第51話 ドッペルゲンガーの過ち
長い長い演説が始まった。
神殿の二階部分から一階に密集する信者の姿と壇上で演説をする候補者達を僕は見下ろしていた。信じるものを平等に救済する教えのマリア教の神殿に優越感に浸らせてくれる席が設けられている事実に滑稽さを感じていた。信者達は壇上の司教達の演説を聴いていてこの席の存在に気づいている様子はなかったが、司教達も特等席の存在を教えていないのだろう。
そして、僕の両脇には招待された貴族達が一同参列していた。ギルドマスターから依頼されていた標的の貴族サヘラン・シーブルが都合良く席にいないかと辺りを見渡してみたが、そう上手い話はなかった。
「このような場所で出会うとは神様も残酷ですなぁ、賢者エレナ様?」
「そうですね……スヴェン・コルラシア伯爵。」
確かに神様が本当にいるとすれば残酷だ。
僕の隣に座っているのは鉱石王、スヴェン・コルラシア伯爵だ。相変わらずのひょろりとした体格で僕を見下ろしていた。
先日まで王室で伯爵と顔を合わせていたし、彼の三男であるソーマに鉱山籠城事件の狂言の容疑を突き付けたばかりだ。あの場では三男のことを出来が悪いと罵倒していたが、馬鹿な子どもほど情が湧くとも言うし、その子どもを追い詰めた僕が隣に座っている状況をどう思っているのか気が気ではなかった。
演説の内容もさっぱり入ってこないし、眠気もすっかり吹き飛んでしまっていた。
「賢者様、我が息子、ソーマは王国騎士団に取り調べを受けているところです。」
「そうですか……」
喉が渇いて仕方がなかった。僕は勘づかれないようにつばを飲み込んだ。
しかし、狼狽する僕の様子をスヴェンの細いつり目が捉えていた。
「お気になさらないで下さい。息子も立派な成人です。責任を取ることも言い逃れする術もわきまえているはずです。」
抑揚のない声で淡々と話すスヴェンの姿が逆に僕の恐怖を煽る。このまま一方的に喋らせておくのも良くないと判断した僕は話題を変えることにした。
「しかし、驚きました。あなたはこういうことに興味はないとばかり思っていましたから。」
「賢者様には私が金儲けが大好きな守銭奴のように見えますかな?」
スヴェンはしたり顔で僕に尋ねた。返事をすることができない僕ははにかんで誤魔化した。
「確かに、若い頃は金儲けに情熱を注いでおりました。」
スヴェンは広場で熱心に話を聞いている信者を見下ろして語り始めた。
「しかし、鉱石王と周りからもて囃される今、多くの物を金で手に入れることができるようになりました。私の金に付いてきてくれる部下も執事もたくさんいます。それに、私に逆らう者は誰もいません。」
確かに彼の言うことは全て正しかった。国民の生活に深く根付くトロイ鉱石が全てこの男の手中にあると言っても過言ではない。彼に逆らう者は誰一人としていないし、世界は全て彼の思うがままだ。
「だが、宗教は興味深い。」
スヴェンが持っていた杖で信者達の群れを指した。
「彼らは金を渡していないのに司教達の言うことを聞いているし、逆らうこともしない。彼らの一人一人が神様という不可解な存在に陶酔している!実に興味深い!」
興奮して語るスヴェンの姿に僕は憐れみの視線を送った。
「賢者様なら、なぜこんなことになっているのかご存じですかな?」
積み重ねた努力が天才を目の前にして一瞬で崩れ去る虚しさ、成功者への嫉妬……。
伯爵は人生で壁にぶつかることなく年を重ねてしまったのだろう。
それだけではない。
親が注ぐ慈悲、子どもから向けられる尊敬……。
伯爵には子育てで芽生える感情ですら悉く理解することができなかったのだろう。
「私には分かりません。」
感情など、例え本物の賢者でも、説明しようもない。
僕の答えの意図もスヴェンが理解することはないと僕は確信していた。
長い演説会も終わりを迎えて神殿の広場に溜まっていた信者達もぞろぞろと神殿を後にしていた。二階席にいる貴族達は残って互いに親交を深めていたが、義理を果たした僕は早々と帰ることを決意する。
「おや?賢者エレナ様。もうお帰りですか?」
鉱石王スヴェンに呼び止められてその場にいた貴族達の視線が僕に注がれた。
「ハハハ……申し訳ないですが、お先に失礼します……。」
苦笑いのまま僕は傍聴席を後にしようと扉を開けた。
目の前には黒髪の慧眼の淑女が立っていた。法衣越しから見ても分かる良いスタイルで知性に溢れた聖女と形容されるような女性だった。
「お初にお目にかかります。」
その女性は行儀良く頭を下げた。壇上で演説をしていた話題の司教の登場に貴族達の視線が増しているのが背中越しに感じていた。
「確か……レイン司教でしたよね?」
「覚えていただき光栄ですわ、賢者様。」
女神のような穏やかな微笑みを浮かべてレイン司教は立っていた。だが、その口元は少しも笑っていなかった。僕は恐る恐る用件を尋ねた。
「あの……、どうしてこちらに来たのですか?」
「どうして?賢者様に用事があるからですわ。」
「用件なら手短にお願いします。次の予定が詰まっていますので……」
次の予定をでっち上げてその場から一刻も早く逃げだそうとするが、
「では、出口までお送りしますわ。歩きながらで聞いていただきたいのです。」
僕の狙いを見透かしたかのようにレイン司教が提案してきた。断ることもできずに僕はレイン司教と一緒に歩き始めた。
「賢者様は土の魔法使いでしたわね?」
僕は早まる心臓の鼓動を沈めながら首を縦に振った。実演しろとでも言うつもりなのだろうか?
「魔法依存からの脱却、私の理想は叶えられると思いますか?」
「できると思ったから、次期教皇に立候補されたのではないですか?」
ここで無理ですと伝えると、レイン司教に反対だと意思表明してしまうことになる。
教会の候補者選びに巻き込まれたくない僕は敢えて素っ気ない態度を取る。
「つれないですわね。では、政教分離についてご意見をお聞かせ願えないですか?」
「政教分離……?」
突然出てきた未知の言葉を僕は思わず呟いていた。
「あらあら?賢者様は何でも知っているというわけではないのですね?」
僕の失言を狙ったレイン司教の追求に僕は苦笑いを浮かべながら言い訳を考える。返答に窮する僕の前に厄介者が立ちはだかった。
「これはレイン司教に賢者エレナ様。ご機嫌麗しゅう。」
神殿の出口から射す光を遮るようにして現教皇の孫、ジョージ司教が立ちはだかった。苦悩する僕の目の前までジョージ司教が一気に詰め寄った。
「本日はお越しいただきありがとうございます。私の招待に応じていただいたのですね?賢者エレナ様。」
ジョージは周りに聞こえる声量で自分が賢者様を招待したことを強調した。神殿の出口前で馬車を待つ貴族達の注目が一斉に集まる。賢者エレナ様だと口々にざわめく声が僕の耳にも届いていた。
「あなたが賢者様を招待したのね?ジョージ司教!」
僕が招待されたことを否定するよりも先に、レイン司教が怒気のこもった声でジョージ司教に詰め寄った。次期教皇候補同士のにらみ合いに周りにいた信者達の目線が向けられる。
「貴族達を味方に取り込むために賢者様の立場を利用するなんて恥ずかしくないのですか?」
レイン司教の指摘にジョージは不敵な笑みを浮かべて淡々と答えた。
「あなたが何をおっしゃりたいのか僕には分からないのですが、推測するに、僕が権力者の力を利用しようとしていると言いたげですね?」
「権力者だけの支持を集めた宗教では決して弱き者を救うことはできません。あなたも神に仕える身であるなら、弱者を切り捨てることがあってはならないことは分かるでしょう!」
ジョージは口元をおさえながらレイン司教の訴えを聞いていた。
口元は見えなくても、彼の目が悪意に満ちた笑みを浮かべているのを僕は見逃さなかった。
「賢者様はどうして演説会に来られたのですか?」
ジョージの問いに僕は正直に弁解した。いや、弁解してしまった。
「ヘンリー教皇に依頼されたからです。ジョージ司教の招待によるものではありませんし、次期教皇の争いについて私は干渉するつもりがありません。」
「ああ!そうでしたか!てっきり、僕の招待状のおかげで来てくれたと勘違いしていましたよ!」
僕の隣でレイン司教は大きく目を見開いていた。かすかに彼女の肩が震えているのが見えたが、彼女が何に恐怖しているのか僕には分からなかった。
「政教分離……宗教が政治色の強い権力者と強いつながりを持つことは許されないことです。権力者の言いなりにならざるを得ない弱い立場の人々を救済できませんからね。」
ジョージがレイン司教の側へ歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。
「僕は賢者様を招待しましたが、賢者様は次期教皇の選挙には関与しない立場を貫いておられる。言わば、民間人と同じです。」
そして、彼女の耳元で周りにいる信者に聞こえるように囁いた。
「民間人を招待することが悪いことですか?先程までまるで僕が権力者を利用しているような発言をされていましたが、根拠もないデマを垂れ流すのは止めていただきたい。」
ジョージ司教は口元を押さえながら、レイン司教とすれ違うようにその場を去って行った。対立候補にデマを流して悪評を付けようとした司教と言うレッテルを信者達の目の前で貼られたレイン司教は涙を堪えて唇を噛みしめていた。
争いに関わるつもりはなかったのに、僕は教皇の孫の策略に上手いこと巻き込まれてしまった。
あの時、困窮するご老人に同情したことが間違いだったようだ。
エレナの選択は正しかった……。
僕は気づかぬうちに拳を握りしめていた。