第5話 ドッペルゲンガーの目的
エレナの部屋に戻ると、白髪の従者は後ろ手で扉を閉めた。
「申し訳ございません。」
開口一番、白髪の従者が謝罪の言葉を口にした。
「エレナお嬢様からお話は伺っております。ラミィ様。」
名前を呼ばれてハッとする。
「お嬢様を助けていただいたそうで感謝しております。」
白髪の従者は深々と頭を下げた。僕は困惑しながら言葉を続ける。
「僕の名前を知っていると言うことは僕をエレナさんに扮装させた理由を知っているのですね?教えてください。」
その時、部屋の扉が小さくノックされる。
ティーワゴンを押してそばかすの従者が入ってきた。どんよりとした目つきで僕を睨み付けると、小さく舌打ちをしてワゴンを置いて退出していった。
「彼女はセラ・ハンサンブル。少し暗い雰囲気を出していますが、根は良い娘ですよ。」
良い娘と評される従者が仕える主に舌打ちするものかと疑問に思っていると、白髪の従者が僕の目の前に紅茶を差し出した。
「申し遅れました。私はジェフ・フリーダと申します。紅茶でも飲んでお話いたしましょう。」
「紅茶に睡眠薬とか入っていないでしょうね?」
「これは手厳しい……。」
僕の皮肉をあしらうかのように白髪の従者、ジェフは先んじて紅茶をすすった。
「あなたが扮装しているお方はエレナ・アレストラ。アレストラ家の令嬢でございます。」
田舎者の僕にアレストラ家の名前に心当たりはない。首をかしげる僕を見てジェフは話を続ける。
「そして、エレナお嬢様はこのハイドランド王国の賢者と呼ばれております。」
「賢者?山奥で霞とか蜘蛛とか食べている……?」
「おとぎ話で出てくる賢者や仙人とは違いますぞ……。」
ジェフは紅茶をすすると話を続ける。
「例えるなら王国の知恵袋ですな。王国の執政に助言をしたり、困り事を解決したりしております。」
有名な大魔法使いと言った僕の予想は当たっていたらしい。本物の魔法使いを見たことがない僕でも装飾までこだわった階段を瞬時に作り出せる時点で察せられる。
ただ、ギルドなどいわゆる一般市民以下の層の知識は乏しいようだ。王国と付き合いがある貴族であれば下々の知恵など不要ということだろうか……。
「そんな賢者様がなぜ僕みたいな男と入れ替わりを?」
僕の問いにジェフは白髪を掻いて黙り込んだ。
そして、言葉を選ぶかのようにゆっくりと話し始めた。
「この屋敷を去る前、お嬢様がおっしゃっていたのは……戦争を止めたい……でした。」
戦争、すなわちハイドランド王国とエスタニア公国との長きに渡る戦争を止める。
「無理だよ……」
僕は無意識に呟いていた。
「ラミィ殿は戦争についてどの程度知っていますかな?」
僕は持ちうる限りの記憶をたどってみた。
二国間の戦争自体は僕が生まれる前からあったと記憶している。
少なくとも二十年以上続いていると思う……。
他には……
これ以上のことを僕は知らない。
生まれた時から当たり前に戦争があって、それが日常になっていて、仕事仲間との会話でも話題にすら上がったことがなかった。
戦争を知ろうというきっかけも意欲もぼくには全くなかった。
答えに窮する僕を見かねたのか、ジェフは話を続けた。
「まず、二国間で度々停戦協定が結ばれています。言うなれば、王国と公国には戦争を止めたいという意志があります。」
「でも、現に戦争は今も続いていますよね?」
「その通りです。停戦協定を結ぶ度にどこかで争いが起きてご破算になってしまうのです。三年前はハイドランド王国のジュナード領にエスタニア公国が進軍してきました。」
突然出てきた故郷の名前に僕は一驚した。
「その襲撃から三年前はエスタニア公国のドルムでハイドランド王国による襲撃、さらにその四年前にはハイドランド王国のアベルジャでエスタニア公国による襲撃が続いています。すなわち、公国、王国、公国の順に定期的に停戦協定が破棄される争いが起きていると言うことになります。」
「偶然じゃないですか?」
僕は反論した。
確かに戦争のことについて僕は素人だ。
しかし、全員を納得させる約束事が難しいのは知っている。誰かがどこかで我慢して妥協しなければ大人同士の約束事が成立しないことはなんとなく分かる。
だからこそ、お互いが妥協できずに戦争を長引かせる政治にこそ問題があると僕は反論した。
戦争に愚痴をこぼしていた学者崩れからの受け売りの話にジェフは苦笑いをしていたが、これが一般人の僕ができる限りの反論であった。
「では、あなたの故郷が誰に襲われたかご存じですか?」
不満げにジェフを睨み付ける僕に投げかけられた突然の質問に僕は答えた。
「エスタニア公国でしょう。実際に僕は彼らが掲げる国旗をこの目で見ましたよ。」
被害者であることを知ってわざわざ問いかけるジェフに不審がる僕を、真剣な眼差しでジェフは見つめ返した。
「エスタニア公国ではないのです。」
「えっ?」
僕の声が漏れていた。
「エスタニア公国に問い合わせたところ、進軍命令を出していないとのことでした。」
「嘘だ!僕はこの目で見た!炎の中になびくエスタニア公国の旗を!」
声を荒げる僕にジェフは憐れみの目を向けて首を横に振った。
「エスタニア公国の王ディンガー・シュレー王に直接聞いたとしたらどうですか?」
ジェフは言葉を続ける。
「エレナお嬢様が公国に忍び込んで直接聞きに行ったのです。間違いありません。」
「忍び込むなんて……いくらエレナがすごい魔法使いでもそんなことできるはずがない。」
「シュレー王直筆の証書はハイドランド王国のガウス王が保管していますので、今すぐに証拠を出すことはできませんが、事実と受け止めてください。」
事実として受け止めろと言われても……僕には到底信用できなかった。
三年が過ぎた今でも夢に出るあの光景に偽りがあったなどと信じたくなかった。
錯乱する中、僕は声を振り絞った。
「では……なぜ僕の故郷は襲われたのですか?なぜ僕の両親は、僕の友人は、八百屋のおじさんは、道具屋のおばさんは、宿屋のお姉さんは……」
戦争だから仕方がなく消えた故郷の皆の笑顔が走馬燈のように流れていく。
戦争だから仕方がなく消えた故郷の思い出が頭の中を駆け巡る。
戦争だから仕方がない?
戦争が原因で消えたんじゃない?
だとしたら、故郷の皆は……故郷の思い出は……
「……どうして消えなければならなかったのですか?」
僕は拳を握りテーブルを叩いた。すっかり冷めきった紅茶のカップが大きな音を立てた。
「戦争を続けることで得をする人間がいるとお嬢様は推測しております。」
「誰ですか?それは……!」
「それを調査しようとしたところ、お嬢様は襲撃に遭いました。あなたもご存知でしょう?」
ジェフの言葉に僕をエレナと間違えて襲ってきた黒いフードを被った集団に襲われたことを思い出した。
「お嬢様は賢者とも呼ばれる貴族です。賢者として目立った動きをすれば妨害されてしまう。そこであなたと入れ替わることを思いついたそうです。」
ジェフはエレナにうり二つな僕を指さした。
「あなたにとっても故郷が無くなった真相を知りたいはず。協力していただけませんか?」
静かに燃えるジェフの瞳に僕はうなずいていた。