緩やかな下り坂の途中
クレメント視点
イヴがこの屋敷から追放され、ずいぶん時間が経ったように感じる。自分にとって魅力を失ったこの屋敷と一族に別れを告げる準備がようやく整った。
部下達には今後の身の振り方を考える時間を与え、屋敷内にいるターニャのスパイをあぶり出し、それ以外の使用人には実家の力を借りて新しい働き口を紹介。その際、この紹介状を書いたのは子爵家ではなくバークリー家であることを強調して送り出してやった。つまり、子爵家への恩義を感じることはないという事で、それは雇い主への沈黙の義を果たす必要がない事を告げるものだった。
もちろん、イヴリースの事は別で口止めはしているが。変態侯爵のヘクター・リドリーがイヴを追いかけて魔物の森へ行っては困るので、そこは厳重に注意喚起しておいた。
今子爵家を悩ませている問題はフェリチータだ。使用人への残酷な仕打ちはターニャをも超える。仕事だけしていればいいと思っている当主と全て投げやりな次期当主、そして心を病んでしまった夫人。話題には事欠かない家族だ。精々イヴへの仕打ち分はその名を失墜してくれればと願うばかりである。
当主の部屋へノックをし、疲れた顔のエドモンドに一礼をして歩み寄る。
「お前もか…?」
自分の手に握られた封筒を一瞥してエドモンドは肩を落とした。パラパラと使用人が辞めて行き、この家は現在ギリギリで維持できている状態だった。本来ありえない離職率だが、エドモンドはその裏で糸を引いていた男を前に覇気のない目で問いかけた。
「私は、お前を失望させるほどに酷い主だったか」
「さあ。私はタイタス様以外の主をもったことがないので」
ほほ笑んで退職の為の契約書を机に置く。エドモンドは眉間にしわを寄せて背もたれに身体を預けた。
「お前たちは、何故そうまで、あの娘を特別扱いするんだ?」
「おや、お気付きでしたか。御当主がイヴを忘れていなかった事にも驚きです」
わざとらしく驚いてみせるが、エドモンドはジッと返答をただ待った。皮肉にも眉一つ動かさないので仕方なく答えてやる事にした。
「タイタス様から頼むと言われたのが切っ掛けで。あとはまあ、情を抱くに足る人物ですよ、イヴは」
「そうか…、あの子は逆鱗だったのか」
エドモンドはゆっくり目を閉じた。フェリチータの舞踏会での様々の無礼の所為で人脈が使えなくなった子爵領は以前のようには運営できなくなってしまった。新しい輸入先、高騰した価格への対策などなど、睡眠時間を削って対応に追われている当主の濃い隈は彼を年齢よりも老けて見させた。
「それでは、お世話になりました」
「……」
返事はなかったが、気にせず背を向けて屋敷を出ていく。この屋敷に残っているのは後はターニャの部下を除くとカナリアとアーロンだけになった。オリーヴ様とグランツ様の想いでの残る屋敷への未練も少しあるのだろうが、主な目的はターニャの監視だ。
最後に2人に挨拶して私は新しい職場であり、古巣でもある魔法学院へ向かうのだった。




