第44話 ドッペルゲンガーの着替え
エレナの姿を見ると僕は後ろ手で扉を閉めた。
「誰にも見られてないか?」
「何人かの商人や貴族にすれ違いましたが、顔は見られていないと思います。」
僕の言葉にエレナは上出来だと言わんばかりに深く頷いた。
「僕をここに呼び出した理由は何ですか?」
エレナは僕の質問を遮るように僕の口に人差し指を押し当てた。
「その前に着替えを交換しようか?」
エレナの発言に僕は思わずたじろぐ。
「アタシが着替えている間は後ろ向いといてよ。覗いたら容赦しないよ?」
有無を言わさぬエレナの圧力に屈し、僕は服を脱ぎ始めた。
「あの……エレナさん。」
カーテンを閉めたエレナが僕の方を振り向いた。
「コルセットの留め具を外してくれませんか?」
僕は背を向けたまま背筋にあるコルセットの留め具を指さした。
「コルセットとか付ける必要なくない?」
「僕もそう言っているんですけどね。ジェフさんが無理矢理付けてくるんですよ。王城に行くなら女性の身だしなみとして当然だって……。」
「女性って……。ラミィは男だろ?」
呆れた声で呟いたエレナはコルセットの留め具を外していく。
「ジェフさんは僕が成り代わっている間にあなたの品位が落ちないように配慮しているんですよ。エレナさんも変な噂が立ったら嫌でしょう。だから、僕も断り切れなくて……。」
「そりゃ親切なことで……」
留め具を外していくエレナの息遣いが僕の背筋を伝ってきて思わず身震いする。
「外したよ。」
エレナがコルセットをテーブルの上に投げ捨てたのを確認すると、僕は服を脱ぎ始めた。
「アンタ!アタシが見てるのに下を脱ごうとするんじゃないよ!もっとタイミングを考えてよ!」
「ああ……!ごめん……!」
エレナは慌てて背を向けた。
僕も女性の前で服を脱ぐ経験はないが、容姿がうり二つのエレナの前ではどうも躊躇いが薄れているようだ。賢者もまた一人の淑女であり、男の裸に抵抗を持つのは至極当然だ。しかし、どうにもそのことを失念してしまう自分がいる。
「着替えたよ。」
「絶対に後ろを振り向くなよ!」
僕はエレナの指示通りに下着一丁で座り込んだ。
車掌さんが入ってきてこの光景を見られたら二人とも社会的にアウトだろうなとぼんやりと考える。
何の変哲もない扉を見つめる僕の背後で布が擦れる音が聞こえるが、小心者の僕に振り向く度胸は持ち合わせていない。
わずかに布が擦れる音を聞かされながら暇を持て余していると、不意に汽笛の轟音が鳴り響いた。シャロン号が動き出す振動で部屋が大きく横に揺れた。
「うわっ!」
僕の上から覆い被さるようにエレナが倒れてきた。
背中に人肌の温もりを感じ、恐る恐る目線だけ送ると、僕の左肩に赤らんだエレナの顔が乗っていた。
「ごめん……」
彼女はポツリと呟くと立ち上がった。座り込む僕から後ずさりする音が聞こえた。
「……お待たせ。」
エレナの合図で振り向くと、汚れた旅人の格好から紫色の外套を羽織った凜とした姿に変わったエレナが立っていた。庶民の僕よりも華麗な服装を着こなしていた。
「僕はこれに着替えれば良いんですね?」
僕はテーブルに置いてあった服をつかみ取った。
エレナが先程まで身につけていた僕の服を着ようとしたその時、扉がノックされる。
「乗車券の確認に参りました。エレナ様。」
その声はよく知る車掌さんの声だった。
賢者に化けた僕の姿と僕自身を知る車掌さんがうり二つの賢者と僕に出くわすのはまずい!
そう判断したのは僕だけではなかったようだ。
「アタシが何とかやり過ごすからそこに隠れてて!」
エレナが指し示したベッドに飛び込むとシーツやベッドカバーにくるまった。僕がベッドに隠れたのを確認すると、エレナは床に置いていた荷物とテーブルの上に置いてある着替えを僕が隠れているところに投げ捨てた。
「ああ!お久しぶりです!賢者様!あの時はお世話になりました!」
エレナが車掌さんを出迎えていた。
僕は荷物の隙間から二人の様子を覗うことにした。
「ああ……、シャロン号が運行再開になっておめでとうございます。」
「本当に賢者様のおかげですよ。」
エレナが乗車券を二枚手渡すと、車掌さんは乗車券を切った。
「あれ?今日はこの部屋に二人ですよね?もう一人の方はどちらに?」
「彼……じゃなくて、アイツは手洗い場に行っている。顔を見せた方が良い?」
「とんでもない!賢者様の付き人なら私も安心ですよ!それでは、乗車券をお返しします。」
車掌さんは朗らかに嗤いながらエレナに乗車券を手渡した。
何とか窮地を脱することができたと思っていたのだが……
「あれ?誰かと思えば、賢者様ではないですか!」
何とか車掌さんをやり過ごせると期待した瞬間、開かれたままの扉から若い男の声がした。
そっと隙間から様子を覗うと、若い男が部屋の中に入ってきていた。
栗色のショートヘアーのお坊ちゃんと言った出で立ちの青年で、質素ながらも装飾が施された白い法衣から彼が教会の人であることが察せられる。
「初めまして。賢者エレナ様。」
青年は深々とお辞儀をする。それを見下ろしているエレナの顔はここからでは見えないが、面倒くさそうな顔をしているのは容易に想像が付く。
「マリア教会の司教のジョージ・ボルガーです。以後、お見知りおきを。」
「初めましてじゃないな。王城内で何度か見かけた顔だ。私に何か用か?」
ジョージと名乗る青年にエレナは淡々と対応している。
よろしくとか、お見知りおきをとか言って近づいてくる奴らにろくでもない奴しかいないことは身をもって知っている。エレナも心底うんざりしているのだろう。
「いえいえ。たまたま通りかかったら、賢者様の姿が見えたものでご挨拶をしておこうかと。」
「そうか……」
「ところでエレナ様。」
エレナの言葉を遮るようにジョージが問いかける。
「七日後にマリア教会の総本山で僕の演説があると案内状を送らせていただいたと思いますが、ご参加の返事をお聞きしたいのですが、どうでしょう?」
ジョージの挨拶以外の用事を聞いたエレナは僕と視線を合わせた。
「断る。」
ジョージは特に動揺する様子もなくエレナの言い分を聞いている。
「あなたの祖父の後継者争奪に私を巻き込むのは勘弁して欲しい。教会の問題は教会で解決するべきだ。政治とか、外部の力を使うべきではない。」
「分かりました。」
素直に返事をすると、ジョージは後ずさりしながら扉の方へと向かった。
「誰でも無料で拝聴できますので、気が変わったらいつでも来て下さい。」
そう言い残すと、扉が閉まる音がした。
二人の会話を間近で聞いていた車掌さんは我に返ると、興奮した様子でエレナに尋ねた。
「今の人って、教皇様のお孫さんですか?」
「ああ……。すまないな。私の仕事の話に巻き込んでしまったようだ。」
車掌さんは鼻をすすると、エレナににこりと微笑んだ。
突然の微笑みにエレナの後ろ姿がかすかに揺れていた。
「いやぁ。車庫で会ったときとは雰囲気が全然違いますなぁ。こう……仕事人らしい毅然とした態度で、あの時と違ってなんだか自信に満ちあふれていますなぁ。まるで別人みたいですな!」
車掌さんは肩を揺らして高らかに笑っていた。
僕とエレナは肝を冷やした。
車掌さんが早く部屋から出て行くのを待つしかなかった。