第59話 ドッペルゲンガーの焦燥
レイン司教と連れ添いの僧兵が立ち去った後、教会の悪口を言われて機嫌を損ねてしまったシスターエリーゼに追い出されてしまった。
「オンボロじゃねーよ!味があると言え!」
エリーゼの言葉を最後に教会の扉が勢いよく閉まった。唖然としている僕とセラを傍目から呆れた様子で魔法研究所のソフィアが見つめていた。しばらく立ち尽くしていたが、扉が開く気配も、人が訪れる気配もなかった。
結局、何の成果も得られなかったな。
僕は外套を目深に被って踵を返した。その後をセラとソフィアが付いていった。
深い霧にしとしとと降る雨の中、何の成果も得られずに帰らなければならない自分に嫌悪感を抱いているところに不意に声をかけられる。
「元気出せよ。」
セラが僕の肩を叩いた。彼女の気遣いが心にしみる。
その隣を歩くソフィア副支部長も僕を見てクスリと笑った。
「何ですか?」
「いやいや、賢者様でも上手くいかないことがあるんだなぁと……」
賢者じゃないですからね、と心の中で呟く。
「見損ないました?」
「いや。むしろ親近感が湧いたよ。賢者も私と同じ人間なんだなぁと……」
研究所では見せることのなかった笑みを浮かべるソフィアに僕は罪悪感に駆られる。
エレナならきっとこんなヘマはしないのだろう。外堀を埋めてから確実に追い詰めることだろう。
賢者としての立ち振る舞いを再現できない不甲斐ない姿を見せて、勘違いさせてしまっている状況に嫌気がさす。
もしも再びエレナが戻った時、ソフィアは変わらず賢者に親近感を抱くのだろうか……
はたまた、偽物には発揮できない本物の才能に劣等感を再び抱いてしまうのだろうか……
そんなことに思いを馳せている内に気づけば貧民街を抜けていた。まとわりつくような雨が降り続ける濃霧の中、レンガ造りの簡素な民家が並ぶ一本道に浮浪者の姿はすっかりなくなり、代わりに雨の中でも買い出しに出かける婦人の姿をちらほらと見かけるようになった。
「私はこれにて失礼するよ。」
ソフィアが僕たちの前に出て一礼する。
「あれ?副支部長は貴族街じゃないのか?てっきり、もっと良いところに住んでいると思ったが?」
「母親の介護をしなくてはいけないからね。では。」
セラの質問に短く答えると、ソフィアの姿は深い霧の中へと消えていった。
「親の介護とか大変だな……」
ソフィアの姿が見えなくなった後、セラが僕の隣で呟いた。
確かに王国の魔法研究所の副所長の給金ならもっと良いところに引越しできるだろうが、母親が嫌がっているのだろう。
人一倍努力して所長の座までわずかという所でモル所長にその座をかすめ取られ、所長の代わりに雑務をこなして、家に帰れば母親の介護……。
そんな生活を繰り返していれば教会に通うようになるのも無理はない。
どこかやるせない気分に陥った僕はセラと馬車乗り場を探しに歩を進める。
「それで?次はどうするんだ?」
「商人名簿を手に入れるしかないでしょう。」
セラの質問に僕は淡々と答える。
「でも、その名簿はギルドが管理している商人の分だけだよな?密輸とかで名簿に載ってなかったらどうするんだ?」
至極真っ当な意見だ。
そして、それに答える術を僕は用意していない。
僕は思わず頭をかきむしった。
レイン司教からまともな回答が得られない以上、残された手がかりは商人名簿しかない。
しかし、それを手に入れるためには二つの問題を超える必要がある。
一つ目はサヘラン・シーブルに会う必要がある。会うためにはそれなりの理由が必要だ。ギルドマスターである妹の名前を出さないよう訴えるだけでは門前払いにされるのが関の山だ。
二つ目は願いを聞き入れてもらう代わりの見返りが必要になる。金の話になればいくらむしり取られるか分かったものではないし、金以外の見返りが皆目見当が付かない有様だ。
徐々に狭まっていく選択肢に僕は閉塞感を感じていた。
「焦るなって。ラミィ。」
僕の肩にセラの小さな手がかけられる。
「そんなすぐに解決しなきゃいけない話でもないだろ?」
「けれど……」
今の安寧を崩すべきではない……
王の言葉が不意に脳裏をよぎる。
王は賢者の偽物である僕にも問題の早期解決を求めている。そこに容赦も妥協も一切ない。
「アンタはラミィだ。賢者のエレナお嬢様とは違う。」
「僕にはできないと言う意味ですか?」
やっぱり僕には賢者の代わりは務まらないのだろうか?
「違う!」
セラの強い語気と共に襲う痛みが僕の疑念を一気に吹き飛ばした。
セラが僕の鼻を強くつまんでいた。
「アンタなりのやり方があると言っているんだ!」
「僕なりの……やり方?」
セラは僕の鼻から手を放すと、ツカツカと前方へと歩き出し僕の方へと振り向いた。
深い霧の中から覗く彼女の笑顔はどこか安らぎに満ちていた。
「アタシがエレナお嬢様をいけ好かない奴だと思っているのは知っているだろ?」
僕は静かに頷く。
「今日初めて賢者の仕事を見て思ったんだ。」
長いため息を吐いて、セラの言葉が続く。
「アイツ、一人でこんな重いこと背負ってきていたんだなって……。それで……少しくらい手伝ってやっても良いかなって思ったんだ。」
賢者がいなくてもこの国はやっていける。
それは他ならぬ賢者の言葉だ。
国の一大事なんて到底一人で解決できる問題じゃない。本来なら皆で時間をかけて議論して決めることだ。エレナが顔色一つ変えずに解決してきたせいで、国が調子に乗って賢者に甘えているのだ。
「そう言ってくれると助かります。」
国のいびつな状況を変えたいエレナの思惑通りの模範解答を示すセラに僕は頭を下げた。
「だから、アンタはもっと周りを頼った方が良い!」
「ありがとうございます。セラさん。」
セラに引っ張られて赤くなった鼻をさすって僕はセラの方に歩み寄った。
鈍い音が霧の中に響いた。
僕は呆気にとられていた。
僕の口から言葉が漏れた。
「セラ……」
そして、僕は湿った土の上に跪いた。
目の前には煉瓦の破片と土が散らばっていた。
その下でセラが突っ伏していた。
「セラさん!」
ようやく身体が動いた。
「誰か!医者はいませんか!」
静まりかえった道端で僕は叫んだ。
頭から血を流すセラを抱きかかえて僕はひたすら叫んだ。
その叫び声は深い霧の中に吸い込まれていった。