第53話 ドッペルゲンガーの故郷
「それでは気をつけて行ってきてくださいませ。」
玄関でジェフ達に見送られて、ナターシャと僕は手を振って答えた。
「では、行きましょうか。」
ナターシャと共に玄関を出た僕は玄関前で待つ御者に挨拶を済ませて馬車に乗り込んだ。
「今日はどちらまで?」
「王城までお願いします。」
「はいよ!」
威勢の良いかけ声と共に御者の鞭が強くしなり、馬車がゆっくりと動き出した。
ナターシャが僕の向かいで何かを聞きたくて仕方がないような表情で僕を見つめてくる。心配性なナターシャのことだから、今後のことを聞きたいのは分かっていたが、僕にはまだそこまでの計画はない。
ナターシャが安心する答えを出せない僕は馬車の外の景色に視線を送った。今にも雨が降り出しそうな灰色の薄雲が空一面を覆い、晴れた日は煌びやかな貴族街も暗く陰鬱な街並みに変貌していた。
耐えきれなくなったのかナターシャが口を開いた。
「それで?結局、サヘラン・シーブルに会う理由は考えましたの?」
「ギルドのことで話がしたいで通そうと思うのですけど、どうですか?」
「随分と直球な言い訳ね……。」
「まぁ、嘘はついていませんし、ネイビーさんから手を引けと言う理由を表立って出すわけじゃないですから、顔を合わせてくれると思いますよ。」
ナターシャは呆れた顔をして長いため息をついた。
その時、車体が大きく揺れた。
「大丈夫ですか?」
「ええ……」
僕の方に倒れ込んできたナターシャを咄嗟に受け止めていた。ナターシャは慌てて僕から飛び退いた。飛び退いたときの彼女の頬は少し赤らんでいた。
「お客さん!すいません!今日は風が強いもんで揺れるかもしれません!」
御者の声が馬車の中に響いた後から王城へ着くまでの間、ナターシャが言葉を発することはなかった。
「王城なんて初めて来ましたわ。」
馬車から降り立つと、王城の敷地内に吹き荒れる風が外套に吹き付けた。
王国の威厳を表した国旗も強風を嫌って全て地面に折りたたまれていた。
「ナターシャさんは城に来たのは初めてだったんですか?意外ですね。」
「基本はお嬢様一人で行っていましたから。」
そう言ってナターシャが僕をじっと見つめる。
エレナなら一人で解決できるから助けは要らないと言いたいのだろうが、残念ながら僕には沢山の助けが必要だ。
ナターシャの視線に反論することもできずに口を尖らせて王城の扉へと歩みを進めた。王城の扉前で見張りをする兵士達に軽く会釈すると、兵士達は何も言わずに扉を開けてくれた。
「随分と手慣れていますわね?」
「ここに来るのも三回目だからね。そろそろ城内のことも覚えられるよ。」
「その油断が命取りですわよ。」
天狗になるなと言わんばかりの鋭い叱責に僕は肩を落とした。
だが、新鮮でもあった。
ジェフは飄々として放任するし、カーサスは傍観して距離を置いてくるし、と僕と接する態度は様々だが、ナターシャは常に近い距離で監視してくる。
慣れきってすっかり油断している僕を律してくれているようだった。
「ありがとうございます。」
「何を言っているのですか、あなたは?それよりアルス国務長官を探しましょう。」
ナターシャの言葉にうなずき返したとき、背後から嫌な奴の声が聞こえてきた。
「おや?何度もお会いしますな。賢者様?」
そこにいたのは地上げ屋と称される貴族オストワルド・ヒンダーだ。モノクルの奥で光る目が土地を押し売りしようという魂胆に満ちあふれていた。
「土地は要りませ……」
「はいはいはいはい!これとかいかがですか?お薦めの土地です!」
僕とナターシャとの間に割り込むと一枚の羊皮紙を僕に押しつけてきた。
その図々しさにナターシャも思わず苦言を呈する。
「何ですか!あなたは?」
「ああ!ひょっとして、エレナ様の従者の方ですか?初めまして、私はオストワルド・ヒンダー!引越しを検討される場合はいつでも対応いたしますよ。」
困惑するナターシャを余所に僕はオストワルドから渡された羊皮紙をちらりと覗いた。
「これは……」
驚愕の余り血の気が引きそうになる。
「オストワルド……さん?この土地は……」
オストワルドは目の色を変えて僕の前へと立ちはだかった。
「田舎でのんびり生活に興味がありますかな?賢者様?」
「この土地は……!」
「おっと、どうされましたかな?賢者様。少し興奮されているようだ。」
なだめすかすオストワルドの言葉を聞いて僕の異変に気づいたナターシャが僕の背後に回り込み羊皮紙を覗き込んだ。
羊皮紙に書かれた土地はナターシャにとっては何の変哲もない田舎の土地だろう。
だが、僕にとっては違う。
「そちらの土地は元ジュナード領。」
その名前は……
「三年前にエスタニア公国の襲撃に遭い焼け野原になってしまいました所、私が買い占めまして、復興させた次第です。」
お前の土地じゃない……!
「小麦が採れる土壌は生きておりましたので、農業を楽しむことができますよ。」
お前に農業の何が分かる……!
「今なら金貨百枚の破格値でご提供しますよ?」
僕の故郷は破格値か!
僕の右腕をナターシャが掴んでいた。
気がつけば僕の右腕は肩の辺りまで上がっていた。
振り返ると、ナターシャと目が合った。
彼女は無言で首を横に振った。
殴ってはいけない
彼女の視線が訴えていた。