第70話 ドッペルゲンガーの秘密保持契約
「気づいていたんですか?」
思わず部屋に響き渡るほどの大声をあげてしまう。そして、慌てて口を押えたがもう手遅れだ。
賢者の偽物であることを自白してしまった僕を見てネイビーは腹を抱えて笑っていた。
「当たり前でしょ?賢者エレナ様の隣に顔も背格好も声もそっくりな別人を並べられたら、誰でも気づくわよ。」
「でも、それだけだと僕がラミィだとは言い当てられませんよね?」
僕の言葉にネイビーは顔を歪めて頭をかきむしる。
「あの数学ババアが……いや、何でもない。」
「数学ババア?」
ネイビーが漏らした言葉に僕は首をかしげる。
もしかして、数学者でエレナの家庭教師をしていたマイヤーさんのことだろうか?貴族の家庭教師をしていたくらいだから、彼女もシーブル家に在籍していた時に数学を教わっていたのかもと想像を膨らませる。
本当だとすれば、随分と世間は狭いと感じてしまう。
「それより!」
僕の思考を遮るようにネイビーがまっすぐ立ち上がると僕の方へと歩み寄る。
そして、呆然と立ちすくむ僕を見下ろしてくる。
「あなたの功績は全て賢者エレナ様のもの……。私が必要としているのは大活躍している冒険者であって、些末な冒険者のあなたではない。私の言いたいことがわかるかしら?」
見下すような視線を僕に向けて、ネイビーは白い腕をすらりと伸ばして扉の方を指さす。
実力のない雑魚は今すぐ出ていけ……
恐らくそう言いたいのだろうが、ここでおめおめと帰るわけにはいかない。
「僕が来たのはあなたのお兄さんの件についてですよ。追い返していいんですか?」
兄という言葉に僕を見下ろすネイビーの瞳がかすかに揺らぐ。
扉の方を指し示していた腕を下すと、ネイビーはソファーに深く座り込んだ。
「要件を手短にお願いするわ。」
ネイビーに促されて僕もソファーに座り込む。
「あなたのお兄さんが魔銃の密輸をしようと計画している。弱みとなる証拠を教えてください。」
僕の問いにネイビーは顎をさすりながらしばらく考え込んだ後、口にする。
「契約書と魔銃の二つね。」
ネイビーは僕にVサインを向けて言葉を続ける。
「密輸の場合、取引場所で契約書を交わすことになる。まずはその契約書を手に入れてほしい。それに取引商品となる魔銃も必要よ。」
「魔銃は全て押さえておく必要があるのですか?」
全てを盗むとなれば膨大な量になる。それを誰にもばれずに持ち帰るなど到底不可能だ。
僕の懸念を否定するようにネイビーは静かに首を横に振った。
「一丁だけあれば十分よ。」
とりあえず懸念事項は一つ消えたが、まだ油断できる状況ではない。
隙を見て魔銃一つと契約書を奪い去るだけと言えば簡単そうに思えるが、そんな絶好の機会が訪れるかどうかさえも怪しい。
「ところで、魔銃の数え方は丁なんですね?初めて知りましたよ。」
「……噂で聞いただけよ。」
ネイビーは窓の外に見える荒れ狂う運河に目を向けていた。その目は年寄りの長話が終わるのを待ちわびる子供の目と同じだった。些末な存在と分かった僕に微塵も興味がないのだろう。
僕としてもギルドに長居する意味はないので、王都の屋敷に帰ろうとソファーから立ち上がった。だがそこで、僕は言い忘れたことを思い出してネイビーに声をかける。
「最後に一つだけお願い事があるんですが……」
僕の言葉にネイビーは一瞬だけ眼を僕の方に向けると、再び窓の外に視線を戻した。
どうやら僕に興味が本当にないらしい……
それとも、エレナに騙されたことを悔しがっているのかもしれない。
ギルド長の事情を無視して僕は言葉を続ける。
「あなたのお兄さんの密輸の片棒を担ぐ羽目になってしまった訳ですが、そのことは僕とネイビーさんの二人だけの秘密にしてくれませんか?」
僕の図々しいお願いを聞いたネイビーの唇の端が綻んだ。
「ラミィ。兄の弱みを君が掴んだ代わりに私は商人名簿を渡す契約になっている。そうだな?」
窓の外を見ていたネイビーが僕の方へその顔を向けてくる。
僕は彼女の言葉に静かに頷いた。
「それでは、私が君の犯罪を秘密にする代わりに君は何をしてくれるのかな?」
「そうですね……」
流石は商人ギルドの長らしく契約に忠実だと感心する。
才能のない僕に何ができるのかとしばらく考え込んだ僕は一つの結論にたどり着いた。
「ギルドのお手伝いくらいならできますよ。薬草見分けるのとか得意ですし。」
魔法が使えるわけでもないし、特別な才能を持ち合わせていない僕は半ば諦め気味に提案してみる。僕の提案にネイビーはクックっと小さく笑う。
「君は実に愚かだね。それで良く賢者の代わりを務められるね。」
その言葉はたぶん僕自身が一番自覚している。きっとネイビーは僕のことを馬鹿にしているのだろうが、本当にどうしようもない愚か者なのだから僕に反論の余地はない。
「黙っていれば気づかれない話でも正直に喋ってしまうのだから、君は政治や組織には向いていないだろうね。時に黙秘は美学にもなるんだよ。覚えておくと良い。」
「僕は基本的には嘘はつきたくないですから。賢者の立場は仕事で仕方なく偽っているだけです。」
一応弁明しておくと、今の僕の言葉に嘘や偽りはない。
賢者に成り代わるのも僕の嫉妬も混ざっているが、国王陛下の命令だから仕事に該当するはずだ。
「まぁ、君の秘密を守る程度なら受け入れてあげようじゃないか。無論、私の兄の弱みを握ればの話だけど。」
「ありがとうございます!」
僕は背を向けるネイビーに頭を下げると、扉の取っ手に手をかけた。
「あっ!そうだ!」
「何だ?ラミィ。まだ何か用があるのか?」
ネイビーに僕は最後の質問を投げる。
「あなたのお兄さん、あなたと和解したいと言っていましたよ?」
「私が受け入れるとでも?」
「いいえ。そんなことはちっとも思っていません。失礼しました。」
僕は急に不機嫌になったギルド長の背中を見届けてゆっくりと扉を閉めると、逃げるように走り出した。
どうやら僕は犯罪者にならずに済むらしい。
降りしきる雨の中、僕は意気揚々と王都行きの蒸気機関車へと走って行った。