第71話 ドッペルゲンガーの既視感
「ご乗車いただきありがとうございます。」
車掌が乗客一人ひとりに向けて頭を下げてお礼の言葉を述べている。
この言葉を聞くのも一体何度目になるか分からない。
それ程に見慣れた王都の駅の構内を足早に通り過ぎていくと、駅前の広場に強い西日が射した。
リルカシアの曇天が嘘だったかのように王都ハイドラトラは明るい日差しに包まれていた。
暗くなるまでまだ時間がありそうだ。
僕は懐から一枚の紙を取り出した。
それはいつしかカーサスが調べてくれた魔法道具を扱うお店の地図だった。駅前に待機している御者達を横目に僕はその店に向かうことにした。
いつもならば馬車に乗って屋敷に向かっている道中で馬車から見える外の景色をぼんやりと眺めながら、足りない頭で次の手を考えていたことだろう。
だが、市場を歩く僕の目の前に広がる景色はいつもとは違っていた。
毎日同じ時間帯に同じ場所で井戸端会議をしている婦人たちの会話は次期教皇に関する噂話だった。
「イケメン顔のジョージ司教様を最近見ないわね……」
「私たちの癒しなのにねぇ。顔もいいし、旦那より稼ぐし、言うことなしよね!」
あの人たち、意外とミーハーなんだな……
僕は彼女たちの会話を盗み聞きしながら市場の大通りの十字路を左に折れ曲がった。その通りには僕が見たこともないような異国の地の装飾品や衣服が所狭しと飾られていた。
様々な地方から商品が集う王都の市場の活気に感服しながら、僕は道なりに進んでいった。
「そういえば、エレナさんと出会ったのもこの市場でしたっけ……」
エレナと出会ってもう三月も経過してしまったのかと時の流れの速さに恐れおののくと同時に、今のところ僕が成り代わりにバレているのは二人しかいないことに僕は自画自賛の拍手を送った。
「止まれ……、ラミィ・クラストリア。」
訂正だ……。どうやら三人以上いるらしい……。
僕の背中に密着したまま何かを押し付けられているが、大きさからしてどうやらダガーのようだ。
抵抗する術のない僕は言われた通りに立ち止まる。
「ひょっとして、あの時の強盗ですか?僕はただの旅人でお金を持ち合わせていないんですよ。」
僕の質問に背後に立つ不審人物は何も答えてくれなかった。
ふと昔を思い出して笑いがこみあげてくるのを必死に堪える。
「用件は一つ……」
それは聞き覚えのある声だった。
初めてこの市場に訪れた時に僕をエレナと勘違いして襲ってきた強盗と同じ野太い男の声だった。
「何でしょう?」
「賢者から手を引け。」
「それはどういうことでしょうか?」
時間稼ぎも兼ねて僕は敢えて聞き返す。背中でダガーが強く押し付けられるのを感じながら相手がどこまで情報を把握しているのか探りを入れるための質問をぶつけてみる。
「賢者として色んな職務をしているんです。貴族街の大通りに花を植えて風景を良くしようとか、王国に訪れる要人のおもてなしを考案したりとか……。具体的に何をしていただきたいか仰っていただければ、助かります。」
そんなものは全くのでたらめだ。
だが、僕を常日頃監視していればすぐに見抜けることだ。
ついでに監視されていることも分かれば助かるが果たしてどうだ……。
「商人名簿だ。これ以上余計なことを言うな。」
言葉の端々にいら立ちが見え隠れしていた。
いつも以上に明るい市場にはいつも以上に多くの買い物客が溢れかえっている。大通りの端に移動するよう誘導されたとは言え、いつまでも男二人が密着している姿を晒して目撃者を増やしたくないという思惑もあるのだろう。
その焦りが生み出した、実に素晴らしい口の滑らせぶりだ。
監視されているかは分からないが、ある程度敵の情報源を絞ることはできる。
僕が商人名簿を探していることを知っているのはごくわずかだ。
国王陛下、ギルド長、賢者とその従者しかいない。
商人名簿のことを喋った場所は賢者の屋敷、王城、ギルド本部とエレナとの別れ際しかない。
まず、賢者の屋敷は除外される。仕事の話はリビングとエレナの私室でしかしていないからだ。
次にエレナとの別れ際に盗み聞きされた可能性もあるが、エレナが周囲を警戒しないで極秘事項を公衆の場で喋るようなヘマをするとは考えにくい。
そうすると、情報が漏れた先は国王陛下のいる王城とギルド長のいるギルド本部だけとなる。
ギルド本部もギルド長の私室だけだし、王城も国王陛下の私室だけだ。
盗み聞きされていたとすれば、その犯人は相当絞られるはずだ。
「分かりました。では、手を引きましょう。」
僕は背後にいる強盗をちらりと見やる。ダガーを押し当てる手を緩める様子は一切ない。
「……と言っても、あなたは信用できないでしょうね。どうしたら僕を信用できますか?」
「ならば、このまま屋敷に引き返すことだ。良いな?」
忠告しただけで帰ってくれるならありがたかったが、どうもそうはいかないらしい。
僕は相手の要求に首を縦に振って受け入れて、すぐさま背後を振り返った。
しかし、すでに人の姿はなく市場を行き交う人々の姿ばかりが見えた。
僕は肩を落としながら屋敷に戻って行った。