第45話 ドッペルゲンガーと商業ギルド
「お降りの際は忘れ物にご注意下さい。」
部屋の見回りをしながら壊れた絡繰り人形のごとく忘れ物の注意喚起を繰り返す車掌さんの声を背にして、構内へ降り立つと潮の香りが鼻の奥に広がった。
王都ハイドラトラからシャロン号で三時間ほど西に進んだ先の波音と喧噪が広がる商業都市リルカシアに僕たちは到着した。目の前に広がる海には大小様々な船影がまばらに浮かんでおり、遙か水平線の先を目指す船の姿もあれば、その水平線の先からやってくる船の姿があった。
「僕、海なんて初めて見ました。」
西に傾きつつある日の光に照らされた水面の美しさに思わず僕は感極まった。
「ラミィ。」
賢者エレナは僕の肩を叩いた。
「あれは海じゃない。運河という大きな河。」
「ええっ!あれ、河なんですか!」
「そうか……。ラミィは山育ちだったな……。」
「何ですか?その憐れむような目は?」
エレナの呟きに思わず憤慨する。
小麦しか採れない緑に囲まれた田舎で育って海に詳しくないのは事実だが、ギルドで冒険者をしていた頃に一回だけ海を見たことがある。その時に、遙か水平線の先に陸地が見えないくらい広いものが海だと結論づけていたが、世の中には運河なるものもあるらしい。
初めての運河に見とれる僕の腕をエレナが強引に引っ張っていく。
「あの運河の先には何があるんですか?」
「エスタニア公国。」
エレナの言葉に思わずよろけそうになる。
「えっと……、ハイランド王国とエスタニア公国って戦争中じゃなかったっけ?」
「国同士は戦争中ね。でも、商人達は違う。」
僕は首をかしげながらエレナの話を聞き続ける。
「確かに敵対しているけど、実際に大きな戦争をしているわけじゃない。何者かが紛争を起こして戦争を企てようとしているけど、国同士の理性のおかげでかろうじて戦争には突入してないのよ。」
「でも、あそこに見える船はエスタニア公国から来ているように見えますよ?敵国から物を運んで来るのは許されるのですか?」
僕は苔が生えた階段を降りながら運河に浮かぶ船の影を指さした。
「エスタニア公国の名産物って知ってる?」
エレナの問いに僕は首を横に振った。
「紅茶葉なの。それを煎ってお湯で蒸すと芳醇な香りのする紅茶になるのよ。ハイランド王国では採れない贅沢品で貴族達の嗜好品としてハイランド王国に出回っているのよ。」
「エスタニア公国のものが、ですか?」
「そう。貴族達に大層気に入られている茶葉が手に入らなくなったら、貴族達はどう思う?」
エレナの問いかけに僕は思わず唸る。
嗜好品だから不要と言われればそれまでだが、手に入らなくなったら貴族達から不平不満が出てくるだろう。その不平不満は全て国王に重くのしかかり、反乱の火種にもなり得る。国王陛下から見てもそうした事態は避けたいところだ。
「敵対しているからと言って敵対国からの輸入に制限をかけることが国王にできないことも、ハイランド王国の貴族達が紅茶葉を言い値で買ってくれることも商人達は熟知している。」
苔が生えた階段を降り終えると、エレナは僕の方へと振り返った。
「だから、この町だけは治外法権なのよ。この町の商業活動を制御できるのはガウス国王ではなくギルド。アンタが良く知るギルドがこの町の自治をしているのよ。王国にできるのは武器を持ち込んでいないか検閲するくらいよ。」
そう言ってエレナは僕に一枚のカードを渡した。
それは僕の冒険者ギルドでの証明書だった。
久しぶりに手に取った証明書に懐かしさを感じるが、小さな文字でビッシリと埋め尽くされた経歴欄に僕は違和感を覚えた。
「このカードって本当に僕の物ですか?」
「何をとぼけたこと言ってるんだよ?」
細かい字を間近で見ていた僕はエレナの方へ顔を上げた。
エレナはニタリと笑っていた。
「アタシがアンタに成り代わったんだ。当然、冒険者として一騎当千の大活躍よ。」
僕は唖然とした。
僕がエレナを演じるようにエレナも僕を演じていたのだ。
だが、経歴欄には、僕ではできないエレナの偉業が刻まれていた。
僕もエレナの演者としては大根役者のようだ。
「ほら!用事をさっさと済ませてデートでもしようよ!」
年頃の乙女のようにはしゃぐエレナに引っ張られながら、僕は元の生活に戻ったときのことを想像して一人心の中で嘆いていた。
用事を済ませたいと張り切るエレナに連れられて、リルカシアの町並みを練り歩いていた。王都以上の喧噪の中に商人達の売り文句が飛び交う。今まで見たこともない異国の装飾品や工芸品が街道の左右に飾られており、思わず目を奪われてしまう。
エレナは珍しい商品に目をくれることなくリルカシアの中心地に真っ直ぐに向かっていた。
「着いたわ。」
王都の貴族街にある屋敷より大きな赤煉瓦の建物の前でエレナは立ち止まった。
古めかしい木の立て看板には『ギルド本部』と達筆で書かれていた。
僕が冒険者として登録したギルドの総本山にあたる場所だ。
「早速中に入るぜ。」
エレナははにかむと目深な帽子を僕に被せた。
「しっかり被っとけ。後はアタシにしっかり話を合わせろよ?」
エレナはギルド本部の扉を開けた。僕は慌てて帽子を深く被り直した。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」
貴族の屋敷と違い、無駄な装飾品を一切省いたシンプルな室内に物腰の柔らかそうな涙ぼくろが印象的な若々しい淑女が僕たちに声をかけた。
「賢者エレナ。シーブルに面会の連絡を入れた者だ。」
エレナが手短に伝えると、受付の淑女の雰囲気が険しいものに変わった。
「こちらになります。」
突然空気が張り詰めた状況に理解が追いつかない僕を差し置いて二人はギルド本部の奥へと進んでいく。僕は慌ててその後を追いかける。
「シーブルさん。賢者様がいらっしゃいました。」
質素な木の扉を受付の淑女がノックしている間、僕はエレナの方を見た。
エレナと視線が合う。
エレナは僕にウィンクする。
一体何を考えているのだろうか……?
受付の淑女が扉を開け、僕たちは続けて部屋の中に入った。
「アリシア。案内お疲れ様。受付業務に戻って良いわよ。」
「失礼します。」
部屋の中にいた女性の命令を聞いてアリシアと呼ばれた受付嬢は部屋を出た。
質素な髪留めで新緑色の髪を一つにまとめ、ワイシャツをまくり上げたラフな格好をした女性の鋭い目線が僕を捉えた。
猫に追い詰められた鼠になった心地で嫌な汗が頬を伝った。
「ようこそ。賢者エレナ様。それと……そちらの方はどなたかな?顔を拝見してもよろしいかな?」
僕はエレナの方に視線を送った。
エレナは帽子を脱げと目線で訴えていた。
僕はゆっくりと帽子を脱いで顔を上げた。
「ほぅ……。ラミィ・クラストリア様ですね。商売人の守護者としてのあなたの大活躍は私の耳にも入っていますよ。ギルド本部専属の冒険者の昇格の件の返事を楽しみにしていますよ。」
僕の活躍ではない実績への賞賛の言葉に複雑な気持ちになる。ギルド本部専属の冒険者については初めて聞いた話だし、ギルドの昇格とかギルド内規に関わることだろうかと首をかしげる。
「私の名はネイビー・シーブル。商業ギルドの代表役、ギルドマスターを務めています。どうぞお二人とも席にかけて下さい。」
ネイビーと名乗るギルドマスターに促されて僕とエレナはソファーに腰掛けた。
「私たちの自己紹介は必要かな?」
「お二人のことはよくご存じですが、商慣習上、軽く自己紹介していただけると助かりますわ。」
「私はエレナ。ハイランド王国で執政の助言役をやっている。」
隣に座るエレナがテーブルの下で僕を小突いた。
「僕はラミィ・クラストリア。ぼ……冒険者としてこのギルドで仕事をしています。」
僕の自己紹介を終えるとネイビーは隣同士に並ぶ二人の顔を比べるように凝視する。何か思うところがあるのだろうが、尋ねてはこない。様子見しているようだった。
「早速、仕事の話をしたいのだが……」
エレナが先に切り出した。
「商人名簿を拝借したい。」