第38話 ドッペルゲンガーの報せ
説教が始まる前に僕はジェフから預かった便箋をアルスに押しつけた。
「これは何です?」
「ジェフからあなた宛の手紙です。」
唐突に渡された手紙に困惑している隙を突いて、僕はクロエの手を引っ張りアルスの脇を急いですり抜けた。その俊敏な動きは自画自賛するほどに完璧そのものだった。
僕の背後では、便箋を片手に持ち、逃げるように城内に入っていく僕の背中を見送るアルス国務長官の姿があった。僕を追いかける様子もなくただ呆然と立ち止まっていた。。
アルスの姿が見えなくなったことを確認すると、僕は城内で一息ついた。
一方で、生まれて初めて城に来たクロエは辺りにある壺や肖像画などを物珍しげに見回っていた。
「変に動き回らないでくださいよ。」
僕はクロエに声をかけた。
クロエが迷子になってしまったら、彼女を探しに行く僕も迷子になってしまうかもしれない。
賢者が迷子になったら誤魔化しは効くだろうか?
そんな心配を他所にクロエはあちこちを歩き回っていた。
「おや?またお会いしましたな。賢者エレナ様。」
聞き覚えのある声に僕は振り返った。
廊下の奥からモノクルを光らせて長身の男が近づいてきていた。
見知らぬ男が来たからか、クロエが僕の背後に隠れる。
「オストワルドですよ。アベルジャから帰ってきていたのですね?」
「どうして知っているのですか?」
王室でしか話していない内容を知る男に僕は思わず身構えた。
「おっと!そんなに警戒しないでください。噂好きで有名なこの城の給仕から耳にしただけですよ。城内では有名な方ですよ?」
王室と言う密室での内容が給仕を通して他人に伝わっていたことにこの国の情報統制の不出来を疑ってしまうと同時に、給仕からそうした情報を聞き出そうと努力するこの男を警戒しておくべきだと僕は心に留めておいた。
そして、オストワルドは僕の後ろに隠れていたクロエの存在にも気づいた。
「お嬢ちゃん。私の名はオストワルド・ヒンダー。土地の売買を生業としているただの貴族です。そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ?」
オストワルドは跪いてシルクハットを脱いで、クロエに挨拶をした。
それに答えるようにクロエは小さく頷いた。
しかし、彼女はどこか怯えているようだった。
そんなクロエの様子をまじまじと見つめるオストワルドがクロエに尋ねた。
「お嬢さん。私とどこかでお会いしたことはないですか?」
クロエは何も言えずに突っ立っている。
ただ、クロエは僕の袖を強く握っていた。
お客様を守るのも招待した僕の務めだ。ここら辺で牽制しておこう。
「彼女は私の客人だ。あまり怖がらせるようなことは遠慮していただきたい。」
「ああ!これは申し訳ない!そのようなつもりはないのですよ!」
「後、土地は買うつもりはありません。」
僕は念のために釘を刺しておいた。
僕の忠告を聞いたオストワルドは軽く咳払いした。
「賢者エレナ様。今回はただの挨拶ですよ。この前紹介した新鉱山の土地は買い手が決まってしまいましたし、当面売る土地はありませんよ。」
売れる土地があれば押し売りするつもりだったのかと戦慄する。
「城内で土地を押し売りするのを止めるようアルス国務長官に注意されたばかりではないんですか?」
「フフフ……。本音と建て前は違うのですよ?賢者様。」
どうやら全く反省していないらしい。
僕がその発言をアルス国務長官に密告する可能性を考慮に入れていないのだろうか。
「では、失礼いたしますよ。」
オストワルドはモノクルをかけ直してその場を後にした。
僕はクロエを引っ張ると王室の方へと歩んでいった。
「賢者エレナ。帰ってきたばかりで申し訳ないが、報告を聞かせてもらおう。」
顔を上げると玉座に堂々と座るガウス王はその黒いあごひげをさすりっていた。
国王と言うだけであり漏れ出る威圧はすさまじい。
僕の正体を見透かされそうな王の目に僕は思わず視線をそらした。
「おい!早く言えよ!」
「ソーマ!口を慎まぬか!」
跪く僕の横にはコルラシア親子の姿があった。
ソーマの口ぶりからしてまだ事件の犯人を知らないらしい。
「では、報告いたします。」
僕は立ち上がってソーマの方を向いた。
「今回のソーマ・コルラシア様の坑道立て籠もりですが、あなたの執事であるマンスを筆頭に仕組んだものでした。」
僕の言葉にソーマの口が開いたまま塞がらなかった。
自分の従者達が裏切ったという現実を受け入れられないのだろうか……。
「おっ……おい!それは……本当なのか!」
狼狽するソーマを見て僕は静かに頷いた。
「マンスの証言によると、あなたへの個人的な恨みとのことですが、心当たりはありますか?」
「こ……心当たりと言われてもなぁ……」
ソーマが頭のつむじを掻きながら唸った。
「従者からの復讐……。動機としては日頃からの従者達への対応、給与……。その辺りが相場と決まっているが、思い当たる節はないのだな?」
「とーちゃん。そうは言ってもよぉ……。俺としては普通に接してきたし、俺なりに従者と主の関係を保ってきたとは思うんだけどなぁ……」
ソーマの父親であるスヴェンが助け船を出しても、ソーマは動機に心当たりがなさそうに考え込んでいた。
考え込むソーマを待っていても仕方がないので僕は報告を続けた。
「坑道の全作業員と坑道そのものは無事です。」
「流石だな。賢者エレナ。」
王様に褒められるなんて両親が知ったら腰を抜かすくらいの誉れだが、僕ではなくエレナを褒めているところが唯一の不満だ。
「ところで、ソーマ様。一つお伺いしたいことがあるのですが?」
「何だよ?」
怪訝そうな顔をしてソーマが僕を睨み付けていた。