第48話 ドッペルゲンガーと客人
「お待ちしておりました。ラミィ様。」
エレナと別れて王都ハイドラトラ駅に降り立った僕を執事のジェフが待ち構えていた。しかし、その表情はどこか焦燥しきっており、歓迎ムードではないようだ。
「ジェフさん。どうしたんですか?」
「お話は馬車の中でさせていただきます。心して聞いて下さいね。」
神妙な面持ちをしたジェフの表情に僕は苦笑いで答えた。
「相変わらずココアはおいしいねぇ?」
かぎ鼻の妙齢の淑女がココアを嗜んでいた。イヤリングの三角定規のミニチュアがゆらりと揺れていた。
「そうですのぉ。堅苦しい会議の場では水かコーヒーしか出さないから、新鮮な気分じゃよ。」
その淑女の傍らで老眼鏡をかけた法衣姿の老人がココアの臭いをかいでいた。
「お褒めいただき……ありがとうございます。」
二人の側でお盆を抱えたお団子ヘアのナターシャがしどろもどろになりながら返事をする。
その会話の折に、ナターシャがいたリビングの扉が小さな音を立てて開かれた。その扉の隙間からそばかすのセラがナターシャを手招きしていた。ナターシャは二人の老齢の客人に気づかれないようにそっと扉に近づいた。
「ラミィが帰ってきた。」
セラの言葉にナターシャが胸をなで下ろす。
「お疲れ様です。ナターシャさん。」
疲労困憊の表情を浮かべたナターシャに僕はねぎらいの言葉をかける。
「遅いわよ!アンタ……じゃなくて、エレナお嬢様の客人よ。早く相手してよ。もう限界!」
ナターシャは声を潜めながら僕のことを愚痴る。
「僕も相手にしたくないんですけど、このまま居留守を使ってもいいですか?」
「エレナお嬢様がお戻りになられましたわ!」
ナターシャのこれ見よがしに声を張り上げると、二人の客人が一斉にリビングの扉の方を向いた。後は何とかしろと言わんばかりにナターシャは舌を出してその場を後にした。
「覚悟を決めろよ?エレナ様?」
したり顔のセラに背中を押されて僕は客人の相手に望んだ。
「お待たせいたしました。マイヤー・パタゴラス先生、ヘンリー・ボルガー教皇。」
僕の姿を見るやいなや二人の客人はハグで僕を歓迎してくれた。
ジェフが事前に提示してくれた情報だけを頼りに二人の珍客の相手をしなくてはならなかった。
「先生と呼ばれるなんていつ以来だろうね?元気にしているかい、エレナ?」
ミニチュアの三角定規のイヤリングを付けた淑女、マイヤー・パタゴラス婦人は満面の笑みで僕の肩を叩いてくる。思わずむせそうになるが、何とか味のしないココアを口の中へと流し込んだ。
「学院では……先生と呼ばれないんですか?」
馬車の中でジェフとの作戦会議で出た想定質問の一つをぶつけてみる。
「学院?皆寝ているからアタイの名前を呼ぶ奴はいないよ。」
ジェフ曰く、目の前で高らかに笑うマイヤーはエレナの家庭教師だったらしい。エレナが賢者として頭角を現し始めた頃、彼女の父親が大枚をはたいて家庭教師として雇ったそうだ。
「今日はどうしてこちらに?」
「教え子の活躍を聞いてね。久しぶりに会いたくなったんだよ。」
「教皇様と一緒に……ですか?」
かつての教え子との会話で盛り上がる二人を横目で見るご老人の話題になり、ご老人は顔を上げた。
「こいつはホントにたまたまだよ。」
「ワシ……一応教皇なんだけど……扱い雑じゃない?」
「護衛を連れずに来るとか絶対にろくでもない用事だよ!無視だよ、無視!」
「マイヤー婦人、決めつけ早くない?」
教皇の肩書きに似合わない砕けた言葉遣いに僕は思わず拍子抜けする。老眼鏡をかけた老人はシャロン号で出くわした青年、ジョージ・ボルガーの祖父であり、現教皇だ。年齢のせいで執務が難しくなり、王国の最大の宗派マリア教の次の教皇の座を譲ろうとしている人格者だ。
マイヤー婦人との接点がなく、今話題の教皇が客人として来ていることにジェフも困惑していた。
屋敷へ戻る馬車の中、ジェフと作戦会議を重ねた結果、口数が多いマイヤー婦人に喋らせる方針と二人の基本的な情報だけが僕の頭に入っている。
「教皇様のご用件は何ですか?」
エレナの恩師から無視しろと言われても礼儀上無視するわけにもいかないので、教皇様に声をかける。僕の言葉に教皇様は目を輝かせた。
「さすがは賢者様じゃ。どこかの数学バカと違って優しい娘じゃのぉ。」
「余計なお世話だよ……」
さながら夫婦漫才のように喋る二人はたくさんの教え子を抱える先生とたくさんの信者を抱える教皇で似た者同士なのだろう。初対面とは思えないほど息が合っている。
教皇様は咳払いすると僕に頭を下げた。
「今週末の演説会に参加してくれんかのぉ……」
シャロン号でも孫がエレナに演説会に参加するように声をかけていたのを思い出していた。あの時は、後継者争いに巻き込まないで欲しいと固辞していたはずだ。
「私が参加することに何の意味がありますか?」
孫と同じ依頼をする教皇様の真意を確かめるために質問を挟む。教皇様は後ろめたい事情があるのか頬を掻いていた。