第61話 ドッペルゲンガーの我が儘
「ふぅ……」
思わず小さなため息が漏れる。
セラが襲われた次の日、すっかり自室と化したエレナの部屋で僕はカーサスが調べてくれたサヘラン・シーブルの情報に目を通していた。
一人で調査をすると言った日から従者達とはろくに言葉を交わしていない。
強いて言うならカーサスに病室にいるセラを見守るようお願いしたことくらいだろうか。
それに同僚が襲われた翌日のことだ。
ナターシャもジェフも雑談するほどの余裕もなく、今朝の食事もどことなく放心状態だった。
そんな彼らを励ますような言葉をかける資格は僕にはない。
僕が巻き込んでしまったからだ……
塞ぎ込む自分に活を入れるように頬を叩くと、サヘランに出会う口実に思考を巡らせる。
サヘラン・シーブル。しがない地方貴族で領主としての責務を全うしていたが、ある時突然、野心家になったという。それは言うまでもなく、自分が勘当した妹のネイビー・シーブルがギルド長になった時だ。そこから妹と同じように成り上がりを夢見るようになり、あらゆる事業に手を出しては失敗を繰り返しているそうだ。
「失敗したときの補填は領民からの税金なんだろうな……」
僕は誰もいない部屋で一人呟く。
領民からの税金は主に国と領主の懐に配分される。
取り立てる税金の額に制限はあるが、罰則規定はない。
国への献上金が満額払われている限り、領民からいくら金を巻き上げようと領主の思うがままだ。
領民が税金を払えなければ、領主はその持っている家や土地を差し押さえることができる。この部分にもやはり罰則規定はない。払えなくなる前に夜逃げする領民も出てくるだろう。逃げる領民が多くなれば、残された領民に課せられる税金はますます膨れあがる。
領地が滅びる道へ突き進む悪循環だ。
それを良しと思わない領民が賢者に相談を持ちかけた……。
「出会う口実はできた。次は……ネイビーの名前を勝手に使わせないためにはどうするか……?」
賢者の部屋に唸りを上げる愚者の声だけが響き渡った。
「ハハハ……!できたぞ!」
僕は机の上に突っ伏した。
サヘランにネイビーの名前を使わせない方法を思いつき、羊皮紙に書き終えたところだ。後はこれを書状として送れば、何らかの形で返事が来るだろう。しばらくはその返事を待つだけで良さそうだ。
「失礼しますよ。」
「ジェフ……」
不意に扉が開きジェフが入ってきた。ノックをしていたのだろうが、その音にすら気づけなかった。
これが暗殺者だったら終わっていたな……
ジェフが運んできたワゴンから広がる甘いココアの香りがすっかり荒んだ僕の心を潤してくれる。
「調子はどうですかな?」
「一人でやる……と言いましたよね?」
「それもそうですが……」
ジェフはちらりと窓の方へと目線を向けた。思わず窓の外を見ると、空高くに大きな丸い月が出ていた。どうやら一日中この部屋に閉じこもっていたらしい。
腹の音が盛大に鳴り出した。
その音を聞いてようやく朝から何も食べていないことに僕は気づいた。
「食べないと身体に毒ですぞ。」
ジェフはにこりと微笑むと、ワゴンからサンドイッチを取り出して僕に手渡した。崩した煮卵とレタスを挟んだシンプルなものだが、今の空腹な僕には最高級の一品だった。ギルドに所属していた時はよく食べていた味だと思い返していた。
「ありがとう……ございます。」
サンドイッチを一口頬張っている間にジェフが机の上にココアをそっと置いてくれていた。空っぽになった胃袋に簡素な食べ物と温かい飲み物が詰めこまれていく幸せを噛みしめた。
「本当に一人で調査をなさるつもりですかな?」
空腹を満たす幸せに浸る僕にジェフは確認を取ってくる。今朝の朝食でもジェフは確認を取ってきたばかりだ。そんなしつこいジェフに嫌気がさしながら、僕は悟られないよう表情を固くしたまま静かに頷く。
「全てを一人でやりきる覚悟はできていますかな?」
ジェフの言葉に僕はやはり即答できない。
実際は無理難題だ。
一人で何でもこなせるのは賢者だから。
愚者は一人で何もできないからこそ群れる術しか持っていない。
だが、その群れの中の誰かの命を狙われている状況で群れようと声をかけるわけにはいかない。
そうは思うが、限界はある。
多少なら許されるんじゃないか……
「ジェフ。この書状をサヘラン・シーブルの所に出してきてくれますか?」
「……承知しました。」
手紙を出す程度なら暗殺者も手を出しはしないだろう。
そうやって自分に都合の良い言い訳をする自分に僕は嫌気がさしていた。
僕の言葉に静かに頷くジェフは僕をどう思っているのだろう……
ココアの甘い香りに包まれながら僕の身勝手に付き合ってくれる従者の姿をぼんやりと眺めていた。
「心配かけたみたいだな……。」
「そんなことないわよ!」
セラとナターシャが互いに抱き合っていた。
それはサヘラン・シーブルに書状を出してから三日後のことだ。
王都から地方貴族のサヘランの元へ書状が届くのが一週間程度かかると言われた矢先、僕たちは王立病院セルレグアに待機していたカーサスからセラが目を覚ましたとの連絡を受けた。
「本当に当たり所が良かったのでしょうな。」
担当医が評したようにセラの怪我をあまり大したことはなかったようだ。多少頭に針を縫ったが、膿もできておらず早ければ二週間後には退院できるはずだとのことらしい。
怪我の状況を聞いて、僕がそっと胸をなで下ろす傍らでナターシャは自分事のように喜んでいた。
抱き合う二人を見送った後、僕はそっと病室を抜け出した。
その入り口にはカーサスが立っていた。
「セラが無事で何よりだな。」
「ええ……そうですね。」
カーサスは長いため息をついた後、胸ポケットから煙草を取り出した。
「ラミィ。ちょっと煙草に付き合え。」
カーサスの威圧的な視線に僕は断れず、カーサスの後を黙って付いて行った。
僕の勘だが、恐らくカーサスは怒っている。
セラを守り切れなかったことか、一人で調査をやると突き放したことか、はたまた病室の見張りをお願いしたことか……
何が理由で怒られるのだろうか……
憂鬱なまま病院の階段を一つずつ上がっていった。