第64話 ドッペルゲンガーのエゴ
ジョージ司教との面会があってからさらに数週間が経過しようとしていた。
何もできずダラダラと一日を過ごす日々が続いていた。そんな自堕落な僕を咎める者はいなかった。
だからといって腐っているわけでもなかった。
密かな決意を潜めて僕は従者のセラの帰りを屋敷で待っていた。
穏やかな陽気の昼下がり、勢いよく屋敷の玄関の扉が開かれる。
そこに姿を現したのは頭に包帯を巻いたセラと彼女を支えるナターシャの姿だった。
「退院おめでとうございます。」
「アンタからそんな言葉が来るとは思わなかったな……」
拍手を送るジェフの言葉にセラはそばかすが残る頬を掻いた。皮肉めいた冗談を言えるほど回復していることに安堵し、僕はジェフの背後から顔を覗かせた。
僕の姿に気づいたセラはどこか気まずそうな顔をして僕から視線を反らした。
恐らくナターシャから入院している間の状況をすでに聞いているのだろう。僕一人で捜査を進めていることも、捜査が難航していることも、それら全てが皆を巻き込まないためと言うかつての僕の意志も知っているのだろう。
「セラさん!退院祝いに御飯を食べましょう!」
なんて卑怯なのだろう……
僕は満面の笑みを浮かべながら罪悪感に押し潰されそうになっていた。
リビングに向かうと、そこには腕を組んで佇むカーサスの姿があった。
「カーサス。アンタが作ったにしては手抜きじゃないか?」
「うるせぇな。」
退院したばかりのセラのために脂ものを控えた料理にして欲しいと頼んだが、テーブルの上に並べられたのは煮込んだだけの山菜スープにジャムを添えただけの食パンと簡単な料理だ。従者の経歴と料理の腕前は別な話らしい。
「とりあえず、御飯にしましょう。」
最年長のジェフの言葉に皆がいつもの席に座っていく。つい今朝まで一つだけ席が空いていたのがまるで嘘のようだ。
静かに手を合わせて山菜スープを手に取り胃袋に流し込む。器を置いて見渡した光景はかつての日常の光景だったが、何処か新鮮なものを覚えていた。
僕は意を決して皆にお願い事を突き付ける。
「みんな、ちょっと良いかな?」
僕の言葉にリビングが静まりかえる。そして、皆が食事する手を止めて僕の方を振り向く。
「やっぱり僕一人では何もできないや。」
僕は頭を下げた。
「命を狙われる危険にさらされるのも分かっている。それでも、皆に捜査の協力をお願いしたい。」
僕の言葉に始めにナターシャが口を開く。
「急にどうして?私たちを巻き込まないって宣言したじゃない?」
ナターシャの言葉を聞いて僕は皆に見えないよう俯いたまま自虐の嘲笑を浮かべる。
「やはり僕は馬鹿らしい。次の手を打てずにいる。」
僕はエレナじゃないから……
小さな呟きが静まりかえったリビングに響き渡った。
「ああ……。もちろん、今までのように一緒に外出はしません。そこは僕一人でやるつもりです。だけど、屋敷の中では知恵を貸して欲しい。」
僕の提案に誰もうんともすんとも答えない中、カーサスが重い口を開く。
「お前が動けば、その代わりに俺たちの命が狙われる可能性もあるよな?それはどうするつもりだ?」
カーサスの言葉に僕は静かに首を振る。
そして、僕は残酷な選択肢を皆に突き付ける。
「だからこそ、皆に決めて欲しい。僕が捜査を続けるべきかどうかを。」
皆の反応は様々だった。
ナターシャやセラは意図を掴めず唖然としている。
一方で老齢のジェフは呆れた顔をしているし、カーサスは眉一つ動かさず渋い顔をしている。
僕は更に言葉を続ける。
「ここ三週間、僕が何も動いていないから敵からの動きもない。僕たちが何も捜査しなければ平穏は保たれたままだ。」
「捜査を止めた場合、国王陛下にはどう報告するつもりだ?」
カーサスの言葉の端々に苛立ちが込められていた。
きっと嫌な奴だと思っていることだろう。
それでも、今回も我を押し通したい。
「情報が少ないから魔銃の出所は追い切れません、あるいは、調査が思うように進みませんで躱すつもりです。国王陛下も本物の賢者じゃないから時間がかかるのは重々承知でしょう。」
「それは……アレストラ家最大の危機ですな……」
僕の提案の真意に気づいているジェフが呟く。
最初の内は言い訳し続けても偽物だから仕方がないと国王も見逃してくれるかもしれない。
だが、その言い訳も長く続けば、いつかは国王に猜疑心が芽生えてしまうだろう。
『賢者として王国の執政に助言する。』
賢者としての仕事ができなくなった者をいつまでも重宝するほど国王は愚かではない。
いや、成り代わりを知らないアルス国務長官が先に進言するだろう。次に騎士団長、続いて魔法研究所副所長が賢者は要らないと国王に進言するようになれば、その声を無視することができなくなる。
そうなれば、賢者の称号が剥奪されるのも時間の問題だ。
僕は皆に捜査を協力して欲しいと頼んだ。
しかし、捜査をしない選択肢がない以上、従者達は決して断ることはできない。協力を断ればアレストラ家の終焉が待っており、職を失うことになる。
僕が示した選択肢の残酷さにようやく気づいたナターシャ達が顔を歪ませていた。
「それでは、ラミィ殿はどうしたいのですか?」
静かに落ち着いた口調で尋ねるジェフに僕は答えた。
「捜査を続けたい。」
僕は言葉を続けた。
「全ては僕のくだらない嫉妬心から始まりました。僕と同じ姿をしているのに貴族と平民の格差ができていることに嫉妬していました。同じ人間なら僕にもできると信じていました。」
僕はこれまでのことを思い返した。
炭鉱の籠城事件を解決したあの日、自分にも賢者のまねごとができると自惚れていた。エレナが陰ながら手助けしていたと知っても尚、僕は自惚れていた。
エレナがエスタニア公国へ入国すると告げられたあの日、賢者の代わりができると自惚れていた。だから、引き留めることなくエレナを行かせてしまった。
こうなったのも全ては自業自得だ。
「結局は僕のエゴです。人間ってそう簡単に変われないんですね。」
そして、僕はセラを見つめた。
突然見られたセラは何も言わずに視線を返してくれる。
「今は仲間が傷つけられたことに腹が立つし、どこの馬の骨かも分からない連中に怯えながら暮らさなきゃいけないのも我慢なりません。」
僕の個人的な感情で君たちを巻き込むことになるかもしれませんが、協力してくれませんか……
これを我が儘と呼ばずして何と呼ぶのだろうか……。
しかも、従者達に断る権利はない。
「アタシは構わないぜ。」
沈黙を打ち破るようにセラが声を上げた。その返答に目を丸くしてナターシャが振り返っていた。
「アタシは頭に怪我を負わされて泣き寝入りなんて真似はしたくない。」
セラはちらりとナターシャの方を見る。
ナターシャは言葉を選ぶようにして慎重に自分の意見を述べた。
「断る理由がないのなら、もう徹底的にやりましょう。お嬢様が帰ってきた時にこの家が無くなりましただけは避けたいですわ。」
「俺は主の意見に従うだけだ。」
ナターシャに続けてカーサスが長いため息を吐きながら答えた。
「ごめん……」
賛同する皆に僕は頭を下げた。
こんな選択肢しか提案できない自分の不甲斐なさを呪う。
エレナなら襲撃者を捕まえて皆を安心させた上で選択肢を提案できるのに、僕にはそれができない。
「皆さんの意見は決まったようですな。さて、次の手はどうしますかな?」
ジェフが手を叩く。
一度決めたからにはもう立ち止まるわけにはいかない。
僕はゆっくりと顔を上げた。