第60話 ドッペルゲンガーの責務
「セラ!」
人通りの少ない市街地に僕の声だけがむなしく響いた。
助けを見込めないと判断して僕は応急処置に入った。セラの髪をかき上げると傷口からべっとりとした血が流れていた。傷口に土埃がないことを確認すると、僕は自分の外套を何重にも折りたたんでセラの頭に押し当てた。
僕は地面に転がるレンガの破片を見下ろした。土と植物の葉が散らばっていることから恐らく植木鉢が頭上から降ってきたのだろう。誰かが落としたのか、はたまた自然に落下したのかは分からないが、疑うなら前者だ。
僕は天を見上げた。霧のせいでその先に何があるのかは全く分からない。ただ、何者かが植木鉢を落としたというのならその犯人はとっくに立ち去った後だろう。しつこく降り注ぐ雨がセラの体温を奪っていく以上、けが人を置いて調べに行くこともできない。
「病院を探さないと……!」
僕は一瞬だけ天を恨めしげに見上げると、セラを抱きかかえて病院を探しに歩み始めた。
すぐ側にある民家の扉を何度も叩いた。
煩わしそうな顔をして住人が扉の隙間から顔を覗かせる。そして、血まみれのセラを抱える僕の姿を見るなり面倒事に関わり合いたくないのかすぐに閉めようとする。すんでのところで、僕は閉まる扉のに足を伸ばした。
「近くの病院を教えてください!早く!」
唖然としながらもその住民は丁寧に近くの診療所の行き方を教えてくれた。
一言礼を述べると僕はセラを抱えて駆けだした。
「セラ!」
王都の市街地にある診療所に甲高い声が響く。
狭い待合室にいた患者達がその声の主を一瞬目を合わせるもすぐに視線を戻した。
五月蠅いと言わんばかりの冷ややかな視線に目もくれずにナターシャは診察室に駆け込んだ。
彼女の目に飛び込んだのは頭に包帯を巻いて眠る友人の姿だった。
彼女の脇に腰掛けるラミィは肩を落として項垂れていた。
「ラ……エレナ様!これはどういうことなの!」
慌ててエレナと言い直す判断はまだできるようだが、ナターシャは明らかに切羽詰まっていた。
動揺を抑えきれないナターシャが僕の首袖を掴んで力任せに揺さぶる。
「なんでこんなことになったのよ!」
揺さぶり続けるナターシャを見かねて診療室の奥に座っていた医者がナターシャに声をかけた。
「あー……。君は患者さんの知り合い?」
「はい!そうです!」
鬼気迫るナターシャの返事に困惑しながら医者はボサボサに伸びた髪を掻いた。
「彼女なら心配は要らないよ。脈も安定している。応急処置が良かったんだろうね。」
「本当ですか?」
「ああ。本当だよ。」
セラを見ると彼女の頭には紫色の布が何重にも巻かれていた。そこに染みついた血はすでに乾き始めていた。
医者の言葉を聞いて自分の目でセラの安否を確かめると、ようやくナターシャは全身の力が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。落ち着きを取り戻したナターシャに僕が声をかける。
「ナターシャさん。カーサスさんの方は?」
僕の質問に思い出したかのように手を叩いてナターシャが答えた。
「そうよ、病室を手配してくれたわ。外に馬車を待たせてあるし、すぐにでも入れるわ。」
「おや?もう行くのかい?」
僕たちの会話を聞いていた医者が首をかしげる。
「診療所の皆様に迷惑をかけるわけにはいかないですから。ベッドを貸していただきありがとうございます。これが治療代です。」
ナターシャが差し出した金貨を見るや否や、その医者は満面の笑みを浮かべながら自分の白衣の中へと忍び込ませた。案の定、金にがめついやぶ医者のようだ。お金を持ってくるよう指示して正解だったと僕は内心安堵する。
ほくそ笑む医者を余所に僕は眠っているセラを抱きかかえて、診療所を後にした。
今朝の雨が嘘のように午後からはからりと晴れていた。
セラは馬車に一時間ほど揺られて王立病院セルレグアに運び込まれた。僕の応急処置のおかげもあってか、セラは命に別状はなく安らかに眠っている。しかし、陽気な日差しが窓から降り注いでも尚、その病室は淀んだ空気に包まれていた。ナターシャの甲高い声が依然として響く。
「どうしてセラがこんな目に遭わなきゃいけないのよ!」
「ナターシャ、落ち着けよ……」
カーサスが興奮するナターシャをなだめすかす。
「警告でしょうな。」
老齢のジェフが淡々と分析する。
「僕が、いや、賢者エレナが魔銃を調べるのを阻止するために誰かが植木鉢を落としたと思います。」
そう言って僕は長いため息をついた。
信じたくない気持ちが僕の中にあったが、やはり認めざるを得ないらしい。
「そう言えば、エレナお嬢様も誰かに付け狙われていたようですし、その賊達の仕業かもしれませんな。」
ジェフの言葉に僕はエレナと初めて出会った頃を思い出す。
あの時の怪しげな黒装束の集団の仕業なのだろうか、はたまた他の誰かの仕業なのか……
いずれにせよ、僕の行動は誰かが監視しているのだろう。
貴族御用達の病院だからと言って監視の目がないとは決して言い切れない。病院の警備の目をかいくぐって今度こそセラを亡き者にすることができるかもしれない。
その時に僕はセラを守り抜くことができるのだろうか……
「それで、どうする?」
カーサスの言葉に僕は我に返る。
「調査は続けるのか?」
残酷な質問だ。
当の本人も理解しているのか、カーサスは僕に憐れみの表情を見せていた。
ここで調査を止めると言えたらどれほど幸せだっただろう。
だが、今はそれを言えない。
調査を続けないと言うことは賢者の職務を放棄することだ。職務を引き継ぐべきエレナ自身が国外にいる以上、彼女が王国に帰るその時まで職務を放棄することは許されない。
僕の身勝手でここにいる従者達を路頭に迷わせるわけにはいかないのだ……。
そして、僕の身勝手でセラが命の危機に晒されることがあってはならないのだ……。
「考えさせてください。」
「ちょっと!待ちなさいよ!」
興奮したナターシャが僕に詰め寄る。
「考えるってどういうこと!調査を続けるかどうかこの場ではっきりさせなさいよ!」
「それは……」
彼女の鋭い視線に僕は思わず声を詰まらせた。
その視線からはナターシャが心の底から望んでいる回答を推測することは叶わない。
僕は高鳴る鼓動を押さえようと一呼吸ついてナターシャに答えた。
「調査は続けます。」
「どうして?」
「国王陛下の命令だから。」
「あなたは国王の命令だから何でも言うこと聞くのね?」
そうではない……。
路頭に迷って餓死して死ぬか、暗殺者の手で殺されるか……。
賢者ならどうする……?
「アレストラ家を守るためにやらなきゃいけないんだ。」
僕は無意識の内に滑稽なことを呟いていた。
気づいた直後にナターシャが怪訝そうな様子で僕を見つめながら問い詰める。
「あなたはアレストラ家じゃないでしょう?」
そうだ。僕はアレストラ家と何の関係もない。
だが、ここで僕が逃げ出したら残された君たちはどうするというのだ……!
「今は私がエレナ・アレストラだ!」
苛立ちに身を任せた僕の怒声が病室に響き、病室は沈黙に包まれる。
顔を起こしてナターシャの方を向くと、ナターシャは怪訝そうな顔を通り越して憐れみの表情を浮かべていた。他の従者達は顔色一つ変えずに僕を見ている。
きっとナターシャと同じで僕を憐れんでいるのだろう。
賢者のような活躍ができない僕を憐れんでいるのだろう。
「私一人で調査を続行します。皆さんは各自で調べていた情報を私に教えてください……。」
僕の言葉に誰一人返事するものはいなかった。