第62話 ドッペルゲンガーの自棄
病院の屋上には思い思いのまま煙草を吸う男爵達の姿がまばらに散らばっていた。王都北部の高台に立地する病院の屋上は王都を一望することができる絶景スポットになっていた。
市場を忙しなく行き交う商人の姿に、街の外れでトンカチを叩く汗まみれの大工の姿が見える。
鼠のように駆け回る下々の民の光景を肴に吸う煙草は格別なのだろう。
カーサスは人の少ない場所を探して、屋上に設けられた柵にもたれかかると煙草に火を点けた。
僕はその隣でカーサスの細長いため息と共に空へ立ち上る煙をぼんやりと眺めていた。
「捜査はどうだ?順調か?」
カーサスの言葉に我に返る。
「三日前に書状を出したばかりです。」
「そうか……」
貴族達の談笑の声だけしか聞こえない。二人の間に気鬱な静寂が流れる。
屋上に呼び出されたときは思わず身構えたが、捜査の進捗確認だけなら只の徒労だったようだ。
席を外そうと立ち上がったところにカーサスが声をかける。
「やっぱり賢者って大変だな。」
カーサスの独白に僕の足が止まる。
「昔はエレナお嬢様が涼しい顔して一人で全部やっていたからな。俺たちは屋敷の掃除と洗濯と食事を作ってお嬢様を出迎えたらそれで仕事は終わりだ。」
カーサスは更に言葉を続ける。
「だけど、お前が来てから忙しくなった。酒場で聞き込みしたり、行者に声をかけたり屋敷以外で過ごすことも多くなった。花瓶や木を見ている時間より生身の人間と付き合う時間が多くなった。」
「そんなことをしていたんですね……。」
今まで情報をすぐに集められる情報通の知り合いに声をかけているだけかと思っていた。
だけど、カーサスは王都中を駆け回っていた。
そのためにカーサスが屋敷にいる時間が少なくなっていることすら知らなかった。
「主失格ですね……」
思わずそう呟く。
その瞬間、つんざくような鋭い音と共に目の前が一瞬白くなった。
頬に痛みが走る。
痛みの正体を探るようにそっと頬をなでる。
わずかに腫れている……殴られた……?
見上げた先にはしたり顔で嗤うカーサスが映った。
「お前、いつから俺たちの主になったんだ?」
力強く握られたカーサスの右手の甲が赤く染まっていた。
「うぬぼれるのもいい加減にしろよ。」
うぬぼれ……
何を言っているんだ、お前は……?
命を狙われる事態にその被害を最小限に抑えようというのは僕の驕りだとでもいうのか……
「うぬぼれてはいませんよ……」
「じゃあ、本当に全部一人でできるんだな?」
カーサスの怒気に満ちた言葉に僕は思わず声を詰まらせる。
「俺の情報収集だけじゃない。ジェフのじいさんは王城の行者に頼んで手紙を出したり、情報を集めてもらっているし、国王に呼び出されたらすぐに行かなければいけないし、他の貴族との付き合いもある。本当に全部できるんだな、ラミィ?」
できないに決まっている……。
それは自分が一番理解している。
だからこそ、答えは決まっている。
「できる、できないじゃありません。」
僕は顔を上げてカーサスを睨み付ける。
「やるかやらないかです。」
僕はカーサスに頭を下げると、病院の屋上の入り口へと進んでいく。
覚悟ができているわけではない。
だが、やるしかない。
賢者の代理としてやるしかない。
僕は後ろを振り返ることなく病院の扉に手をかけた。
「意地張りやがって……」
カーサスの嘆きは閉まる扉の音にかき消された。
セラが目を覚ましてから二週間が経った。セラの容態を観察している医師の話によると、日常生活に支障を来すような後遺症もなく何事もなければ一週間後には退院できるそうだ。
「食べないのか?冷めてしまうぞ。」
ガウス国王に促されて僕は目の前のスープに口をつけながら、今の状況を振り返る。
セラに関する喜ばしい報せを聞いた後、僕は国王から呼び出しを受けた。また余計な仕事を増やされるんじゃないかと気乗りしないまま王城に向かうと、城門で待機していた兵士達から王の私室に案内された。
国王の私室は王様の部屋とは思えないほど狭く質素なものだった。今食事をしているテーブルも装飾が施されていない質素なものだし、窓に掛けられたカーテンも庶民が持っているものと大差がない。
ガウス王曰く、派手な装飾は見飽きたとのことらしい。
そんな国王との雑談も気づけば無言になっていた。
はっきり言って庶民の僕に国王陛下と二人きりの食事会はかなり気まずい。
「僕を呼び出した理由は何ですか?」
さっさと用件を済ませたい僕は本題に踏み切る。
「魔銃の捜査の進捗を聞きたくてな。どうだ?」
「進捗は……特にないです。」
そう答えるしかない現状に嫌気がさす。
国王陛下から次はどうするんだと責め立てるような視線に僕は悲鳴を上げる腹をさすった。
今の状況はまさに手詰まりだった。
ジョージ・ボルガ―を襲った第一容疑者のレイン司教は選挙活動のためあちこちを駆け回っていて王国の兵士達も行方を掴みきれず話を聞ける状況にない。
また、サヘラン・シーブルからの返事もない。そろそろ返事が届く時期だが、まだ届いていないと言うことは恐らく無視されているのだろう。そもそも僕が内容をでっち上げた出鱈目だ。見透かされていたとしても不思議なことではない。
「そうか……」
王はそう呟いて窓から見える王都の街並みに視線を移した。王城の中で高い場所に位置する国王の私室からは城壁の上側から王都の街並みを見下ろすことができる。庶民の僕としては、城壁の周りに立ち並ぶ豪華絢爛な貴族街の遙か向こう側に小さく見える平民達が住む市街地に思いを馳せながら政策を実行してくれていることを願うばかりだ。
「ですが、報告しておきたいことはあります。」
「ふむ?」
僕はセラが何者かに襲われたことを国王に話した。
一命を取り留めた話をしても国王は眉一つ動かさず話を聞いている。
「魔銃のことを調べられたくない何者かがいるのは間違いないと言うことか……」
僕の話を聞き終えた国王は蓄えた顎ひげをさすりながら冷静に分析する。
「それで、ラミィ。お前は次にどう動くのだ?」
痛いところを的確に突いてくる……。
八方塞がりな状況の中、僕に思いついたできることを一つだけ口にする。
「サヘラン・シーブルの元に直接訪れようと思います。」
「止めておけ。」
僕の意見に国王は首を横に振った。
「なぜです?」
「賢者ともあろう者が一介の地方貴族の元に足を運んだとなれば他の者に示しがつかん。」
「僕にエレナの世間体を気にしろと言うのですか?」
荒げる自分の声に気づき、僕は慌てて口を押さえる。
「それに、今のお前に何か交渉材料でもあるのか?」
追い討ちをかけるような国王の鋭い指摘に図星を突かれた僕は何も言い返せなくなる。
「では……僕は一体どうすれば……」
「それを考えるのがお前の仕事だろう!」
王はピシャリと僕の懇願をはねのける。
分かってはいたことだが、こうして現実になると中々に辛いものがある。
何も行動を起こさないことが正解なのかと変に勘ぐってしまう。
国王の一喝に何も言い返せないでいると、国王の私室の扉がノックされる。
そして、勢いよく開かれた扉から飛び出してきたのはガウス国王の娘と息子だった。
まだ幼い息子のリヒターが王の膝の上に飛び乗るとテーブルがぐらりと揺れる。それを羨ましそうに傍目で見る娘のニーナを王は抱きかかえると、王は二人の頭を無邪気になで続けた。
そんな親子のやり取りを唖然として見る僕の横を一人の影が横切る。
見上げるとそこにはアルス国務長官が立っていた。
「おいおい。俺は仕事の途中だったんだが?」
「申し訳ございません。国王陛下。しかし、未来の国王陛下と女王陛下に絡まれてしまっては断ることもままなりません。」
じゃれてくる息子達を相手しながら、国王は後から入ってきたアルス国務長官に目を向ける。
「それで俺に何のようだ。」
「襲撃に遭ったジョージ・ボルガーが意識を取り戻しました。」
アルスの報告に僕は思わず目を見開く。
驚きの表情を浮かべる僕と一瞬だけ顔が会ったが、アルス国務長官はふいと顔を反らしながら僕を見下ろすように進言する。
「担当医師から面会の許可が出ています。賢者殿、今からいかがですか?」
アルスの提案に僕は何度も何度も首を縦に振っていた。