初めての魔物と交流
この屋敷は広い。ざっと見積もっても前世で通っていたの公立小学校の敷地より広いのではないだろうか。
ものすごくざっくりと区分けすると、六角形の外壁の中を十字で仕切り、右下に庭園と屋敷。左下は使用人の寮と畑、馬小屋等の生活に必要な区画。上半分はほとんど林。とはいえ、人の手で最低限整えられた森林浴スペースとでも言うべきだろうか。林と庭園の中間地点にはコンザバトリーが建っていて、暖かい日にはこっちでも過ごせるようになっている。
「あ、かわいい…」
ここでの生活も1週間経つころ、敷地の外を飛ぶ蜂と目があった。ミツバチの様な首周りのモコモコとどんぐり眼。大きさは全長5センチくらいの身体でホバリングしている。結界の外にいるので安心して近づくと向こうもこちらに近づいてきて手に持っていた何かを差し出してきた。
「くれるの?」
しゃがみこんで聞くと結界の外ギリギリにそれを置いて少し下がる。魔物なのは確実だ。とても賢いその行動に感心しながらも差し出されたものを拾ってみると何かの種だった。私が贈り物を受け取ったのを確認すると、再度近付いてきて庭師によってつくられた花たちの方を視線と一番上の足で指し示す。
「あぁ、なるほど。花の蜜が欲しいのね。どうぞ。」
と言って入れるものなのだろうか?子爵家専属魔導師から屋敷に設置されている魔道具の簡単なレクチャーを思い出す。頑張って記憶を探るが「許可を出せばいい」という言葉しか思い出せなかった。
結果として、魔物ミツバチはあっさり入ってきた。そして満足するまで蜜を集めると何も言わずに帰って行った。
図書室で調べてみるとあの蜂はメリアキリサという種族名らしい。こちらから敵対行動をとらなければ特に危険はない。毒はないが刺されると痛く、統率の取れた集団行動をとるので危険度はC。
個々が得た情報を組織で共有する能力を持っていて、そして驚いたことに、素材としての価値はSランクだった。彼らの作る蜂蜜の栄養素と味は高密度でいつの時代も高値で取引されているとか。体に良くて美容にも良いことから、王侯貴族の御婦人で愛用しない者はいないとも記載されている。そういえば母が自分の部屋に小さなハニーポットを置いていたのを思い出す。食堂に置いてあったものは普通のミツバチから採取したものだったが、あれはメリアキリサのハチミツだったのかも知れない
「頼んだらくれるかな?」
明日会えたら頼んでみてみよう。本をしまって昼食をつくるためにキッチンへ向かい、地下の食糧庫から必要分運んでおいた食材で料理を開始する。スイッチを入れてから火打石で魔法陣の上に火種を落とすと設定していた大きさの火力が出た。その上で作り置きしていたブイヨンを温める。ブイヨンはここへきた初日に作っておいたものだ。普通なら傷んでいてもおかしくない作り置きのスープをおいしく食べられるのは地下室の食糧庫に秘密があった。なんと、棚の全てに状態保存魔法がかけられていたのだ。牛乳も生野菜も棚にしまっておけば腐らないのだから実家の魔導師たちがいかに有能か改めて思い知らされる。何で子爵家のお抱えで留まっているのか不思議なくらいだ。
ちなみにキッチンは元が貴族の別荘というだけあってそれなりの広さを有している。中央に作業台があり、複数人での料理に適している作りだ。が、今は私1人暮らしのため半分は食事をするテーブルとして使用している。お行儀が悪いので育ての親のメイド長にはバレように気を付けなければいけない。
昨日作った数日分のパンからお昼分を手に取りサンドイッチをこしらえた。スープとサンドイッチを前にして食後のお茶に必要なハーブをとり忘れた事に気付き、庭へと向かうことにした。紅茶葉も保存庫に備蓄されていたが、来客があった時に出すお茶がなくなっていたら困るので普段は鉢植えに生えている各種ハーブを楽しんでいる。本日も必要な数枚ちぎって戻ろうとしたところで異変に気付き足を止めた。
「人…?」
複数人の足音とわずかに金属の擦れる音が聞こえる。屋敷の正面、敷地内ギリギリまで移動してみると、木々の隙間から武装している人たちが見えた。その内の1人がスープの匂いにいち早く気づき、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
「わわわっ」
咄嗟に方向転換し屋敷の中へ逃げてしまった…。自慢ではないが私は子供らしい幼少期を過ごしていないのだ。使用人たちとしか交流のない、なんちゃってお嬢様は同世代との交流に免疫がなかった。みんな揃いの服を着ていたし、どこかの部隊に所属しているならまっすぐ帰るだろう。
「いただきます。」
少し冷めてしまったスープを飲みながら先ほどの人たちを見なかったことにして食事に集中することにした。
この世界の野菜や虫など、魔力を持たない生き物は前世の知識で通用するが、魔草、魔物、魔獣には当たり前だが通用しない。
スープに入れたアスパラガスを咀嚼しながら愛読書となりつつある図鑑の中身を思い出す。普通の植物図鑑にはメリアキリサがくれた種は見つからなかった。前世の記憶からしても全く覚えのない形からして、魔草の種であることに間違いはなさそうなんだよなぁ。貰った以上は植えてみたいが、庭の生態系が損なわれるようなものなら処分もやむなし、とまで考えたところで初めて家のベルが鳴った。