第52話 ドッペルゲンガーと家族
「ただいま、帰りました。」
「ようやく戻ってきたわね。ラミィ。」
教会との付き合いを終えたラミィがエレナの屋敷に戻ってくる頃には貴族街の明かりも消え失せていた。夜遅くに帰ってきて精神的に疲労困憊な僕をナターシャが出迎えた。
「あれ?こんな夜中まで起きているなんて珍しいですね。」
「じゃんけんで負けていなかったら、もう寝ていますわ。」
不機嫌そうに顔を膨らませるナターシャに味気ない返事で対応して僕はゆっくりと靴を脱いだ。
「ラミィ、元気ないわよ!」
「へっ?」
「随分と疲れが溜まっているようね。ココアでも一杯飲んでいきなさい。」
ナターシャの思いがけない提案に僕は戸惑いながらもリビングの方へと向かった。
「ナターシャさんがお誘いしてくれるなんて嬉しい限りです。」
「あなたに倒れられてはお嬢様が困りますからね……」
ナターシャが僕のカップにココアを注ぎ、続けて自分のカップにもココアを注ぐと香りを楽しんでいた。僕は熱々のココアに息を吹きかけながらゆっくりとココアを流し込んでいく。
「それに来客やら宗教の勉強やらでアンタの近況を聞くことがなかったからね。どうなの?」
「どうなのと言われましてもねぇ……」
僕がエレナと会ったことはジェフ以外の執事達は知らないのだと思い出していた。それを伝えたら、目の前のナターシャが怒り狂うだろうなと躊躇していると彼女が尋ねてきた。
「お嬢様とは会っていないのですか?」
核心を突かれて言葉を詰まらせる。うろたえる僕の目をナターシャの細いつり目が捉えていた。
「その目は……お嬢様に会ったのですね?」
「はい……」
見透かされてしまい僕は観念した。
「お嬢様は元気にされていましたか?」
「はい。」
「今はどちらに?」
「エスタニア公国に向かいました。」
ナターシャは静かにため息をつくと、ココアを一気に飲み干した。余りの熱さにむせるナターシャの姿に思わず笑みがこぼれる。
「前から聞きたかったのですが、ナターシャさんはどうしてそんなにエレナのことを気にかけているのですか?」
「あら?主を慕うのは従者として当然ではなくて?」
「いや、他の従者の皆さんより熱意が違うじゃないですか。」
これまでの付き合いでジェフは最年長で自分の感情を表に出さないからよく分からないが、カーサスとセラはエレナに対して思うところがありそうだ。それに比べてナターシャのエレナに対する入れ込みようは明らかに異常だ。
僕の疑問にナターシャはしばらく考えるとポツポツと語り始めた。
「それが……よく分からないですの。」
「分からない?」
ナターシャの言葉に僕は首をかしげた。
「あなたに指摘されなくても、私がお嬢様に強く依存していることは私自身良く理解しているつもりですわ。けれど、それがなぜなのか……なにかきっかけがあったと思うのですが、思い出せませんわ。」
「そうなんですね……」
呟きながらココアを手に取り喉を潤した。
「エレナとは長い付き合いなのですか?」
「ええ。私もお嬢様もほとんど同じ年で幼い頃から主と従者の関係でしたわ。」
確かナターシャも元奴隷だったな……
僕はセラの言葉を思い出していた。奴隷の話はナターシャにはしない方が良いと忠告されていたことも思い出していた。
「他の方より人一倍エレナに思い入れがあるのは長い付き合いのおかげなんですね。」
慌てて話題を終えようとする僕をナターシャは責めるような目で見ていた。何も悪いことを言っていないような気がするが、何かナターシャの怒りに触れる発言でもしたのだろうかと思考を巡らせる。
「ラミィ……」
ナターシャの言葉が続く。
「お嬢様を呼び捨てにするとはいつからそんなに仲良くなったのですか?」
「はい?」
僕の間の抜けた声がリビングに響いた。
「お嬢様と二人きりの時に親交が深まることがあったのですか?洗いざらい白状しなさい!」
「そんなことないですよ……」
「本当ですわね!」
ナターシャの鬼気迫る言葉に僕は思わずたじろいだ。確かに二人で着替えの交換はしたけれど、それで何かが起こるわけじゃない。
だって、同じ顔だもの……
僕は自分のことが大好きなナルシストじゃない……
言葉に詰まる僕をナターシャはしばらく睨み付けていたが、納得してくれたらしく視線を戻してくれた。
「まぁいいわ。それより、今のところ順調なの?」
「まだ何も手を付けていないですね、やることはあるのですが……」
僕はナターシャに商人名簿のことを話した。そのためにはギルドマスターのネイビー・シーブルとの血縁関係を移用して成り上がろうとする兄のサヘラン・シーブルの弱みを握らなければならないことを伝えると、ナターシャは憐れみの表情を浮かべた。
「妹さんは勘当されたとは言え、血の繋がった兄妹でしょう?勘当した妹が権力を持ったからって利用しようとする節操のない兄も問題ですけど、兄の弱みを握って牽制しようとする妹も問題じゃないの?」
「権力者の家になると兄弟ですら敵になるなんて僕のような庶民には理解できませんよ。」
「私も……家族の事は分からないけど、大切にした方が良いと思いますわ……」
ナターシャの言葉はどこか悲しげだった。
「それで?何か策はありますの?」
ナターシャの言葉に僕は首を横に振った。
「取りあえず、明日、王城に行ってアルス国務長官にサヘラン・シーブルに会えないかお願いしてみたいと思います。」
「サヘラン・シーブルに会う理由は何か考えていますの?」
「いえ、全然。強いて言うなら賢者の立場でごり押ししようかなぁと……」
「見ていられませんね。」
ナターシャは深いため息をついた。
「だったら、ナターシャさんも一緒に王城に行きませんか?」
「へ?」
僕の誘いにナターシャが驚きの声を上げる。
「僕一人で考えるのにも限界があるので、もう一人来ていただけると心強いのですが駄目ですか?それに、僕がエレナの代わりを務めているか気になるでしょう?監視の意味も込めてどうでしょう?」
僕の提案にナターシャは俯いて考え込む。
しばらくして顔を上げたナターシャは静かに頷いた。