフェクトのように大きなゆがみを生み出す。まして、二人に子供などできようものなら猶更だ。


 晴明は多元的な並行宇宙が存在する今流行りの「マルチバース」という考え方は支持していなかった。

 一元的世界において過去の流れは未来において必然である。

「歴史にIFは無いのだ」

 その基本的考えが無ければ、タイムマシンを作れるわけがない。

 考えてみれば、未来から過去に行き来することで、それぞれの地点にずれが出る。初回に過去に行けたとしても、行ったことで既に過去にずれが生じる。そのずれた状態で未来に戻っても、元居た未来には戻れない。そこには、全く別次元の世界があり、もしかしたら、別次元にいる自分が存在することになる。

 有名な映画で「バックトゥザフューチャー」があるが、ああにはならないというのが学者の基本的な考え方で、よって、タイムマシンは作れないということになる。


 しかし、一応作れた。

 つまり、多元的並行宇宙は無く、時間は一元的で必然という一本の流れの中にある、ということになる。

 では、そこで、未来を変えるような出来事が起こるとどうなるのだろうか?

 学者の中には、世界線が変わることで次元のひずみを生み出し、現行世界が消滅するという者もいる。

 つまり、その世界にいた者たちは存在しなくなる。一本しか流れがないので、その流れが変われば当然だ。この考えがある以上、マルチバースという考えはご都合主義の単なるフィクションのネタにしかなり得ない。ある意味、「相対性理論」を真っ向から否定するようなものかもしれないのだが、タイムマシンの存在を肯定する以上、この考え方を支持せざる得ない。


 しかし、ずれが生じるごとに未来が消滅しても、タイムマシンは成り立たない。

 時間の流れ、いわゆる歴史というものは、多少のずれなら自動的に補正しようと働く。

 だからこそ、今、晴明の頭を悩ましている。

 人の生き死に、大きく変わる歴史的事件は如何にずれようとも必ず起こる。それが、歴史における必然だからだ。ずれを生じさせてる誰かが、意図とせずにずらしていても、また逆に意図してやっていたとしてもだ。

が、矯正するにも限度はある。大きく変わりそうになるひずみが生じた場合、それを矯正するために、その原因となる存在を抹消しようとすることも考えられる。


(もしそういうことがあれば、修正には相当のエネルギーを要するはずだ。存在するという事実まとめて吹っ飛ばし、そのエネルギ―で時間軸のずれを矯正できる)

 では、どのような条件下で、どれだけのエネルギーを要するのか、それは計算してみないとわからない。

 問題なのは、その存在になりうるのが、未来から来た人間に限定されることだ。歴史の必然性とは無縁であるはずの人間でしかなり得ないのだ。とすれば、自分か、小町か、または太郎、もしくは別の誰かである。

 意図とせずずらしている存在と考えても、小町は除外してもいい。なぜなら、ずれの発生時期と考えられる6年前に小町はいないからだ。とすると、その頃からいる晴明か、もしくは消息不明の太郎がもし6年前にこの時代に来ていたと仮定すれば、太郎もということになる。晴明自身、いかに考えても、ずれを生じさせるようなことはしていないと確信している。それだけ、歴史的事象には気を配って来たからだ。とすれば、残された可能性は、太郎か、もしくは未だ知らぬ誰か、ということになる。

 

 晴明は、当然、その存在となり得る最有力候補者は誰か、ほぼ見当はついている。小町と太郎が飛んできた原因を作った人物、そう茨木堂次郎しか考えられない。

 彼がなぜこの時代に来て、ずれを生じさせるような事をあえてしているのか、彼については意図的にしているとしか考えられない。

 ずれが修復できないようになることへのリスクは十分承知しているはずだ、とも思っている。なぜそこまでわかっているのかはここでは明かさない。

 とにかく、それを意図的にやっている。

 まさか、タイムパラドックスすら、意図的に発生させようとしているのかも、あったことを無かったことにしようとしているとしたら・・。

(いや、いくらなんでも考え過ぎだ。それこそあり得ない)

 長々と考察したが、実際数秒の間だった。


 しかし、その間ですらイライラするほど気の短い人間がいた。

「・・・おいっ!」

 小町のつっこみが容赦なく、晴明の横っ面をはたいていた。

「何、一人でぶつぶつ言うとんねんっ!きしょいな、あんたっ!」


「誰のせいでこんなに考えなきゃならなくなったと思ってるっ!」

 と、文句の一つも言いたくなるが、晴明も理性的な大人だ。

 「ふぅ~。」とため息がてら、深く息を吐き落ち着きを取り戻した後、ゆっくりと説明して、最後に、

「説明がわからなくても、これだけはしっかり理解しろ。この天才物理学者の私が側にいるから君はまだ大丈夫だが、そうでない太郎君はまさにその抹消対象となって、かなり危険なんだぞ」


「そんなら、うちも行く」

「そりゃダメだ。絶対に許可が下りない」

 この時代だ。当然、軍事行動に女性は同行できない。

 なんであれ、道長の客人としてこの藤壺に置かれてる以上、どんな理由をつけても許可されないだろう。


 同じような事を横で聞いていた紫式部も言ってきた。

「御堂のおとどに逆らうは良くないと、先程からくどくどと申し上げているのに・・・」

 紫式部も聞き分けの無い小町に少し疲れてきたようだ。

 それを察した晴明も、

「ああ、本当にわかります。ご苦労掛けて本当に申し訳ない」

 本心から、深々と紫式部に頭を下げた。

「厄介やなぁ。まずは、晴明にまかせにゃしゃあないか・・・」

「よし。まぁ、まかせろ」

 晴明は、藤壺メンバーへ挨拶もそこそこにその場を後にした。



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