第33話 ドッペルゲンガーの潜入
ペテルゼウス山脈の尾根から昇る太陽の日差しが決戦の刻を知らせた。
僕はこれからセンガス兵士長の協力の下、坑道内にいる作業員と接触する。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
カーサスは僕に声をかける。
その声はどこか優しいものだった。
僕は静かに頷いた。
「センガス殿。」
テントの外からマンスが姿を現した。
「また、彼らが食事を要求しております。準備はすでにできておりますので行きましょう。」
センガスは徐ろに立ち上がり、マンスの後をついて行った。
その後を何人かの兵士達が後をついて行く。
作戦決行の刻を迎えた。
僕はフードを深く被り直してテントの外に出た。
「食事を届けに参りました。」
マンスは後ろにいる食料を詰め込んだ麻袋を担いだセンガスに前に出るよう目配せした。
センガスは四人の山賊の前に麻袋を置くと、一人の山賊が中身を調べた。
「よし、中まで運べ。」
その合図と共に二人の山賊が見張りに戻った。
残りの二人はマンスとセンガスの背後に回り込むと坑道の奥へと誘導した。
賢者様は大丈夫だろうか……。
センガス兵士長は入り口を一見した。
真後ろを歩く二人の山賊と目が合った。
山賊のために食料を運ぶ兵士長と言う滑稽な姿を見て、二人はあざ笑った。
だが、たとえ山賊にあざ笑われようとも兵士長には作戦が成功することを祈るしかない。
この先の広場で賢者様に会えることを信じて、炎の魔力で光るランプに照らされる中、重い足取りで坑道の奥へ進んでいった。
坑道へのもう一つの入り口には二人の山賊が見張りをしていた。
会話をしているようだが、その内容までは聞き取れない。
そんな距離にある岩陰に様子を伺う二つの影があった。
「賢者エレナ様。もうすぐだぜ。」
カーサスの言葉に静かに頷いた。
「おいっ!ここはどこじゃあ?」
「おい!お前、しっかりしろよ!」
カーサス達が隠れている所とは別の岩陰から会話が聞こえてきた。
その騒ぎが起きている岩陰が見下ろせる場所で見張りをしている二人の山賊の男が顔を見合わせた。
「おいっ、お前が見に行けよ。」
「嫌だよ!お前が見に行けば良いだろ?」
「おいおい、何か異変があったら様子を見に行けとリーダーから言われているだろ……」
二人の山賊が入り口の前で口喧嘩を始めた。
「へへっ!こうなりゃじゃんけんで決めよう!恨みっこなしの一回勝負だ!」
二人の山賊は入り口の前でじゃんけんを始めた。
「賢者エレナ様、焦りは禁物だぜ……」
カーサスが私の肩を叩いた。
岩陰に息を潜めて、二人の見張りに隙ができる機会を伺っていた。
「今日も食事をありがとうよ。」
坑道の奥にある広場で覆面を被った一人の山賊が鼠のような笑みを浮かべていた。
その山賊は土砂が詰まった箱の上に鎮座してセンガス兵士長とマンスを出迎えていた。
センガス兵士長は食料が詰まった麻袋を地面に置くと、ゆっくりと後ずさりした。
他の山賊達は兵士長が不審な動きをしないか凝視していた。
人質となった作業員達も固唾をのんで二人の行動を見守っていた。
「ヴェルグ様はここに来ているのか?」
鼠のような笑みを浮かべるリーダー格とおぼしき山賊の質問にセンガスが答える。
「ヴェルグ死刑囚は現在護送中だ。ただ、護送中にトラブルが起きて今日の夕方に到着する予定だ。」
「ヴェルグ死刑囚じゃなくてヴェルグ様だろ?なぁ?お前ら!」
リーダー格の山賊が作業員達を見渡した。
しかし、誰一人として声を上げる者はいない。
「ククク……。まさかとは思うが、ヴェルグ様は連れて来ていませんとか言わないよな?」
リーダー格の山賊の言葉に作業員達からどよめきが起こる。
ヴェルグ死刑囚の解放という山賊達の望みが叶わなければ、それはすなわち、自分たちは爆破に巻き込まれて坑道の瓦礫の下に埋まることになる。
不安の声が坑道内に広がった。
「そんなことはない!王国から伝書をいただいている!」
センガス兵士長は作業員に聞こえるような大きな声を張り上げる。
「それなら良いんだけどな……」
含み笑いを浮かべ、リーダー格の山賊は人質達に声をかけた。
いつでも偽装できる伝書がヴェルグ死刑囚を護送している証拠にならないことは山賊達も理解しているのだろうか、彼らの笑みには余裕すら感じさせる。
「安心しろ!お前らにかつての領主様に会わせてやるよ!嬉しいだろう?」
ニタニタと嗤う男に意見する者は誰一人としていなかった。
「もう出て行け。忘れるな!ヴェルグ様を今日の日没までに連れて来い!」
「待てっ……!」
センガスの言葉にリーダー格の山賊は首をかしげた。
「作業員達も一週間近くは坑道にいる……。体調の優れない者を先に解放してくれないだろうか?」
「駄目だ!」
「頼む!」
賢者様が作業員達に避難指示を出すまで時間稼ぎをしなければならない。
もしかすると、今も見張りに隙ができず、入り口で立ち往生しているかもしれない。
だが、兵士長は賢者様を信じるしかなかった。
兵士長は山賊にここから追い出されまいと必死に話を繋いでいく。
兵士長の首筋から大量の汗が噴き出ていた。
おかしい……
カーサスの額から一滴の汗が滴り落ちる。
目の前で騒ぎが起きているにも関わらず、二人の見張りは一歩も動こうとしない。
騒ぎが起きている岩陰を見やる。
そこにいるのは薄汚れた服を着た浪人に扮装した二人の兵士だ。
扮装するよう指示した本人だからこそ兵士と分かるが、端から見れば誰も王国の兵士とは思うまい。
賢者が不安そうな目でカーサスを見つめる。
「まだだ……。まだ、時間はある……」
カーサス達が山賊達の隙を伺う間に時間だけが無為に過ぎていった。
「おいっ!お前らそこで何をやってる?」
センガス兵士長が会話を繋ぎ留める最中、その努力を打ち砕くかのように山賊の一人が作業員達に向かって声を荒げた。
「へ……兵士さん。私たちは助かるのでしょうか!」
「ああっ……!必ず助け出す!」
唐突に作業員から声をかけられて、思わず兵士長から焦燥しきった声が出る。
兵士長の言葉に作業員達の人だかりがどよめいた。
「そろそろ出て行ってもらおうか……」
山賊が武器を構える。
センガス兵士長の背後でハンスが情けない悲鳴を上げた。
振り返ると、武器を突き付けた山賊に囲まれたマンスが助けを乞う視線をセンガスに送っていた。
ここが引き際らしい……
センガスはマンスを連れて広場を去って行った。
広場から山賊達の卑しい嗤い声が聞こえてきた。
センガスは爪が食い込むほどに拳を強く握り締めた。
潜入は失敗に終わってしまったらしい……。
賢者エレナ様からの合図がなかったからだ。