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すってん小町  作者: 奈良松 陽二
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権謀うず巻く千年前の魔都平安京、権勢振う藤原道長の頭上に落ちた小町、彼女を救いだしたのは?

「小町の章」


   一


 10世紀末から11世紀初頭は平安時代中期にあたる。遣唐使が廃止され国風文化が花開いた絢爛たる雅な時代。なんて思っている読者も多いかもしれない。歴史の教科書でもどちらかと言うとそう

いう風に教わっていた気がする。

 が、それは大きな間違いである。そんな華かな時代ではない。人々の生活はとかく貧しく、汚く、常に病んでいた。

 6世紀から8世紀にかけて、中央集権国家を目指し、律令国家、つまりはきちんとした統治システムを確立した国家体制を実現させたのはいいが、それから以降、糸の切れた凧のように国家としての目標を失い迷走する時代が、まさに平安時代である。


 平安とは言え名ばかりで、中央は自らの利権のみを目的とした同族同士の醜い足の引っ張り合いを続け、地方は地方で官僚の汚職は横行し、行政は放ったらかし。ついには地元の有力者と癒着し、貢物と引き換えに勝手に自治を許したり、私有地を増やしたりしていた。ともすれば、土地の争い、不正への不満や反発も出て来る。治安は悪化の一途を辿り、どこかしらで暴動や騒乱が絶えない時代であった。

 中央集権が徐々に、そして確実に崩壊してきた時代でもあり、その後にやって来る武家の時代のまさに黎明期にもあたる。

 だからこそ、決して雅でまったりして華やかな王朝文化が花開くきらきらした時代ではない。そんなイメージは権力の中枢にいたごくわずかな人々の生活であって、この生活の下に幾重にも折り重なる怨嗟と腐敗が満ち溢れていた。

 

 さて、その権力の頂点にいる一族を紹介せねばなるまい。

 言わずもがなだが、藤原氏である。


 しかし、藤原氏と一言で言っても、この頃にもなると石を投げると藤原さんに当たるほど朝廷には藤原氏が溢れかえり、地方に行っても役人たちは藤原さんだ。藤原比率が異常に高すぎて藤原さんだけでは個人を特定できない。この頃からだろうか、どこどこに住んでいる藤原さん、どの役職にある藤原さん、という言い方しか人物を特定できないので、いつしか省略されて、伊藤さんとか加藤さんとか遠藤さんとか佐藤さんとかになって行く。


 余談が過ぎたようなのでそろそろ先に進むとしよう。この藤原氏において頂点を守り続けていたのが北家といわれる一族である。

 ただこの一族間でも親子、兄弟同士の骨肉の争いを続けてきた。続けてきたから、争うのが当たり前のようになっている。御多分に漏れず、この時期もその争いの真っ最中だった。


 その争いに勝ったのが、さすがに皆さんご存知の藤原道長である。

 これから、話を進めるにあたり、前置きに説明を要する〝事件〟がある。


 〝長徳の変〟である。



   二


 事の発端は、関白として権勢を誇った藤原道隆が持病の糖尿病によるものか急死したことから始まる。後を引き継いだ道隆の弟の道兼も当時の流行病により就任してすぐに病死。さらに朝廷の名だたる実力者たちも次々に病死してしまった。残った者たちの中で、道隆の子である伊周と、道隆の弟である道長がポスト関白といえる「内覧」職を巡り叔父甥同士で激しく争った。


 伊周は、優秀かもしれないが坊ちゃん育ちで、さらに若くして「氏の長者」の正式な後継者を名乗らねばならぬのは、かなりの重圧であったろう。今にして思えば、彼自身も自分の力量がそれに足りないことも自覚していたかもしれない。しかし、それは言ってられない。その理由が既に中宮となっていた妹の定子の為だからだ。

 彼は父の跡を継ぐべき人間として無理にでも強く振舞った。

 これが悪かった。

 もともと、父道隆は関白の地位にあって、やりたい放題だった。これが他の公卿からかなりの顰蹙を買っていた。この不評だった政治姿勢をまるまる引き継いでしまった。

「若造だとなめられたらおしまいだ。」

 と考えた行動だが、結果、

「若造が・・。」

と周囲から顰蹙を買ってしまった。というから、やはり若い。


 反面、道長はさすがだった。

 苦労人で成り上がった父・兼家の五男として生まれた道長は、幼い時から兄弟の中で最も豪胆で、負けず嫌いで、野心的だった。しかし、五男ということは、ほぼ後継者として世に出る目はなかった。しかし、巡って来た。彼はこの時の為に、腐ることもなく日々の振舞にも気を配っていたのかもしれない。そして、他の公卿たちにも非常に気を配り、根回しと調整を怠らなかった。

そういった〝努力〟の甲斐あって、候補になる前から彼を支援する者が多かった。

 その一人が、姉の東三条院栓子だった。

 帝の生母である彼女は、ポスト関白とも言える重要職の「内覧」職につき、お気に入りの弟・道長を強く帝に推薦した。

 帝とすれば、愛する妻の義兄にあたる伊周に決めていたが、とにかく母親が寝所にまで押しかけて来てまで道長を強く推すものだから、根負けして「内覧」職は道長になり、大納言から右大臣に任ぜられ、内大臣だった伊周より地位が上になってしまった。

 勝敗はほぼ決した。

 決したのだが、伊周からすれば納得いかない結果で、信じていた帝から裏切られた気持ちであったろう。とにかく、その後も事あるごとに道長に嚙みついた。何事も根回しと調整によって事を円満に進めたい道長からすれば、かなりのストレスだったのだろう、辛抱たまらず朝議の場であっても激しく言い争うこともあった。


 そんな中、事件が起こる。


 この頃、伊周がご執心だった女性がいた。

 故太政大臣藤原為光の娘三の君で、足しげく屋敷に通っていた。ところが、同じ屋敷には、妹の四の君もいて、折あしく、同時期に先帝花山法皇が、その四の君にご執心となり通い出していた。

 それを伊周は 自分の相手の三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談する。


 さて、この先帝花山法皇だが、帝位にあった頃、伊周や隆家の祖父、道長・道隆にとって父である兼家の頃、娘栓子の生んだ皇子を即位させるべく息子たちと共謀して無理やり花山帝を外へ連れ出して有無も言わさず強引に出家させて退位に追い込まれた。〝寛和の変〟と言われたこの事件だが、元来女好きで子供のような問題行動も多かった天皇だが、この事件でさらにグレてしまった。僧侶でありながら女遊びは留まることを知らず、荒くれ者たちを次々に従者にして、都でその者たちが暴れ回っていた。曲がりなりにも先帝であるから検非違使も思い切った取り締まりもできずにいたから始末に悪い。

 ところが、同時期にもう一人グレてた上級貴族の御曹司がいた。それが、道隆の次男で伊周、定子の弟、隆家だった。

 この時は十代の若者ではあったが官職は中納言というから親の威光の何物でもない。何を非行に走らせたか分からないが、ろくに出仕もせず町中に出ては、付き従う従者や町の不良仲間とつるんでは遊び倒し、時には所かまわず喧嘩に明け暮れる毎日を過ごしていた。任官してこの方、主に武官の職にあり、子供の頃から武芸を磨き、武士と言われる者たちとも深く付き合ってきたせいか、気骨ある荒々しい性格になったのかもしれない。しかし、その反面、氏の長者たる中関白家の人間として貴人にふさわしい知識や諸芸、立ち振る舞いなどを厳しく叩き込まれた。このギャップが彼を非行に走らせたのかもしれないし、親兄弟問わず骨肉の争いを繰り広げた一族への反抗心だったのかもしれない。

 とにかく政治に関わることを避けるように外へと飛び出し、いつしか彼は〝さがな者(荒くれ者)〟と呼ばれていた。


 このグレた二人がぶつからないわけがない。花山法皇からしてみれば、屈辱のだまし討ちを食らわせた憎むべき一族の人間だ。腹いせにこいつを屈服させてやりたいと思うのも当然だ。〝花山組〟と〝チームさがな者〟とは事あるごとに衝突した。


 隆家と花山法皇はそういう因縁があった。

 そこで、隆家は私兵ともいえる多数の従者たちと武装して三の君と四の君のいる屋敷に迎い、そうとは知らぬ花山法皇が屋敷に来たところを急襲した。互いによく知った荒くれ者同士の従者たちだから、出くわしてしまえばやることは一つしかない。人の屋敷の前で大乱闘となった。


 隆家にしてみれば、祖父と父親のしでかした事で恨まれて、やたらと絡めれることが腹に据えかねていた。本来、兄の勘違いで起こったいざこざだが、そんなことはこの際どうでもよく。ここで、二度と絡んでこないように灸を据えたい気持ちだったろう。


 おもむろに弓を手にし、矢をつがえ、花山法皇の乗った牛車に狙いをつけ、ギリギリと弦を引く。


「そもそも、坊主が女色にふけるとは、王家といえども不埒千万。臣下としてこの矢をもってお諫め致そうぞ。」


 そう言って、放った矢は、牛車の中にいた花山法皇の袖に命中した。


 当然、当てるつもりはない。ギリギリの所に射込んで、恐怖を植え付けるのが目的だった。また、それができる腕もあった。

 その狙いは的中し、花山法皇は逃げるようにその場から帰って行った。


 都の人間からすれば、毎度おなじみの喧嘩で取り立てて珍しいことでもない。花山法皇にしても、こんな話を大事にすれば自分が恥をかくだけの話で面白くもない。さらに一歩間違えたら死んでたかもしれない恐怖でそれどころではなかったかもしれない。だから、この事が世に出ることは本来なかった。

 しかし、表沙汰になった。出所はどこか分からない。


 実は、隆家には前科がある。

 以前に、道長の従者と隆家の従者がもめた挙句、道長の従者を殺害するという事件が起きた。その頃は、ちょうどポストを巡って伊周と道長が争っていた頃で、周囲は全面戦争になることを危惧していたが、道長は冷静に対応して事なきを得た。

 これによって、道長の株はさらに上がり、逆に伊周はさらに下がったのは言うまでもない。

 思えば、弟のせいで足を引っ張られてるのだが、伊周は問題の多い弟の隆家を切り捨てようとはしなかった。むしろ、今回の件においてもそうだが、弟を頼っている。

 権力を巡って兄弟同士でも骨肉の争いをしてきたこの一族において、ある種稀有な兄弟なのかもしれない。


 ところが、絶妙すぎるタイミングで朝廷内において、全く別の事件が起こっていた。

 それは、例の道長を内覧職に帝に強く推していた東三条院詮子が病にかかった。それが実は恨みに思った伊周の呪詛によるものという妙な噂話が流れ、さらに、この呪詛に当時禁呪法とされていた「大元帥法」が用いられたという。

 朝廷は疑いを糺すべく、花山法皇の事件と併せ、兄弟に対して出頭命令を出したが、いずれも一向に応じる気配もなかった。

 これを聞いた一条帝は激怒した。道長はじめ公卿たちの制止も効かず、直接命令を出し、兵を動員して屋敷に突入させる強硬策に至ってしまう。


 伊周にしてみれば、弟のやらかしたことは元を辿れば自分の勘違いから始まったことだから、自分に責任があると覚悟していた。こともあろうに先帝に矢を射かけるなど前代未聞の不敬の極みだが、検非違使すら手を焼くほどの花山法皇の傍若無人ぶりは正直、誰かがここまでやらなければ収まらなかっただろうとも思っていた。表向きとして罰は甘んじて受けるが裏では称賛されてもおかしくなく情状酌量の余地は十二分にあると踏んでいた。

 ただ、納得いかないのはもう一つの罪状だった。正直、身に覚えが一つもない。事実無根も良いとこだ。

 朝廷側は、隆家の罪状については伊周の考え通りあまり重くは考えてはいなかった。どちらかというと伊周の禁法による呪詛疑惑の方をかなり深刻な重大事件と捉えていた。そこへきて、出頭要請にも応じず、弁明すらしない伊周の態度は、疑惑を確信へと近づけるのに十分だった。さらに証人まで現れ、決定的だったのは突入した際に屋敷から出てきた数々の呪具や呪物という証拠品だった。


 捕らえられた伊周がこれを突きつけられたときに、ようやく全てを察した。


「嵌められた。」


 では、いつから?どこからどこまでか?

 それはわからない。

 道長の関与はあったのか?なかったのか?それも分からない。

 ただ、過去、応天門、昌泰、そして寛和、変事と呼ばれるライバル排斥事件の影には必ず藤原氏が関与していた。この事件においても、もはや疑う余地はないだろう。


 禁法を使った呪詛が最も重罪とされ、隆家よりも伊周に対して、その処遇はかなり朝廷内でももめた。中には廃止していた死罪をいう者もいたが、道長はそれだけは頑なに反対した。

 仮にこの事件に道長が大いに関与したとして、証拠を捏造し、えん罪で殺してしまってはさすがに寝覚めが悪い。というよりも、この時代ではいまだに怨霊の祟りを恐れている。昌泰の変での菅原道真の怨霊による祟りで命を落とした藤原時平の前例もある。

「冗談ではない。ここに来て祟り死になどしてたまるか。」

という思いもあったのではないか。


 結果、とりあえず穏便にという配慮があったかなかったか、道真よろしく伊周は大宰府で太宰権帥に、隆家は出雲権守に、それぞれ左遷という処分になった。また、ここで関係者として中関白家に協力していた者、関係していた者なども多数処罰された。つまり、中関白家の勢力が朝廷内から一掃されたのだった。

 

 この事件において、忘れてならない人物がもう一人いる。

 その人物は政争の道具となり、そしてここに至っては政争の生贄となってしまった。

 そう、中宮定子である。

 道隆存命の時は一条帝の寵愛もあり、非常に明るい日々であったことは定子の女官、清少納言が記した「枕草子」にもある。

 しかし、この事件後、兄と弟のしでかした不祥事により一度責任を取る形で落飾し、中宮を辞し、宮中を出た。ところが、折悪くその時には第三子を妊娠しており、一条帝も寵愛していた定子の落飾が非常にショックだったことから、意外にも道長の口添えで中宮に復帰することが叶った。

 定子にしてみれば、後に辿る運命を思えば猶更、この措置は逆に残酷だったのかもしれない。後ろ盾を失い一族の不祥事に肩身は狭くなり、中関白家に同情的、または協力的だった者たちが辿った末路を思えば、道長一強となった今、定子に関わろうとする者もいなくなり今や火が消えたように暗く沈んだ日々を過ごすこととなった。 


 道長はこの隙を逃さない。公卿たちの反対を押し切っても定子を中宮に戻すよう帝に勧めておきながら、娘の彰子を中宮に据えるべく強引に入内させ、前代未聞の二后並立になってしまう。


 理由は、定子を戻すことに反対した公卿たちの言い分に配慮したものだった。中宮はいわゆる皇后である。天皇には古来より続けてきた祭祀が義務付けられている。これは今でも続けられている。

 当然、皇后にもその義務が伴う。しかし、定子は一度落飾してしまっているので、祭祀を行う資格を失ってしまっていた。

 祭祀を行う資格者として新たに中宮を据え、定子には形式的な皇后宮という立場だけ与えるというものだ。天皇の権威とは、祭祀にあると言っても過言ではない。この時代でもすでに千年以上続いてきた権威である。それは非常に重い。一時の同情で狂わせていいものでは決してない。

公卿たちはこれを理由に反対していたのだった。


 道長はそれを逆に利用した。

 定子を失うショックで、一条帝は退位して自分も出家するなどと言いかねない。

 さらに言えば、どれだけ取り繕うとも、事件に道長が関与していることは周知の事だろう。帝もそう思っている。

 ここで定子がいなくなれば、自分への嫌がらせの意味でも出家するかもしれない。

 今、出家されれば、皇位を継ぐのは定子の生んだ第一皇子か、もしくはライバルである小野宮流の血を引く親王から即位されてしまう。これだけは絶対に避けねばならない。今までの努力が水の泡だ。 そこで、一条帝の気分を損ねず、外戚として自分の血を引いた帝を即位させるには強引でもつけ入る隙と男子が誕生する為の時間が必要なのだ。その為に、定子を利用したに過ぎない。


 つまり、道長は八方丸く収めた上で、自分にとっても有利となる大義名分で半ば強引に公卿たちを納得させた。


 まんまと道長に利用された定子は失意と心労の中で無理に出産したせいか、産後の日達が悪く、体は日に日に衰え、その余命は幾ばくもなかった。



  三


 こうして道長が、はじめて頂点に立ったと実感したのが、娘の彰子を強引に入内させたのち、正式に中宮となることが決まった時であろう。


 権力とは無縁なはずの最も野心的な五男坊に巡って来たチャンスを必死に掴み、手繰り寄せ我が物とした。そこに至る過程において、どれほどの血が流れ、どれほどの不幸を生み出していることだろうか、そんなことを自覚していたのかどうかは本人しかわからない。


 広大な敷地に寝殿造りの巨大な邸宅、土御門殿の庭先に出て、一人満月を眺めていた。

「おとどっ、おとどっ!」

 長い廊下の向こうから声がする。

 広すぎる邸宅の広間では何やら祝宴が催されているようで、にぎやかな声が響いている。


「おとど。こんな所においでで。・・歌会終わりの宴の席を抜けられて、皆様心配しておいでですよ」


 声の主は、彰子の女官で藤式部である。

「捨て置け」

 道長は、嘆息しつつ言い放った。

「どうせ、べんちゃらしか使えぬ連中ばかりで、気がめいる。この月を見ているほうがよほど気が和む」

 満ち満ちた月の光をよほどに眩しく感じたのか、普段人を射抜くようなぎょろっとした目が細くなっている。

「ほほほ・・・」

 藤式部は袖で隠しながら思わず笑った。

「何を笑う?」

「そのようなお顔をなされるのでつい・・」

「左様か・・。何、これでようやく終わると思うての・・」

「終わる・・?始まるのではなく?」

「無論、始まるのじゃが、それは一つの事が終わるということになる。・・・藤式部よ、良い歌が浮かんだ。済まぬが認めてたも」

「おや、どのような?」

「我が娘、中宮彰子が帝の子を身篭る。この道長の世が、いつまでも続くようにと、あの月に願う歌ぞ」

 藤式部は懐から紙と筆を取り出す。

 道長の口から発せられた歌、それは後世にも伝えられた、あの有名な歌である。


「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも 無しと思えば 」


 この歌であるが、藤原実資が記したこの時代の第1級資料とされる「小右記」には晩年に詠まれた歌と伝えられている。この時に詠まれたことは当然どこの記述にもない。


 その理由はこのあとすぐにやってきた。


「なかなか。御堂様しか詠えぬ歌と存じまする。」

 そう言った藤式部の背後にすっと現れた男が認めたばかりの歌をさっと奪い取ると、うっすらと笑いながら、

「そうですかな?大分と驕りが過ぎた歌に思えますがね。」

というと、いきなり破り始める。


「な、何をなさいますっ?」

「相変わらず歌は下手ですな叔父上。望月と言えど、雲がかかるだけで陰りまするぞ。」

 雲がかかり陰っていた満月が再びその光を取り戻し、この男を照らし出す。すらっとした体躯だが芯がピンッと通ったようにしっかりしている。顔も切れ長の目に鼻筋もすっと通っていかにも貴公子然とした若者である。


「!・・これは中納言様っ!」


 この呼び名には、少々憮然として、

さきのな。今は出雲権守・・でしたかな?これも、じきに前か」

「た・・隆家?!但馬からいつ戻った?」


 この若者の顔を見て、あきらかに道長は動揺し、口元は引きつっている。どうやら無理にでも笑おうとしているようだ。


 そう、この若者こそ前述した藤原隆家、〝さがな者〟と言われた男である。出雲権守に左遷されて帰って来たのだが、道長は但馬からと言った。これは誤植ではない。

 伊周は、拝命に素直に従い大宰府へと赴任したが、この隆家はと言えば、出雲へ向かう道中、手前の但馬で突然、病にかかったなどと称して、長々と逗留した挙句居座ってしまい。結果、とっくに治っていた東三条院栓子の病気が平癒したという理由でもって、罪が減じられ、帰京が許されるまでの約3年間、一歩も赴任地である出雲の地に踏み入れることなくそのまま但馬から帰って来てしまった。

 おそらく、彼なりの沙汰に対する抗議であったのかもしれない。

 そういう男なのだ。


「ようやくお許しが出て、戻って参りましたので、先程から御挨拶に伺って待っていた所です。いかに待てどもお越しにもお呼びも無かったので。御無礼とは存じますが、こうして参った次第です。」


 引きつった顔がさらに引きつり、余裕を演出しようと無理に出した笑い声は、残念ながら動揺してることをより強調させてしまっている。


「さ・・、左様か。そ・・それならば早う言うてくれぬと困るではないか、藤式部よ」

(バカモノッ!それならそれと何故言わん。一番聞かれたくない奴に聞かれてしまったではないかっ!)

と、大きな目は非常に分り易く藤式部に訴えていた。


「は・・、はい、申し訳ございませぬ」


 すると、今までまったく無視し続けていた若者は、ふいに藤式部に関心を示し、じっと藤式部の顔を覗き込んだ、しばらく、じーっと見つめる。この貴公子に見つめられるとつい頬を赤らめて、恥ずかしげに眼を逸らしてしまう。

 すると、


「そなたが藤式部か?あの源氏物語の?なるほど、清少納言の申す通りの女だのう。訳知り顔で叔父上の下手な歌も褒めるとは、叔父上、べんちゃらが過ぎる女官も知らぬ内に増えたものですな。宮中ならば誰に一番気を配るべきか知らぬわけでもありますまいに」


 そっと藤式部、いやここは分り易く紫式部と言おう。そっと紫式部の顎をきゅいと上げて、ゆっくりと顔を近づける。

 近づくと猶更、この貴公子の絹のような美しい肌、長く細く吊り上った凛々しい眉、薄く小さく引き締まった口元、何よりもその澄んだ瞳である。すると、その美しい顔は彼女の目の前を通り過ぎ、耳元で一文字に閉じていた唇がゆっくり動く、


「失せろ」


 その口からこぼれた汚い言葉も何故か背筋を指で優しく撫でられたような感覚になる。

 すっかり紅潮しきった顔で気恥ずかしそうに、


「し・・・失礼いたしまする」

と、そそくさと元来た廊下を紫式部は戻って行った。


「た、隆家。その、伊周のことだな」

「兄もようやくお許しいただいて大宰府からお返し下さるそうですな。ま、許すも何もないでしょうが・・。」

「隆家っ!これは帝のお決めあそばしたことぞっ!」


 その言葉を聞くと、隆家の美しい顔が一瞬険しくなる。

 が、すぐに元の顔立ちに戻ると、ほんの少し間があいて、


「また出直すことに致します。・・・あ、それとあまり先走って浮かれすぎると、いつぞやの誰かのように足元を掬われますよ。特に今宵の月のように満ちると、あとは欠けてゆくのみですからな」


不敵に笑いながら、隆家は去って行った。



   四


 道長は、ふうっと深く息をついて、へ垂れこむように廊下の欄干にもたれ掛った。少々有頂天だったほんの数分前と比べると天国と地獄のようだ。今や天下に並ぶ者ない権力を得た道長があの若者にどれほど神経を擦り減らしたことだろう。


 隆家にとってみれば、追い込み、煽り立て、ついには証拠を捏造までして自分たちを失脚させ、姉まで中宮の地位から引き摺り下ろそうとした憎むべき敵と思われているのだろう。


「あの口ぶりだと、やはり恨みは晴れておらぬな。『さがな者』め、何か企んでおろうな・・。あやつがその気になって、ひと声かければかなりの者が集まるかもしれぬ」


 何よりも法皇に矢を射かける程、豪快な度量の持ち主である。

 道長が恐れるのは、政治的工作ではない。隆家がもし動くとなれば、それは武装蜂起であり、京での暴動である。三年近くも但馬でぶらぶらしていたとも考えにくい。もしかしたら、かの地で地元の土豪たちを味方につけていたかもしれない。考え出すとキリがない。

 以前に、自分の従者が隆家の従者に殺された事件でも、実は隆家とは事を構えたくないという恐れがあったのかもしれない。

 それだけ、道長は、貴族という枠組みに収まらない隆家の持つ未知の器量を必要以上に恐れていた。


「頼光か・・?」


 そう言うと、庭先からひょっこり顔をのぞかせ、割と派手な色の直垂に侍烏帽子、腰に黒鞘の大太刀を携えた武者が出て来ると、道長の前に片膝をついた。


「このような夜にいかなる用向きぞ」

「は。少々気になることがありました故」

 道長は、ふぅーっと溜息をつき、

「隆家か?」

「は。お戻りになられたとのことで」

「警護なら誰ぞかおろう。そなたが直接来ずとも・・」


 道長もピンと来たようで、これがこの男の気遣いだと察した。

 かの藤原道長が、若輩の隆家にびびっている所を見られでもしたら、それこそ沽券に係わる問題だ。


 この男の名は、源頼光。摂津多田に所領を持つ所謂「受領」と呼ばれる者で清和源氏の3代目である。父の満仲の頃に地元で武士団を形成し、その武力を背景に朝廷、特に摂関家に取り入り、要人警護、屋敷や貢物の運搬の警備、時には暗殺や脅迫等の汚れ役なども引き受けていた。

 跡を継いだ頼光は道長を選んだ。

 道長の父兼家の葬儀の時に頼光は、兄の道隆が後継と決まっていたにも拘らず、

「この男に全てをかける」

と見込んだらしい。

 道長のどこを見て、そう思ったのかはわからないが、道長には兄達に無い何か太い信念みたいな物があると感じたのだろう。

 その甲斐あって、道隆の死後、伊周との政争に勝利した後に従四位下右馬権頭に任ぜられた。

 道長は頼光の献身的なバックアップのおかげをもって頂点に立ち、その庇護のもとで頼光は地位を得た。道長にしてみれば、今までない「武力」という後ろ盾を持つことでより権力を盤石にできるという最大のメリットがあったのは言うまでもない。


「申し訳ありませぬ。余計な気遣いでございました」

「いや、構わぬ」

「おとど、実は少々気になりまして、晴明殿に伺いました所」

「何、晴明に?何か出たのか?」

「今宵の月より、妖しげな気が漂うておる故、充分にお気をつけあそばされますように、と」

「なんと?!」


 道長は思わず月を見ると、ふっと笑い。

「なるほどの。見よこの月を、妖しげとは無縁の実に美しい穏やかで優しい光に満ち満ちておるぞ」

 ふと、頼光も月を見上げ、美しさに酔いしれかかっていたところ、


「んんっ?」


 二人同時に、その美しい月に起こった異変に気付いた。月の真ん中に雷のような電光が走るとみるみるうちに丸い発光体が現れ、その球体から見たことない格好をした女なのかよくわからない人間が出て来て、球体丸ごと道長向けて真っ逆さまに落ちてきた。


「おっ・・おとどっ!!!」

 頼光がすかさず道長を庇うと、球体は庭に広がる広大な池に凄まじい音とともに落ちた。

 放電した球体は池の魚を感電させるとふっと消えた。

 感電した魚が1匹、2匹と浮き上がる中、どでかい魚、いやもとい、人間もぽっかり浮き上ってきた。


 あまりのことに口をあんぐり開いたままの二人だったが、ふと我に返り、

「ななななんじゃー?」

動揺が激しくうまく言葉が出てこない。


 頼光も太刀の柄にかけた手が小刻みに震え、道長を庇っている。

「物の怪の類やもしれませぬ、不用意にお近づきあそばすな。」

「この場は頼光に任せよう。土蜘蛛退治の頼光ぞ。」

「これに持つ我が愛刀、妖刀“膝丸”物の怪の血に騒いでおりまする。何が参ろうとも、この源左馬頭頼光が刀の錆にしてくれる。」

と、格好はつけたが、ぷかっと浮かんでいた人間が突然ザバッと立ち上がる。


「ひいぃーっ!」

 二人は腰を抜かすようにへ垂れこむ。


 ふと、道長が気付いて、

「なんと、女子ぞっ!」


「ホッホッゲホゲホゲホホ。いったぁーっ!死ぬか思うた。・・・めちゃびびった言うねん。うわぁ、びちょびちょや」


 女は二人に気付くが、お互いに状況を飲み込めない。しばらく見つめ合う沈黙が続く。

 一瞬、疑い。しばらく考える。

 そして、状況は呑み込めないながら、自分が何かしでかしたという認識はできたみたいで、急に頭を下げると、


「あ・・・あのすんませんでした。そこの小野家具店の娘で小町いいます。・・・あの・・、あれ、・・太秦?・・神社?」


 道長も頼光も言っていることがさっぱりわからず首を傾げるばかりだ。



   五


 とりあえず、お互い落ち着いて話を聞くことになったのか、と言っても、小町は下手人扱いのように庭先に座らされ、服もびしょびしょのままで、ややガタガタ震えている。

 道長と頼光は軒下の縁側に座り、小町の話を聞くのだが、現代人すら彼女の言うことがわからないのに千年前のしかもインテリ層が分るわけもない。


「ふむ・・・。そなたの申す言葉もわからぬし、中身もわからぬ。ただ、そなたの申す、その太郎とやらは知らぬ。落ちてきたのは、そなただけじゃ」

 さすがというか道長は、要点だけは理解できたようだ。

 しかし、頼光にはほぼ宇宙人が話しているようにしか聞こえていないのか。

「やはり狐狸の類いに相違ございませぬ」

と、こればかりを繰り返す。


 すると、廊下の角で女房が声をかけづらくしている。小町が気付いて、

「なんか呼んどんで」

というと、女房の後ろに立っていた白い直衣姿の男が「ちっ!」と舌打ちした。


(なんや、この神主。)


「この世の者ではござりませぬ」

と、その男が声を発すると、道長が気付き、喜色満面に、

「おおっ、晴明。来てくれたか」

 と、言うと、頼光はすかさず太刀に手を掛けて、

「やはり、物の怪かっ!」

と身を乗り出そうとするのを、晴明と呼ばれた男は手で制し、

「しばし待たれよ、左馬頭殿。ちと気が早うございます。この女性は、物の怪の類ではござりませぬぞ」

「んんっ?では、何者と申されるのか?」


頼光は先程から何かと聞く耳を持ってくれない苛立ちがあるのか。

喰い気味に返してきた。


「・・うつせみなれどうつせみにあらず。その者は、来世より参りし者」

「何?!来世となっ?!」

「左様にございます。この世より千年も後の世から参ったのでございます」

「そは、まことか?!」

 みるみるうちに道長の顔が変わり、真っ青になり、


「・・ならば、ならば・・天女殿か?!」

「そのようで」

 その言葉を聞くやいなや、道長はいきなり頼光を捕まえ、庭先に下りると今度は小町を捕まえて強引に縁側に上げ、女官に、


「何をぼうっとしておる。早うお召し物を用意せぬかっ!あと、火を焚けっ!さっさとせぬかっ!」

と喚くと、

「これっ、頼光っ!頭が高い。控えよっ!」


 ほぼ強引に頼光の頭を地面に押し付ける。

 小町には何が何だかわからない。


「えっ?!何よ。今度は何よっ?」

「天女殿といざ知らず数々のご無礼お許し下され。我が御世と奢り、仏の使いを恐れぬとは信心を怠る証拠。ひらに御容赦をっ!」


 晴明も廊下でありながら、伏していた。

 小町はその晴明に尋ねた。


「どういうこと?」

「君を天女。つまり仏の使いと思ってる」

「うち、ただの家具屋の娘やで」

「説明は後にしよう」

「あんた、誰なん?」

と聞くと、すかさず道長が、

「はっ。それなるは」

と、紹介を始めた。要約すると、この男は陰陽道を司る陰陽寮の役人で、名を安倍晴明という。


 そう、あの〝安倍晴明〟である。


「だそうだ」


 晴明という男は、道長や頼光と違って、妙に落ち着いており、どちらかというと小町が何者かもわかっているように見えた。

 理由はどうあれ、小町もそういう人間がこの場にいることに安心していた。

 さて、立て続けに道長は、自分と頼光についても紹介していたが、当然、何の予備知識もない小町がそれを聞いても理解できるはずもない。

「御堂公がかわいそうだから、簡潔に通訳してやる」

 と、晴明が小町に耳打ちして、

「藤原道長は知ってるか?」

「ま、名前だけなら」

「そうか、ならいい。総理大臣以上に偉い人。そう理解しろ」

「わかった」

「あの隣にいる頼光殿は、道長の子分で、軍人であり警察でありながらもやくざの親分といった感じで認識しとけ。それで十分だ」

「無茶苦茶やけど。なんとなくわかった」


 と耳打ちしてると、道長の長々とした紹介も終わっていた。

「ああ、そう。よろしゅうお願いします」

 晴明は、今度は深い溜息をつくと、

「なんて言い方だ。説明しただろ」

「あかんのかいな」

「まあいい。とにかく付いて来い。私の研究室へ案内しよう」

「研究室・・・・?」


 

  六


 晴明は、道長にこの天女の庇護を頼み、さらにその世話役を自らが申し出た。

 道長にしてみれば、自分の傍に置くことは面倒ではあるし、でも天女を庇護していれば対外的にもいい宣伝効果にもなる、買って出てくれるのであればありがたい。

 と、こういう理由で二つ返事で了承した。


 そんなことで、小町は着替えを用意され、暖をとって、晴明に伴われ道長の屋敷を後にした。


 夜、月明かりはあるものの暗い。屋敷の外に出てみるとその暗さもさることながら全く見覚えのない景色に、さすがの小町も不安になってきた。彼女の頭の中でも自分はとんでもない所へ迷い込んでしまった、という考えぐらいは浮かぶ。

「なんだ、やっと不安になってきたか?君らの時代に流行った「異世界転生」でもした気分だろう」

「あ・・あの・・」

「そうそう。そういう状態なら落ち着いて話を聞けるだろう。待て待て、君の口から矢継ぎ早に質問されると面倒だ。だいたい聞きたいことは分るから、順を追って説明してやろう。君の事情を聞くのはその後だ」

 と言うと晴明はわかりやく今は平安時代で場所は平安京、ここに居るのは小町の頃で言うと千本丸太町あたりにいる。と簡潔に説明した。

「つまり、約千年前の京都にタイムスリップしたことになる」

 非常に簡潔で分かりやすい説明であるが、この男は安倍晴明と名乗っているものの、明らかにこの時代の人間ではない。ただ、小町には大体基礎知識が少ないからこの男の言っていることが半分くらいしか理解できない。しかし、このインテリぶった男はどんどん話を進めてゆく。

 最初は簡潔に分り易く言っていたのに、この手の人種の悪い癖で、話が調子に乗って来るとどんどん専門用語が入り始め、その内、全然分らない話を延々続けてしまう。

 小町は途中で聞くのを止めて、暗がりの中歩いているその先に、火が4つ5つふらふらして、ずっと近づくでもなく、消えるでもないことに気付く。


「なんだ、気付いたか?」

「何?あれ?まさか火の玉?」

「かもな、怨霊蠢く魔都だからな」

 小町はノーリアクションである。

「すまん。わからなかったか。冗談だ」

「そやったんか」

「あれは、強盗だろうよ」

「はぁっ?あかんやんっ!火の玉どころやないやろ。警察はっ?」

「いるわけないだろ、そんなもの。かわりに検非違使ってのがいるけど。ほとんど仕事しないからな。この時代は自己防衛のみだ。」

「なんちゅうええ加減な。どうすんねん?」

「心配するな。近づいて来ないよ。だから、ああやって遠くから様子を見てるだけだ」

「なんで?」

「こんな大声で、この世の人間では到底理解できない言葉を話せば気色悪がって近づかないさ」

「今の人間でもわからんこと言うとるから、うちかてできることなら離れたいわ」

「お前に説明しとるんだ。離れるな。冗談抜きにして絶対離れるなよ。強盗はあいつらだけじゃない。そこかしこの辻という辻にいるからな」

「ちょっと、どうでもええけど、いつまで歩くん?どこまで行くのん?」

「おっと、そうだった」

というと、腕時計みたいなものをいじりだすと突如画面のような光るディスプレイが眼前に出て来る。すると、向こうの火の玉も急に動き出し消えてゆく。ディスプレイには地図が出ている。

「君の頃で言うと、千本丸太町から、堀川に出る。ちょうど、角にカナートだな、堀川を一条通に向けてまっすぐ北上してる。俺の住まいはそこだ」

「ん?うちとこより上やけど。近所言うたら近所やな」

「晴明神社があるだろ?そこだ」

「なんや、やっぱりあんた神主かいな、それっぽい格好してんなて思うててん」

「・・お前、話聞いてたか?」

「ん?」

「ま、いい。当たらずとも遠からずだ」

 そう言うなり、何かに気付いて足を止めた。

「どないしたん?」

「お前、ここに来るとき、コードを入力したか?」

「コード?」

「つけてないのか?・・まずいな・・」

「何がや?何や?強盗でもおんのか?」

「いや、それよりおもしろい、いや怖いものだ」

「はぁ・・・?」

 通りの向こうの筋から見覚えのある電光が走った。すると、青白い光をまとった一団がわらわらと通りに出て来る。その一団の格好がいかにも現代っぽい。いや、現代と言うよりデザイン的にはもっと攻めている。老若男女入り混じった一団はやや白人や黒人も混じっているが、大部分はどうやら中国人のように見える。

 一団を先導するスーツ姿の男女がいる。ツアーガイドのようだ。

「観光ツアー・・なん?」

「百鬼夜行だ」

「はぁっ?!」

 間の悪い人間と言うのはいつの時代でもいるもので、その一団の向こうから牛車を引いた一行がやって来る。

「あ~あ、気の毒に・・」

 晴明がふと漏らす。

 牛車の一行がわかると、ツアーの面々は一斉に賑やかになり、カメラがあるのか、フラッシュらしいものがちらちら光りだす。ツアーガイドの男が説明しつつ、興奮状態のツアー客を抑えていると、牛車の一行もこの異様な一団に気付いて、必死にUターンしようとしているようだが、肝心の牛が一団の放つフラッシュに驚き暴れだしてしまっている。

 ついには暴走して、一団に牛車ごと突進しだした。

「危ないっ!」

 小町が思わず大声を発した。

 女のツアーガイドがその声に気付いた瞬間に晴明と小町の方に目をやりながらも、すばやく一団の前に行き、突進してくる牛車の前に立ち塞がる。

「あかんっ!何してんねんっ?あいつっ?」

「ま、見てろ」

 速度を上げて突進する牛車だが、まさにツアーガイドの女にぶつかりそうな所で、何かとてつもない壁と言うか、緩衝剤というか、目に見えない何かによって牛の突進が止められた。

 進もうとしても進めずに足を必死に掻くことで土煙が立っているが全く進まない。

 動きが止まったことで牛車の中にいた貴族らしいのが、慌てて牛車の後ろから転がり出てきた。従者たちが助け上げたところに、ツアー客はパシャパシャ撮っている。そのフラッシュに貴族も従者もさらに怯えてしまい、逃げたくても腰が抜けて動けない。

「すみませんね。見られてしまったので、一旦、回収しますね」

と、ツアーガイドの女が銃みたいな物を出すと、この不運な一向に向けて放つ。

「あれっ!あの銃やっ!」

「あん?あれを知っているのか?」

 銃を撃たれた一行は、青白い光に包まれ、銃に吸い込まれるように消える。

 ツアーガイドの女は、男と何やら会話を交わし、ちらっと晴明と小町の方を見る。

「おい、俺の後ろに立て。できる限りくっついてろ」

「は?何で?」

「いいから。無事でいたかったら言う事を聞け、いいなっ」

 あまりにも真剣に言うものだから、小町も仕方なく言う事を聞くと、ツアーガイドの女が二人に向けて歩いて来た。

「失礼ですが、お二人は未来人ということでよろしいですか?」

 口を開こうとする小町を制するように、すかさず晴明が、

「その通りだ。文科省から特別許可を受け、滞在中だ」

「では、コード確認させていただきます。」

 晴明は、ぐいっと小町を引き付ける。

 ツアーガイドの女が銃の操作をしてから、銃口を二人に向けると、薄い光が銃口から発する。

 それと同時に晴明は右の袖をまくり腕を出す。すると、光に当たり腕に何やらバーコードが浮かぶ。どうやらコードというのはこれの事らしい。

 コード照会が終わったようで結果が女の眼鏡に内蔵されたディスプレイに表示された。その結果を見ると、女は少々驚いたように目を剥き、

「これはっ、と・・とんだ御無礼を致しまして、大変失礼いたしました。・・・そちらの方は?」

「変な詮索はしないでくれよ。彼女は私の従者でこの時代の人間だよ」

「あ、いえ。そんなつもりで聞いたのではなくて・・。」

「いいのか?後ろの連中が騒いでいるぞ。彼一人じゃ抑えきれんのじゃないか?」

 確かに、一団で早くしろと騒ぎ出しているようだ。男が対応に困っている。

「あ・・。」

「視察と称した観光客か?今度はどこの団体だ?」

「すみません。さすがにそれは先生でも言えません」

「すまん。邪魔したな。頑張ってアピールしてくれ」

「何とか頑張ってみます。それでは先生、失礼します」

「うむ」

 女は一団に戻って行く。

「先生って、神主に先生はないやろ。それに従者やのうて巫女ちゃうんか」

「違う・・」

「は?」

「神主じゃなくて、先生が正しい」

「ああっ?さっき当たってる言うとったやないか」

「当たってるとは言っていない。当たらずとも遠からず、と言ったんだ」

「めんどくさい男やな。男ならはっきり言えや。それと、もっと分り易く説明せぇ。話が長いっ!」

「わかった。よおく、わかった。君のような無知で低能な人間でも十分わかるように言ってやろう!」

「上等やないか。手短に言えや。」

 などというやり取りの末に、どれだけ簡潔にわかりやすく説明できたかはさておき、晴明の屋敷に着いた。



  七


晴明の屋敷と言っていいのかはともかく、二人が門前に立った時から異様だった。


「おかえりなさいませ」

 機械的な声がしたかと思うと、何者かに見られているような感覚がする。

「心配するな。セキュリティ用のカメラがそこら中にある」

「認証しました」

 門が自動で開く。

「さ、入れ」

「いやっ入りづらいわっ!なんや?このギャップッ!激しすぎるやろっ!」

「治安が悪いって言ったろ。必要な設備だ。とにかく上がれ」

「この時代にしては、過剰すぎるんと違うかな」

と言いつつ入ってゆく。当然、門は自動で閉まる。


 玄関らしき所で、ロボットが出迎え、そのロボットの誘導で研究室と称する奥の間に通される。

 なにやらよくわからない機械に計器らしきもの、何に使うか分からない実験用具などいっぱい近未来的なものが散乱して足の踏み場もない。晴明は適当に荒っぽく片付けて、とりあえず座れる場所だけ確保する。

「遠慮はいらん。適当に座ってくれ」

「うっわぁ~。あんた、ようこんなんでバレへんなぁ。思いきり時代くさいで」

「誰も怖がって入って来ないしな。こんな機器類はここの連中から式神と呼ばれてる」

「式神?あんたさ、これとか、外のセキュリティとかロボットとか、どないしたん?」

「作った」

「は?」

「いや組み立てたと言った方がいいな、部品は送ってもらった」

「暇なこっちゃな」

「別に難しいことはない」

「そんなに暇なら、あんな仰々しいセキュリティ仕掛ける前に、外の塀とか直せや。ボロボロやないか。それにここの建物も、至る所で白蟻食うとるし」

 すると、しばらく、不思議そうな顔して小町の方をじっと見ると、

「そうか気付かなかった。それは尤もだ」

 学者らしいというか、自分の守備範囲以外はまるっきりダメ人間という典型的な学者タイプではあるようだ。


 晴明の説明によると、彼自身は小町のいた現代からさらに50年も後の時代からタイムマシンでやって来た、本人曰く非常に著名な物理学者だという、タイムマシンの研究から実用化に向けて非常に

重要な部品の開発に携わり、それに関わる実用新案と特許について相当数取得した、と自慢している。

「おっと、話が脇道に反れてしまったな」

と言うと、続けて説明をした。


 実用化されると、先ほどの百鬼夜行のような富裕層向けのツアーが組まれそうなものだが、まだ、色々問題があり、かなり厳しい法規制の下、文科省主導で特定の団体に向け、視察と称する観光プレゼンで必死に「安心・安全」をアピールしているのだという。様々なリスクから国の徹底した管理の下でタイムマシンを扱っている。

「さっきのガイドの女性も、あれは文科省か厚労省から出向してる役人だよ。ん?なぜ、厚労省かって?」

「聞いてへんぞ」

「いやそこが大事な所だ」

「それはええねん。それよりもなんでうちはすぐ戻られへんの?」

 晴明は、はぁ、とまたため息をつき、

「説明しただろ。タイムスリップの原理と、それを作った物理学者の理論を。量子力学と電子工学に基づく、プラズマ発生理論を応用した技術によるもので、時間と空間を飛ぶ小型ブラックホールを発

生させたものが・・」

「ああっ、もうええっ!あんたが賢いのはわかったから、もっと分り易う言うてくれ」

「つまりだ」

 晴明はかなり分かり易く説明した。

 要するにこうだ。

 タイムマシンには行きと帰りの切符がセットになっている。例えば、一年間の滞在にする場合、きっちり一年後に最初に指定した時間と場所にタイムホールが発生する仕組みになってる。この操作はすべて出発時に設定する。


「つまり、君は、片道切符で来てしまったことになる」


 説明を聞くと、小町も茨木が言っていたことをここでようやく少し理解できた。

「それだけじゃない。」

「まだあるん?」

「その切符の代わりになるのが、コードだ。出発前に、このコードを体のどこでもいいから打ち込んでおく。さっき、チェックされたのもそれだ。そこに、帰りの予定時期、発生場所も入力されている

し、当然個人情報や生体データも記録されている。片町切符ってことになると君にはそのコードが無い」

「ほな、誰かの便に便乗したらええんやろ。例えばあんたとか。それこそさっきの一団とかに混じったら」

 再び、深いため息をつく。

「君は、さっき俺に救われたんだぞ。感謝してほしいくらいだ」

「は?何が?」

「助手のくだりだよ。私が有名人で官庁にも顔が利くから助かったようなもんだ」

「恩着せがましい奴ちゃな」

「臭くなかったか」

「は?・・言われてみれば確かに」

「俺じゃない!俺の家でも、俺の部屋でもない!外だ外!さっき歩いたろ!」

 確かに、と小町も言った。

 晴明はそうだろうと言うと、その理由を言った。


 衛生状態が極めて良くないのだ。

 当時は満足な下水設備もない上に貴族の交通手段は主に牛車なので路上に牛の糞が落ちまくっている。一般の民も貧富の差が激しく、路上生活者は溢れんばかりいる上に、その人々もまた路上に垂れ流しである。

 さらに、当時流行った天然痘などの感染症を患った罹患者が路上生活者に多く。その糞尿が放置されていることから爆発的に蔓延する上に、路上に死体が溢れても、すぐに焼却処分もされないのも原因だ。

 臭いのは、牛馬や人の糞尿や、人や獣などの死体の腐臭である。

 未来から来たVIPの観光客をその臭いから保護するというのも一つだが、感染症などの防疫の為の保護シールドが張られている。 

 また、このシールドは物理的な接触にも対応できる。簡単に言うと、この時代の人間が未来人に触れられないようになってる。

 これも防疫と治安の問題もある為だ。

 逆に未来人が当時の人々に何らかの危害を加えないようにする為でもある。

 当然、歴史に影響を及ぼさない為だ。

「これはこのコードを入力することで保護プログラムが発効するんだが、君の場合はそれがない。要するに違法旅行者だ。見つかったら安全上でも防疫上でも即拘束、即隔離、即監禁だ」

「そんなん言うても、うちも来たくて来たんちゃうわっ!大体これは事故や事故」

「わかった。わかった。そう興奮するな。・・その茨木堂次郎という男を調べればいいんだな」

「そや、知らんか?」

「知らん。」

 素早く回答した。

 小町は、それに違和感を覚えなかったが、もし、これが太郎ならおそらくこの時の晴明の態度にかなり違和感を覚えていただろう。

 小町は、飛んできた経緯を彼女なりのボキャブラリーで説明した。普通の人間なら理解できない話、というより小町の説明自体が下手過ぎて理解できないだろう。しかし、晴明は聞き直すことなく、おおかた理解できたようで、

「そうか、そりゃ大変だったな」

 と、言うだけで、それ以上突っ込んで聞かなかった。

 まして、茨木が何者か、ということについても一切興味が無いような素振りで質問もしてこなかった。

(まるで、聞かなくても全部わかっているようだ)

 と、太郎なら、この晴明という人物を警戒していたかもしれない。

 しかし、小町はそんな疑問を持つまでに至らなかった。



「調べる言うてもどうやって調べんの?こんなとこならネットもメールもできんやろ」

「ふふふふ、君は誰に向かって物を言っている。IQ200の天才物理学者だぞ。ちなみに僕の弟は東大主席卒業で、今や検察庁のキャリアだ。茨木の事はそっちに任せて、私はまず君のコードのこと

だな」

「嫌味なくらい自信満々なことはともかく、そのエリートキャリアの弟とかとどう連絡取るつもりやねん」

「君は先ほどからの会話で何か気付かないのか?」

「何が?」

「このセキュリティとかロボットとかこの家の設備」

「ああ、部品送ってもらって自分でやったんやろ。いちいちめんどい奴ちゃな。何度も自慢すなや。くどいねん」

「ああ、面倒臭いのは君だ。同じ話をさせないでくれ」


 説明すると、連絡は常に一方通行ではあるものの、過去に行っている場合の連絡手段は簡単だ。タイムカプセルと同じで、既定のボックスに日付とコード、連絡したい相手と用件を入力しておけば、

未来にメッセージが届く、その返事、または物をタイムホールで過去に送るという方法だ。


「なるほど、そういうことか」

と、分ったか分っていないかよくわからないが、とりあえず納得したようだ。


「うちのそのコードよりも」

「言ってた君のツレか。それはあきらめたほうがいい」

「なんでやねん」

「だいたい、一緒に飛んできたという確証はない。仮に、同じく飛ばされたとしても、この時代は、極めて治安が悪い。追い剥ぎ、強盗、火付け、夜討ち、盗賊に辻斬り。いずれかの悪党に身包み剥が

され、切り刻まれて死ぬ。君は運がいい。最も安全な土御門殿に落ちてきたんだから。・・・ん?」


 晴明が気付いて振り向いた時には小町の回し蹴りが顔面に入っていた。


「いちいち、癇に障るやっちゃなぁ。・・・安倍」

「呼び捨てにするな」

「安倍ちゃん」

「ちゃんずけするな」

「安倍ソーリ?」

「なぜ謝る?しかも英語で」

と突っ込んだ瞬間、小町は頭を下げていた。


「太郎を見つけ出してくれ。お願い」

「なんだ、いきなり。愁傷な態度だな。・・ふん、わかったぞ。そういうことか」

「なんや?」

「君も所詮女だということだな」

「いやらしい笑みを浮かべよってからに。その天才物理学者が、何好き好んで占い師みたいなことしとんの?」

「信用してないな、お前。・・・ふっ、君には、まだ陰陽道の奥深さがわからんのだろうな」

「何、その馬鹿にしたような態度」

「陰陽道は、地質学、天文学、宇宙工学、統計学、生物学、医学、化学、理学などあらゆる学問に通じるものがある。知れば知るほど実に興味深い」

「あんた、物理学者違うん?」

「何を言う。物理学は万能だ。これだから素人は困る」


 と、そこへロボットがお盆に菓子とお茶を載せてやってきた。


「おお、ちょうどいい。喋り過ぎて喉も乾いていたころだ。君も遠慮せずに頂き給え」

とは言え、見た目の地味さも加えて、この不衛生な時代の物と思うとさすがにガサツな小町も躊躇する。

 いや、どちらかというと、この部屋が食欲を減退させる。

「こんなロボット使うんやったら、まずはルンバ使えや」

 そう言われると、晴明はまたキョトンとした顔をしていた。

(気がつかなかった)

 という顔だ。

(そうやろな)

 と思うと同時に、小町もキョトンとした顔になる。

(五十年後でもルンバで通用するんや)

 ということに、やや感動していた。


 とりあえず菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。

「・・・なんか、味気ないな。太郎のとこのほうが、よっぽどうまいわ」

「何?その太郎くんは、菓子屋か?」

「そう、金太郎印のサカタヤゆう、老舗の京菓子屋」

 それを聞いた瞬間、晴明の顔色は変わり、3Dの大画面ディスプレイを出し、何やら凄まじい速さで操作を始めた。


「・・・。えらいことだ。どうして、それを早く言わないんだ。よし、太郎くん?は俺に任せろ。なんとしてでも見つけ出して、君と一緒に未来に帰してやろう」

「何、突然、やる気出して?」

「この京の中での情報は全て探知できる。あとは・・」

 タイムホールの発生時に起こる電磁場の乱れを感知するシステムを入れていて、小町の出現も予測できたという。


 晴明は、高名な陰陽師という肩書と当時では説明のできない未来科学を駆使して、人々から信用を得ている。これにかこつけて、音声・温感・電磁波等のマイクロセンサーを織り込んである特殊な紙

をお札と称して配り回り、都の至る所に貼ってある。


「タイムホールが発生すればわかるのだが、如何せん確証がない。

 その茨木という男と関係する場所というのはおよそ察しが付くのだが・・」

 晴明は、しばらく考え込んでしまった。

 太郎なら、今の晴明の言葉に気づいていただろう。

「知らない」と言っておきながら、明らかにこの男は茨木を知っている。

 しかし、小町はその発言を聞いてなかった。

 なぜなら、夜も更けて来た。小町はよく考えれば現代からこの今に至るまで寝ていない。未体験の信じられないことばかり起きて、混乱しっぱなしだった。ここにきて少しほっとしたというか安心したのか、異常な程の眠気が襲い、数秒ももたずにその場で眠りに落ちた。


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