第37話 ドッペルゲンガーの再来城
目が覚めるとエレナのベッドの上だった。
昨晩の記憶は朧気だが、窓から差し込む日差しと僕の姿から着の身着のままでベッドに飛び込んだことだけは確かなようだ。
昨日からの疲れが抜けず、誰もいない部屋で一人ぼんやりしているとノックする音が響いた。
扉を開けるとジェフが目の前に立っていた。
「王国からの遣いが来ています。坑道の事件について報告して欲しいとのことです。」
僕は静かに頷いた。
「国王様に報告するついでに、これをアルス国務長官にお渡しいただけますかな?」
そう言って一枚の便箋を僕に差し出した。
「これは?」
「個人的なものです。お嬢様なら見てはいけませんが、ラミィ殿なら見ても良いでしょうな。」
どうやらアルスとエレナの色恋沙汰の話らしい。
僕はその便箋を胸元にしまうと玄関の方へと進んでいった。
「少しお待ちくだされ。」
まだ用事があるのかと僕はジェフの方を向いた。
「さすがに着替えは変えてくだされ。お嬢様の品位に関わりますからな。」
僕は思わず服の臭いをかいだ。女性のものとは思えない汗臭さが鼻をついた。
王城へ向かう馬車に乗り込むと外の景色を一人ぼんやりと眺めた。
できれば従者の誰かに付いてきて欲しかったが、各々の理由で同行を断られてしまった。
ナターシャは僕のことを毛嫌いしていたし、セラは面倒くさそうにしていたし、カーサスは断固拒否の姿勢だった。ジェフだけが一度行った道だから大丈夫と笑顔で見送ってくれた。
これも僕のカリスマ性のなさが為せる業なのだろうかと思うとため息が出る。
すっかり見慣れた貴族街に連なる屋敷を眺めつつ、今回の事件について思考を巡らせた。
領主であるソーマ・コルラシアの執事であるマンスが引き起こした坑道籠城事件。
彼の犯行動機は領主に対する日頃の不満らしい。帰りの馬車でカーサスが僕にそう語っていた。
同じ相手と長く一緒にいると嫌なところや悪いところが見えてくるのはよく聞く話だ。長きにわたる領主からの無茶ぶりや罵詈雑言が恨み辛みとなって溜まっていくことは十分に理解できる。
しかし、一つ引っかかることがある。
それは主の所有物である炭鉱を本当に爆破しようとしたことだ。
確かに主に嫌がらせをする方法として所有物を傷つけるのは有効な手段の一つだ。
だが、忘れてはいけないことがある。
主が滅びれば、仕えている従者達も職を失うことになるということだ。
マンスは仮に坑道を爆破した後、一体どうするつもりだったのだろうか。
路頭に迷うことになる自分以外の従者のその後をどうするつもりだったのだろうか。
王都の収容所に向けて護送中である彼の動機についてはこれから詳細な取り調べが行われるのだろうが、どうにも腑に落ちない。
それにもう一つ腑に落ちないことがある。
今日はそれを本人から聞く絶好の機会だ。
「あれが、王様の住む城よね!」
そんな思いを馳せる僕を余所に僕の向かい側には窓の外を覗くクロエの姿があった。
「クロエさん。今日の証言頼みましたよ。」
「うん。任せて!」
彼女は王都に初めて来たそうだ。
そのためかアベルジャにいた時とは打って変わって心晴れやかな好奇心に満ちた顔をしている。
王様への報告により信憑性を持たせるため、僕は彼女に同行をお願いした。
と言うのも、アベルジャでは賢者の弟子が事件を解決したことになっているからだ。
僕より後に来る護送部隊が王様に事の顛末を報告に入れるだろう。
王様は賢者を派遣したつもりなのに、別人が事件を解決したと報告を受ければ首をかしげるのは至極当然だ。
その矛盾を解決するために僕が帰りの馬車の中で立てた粗筋はこうだ。
アベルジャで情報収集をした時、賢者の名前を迂闊に出してしまうと、山賊の仲間に盗み聞きされて賢者が来ていることがばれるのを避けるために偽名を使うことに決めた。その後、アベルジャの領民であるクロエの乳母に偽名を名乗って協力を要請してしまったために、最後までその名前を通すしかなかった。
クロエは一領民として証言してもらうことで、僕の言い訳に信憑性を付与しようという魂胆だ。
「それで何か見返りはあるの?」
僕がクロエに事情を話して同行を申し出た時、彼女はにこりと微笑んでそう尋ねた。
中々したたかな女性だと思い返しながら、城を見てはしゃぐ年相応な少女を僕は眺めていた。
「お待ちしていました。賢者エレナ様。」
馬車から降り立つと目の前にはアルス国務長官が仁王立ちで僕を出迎えてくれた。
「何か私に言わなければならないことがありますよね?」
何かを言いたげな苛立ちの表情を見せる国務長官に僕はわざとらしく首をかしげる。
「賢者様とは言えど、人との約束を破るのは良くないと思いますが?」
国務長官が説教の構えに入る。
まずい……!
アルスに黙って一人でアベルジャに行ってしまったことにご立腹のようだ。
あの時のような長い説教をまたくらうわけにはいかない。
国務長官が口を開く前に僕はジェフから預かった便箋を押しつけた。