第35話 ドッペルゲンガーの幕引き
兵士や作業員達が後始末に追われてあちこち奔走していた。
山賊を捕えた後、兵士達は逃げようとしていたマンスの部下達を瞬く間に取り押さえてしまった。
山賊の正体はマンスが雇った傭兵集団で、ヴェルグ死刑囚とは一切面識がなかったらしい。
一方、マンスの部下達の中には事件に関与していた者もいれば、全く知らなかった者もいるため軽い取り調べを受けている最中であった。
三日後に王国から護送団が来るまでに事件関係者を精査する必要があり、王国の兵士達はその対応に追われていた。
特に多忙を極めるセンガス兵士長を呼び出して、僕は彼に頭を下げていた。
「驚きましたぞ。まさか、賢者様の弟子だったとは……。それならそうと言ってくだされば良かったのに……」
「賢者と言わないと信用を得られないと思いましたので……」
「気にしないでくだされ!『結果良ければ全てヨシ!』と言いますしな!ガハハハハ!」
高らかに笑う兵士長を見て、僕は賢者の燕尾服を着ているアンジュさんにも頭を下げた。
「協力していただいてありがとうございます。アンジュさん。」
「良いんですよぉ。貴族の正装なんて滅多に着れるものじゃないですし、皆を騙してると思うと結構楽しめたましたからぁ。」
アンジュは胸に手を当てて浮かれ気分ではしゃいだ。
「それにしても……三つ目の入り口なんぞ見落としていた我らが恥ずかしい……!」
センガス兵士長は縛られているソーマの従者達を忌々しげに見つめた。
「そう気を落とさないでください。仕方がなかったんですよ。」
僕は自分たちの失態に怒るセンガス兵士長をなだめた。
王国から派遣された兵士は町の治安維持に務めてきた。
だが、兵士達は町の地理に詳しくても私有地である領主の坑道に詳しくなかった。
それは、公権力が無断で私有地に立ち入ることを王国の法律が禁止しているからだ。
そのことが、執事達が提示した見取り図を信じ込んでしまった要因の一つと言えるかもしれない。
「しかし、よく従者達が怪しいと見抜かれましたなぁ。」
兵士長が感嘆するが、この場にいる中で従者達を疑えたのは僕しかいない。
領主のソーマは王室でこう言った。
「逃げ出せた現場作業員の話によると……」
つまり、マンスの周りにいた従者達の中に現場に詳しい人物がいたということだ。
その人が三つ目の入り口の存在を知らないはずはないし、それを報告していない時点で利敵行為だ。
「それにしても……合図を送ってくれると約束したのにしてくれないとは、あんまりですぞ!」
「すみません……。その方が潜入は失敗したと思わせるには良いかなぁと思いまして……」
僕は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
実際には合図を送る余裕がなかったんだけれどね……
あの時、僕は一人だけしか見張りを付けていない三つ目の入り口から坑道に潜入した。
ヴェルグ死刑囚から渡されたペンダントを頼りに作業員の中からクロエを見つけ出して、彼女に山賊達が広間から出たらすぐに脱出するように指示を出した所までは良かった。
しかし、作業員達は爆弾が仕掛けられていることを知らなかったらしい。
僕が爆弾という言葉を口に出すと、作業員達がひどく動揺してしまったのだ。
それが山賊の注意を引きつけてしまい、僕は慌ててその場から逃げ出すしかなかったのだ。
「おばあさんもご協力ありがとうございました。」
僕はクロエに寄り添う白髪の老婦人にも声をかけた。
「アタシに人を騙す演技力があったとは思いもしなかったよ。舞台女優でも目指してみようかね。」
クロエの乳母であるこの老婦人こそが今回の作戦の最大の功労者だ。
カーサスにはアンジュさんと僕が成り代わる作戦をアンジュさんに伝えて、潜入するための囮役をお婆さんに引き受けてもらうよう頼んでいた。
カーサスとアンジュが訪れた時、老婦人は包丁を振り回して襲ってきたらしいが、念のためにと渡しておいたペンダントを見せると素直に話し合いに応じてくれたらしい。
頼れる人が彼女くらいしか残されておらず、囮役としては些か不安ではあったが、実際には民謡を歌って巧みに見張りを誘導してくれたので、結果的に僕の目に狂いはなかったらしい。
賢者の姿で潜入するフリを演じてくれたアンジュの話によると、二つ目の入り口にいた見張り達は最後までその場から離れることはなかったらしい。
『もう一つの入り口から潜入する』
僕の伝言を聞いて、センガス兵士長は二つ目の入り口から入るものだと勘違いしていたらしい。
その会話を盗み聞きした従者も同じ勘違いをして山賊達に伝えてくれたようだ。
そして、自分の演技力に惚れ惚れしている老婦人の横にいるクロエと目が合った。
その琥珀のように透き通った目が僕を真っ直ぐに捉えていた。
「クロエさんには謝らなければいけないことがあります。」
僕は彼女に頭を下げた。
「あなたが事件の首謀者じゃないかって疑っていました。すみません。」
クロエはきょとんとして僕を見下ろして黙り込んだ後、口を開いた。
「坑道で私のことを信用しているとか言っていたけど、あれは嘘なの?」
「……嘘ではありません。でも、罪悪感はありました……。」
坑道の避難指示をクロエに託したのは彼女が作業員達に慕われていると知っていたからだ。
実際に色んな人から話を聞いて悪い奴ではないとは思っていたし、作業員達を死なせまいと僕も必死になって彼女に協力を要請した。
「この謝罪は……僕の単なる自己満足です……。」
しかし、疑いの目を向けていた相手に協力をお願いしている自分にずっと罪悪感を抱いていた。
こればかりは、終わりよければ全て良しとはならない。
僕は顔を上げた。
そこにはにこりと笑うクロエの姿があった。
「じゃあ、罪滅ぼしのつもりで一つお願いを聞いてくれる?」
彼女の言葉に僕は小さく頷いた。
「近づいてはいけません!」
兵士の慌てる声が聞こえる。
「いいんだ。その男と話がしたい。」
縄で全身を拘束されたマンスが顔を上げた。
目の前に銀髪の髪をした男が立っていた。
「あなたは確か、賢者エレナ……いや、その弟子に仕えている従者でしたな?」
「どうしてこんなことをしたんだ?」
マンスの目の前にカーサスが腰を落とした。
カーサスは懐から煙草を取り出してマンスに差し出した。
「吸うか?」
「ワタクシは禁煙主義です。」
「ここまでのことをしでかしたんだ。アンタ、二度と煙草なんか吸えなくなるぞ。」
カーサスの言葉にマンスはテントの白い天井を見上げた。
煙草の煙と自分の白い息が天に昇っていた。
「ワタクシにも一本いただけますかな?」
「良いのか?」
「一本ぐらい構いませんよ。特に今日はね。」
カーサスが差し出した煙草を口にくわえると、カーサスが煙草の先に火を点けた。
くわえていた煙草をカーサスが抜き取ると、マンスはゆっくりと息を吐いた。
「どうしてワタクシの話を聞きに来たのですか?」
カーサスは煙草を外すと深いため息をついた。
「主の所有物に害をなしたと言うことは、主に何かしら不満があったんだろう?」
「ええ、そうですな。この計画を企てたのもソーマ様に一泡吹かせるため……」
「おれも今の主に不満があるんだ。」
カーサスの言葉にマンスの眉毛がぴくりと動く。
「ほぅ……。それはどういった内容で?」
「アンタに教えるはずないだろ。」
マンスの詮索をカーサスがピシャリと遮った。
「どうやって気に入らない主に仕えていたのか……自分の心を納得させられるか教えてくれないか?」
カーサスはマンスを見つめた。
マンスはカーサスの視線に耐えきれず小さく笑った。
「残念ながら、ワタクシには教えられませんな。主に仕える理由は人それぞれでしょうから。」
カーサスは何も言わずに立ち上がった。
「すまないな。兵士の皆さん。引き続きこの男の見張りを頼む。」
兵士達は互いに顔を見合わせて去りゆくカーサスの背中を眺めていた。
こうして、僕の賢者としての初仕事は幕を下ろした。
そして、山賊達の護送団より一足先に駆けつけた馬車に乗り込んで僕たちは王都へ戻って行った。