第47話 本物との別れ
「エレナさん!どういうことなんですか?」
「挙式の日程はまだ決めていないんだけどね……」
困惑する僕を差し置いてエレナの振る舞いは明らかに僕をからかっているようだった。
「それは……おめでとうございます。」
困惑しているのは僕だけでなく、ギルドマスターも同じのようだ。
「それで、ラミィには私の旦那としてアレストラ家に入籍してもらうことになります。」
「ちょっと……勝手に話を……」
エレナは僕の鼻をつまんで僕の講義を妨げた。
「そのために私の弟子と称して色々政治の勉強をしていたじゃない?」
弟子と称したのは事実だし、政治の勉強中であることも事実なので反論しづらい。
「これからは冒険者をやめて、貴族として頑張って貰わないと困るわ。」
エレナの言葉にネイビーは眉をひそめていた。
「道楽みたいな冒険者より安定した貴族の仕事を重視してくれるわよね?」
エレナの意図を掴みきれない僕が返答できずにいると、ネイビーが割り込んできた。
「すみません。冒険者をやめるのは事実ですか……?」
「ええ。冒険者と貴族の二足わらじは厳しいですから……。あら?何か困ることがありますか?」
エレナはしたり顔で僕の方を見つめる。
その一方でネイビーは眉間にしわを寄せて、一筋の汗が彼女の眉間へと流れていた。
「あの……ギルド本部専属の冒険者に昇格する話は……」
「ああ!依頼成功率百パーセントの冒険者としてギルド本部から売り出す話でしたわね?ラミィから聞いておりますが、お断りするかもしれませんわ。」
「すでに何人かには宣伝しているのですが……」
声が小さくなるネイビーの前でエレナはおどけてみせた。
「あら?まだ正式に回答していないわよね?ラミィ?」
突然僕に振られて首を縦に振るしかなかった。目の前で気落ちしているギルドマスターの姿を見て僕はエレナの狙いを確信する。
エレナは土の魔法使いで賢者様。僕のような無能に成り代わったのだからどんな無理難題も鮮やかに解決してきたのだろう。その活躍は商人達に瞬く間に広がり、護衛を指名する声が各地で噴出した。
その事態に目を付けたギルドマスターは僕に声がかかる護衛依頼の仲介料を全てギルド本部で管理しようと企んだ。
賢者に成り代わる前のように放浪の旅を続けてギルドの支部を点々と移動されると、僕がいない地域のギルドでは護衛を頼めないと不平不満の声が起こる。放浪の旅を止めさせて、僕をギルド本部に縛る目的でギルド本部専属冒険者とか言う聞いたこともない役職を立ち上げたのだろう。
「お気の毒に……。けれど……」
浮浪の旅より定住の地で過ごした方がずっと安定だから、僕が受け入れると確信していたのだろう。仲介料を中抜きしても浮浪者はそれほど金には執着しないし、一儲けできる自信もあったのだろう。ギルドマスターのネイビーの野心を打ち砕いたエレナが救いの手を差し伸べる。
「彼は冒険者も続けたいとおっしゃっています。そこでどうでしょう?」
ネイビーは顔を上げてエレナを睨み付けた。
「商人名簿をいただければ、ギルド本部専属の冒険者の件を認めても良いですわ。」
エレナは女神のような慈悲深い言葉をネイビーにかけて悪魔のような微笑みを見せた。
だが、ネイビーは背筋を伸ばして、エレナの前に座した。
「商人名簿は渡せない。」
毅然たるネイビーの固辞にエレナも僕も黙り込む。
「だが……」
ネイビーの呟きが沈黙を破った。
「私の依頼を叶えてくれれば見せてやっても良い。」
ネイビーの言葉に僕は思わずエレナの方を向いた。エレナは険しい表情をしてネイビーの方を凝視していた。
「その依頼とは?」
「サヘラン・シーブルという男をご存じですか?」
当然ながら僕は知らないが、エレナは目線を上げて記憶をたどるようにゆっくりと話した。
「確か……ハイランド王国の侯爵ですね。会ったことはないのですが、風の噂で名前だけ聞いたことがありますわ。」
ネイビーは長いため息をついて首を横に振った。
「私の元兄だ。ただの一地方領主に過ぎないしがない男だ。シーブル家から勘当された私には一生関係の無い間柄になるはずだったんだがな……」
兄の言葉を出した瞬間からネイビーは憂鬱な表情を浮かべて話を続けた。
「私を見捨てたシーブル家を見返すために、私一人の力で商人ギルドを立ち上げた。だが、私がギルドマスターをしていると知った途端、アイツは自分のことを、商人を支配するギルドマスターの兄だと貴族達の間で吹聴している。」
「そんなお兄さんが目障り?」
「ああ。私に貴族との癒着があるんじゃないかと根拠もないデマを流して、私をギルドマスターの座から追放しようという動きもある。」
ため息を吐き終えると、ネイビーは静かに僕たちの方に向き直った。
「サヘランが二度と私に近寄らないようにして欲しい。手段は問わない。報酬は王国にも見せていない本物の商人名簿。検閲をすり抜けている武器を扱う商人の情報も載っている正真正銘の本物だ。依頼を受けてくれるか?」
「ああ。いいよ。賢者様にお任せあれ。」
エレナの即答に僕の額から嫌な汗が垂れていた。
「……と言うことだから、後はよろしく!ラミィ!」
ギルドマスターと別れを告げた後、ギルド本部の入り口前でエレナは僕の肩を強く叩いた。
「人ごとだと思って勝手に話を進めないで下さい!」
僕の抗議にエレナは涼しげな顔をしていた。初めからここに連れてくるのが目的だったらしい。
「大丈夫だ。アルス国務長官に頼めばすぐに会えるはずだ。」
楽観視するエレナを見て僕はガックリと肩を落とした。
「エレナさんはこれからどうするんですか?」
エレナは街道の奥に見える運河をじっと眺めていた。そして、静かに夕日が沈みかけている水平線の先を指さした。
「エスタニア公国に行く。」
振り返ったエレナは僕の肩に静かに手を置いた。
「戦争を止めるにはエスタニア公国の協力も必要だ。アタシはその要請に向かうつもりだ。」
エレナは言葉を続ける。
「ガウス国王の力を駆使すれば貴族の動向を追うことはできるが、商人達の動向を知るには商人名簿しかない。何としてでも手に入れて国王に渡して欲しい。」
夕日で陰るエレナの顔は憂色が表れていた。
「任せて下さい……と言っても心配ですよね?」
今までの事件は全てエレナの手助けがあったからこそ解決できたものだ。そのエレナが国を離れると言うことは彼女の支援を一切受けられなくなると言うことだ。何をするにしても後始末は全て僕がやらなくてはいけない。
「上手く隠したつもりだけどな……。ラミィは人の心を読むのが上手いな。」
「あなたが単純だからじゃないですか?賢者のくせに。」
「フフ……言ってくれるね。」
「任せて下さいとは言いません。なので、僕なりに頑張ってみますと言っておきます。」
エレナは僕の返事に微笑みで答えると、再び夕日を眺めた。
「あの場では尋ねませんでしたけど……」
隣に立つ僕の言葉にエレナは首をかしげた。
「エレナさんが戦争を止めたいと思う個人的な理由は何ですか?」
やはり、答えはなかった。
宿に行きましょう、と一言呟いてエレナは宿屋を探しに歩を進めた。
異国の地であるリルカシアを我が物顔で歩くエレナの後を追いかけた。
日が沈みかけても賑わいを見せる露天が立ち並ぶ通りを横切ると、やがて商人のがやが聞こえなくなり、宿屋や料理屋が建ち並ぶ宿場街へとたどり着いた。商人の町と言うこともあり大小様々な宿屋が点在しており、宿探しに苦労することはなかった。
「眠い……。」
宿屋の一室に入るやいなや、眠気を訴えるエレナのために手早く着替えの交換を済ませた。
着替え終えた後、緊張の糸が解けたのかエレナは水も浴びずにベッドに突っ伏した。
直ぐさま寝息を立てる彼女に僕はねぎらいの意を込めて毛布を掛けた。
賢者と呼ばれる肩書きが彼女を動かしていた。
僕と接する時のように砕けた言葉遣いを封印しようとする努力は彼女の本当の顔を知る人たちにしか知らないことだ。
その努力はいつまで続けなければいけないのだろうか?
柔らかな寝顔をした彼女に僕は思わず同情する。
ギルドマスターに面会できたのは賢者の肩書きのおかげだ。一騎当千の活躍をする僕の肩書きだけではギルドマスターの顔を拝むことすらできなかっただろう。今回の交渉が彼女自身の計画かどうかは分からないが、彼女の行動のおかげで事態が一つ進展したのは事実だ。
そのエレナは明日にはこの国にはいない。
エレナの助力を受けることはできない。
「エレナさん。僕がなぜ賢者の影武者を引き受けたか教えましょう。」
熟睡する彼女の側で僕は本音を語った。
「故郷が何者かに奪われたと聞いた時、戦争だから仕方が無いと思い続けていた自分が故郷を襲った奴が憎いと心変わりした自分が許せませんでした。故郷を襲った奴も許せませんでした。」
反論しないことを良いことに僕は思いをぶちまけた。
「私刑を許さないと正論で僕を切り捨てたあなたが憎かった。」
お休み、と彼女に声をかけて僕は深い眠りについた。